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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
125/136

22



「お待たせぇ」


 応接室に戻ると、全員がそこにいた。

 山下が寝ていたソファは壁際に寄せられ、そばにルイスが立っている。

 何かあったのかと緊張してルイスを見れば「寝てる」と言われた。あまり寝相が良くないのか、もごもごと寝言めいた事を言ってもぞもぞと動いているから、寝返りで落ちないように移動させたのだろう。

 浩史は、と探せば、やはり反対の壁側に移動させた一人用のソファに座った勇を囲む輪の中にいた。

 もう一つの一人掛けのソファも部屋の奥に移動されていて、恵美が二人の赤ん坊を膝に乗せて座っている。赤ん坊は二人ともよく寝ているようだった。

 

「おー、お帰り」


 金属の棒を加工した松葉杖の様なものを田原が勇に見せ、それについて何か言っていた孝志と遼が振り返る。


「あれ、吉田さんは?一緒じゃねぇの?」

「遼、ちょっと」


 悦子はそれには答えず、パンを机に置いたかと思うと遼をかっさらう様に応接室の外に出て行く。


「?母さんはどうしたんだ?」

「携帯の事だと思うよぉ」


 台所での事を思い出しているのか、典子は鍋をテーブルに置きつつ、のんびりと勇に答えた。

 上野家では電子機器の事になると遼を頼るのが癖になっている。だからか勇もすぐに納得した。


「俺と母さんからよく遼が生まれたと思うよ。俺にはああいう機械はさっぱりだ」

「私も無理だぁ。ねぇ、なんでテーブルの周り空いてるのぉ?」

「食事の支度の時、そばにソファあったら邪魔だろ?ああ、手伝おう」

「おじさんは座っててください。俺手伝いますから」


 ソファから立ち上がろうとした勇を留め、孝志がこちらにやってくる。

 それなら、と咲良は深皿を鍋の横に並べて置いてから場所を代わった。典子も孝志も、ここ数日二人っきりでお喋りする時間も無かったはずだ。スープをよそいながらなら、周りの目を気にすることなく喋れるだろう。

 隣りに来た孝志に少し頬を染めて狼狽えた典子に「パン切ってくるね」と言えば、照れつつも嬉しそうに頷かれた。

 テーブルの反対側に回って、先に持って来られていた食器ケースを覗いてパン切りナイフを探す。


「何探してるんだ?」

「お父さん?パン切りナイフだよ」


 声をかけてきた浩史に顔を上げると、勇のそばにいた田原もスープを配る手伝いをするらしく、松葉杖の様なものを勇に預けて孝志に話しかけていた。

 桐野は、と探せば、部屋の隅でどこからか持ってきたらしい器に入った水を飲む小町のそばにしゃがみ込んでいる。そばには長山の夫の方がいて一人と一匹を見下ろしていた。

 犬が好きなのかな、と思いつつ、奥さんは、と理絵を見ると、こちらは犬には興味が無いらしい。テーブルの横、スープをよそう典子と対面の咲良の間の辺で、メロンを切り始めていた。


「パン切りナイフ……これかな」


 食器に触らないようにケースを振って中身を見ていた浩史に声をかけられ、ケースを覗きこむ。


「これ?これはステーキナイフじゃない?すごい先尖ってるよ?」

「それ切れ味良さそうだから危ないぞ。そっちじゃなくて、こっち」

「え?これ?これはテーブルナイフじゃないの?」


 やたらと種類の多いナイフにああでもないこうでもない、と言い合っていると、理絵が二人の手元を覗き込んできた。


「何を探してるの?」

「あ、パン切りナイフです。どれか分からなくて……」

「あら。あらら、この中、無いかもしれないわ」

「え」

「台所に忘れてきちゃったかも。ごめんなさいね。なんだったらこれ使う?」


 これ、と理絵がメロンを切っていたナイフを、卓上にあったウェットティッシュを引っ張り出して拭く。果汁がついてるから、と拭いてくれたのだろうが、あまり長さが無いから、パンを切るのには向いていなさそうだ。

 だったらさっき見たステーキナイフの方が長さがあって切れ味も鋭そうだが、厚意で言ってくれたんだろうし、と悩んでいると、典子が首を傾げた。


「咲ちゃぁん?どしたのぉ?」

「あ、パン切ろうと思って」

「私がナイフを忘れてきちゃったのよね」

「じゃあ手でちぎっちゃいましょうかぁ?スープもとりあえず全員分よそったから、私もそっち手伝うよぉ」

「わ、早いね」

「少なめにしといて、お代わりして貰えば良いかなぁってぇ」


 そう言って、典子は、ちら、と勇と恵美の所へスープを運んでいる田原を見た。田原や孝志たちは夕べのスープが食べられなかったから、気を使ったのだろう。

 当の田原は、典子と咲良に見られているのに気づかず、湯気の立ち昇るスープ皿を勇に渡し、もう一皿を恵美に渡そうとして彼女の両手が赤ん坊で塞がっているのを見て困っている。

