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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
124/136

21



「……もう一匹犬が出来たぞ」


 なんだこれ、と桐野が呟くのに頷けるくらい、小町の毛は盛大に抜けた。

 ブラシから抜け毛の束を取るたびに典子が集めて丸めて塊にしてくれていたので、小さく丸まって寝ている犬っぽい。

 反対に小町は少しほっそり、すっきりして、一回り小さくなった気すらする。


「夏毛に代わる時期だから、全体的に毛が減るみたいなんだよね」


 桐野は信じられないのか小町のサイズを確かめるように撫でまわしている。桐野に慣れた小町は澄まし顔だ。

 

「これどうしようかぁ」

「捨ててけないから、うちの車に入れとくよ。田舎帰ったら薪ストーブで燃やせば良いし」


 犬の毛なら燃やしても有害物質も出ないはずだ。

 ビニール袋に抜けた毛を突っ込み、ブラッシングの道具と一緒に車に置きに行く。まだまじまじと小町を見ている桐野と、桐野を見て笑いを堪えている典子に、車に常備している粘着テープのコロコロを使って、二人に付着した抜け毛をとった。


「よし、綺麗になった。一回中に戻ろうか?」


 スマホを見ればすでに十六時を過ぎている。この時間なら勇のギプスも外れているかもしれない。

 典子もそれに思い至ったのか、うん、と頷く。

 三人と一匹でぞろぞろと工場へと向かって歩き出すと、ルイスも寄ってきた。一度トイレに戻るらしい。なら桐野が残ろうか、と提案したが、しばらくならフェンスも頑丈だから大丈夫だろう、と言う。


「侵入はそれほど警戒しなくても大丈夫だと思うよ」

「じゃあ何で見回りしてたんですかぁ?」

「外から来たゾンビに集団でフェンスに体当たりとかされたら、うるさいからね。それ対策かな」


 ルイスがフェンスの一部を掴んで揺さぶると、ガシャガシャと金属同士がぶつかって硬質な音をたてた。これをフェンス全部でやられたら、確かにうるさい。

 

「集団になられると厄介だからね」

「でもこの辺ってすごい静かですよねぇ。多くないけど近くにお家あるのにぃ」

「皆逃げちゃった後とかじゃないかな。ほら、特養のそばみたいに」


 もぬけの殻になっていた新興住宅地を思い出して言えば、ああ、と典子は納得したようだった。

 

「この辺の人、みんな車持ってそうだもんねぇ。車ならすぐ逃げられるしぃ。あ、長山さんだぁ」


 工場に入ってすぐ、カゴを抱えて車の間をすり抜ける理絵に気づいて典子が手を振る。

 理絵の方もすぐに典子に気づいて笑顔になった。


「どうしたんですかぁ?」

「ちょっと早いけど、お夕飯の準備をしようと思って」


 反射的に咲良は工場のドアの外を見た。

 まだ陽は高い。梅雨時の重たい雲の切れ間からは、青い空がのぞいている。夕食には早い気がする。

 咲良の口にしなかった疑問に答えたのはルイスだ。


「暗くなる前に全部済ませちゃおう、て感じですか?」

「ええ。電気もね、いつ切れちゃうか分からないからね」

「まだ大丈夫そうですか?あ、持ちますよ」

「これは重くないから大丈夫よ」


 ひょい、と見せられたカゴの中には、箸やスプーン、ナイフにフォークがいっぱい入っていた。夕食用に貸してくれるらしい。


「お鍋とかは後で運ぶから、その時に手伝ってね。うん、電気はね、自家発電出来る装置はあるんだけど、うちのはガソリン使うやつだから音もうるさいし」

「自家発電とかあるんですかぁ?すごい」

「ええ、停電すると娘が困るから買ったのよ」


 え、と咲良は典子と目を見合わせた。

 停電が困るという事は、電気を使ったものを必要とする機械か何かを使っている、という事だ。

 もしかして娘さんは思っているより重病なんじゃ、と不安になる。


「ああ、でも元気になってきてるから、今は必要無いのよ」


 二人の不安を感じ取ったらしい理絵が、あっけらかんと笑った。

 

