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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
123/136

20



 おすわり、待て、伏せ――。

 基本的なコマンドを桐野はすぐに覚えた。問題は小町の方だ。

 咲良が桐野の横にいるから言う事を聞いています、という態度をあからさまに取っている。桐野が指示を出した後、ちら、と咲良を確認してからやるのだから、桐野が微妙な顔になるのも、横で見ていたルイスが笑うのも仕方がない、かもしれないが咲良としては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「なんか、ごめん……」

「面白いなぁ。日本犬は忠誠心が強い、て聞いていたけど、ここまでなんだ」

「お前は完璧に無視されたけどな」


 若干イラッとした風な桐野が、大笑いするルイスを睨む。

 ルイスは咲良と桐野が訓練をし始めたのを見て寄ってきて興味深そうにした後、試しにやらせて、と言ってお座りの指示を出し、小町に大あくびをされたのだ。

 

「なんかもう、本当にごめんなさい」


 飼い主として居た堪れない。

 しかも小町は遊び相手としては桐野が気に入ったらしく、指示出しの訓練に少しでも間が空くと、咲良が持ってきたボールを銜えて桐野に押し付けて遊べとせがむのだ。

 遊んだら仲良くなれるかも、と思ってのボール作戦だったが、訓練よりも遊びの時間のが長くなってしまっている。


「またか?」


 押し付けられたボールを受け取り、桐野が構え、駐車場の奥へと投げる。

 途端に尻尾を振りながらボールの着地点まで小町は走っていった。


「ボール投げは好きなんだね」

「私だとあまり遠くまで投げられないから、嬉しいんだと思います……」


 咲良だとせいぜい数メートルしか飛ばない。桐野のが圧倒的に飛距離がある。


「僕も投げてみようかな?」

「やめとけ。またあくびで無視されて、自分でボールを拾いに行く羽目になるぞ」

「ああ、ありそうだね」


 妙に楽しそうにルイスは同意する。

 そんな風に話している間に、小町が跳ねるように戻ってきた。

 そろそろコマンドの訓練を再開したいから、もう一度桐野にボールを押し付ける前に回収しないと、と咲良が待ち構えていると、察したのか小町は咲良を迂回しようとする。


「こら、小町」

「どうしたの?」

「吉田さん」


 横に行きかけた小町がピタッと止まって、工場から出て来た久佳に尻尾を振った。染物工場で頭を撫でてくれたのを覚えているのだ。

 

「ボール?遊んでたの?」


 しゃがみ込んだ久佳に、自慢するように小町がボールを銜えた口をぐいっと見せつける。久佳が思わず、といったように笑った。


「撫でて良い?」

「はい」


 分かっている小町はいそいそと頭を差し出す。よしよし、と撫でられてご満悦だ。


「お散歩も出来ないから、良かったわね」

「はい。吉田さんはどうしたんですか?」

「莉子ちゃんの服のリメイクが一段落したから、長山さんに食材を届けがてらお手伝いしてこようと思って」

「お手伝いですか?」

「ええ」


 頷いて声を潜める。


「長山さんの娘さん、車椅子使ってるらしいのよ。ちょっと大きめの、上半身まで支えられるやつ」

「え?それって結構な病気なんじゃ……」

「私もそう思って。不安になって旦那さんの方に聞いたら、娘が前に使ってたやつだって。前って事は今は良くなってるのかもしれないけど、娘さんこっちに顔を出さないでしょ?言うほど良くは無いと思うの」


 久佳は眉をひそめて言った後、一転申し訳なさそうな顔になった。

 

「でも、奥さんは私たちの夕食にスープでも作るわよ、て言ってくれてね。申し訳ないから手伝わせて貰う事にしたの」

「私も手伝いますか?」

「ううん。台所があまり広くないらしくて、一人なら、て言われちゃってるから」

「ひとり?」


 それまで黙って話を聞いていた桐野が怪訝そうな顔で言う。

 

「そうだけど。なに、心配してくれてるの?」


 揶揄う様に久佳が言えば、桐野は眉をひそめた。


「あんたさっきの話し合い忘れたのか?」

「私はあの奥さんがそんなに危険だとは思えない。車椅子って私も昔介護で使ったけど、乗ってる間はともかくベッドに移したりとかがすごく大変なの。あの調子だと旦那さんは娘さんのお世話してる様子も無いし、一人で面倒みてたら疲れてテンションおかしくなるのは、よく分かる」