 孝志は、と見やった時、ガラ、と後ろで応接室のドアが開いた。


「あ、お母さぁん。おかえ―」

「飲まないで!」


 叫び声に咲良は振り返った。

 応接室のドアを開けた悦子が、険しい顔で田原を見ている。後ろの遼も険しい顔をしている、と思ったら、遼の顔が驚愕に代わり、叫んだ。


「典子!」

「うっああああああ!」


 ドンっという衝撃音のあと孝志の叫び声がし、一拍遅れて典子の悲鳴が響く。


「孝ちゃん!なんでぇ!?やだぁ!!」


 振り返ると、孝志が典子を抱えこんで倒れていた。

 その肩にナイフの柄が垂直に突き立っている。あれは理絵の持っていた果物ナイフだ、と愕然としていると、肩を掴まれて壁の方へ突き飛ばされた。

 同時にガシャン!という音がして、足元にフォークやナイフが散らばる。


「お父さん!?」


 浩史が卓上にあった食器のケースを、薙ぎ払ったのだ。

 低く身を屈めて身構えた浩史の肩の向こうに、理絵が見えた。朗らかな表情は消え、なぜか手を伸ばした姿勢のまま、睨むように浩史を見たかと思うと、ばっと身を翻し、応接室の出口へと向かう。

 

「悦子!遼!」


 勇の叫び声に、横をすり抜ける理絵に手を伸ばそうとしていた遼を、悦子が体当たりするようにして止めた。


「痛っ!」


 倒れこんだ二人を後に、理絵が工場の奥へと走っていく。

 ルイスが後を追っていくが、彼が応接室を出たあたりで、バタン!と遠くでドアが閉まる音がした。理絵が工場を抜けたのだ。

 

「くそっ」


 悪態をついたのは遼だ。

 

「あのババア!くっそ、痛ぇ!」

「遼ちゃん、それ」


 よろよろと立ち上がった遼は、左手で右の手の平を押さえていた。そこから血が滴る。


「あの女が持ってたフォークが掠っただけ。俺より孝志は?」

  

 大丈夫か?と立ち上がって、息を飲む。孝志が刺された所が、ちゃんと見えていなかったのだろう。

 倒れこんで典子に抱えられている孝志の肩は、突き立ったナイフを中心にじわじわと赤く染まってきていた。


「おい!なんだよ、それ!母さん!早く!」

「おかぁさん!」


 子供たちの助けを求める声に、悦子が孝志に駆け寄った。


「嘘でしょ……深すぎる……」


 恐れるように呟き、手を彷徨わせる。触れるのが怖い、というように。


「母さん!」

 

 叫んだ遼にハッとしたように上げた顔は蒼白だ。

 それでも、ぐっと口を引き結び、悦子は孝志を抱え起こす。


「誰か、救急箱を持って来て」

「は、はい!」


 田原が勇の足元にあった救急箱を手に取り、走り寄った。

 悦子はひったくるようにそれを受け取り、ひっくり返す様に中身を広げていく。


「孝ちゃん、ごめ、ごめん、私のせいだぁ。私の事庇ったからぁ」


 泣き出した典子に、理絵の隣りにいたのは典子だった、と思い出した。

 孝志は理絵がナイフを振りかざしたのを見て、典子を抱き込んで背を向けたのだろう。それで後ろから刺されたのだ。


「大丈夫……典ちゃん泣かないで」


 脂汗をかきながら床に座り直した孝志の横を抜け、遼が一直線に進んだ先には、長山がいた。

 妻の凶行を見て逃げようとでもしたのか、桐野が馬乗りになって取り押さえている。

 遼はコンクリートの床に顔を押し付けられている長山の前に立つと、いきなり足を振った。

 靴先が長山の腹に食い込む直前に、田原が遼に飛びかかって引き離す。


「上野!やめろ!」

「離せ!」

「このおっさん蹴っても、どうにもなんねぇだろ?!つうか、桐野くんまで蹴っちまうぞ、お前の運動神経だと!」

 

 がむしゃらに暴れまわる遼を羽交い締めにして叫ぶ。

 それで少し遼の頭にのぼった血も下がったらしい。くそっと呟いて動きを止めた。

 

「遼、お前も手当てをしないと」


 新しい松葉杖を使って立ち上がった勇に手を取られ、自分の手から流れている血と暴れたせいで周りに飛び散った血に気づき、ため息をつく。


「くそ………血がついた人いたら、ごめん」

「気にするな。お前は感染してないから大丈夫だろ」


 遼の血が顔についたらしい桐野が袖で拭いながら淡々と答える。あれだけそばで遼が暴れまわったのに、長山をしっかり抑え込んだままだ。

 長山は観念したのか押さえつけられたまま静かに動かない。

 が、桐野がすっと体勢を変えると呻いた。


「逃げようとすれば腕を折るぞ。こちらの質問に答えてもらう」


 分かったか?と桐野が告げると、コンクリートに顔を擦りつけながら頷く。

 

「じゃあ……あんたの妻は何は何をするつもりだった?」



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