「でもほら、ああいうのって捨てるのも大変だからね、置いたままなのよ」

「あ、粗大ごみって捨てるだけでもお金かかりますよね」

「あら詳しいのね。お母さんが言ってたの?」


 意外そうに見られて、咲良は苦笑した。


「いえ、うち、父と二人なので……」

「あらやだ。ごめんなさいね」


 父子家庭だと告げると大体言われる謝罪に、いつもの様に「気にしないでください」と手を振って返す。殆ど条件反射の域だ。

 

「じゃあお父さんいないと寂しいわね」

「え?いえ、父は一緒にいます。あの保菌者の説明をした人で……」


 理絵は咲良と浩史が親子だと認識していなかったのか、と戸惑いつつ説明のためにそばによると、小町がいきなり立ち止まった。


「小町?」


 まさか死者が、と緊張したが、コンビニの時とは様子が違う。しきりにフンフンと空気の臭いを嗅いでいる。


「ああ、この辺臭うでしょ?この前、赤いの零しちゃったのよ。掃除したんだけど、落ち切らなかったのかもね」


 理絵が指した足元は他の地面と少し色が違った。コンクリートの灰色が濃い。


「久佳さんが言ってたけど、やっぱりワンちゃんは鼻が良いのねぇ」

「あ、そういえば吉田さんはどうしたんですか?」

「うちの娘と遊んでくれてるのよ。うちの子引っ込み思案だから助かるわ」


 だから理絵が一人で来たらしい。久佳が遊び相手になれるなら、娘さんは本当に回復してきているのだろう。

 少しホッとしながら、きょろきょろしている小町を促して応接室に向かう。


「おかえりなさい。あら、長山さん?」

「お夕飯の支度をしようと思ってね」


 悦子に咲良たちと同じ説明を繰り返す理絵から離れ、咲良は小町を誰に預けようと顔を巡らせた。

 理絵が夕飯を運ぶのを手伝うなら、小町は置いて行かないと手が塞がってしまう。他人様の家に小町を上げるのは、流石に気が引けた。


「桐野くん、小町見ていて貰えないかな」

「俺か?」


 浩史と山下はどちらも無理だ。小町が近づけない。悦子や恵美は赤ん坊の世話があるし、遼と孝志は応接室の角の方で田原を加えて勇を囲んで替えの新しい松葉杖がどうの、と何かをしている。

 典子は多分理絵を手伝うだろうし、ルイスに預けるには小町がルイスに慣れていないから無理だろう。

 

「うん。小町も大分懐いたみたいだし」


 ね、と小町を見下ろしながら、リードを桐野に手渡すフリをすると、小町はまぁ良いか、とばかりに桐野の横に移動した。

 

「預かるのは良いが……トイレでも行くのか?ネイトが入ってるぞ、今」

「夕飯を運ぶの手伝おうと思って」

「おい」

「大丈夫だよ。母屋には吉田さんもいるっていうし、典ちゃんも一緒だと思うから」

「なら俺が行く」

「え」

「重たい物を運ぶんじゃないのか?俺のが力はあるだろ」


 確かに咲良より桐野の方が腕力はある。さっきのボール投げで痛感した。


「あー、じゃあ……」

「咲ちゃぁん。行こう」

「典ちゃん。おばさん?」

 