 むっとした久佳に力説されて、桐野はつい、と視線をずらしてルイスを見た。何か言え、と言いたげな視線に、ルイスは肩を竦める。


「あなたが良いなら良いんじゃないですか?」

「ええ。好きにさせてもらうわ。あ、あと、そっちからもいくらか食材を貰いたいんだけど。咲良ちゃんも良い?」

「あ、はい」

「これ、お父さんから預かってきたメモと車の鍵」


 はい、と渡さされて受け取ったメモにある浩史の字のリストを見て、咲良は驚いた。


「これ、ですか?少なくないですか?」


 予想以上に少ない。単純に考えれば、三人なら二人暮らしの咲良と浩史の一.五倍は食べるだろうに。

 久佳も少ないと思っているのか、うぅん、と悩まし気に答える。


「娘さんが少食なのかもね。車椅子だと人によってはあんまり身体動かさないから、お腹空かないみたい」

「そうなんですか」

「うちの大姑はそうだったわね。単にあの人は年だったからかもだけど」


 行こう、と促されて、車へと向かう。

 

「山下さん、調子はどうですか?」

「微熱が続いてて小康状態って感じ。中原さんが言うには、自分もこんな感じだったと思う、て話。これからどうなるのか分からないけど、今のところは大丈夫じゃないかな」

「良かったです」


 恵美の為にも、山下が浩史と同じ様な保菌者だったら良い。接触は控えなければならないが、あの死者たちと同じになるよりは全然良い。

 

「上野さんの、えっとお父さんの方ね。あの人のギプスはまだ外し中よ」

「あれから結構経ってるが」


 会話に混ざってきた桐野に久佳が肩を竦める。


「機械の動かし方がよく分からなくて怖いみたい。おっかなびっくりって感じなのよ。まぁでも切り込み入れるのには成功してたから、あと三十分もあれば終わるんじゃないかしら」


 ちら、と腕時計を見て「四時くらいかな」と呟く。


「え、今もう三時半ですか?」

「ええ。気がつかなかった?」

「ちょっと夢中になってて……」


 訓練の仕方も考えながらやっていたから、予想以上に時間を食ってしまったらしい。

 

「夕飯は日が暮れる前に、て思ってるから、あと一時間くらいは小町ちゃんを遊ばせられると思うわよ。犬ってかなり身体動かすんでしょ?」

「はい。いつも散歩は朝晩合わせて一時間以上行ってたので」


 ここ数日はそれすら行かせてやれていなかったから、今の時間はかなり貴重だ。

 遊びにしても今までは学校から帰った後や夕飯の後にちょこちょことしていた。室内での紐の引っ張りっこやボールを転がす程度だが、ストレス解消くらいにはなっていただろう。それが無くなっていたのだから、かなりストレスは溜まっていたのかもしれない。

 だからこのテンションだったのかな、と申し訳ない気持ちで小町を見下ろした。

 

「あ、ブラッシングもしなきゃ」


 心なし、一回り大きく見える。夏毛に代わる季節だがブラシをかけてやる暇が無かったから、抜け毛が溜まっているに違いない。

 辿り着いた車からブラッシング用の道具を引っ張り出すと、小町は尻尾をぶんぶん振った。気持ち良い事をされると分かったのだろう。

 歓喜を表す愛犬に苦笑しつつ、一度ブラッシングの道具を脇において浩史のメモに書いてある食材を引っ張り出した。


「えーと、これで全部だと思います」

「ありがとうね」


 久佳はポケットからエコバッグを出してそこに食材を入れる。


「吉田さぁん」

「あれ、典ちゃん」


 声に振り返れば、上野家の車の方で典子が手にした菜っ葉の様なもの振っていた。あちらも食材を出しに来たらしい。

 吉田と一緒にそちらに向かえば、横から桐野がいくつかの缶詰を持って合流してきた。


「こちらの分だな」

「うちはこれぇ」


 はい、と久佳が広げたエコバッグにそれぞれが食材を入れる。


「ありがとうね。じゃあ、私行ってくるから」

「はい。お願いします」


 またあとでね、と工場の脇の方へと久佳は去っていった。


「母屋ってあっちにあるの?」

「らしいよぉ。ちょっと奥にあるんだってぇ」

「あれか?」


 怪訝そうな顔で桐野が指した先には、工場にくっついたコンクリートブロックの壁らしきものがある。高校のグラウンドにあった体育倉庫の壁に似ている。

 まさか、と思って典子を見れば、典子も「違うよぉ」と笑いながら手を振った。


「あれ倉庫だってぇ。あの倉庫の横通って後ろに行くとお家だって言ってたよぉ」

「あ、だよね」


 何となくほっとして胸を撫で下ろしていると、その腕に引っ掛けていたブラッシングセットがガチャ、と音をたて、小町が早くと急かしてきた。


「ああ、うん。今するから」

「何をするんだ?」

「ブラッシングだよ。抜け毛が出るんだけど……ここでやっても大丈夫かな」

「良いんじゃなぁい?中でやったら大変だよぉ」


 換毛期の抜け毛の凄さを知っている典子が同意し、三人でその場に座り込む。小町もウキウキと咲良に背中を向けた。


「よし。じゃあ始めるよ」

 

 ぽん、と小町の背中に手をやると、よし、と尻尾が力強く振られた。



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