 声をかけられて振り返ると、理絵と一緒に悦子と典子が立っていた。

 莉子は、と探せば、恵美に抱っこされている。悠馬はすぐ横のソファで寝ていた。


「お鍋とパンとお皿があるから、人手が必要なんですって」


 それで恵美に莉子を任せたらしい。


「上野、咲良は小町の世話があるから、俺が行く」

「え?でもぉ、理絵さんがお手伝いは女の人だけねってぇ」

「娘さんと鉢合わせしたら、怖がるからって言われちゃって。桐野くんの気持ちは有り難いんだけど……」


 納得しかねる桐野に、悦子が困った顔で後ろを振り返った。

 塊になって話し込んでいた遼がこちらに気づき、肩を竦める。遼たちも断られたのだろう。

 桐野は渋い顔になったが、こちらは夕食まで準備をしてもらっている身だ。あまり強くも出られない。


「……分かった。小町は俺が預かる」

「ありがとう。お願いね」


 小町も良い子でね、と言えば、留守を任されると思ったのか、おすわりをして尻尾を振った。

 じゃあ、と典子と悦子に続き、応接室のドアの所で待っている理絵の所へ向かう。


「じゃあ行きましょ」


 応接室を出て、修理した車と車の間を抜けていく。

 そのまま工場から出るのかと思ったら、理絵は工場内をまっすぐ進んだ。母屋がある方の壁に辿り着くと、ドアが二つある。


「そっちは倉庫に繋がってて、こっちが母屋に繋がってるのよ。雨の日とかこの方が楽だからね、直に繋いじゃったの」


 そう言って理絵が開けたドアの先は、短い渡り廊下だった。学校の本館と旧館を繋いでいた物に似ている。ただ距離は本当に短い。

 十歩も行かずに廊下の先のドアを開ければ、勝手口だったらしい。そこで靴を脱いで、と言われて、理絵の後に続いて台所にあがった。

 台所のコンロの上では、弱火にかけられた鍋がクツクツいっている。

 

「あら、吉田さんは……?」

「上で娘と遊んでくれてるの。お夕飯もこっちで一緒に取って貰おうかと思って。娘がね、すごく喜んでるのよ」

「吉田さん良い人ですものね」

「ええ、本当に。助かってるわ。あ、運んで欲しいのはこのお鍋とパンとそこのお皿なの。私は果物を切るセットを持って行くからね」

「あら。メロンまで。良いんですか?」

「良いのよ。うちメロン食べないから、逆に困ってたの」


 カゴに大きなメロンと果物ナイフを入れてまな板を抱える理絵に、咲良たちもあわあわと言われたものを分担しあった。

 典子が真っ先に鍋を持ち上げ、少しよろける。相当重いらしい。


「典子、お母さんと変わる?」

「大丈夫ぅ。私より食器持ってる咲ちゃんのが重いだろうしぃ」

「私も大丈夫だよ」


 全員分の深皿は重い事は重いが、抱えられるからそれほど負担ではない。典子の方が熱いし大変だろう。

 

「私だけ軽くて、なんかごめんね」


 ホームベーカリーで焼いたというパンが入ったビニール袋を持って、悦子は申し訳なさそうな顔だ。


「でもパンは一個で持たないと潰れちゃうよぉ。と、わぁ!」


 ガコン、と音がして、飛んできた何か軽いものが咲良の足に当たった。

 足元を確認しようとしたが、抱えた皿で下が見えない。


「ごめんなさい!なんか蹴っちゃったぁ!」

「ゴミ箱よ。ごめんなさい、長山さん。すぐ拾うわ。咲良ちゃんも動かないでね」


 悦子が慌ててしゃがみこんで、足元の物を回収していく。勝手口で靴を履いていた理絵が「後で片づけるから良いわよ」と言ったが、そうもいかないだろう。

 咲良も食器を置いて手伝おうと思ったが、ちょうど真ん前に悦子がいて身動きが取れない。


「おばさん、私も手伝いますから、あの……おばさん?」


 拾ったゴミを手に動きを止めた悦子に声をかけると、はっとしたように振り仰がれた。


「え、あ、なに?咲良ちゃん」

「手伝おうかと思ったんですけど……」

「もう終わるから、そのままで大丈夫よ」


 手にしたゴミを握りしめながら、散らばった他のゴミも急いで回収していく。

 鍋の中身なのかシチューの素のパックや、野菜の切れ端もあった。燃えるゴミもプラスチックごみもいっしょくただ。

 分別回収をしていない地域なのかな、と疑問に思ったが、ゴミ収集車が来るはず無いから、と気にせずに捨てているのかもしれない、と思い返す。

 分別したところで持って行ってくれる業者はいないのだ。


「ごめんなさいね、上野さん。ゴミまで拾わせちゃって」

「いえ」


 戻って来ようとした理絵に首を振って留め、悦子はポケットに手を突っ込んだ。


「おばさん?」

「あ……携帯電話見ようと思って。でも忘れちゃったみたい」

「よくやるよねぇ、それぇ」


 典子は笑いながら一旦鍋を下ろして、靴を履く。渡り廊下に出る典子に続いて咲良も靴を履き、悦子に場所を代わろうと振り返った。

 悦子は少し強張った顔で、パンの袋を持った手を握りしめていた。



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