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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
121/136

18


 

 久佳の言う通り、長山夫妻は妻の理絵の方が発言権が強かった。

 というより、夫がひどく無口なのかもしれない。妻の言う事に、夫は「ああ」とか「分かった」と返すのがせいぜいだ。時折もの言いたげな顔になるものの、反論が口から出る事が無い。

 工場の隅にあった応接室らしいそこでお茶を振る舞われる、その十分程度だけでそういう夫婦なのだと咲良にも分かったのだから、先に来ていた久佳たちが理絵に黙ってついて行った理由もよく理解出来た。

 

「お部屋はどうしようかしらね」


 ウキウキとした様子すら漂わせて理絵が言う。彼女の中で咲良たちが泊まっていくのは決定されているらしい。

 これに困惑したのは恵美や赤ん坊以外の全員だ。中でも一番大きく反応したのは夫の長山だった。


「部屋って、お前、」


 眉をひそめて妻を見るが、とうの理絵は「はいはい」と受け流す。


「小さい子供さんもいるのよ。休ませてあげなきゃ」


 ねぇ、と賛同を求めるように微笑みかけられ、咲良たちは戸惑った。顔を見合わせ、代表して勇が軽く手をあげる。


「あの、大変ありがたい提案ですが、私たちは移動中で……」

「上野さん!」


 咎める様な声をあげたのは恵美だ。

 遼から経緯を聞いていた勇も彼女が声を上げるのは分かっていたのか、落ち着いて、という様に両手をあげてみせた。


「山下さんたちの不安や心配する気持ちは分かります。卓己は私の従兄弟ですから」


 美優を助けるために自分の代わりに卓己が追っていった、という事実は恵美にとって重いものなのか、口を噤む。それでも視線は雄弁だ。

 娘が心配だ、ここから離れたくない、と縋るような視線を受け、勇は長山夫妻に向き直る。


「申し訳ありませんが、少し自分たちだけで相談をさせて貰って良いですか?」

「ええ、もちろんですよ。でも遠慮はしないでね。うちもね、娘がいるから子供を連れて動き回るのがどれだけ大変かは分かってますからね」


 にこりと微笑む視線の先には、壁にかけられた写真があった。長山夫妻と娘の物なのだろう。工場をバックに三人がこちらを向いて立っている。

 

「娘さんですか?可愛いですね」


 一番近くにいた悦子が写真を見て言うと、理絵は嬉しそうに頷いた。


「一人娘なんですけど、本当に良い子で。恥ずかしがりやな子だからお部屋に籠ってばっかりなんですよ。ご挨拶出来れば良かったんですけどね」

「お気になさらないでください」


 長くなりそうな気配を感じたのか、長山が「おい」と妻に声をかける。


「ああ、お菓子も出さないとね。ごめんなさいね、気が利かないで」

「いえ、お邪魔させて貰ってる身ですし、お気になさらないでください」

「そうもいきませんよ。じゃあ、私たちはちょっと」


 また、と理絵はニコニコと言い、また口を開きかけた夫の腕を引っ張り、応接間から出て行った。

 二人を見送り、数人が大きくため息をつく。遼や田原、勇たちだ。

 特に勇たち先着組のため息は深い。


「……悪い人じゃ無いとは思うんだがな」

「弾丸トークって感じでしたよね」


 苦笑したのは孝志だ。典子が目を丸くする。


「そんなにぃ?」

「うん。旦那さんが何か言おうとすると遮っちゃう勢いでさ。俺たちの話も半分位しか聞いて無いんじゃないかな、あれは」


 孝志の意見には先着組も異論は無いらしい。それぞれ疲れた顔で苦笑したり、またため息をついている。

 気を取り直す様に勇が咳ばらいをし、咲良に向き直った。


「小町はどうだったかな?」

「あ、はい。奥さんにも旦那さんにも反応はしなかったです。ただ、工場の臭いがきついみたいで、ちょっと落ち着かない感じで」

「嗅覚はあんまり頼りに出来ない、て感じかな」


 悩まし気に言う勇に遼が肩を竦める。


「ここ敷地広いし、物がごちゃごちゃあるし、物影が怖いよな。どっかにゾンビがいたらヤバい感じじゃね?死角が多い。そういや母屋もあるんだって?」

「ええ。娘さんはそっちにいるみたい」

「病気って言ってたけど、大丈夫なのかしら?」


 久佳の返事に悦子が心配そうに写真を見る。


「詳しい話は私たちも聞きづらくって。この写真だと元気そうに見えるけど……」

「でもこの写真結構前じゃないかしら?奥さんも旦那さんも若いし」


 そのまま雑談に突入してしまいそうな雰囲気を感じたのか、


「あの!」


 恵美が突然大きな声をあげた。


「泊まるの、どうなんですか?」


 強い視線で全員を見回して、話を戻す。


「私は、ここに泊めて貰えるなら泊まりたいと思ってます。今すぐ美優が戻ってきたとしても、一晩くらいは安全な所で休ませたいんです。ここは頑丈そうなフェンスも門もあるし、奥さんたちも怖がってる様子が無いですから」


 恵美の主張に勇はルイスへと視線を投げかけた。


「先生はどう思います?」


 それまで無言で話を聞いていたルイスは少し黙り込んだ後、珍しく難しい表情で口を開いた。


「……僕は、ちょっとあの奥さんが気になるんですよね」

「何がですか?」

「明るい、えっと社交的?過ぎません?」

「社交的なのは良い事じゃないですか」


 不満そうに告げる恵美に、ルイスは小首を傾げる。


「この状況でお客さんを喜ぶって変じゃないですか?病気の娘さんがいるんでしょ?これだけ車があるのに移動させられないくらい具合の悪い娘がいるなら、普通は余所者を近づけたがらないんじゃないですか?」


 確かに修理が終わって今にも走り出せそうな車や、少し大型の、人一人なら横になれるタイプの車も、駐車場にはあった。

  

「それは、うちみたいに行く当てがない、とかそういうので籠城してたのかもしれないし……」

「だったら尚更、他所の人間を入れたりしないんじゃないですか?」

「ごめん、ちょっと俺も良い?」


 夕べに引き続いて二人が険悪な雰囲気になりそうなのを感じたのか、遼が割り込むように手をあげる。


「俺はさっきの車が気になってる。浩おじさんと咲ちゃんを襲った男たちの車ね」

「?さっさと出てった、て奥さん言ってたけど」


 疑問顔の久佳に遼は顔を顰めてみせた。


「直接会った、てか、襲われそうになった桐野くんに話聞いたんだけどさ、かなりヤバめだったらしいんすわ、そいつら。咲ちゃんの事連れて行こうとしたらしいんすけど、動機が『暖かいご飯が食べたい』ていう」

「はあ?自分で作りゃあ良いじゃない、そんなの」

「いや、そりゃそうなんすけど。おっさん二人だったから、自炊出来ない人間なのかなって俺は思ったんすよね、最初。でもよく考えたら、ここみたいにまだ電気通ってるとこあるんだし、レンジだって使えるじゃないですか」

「それすら出来ない駄目男って事?それとも炊事は女の仕事とか思ってる男尊女卑どもってわけ?」


 イラッとした久佳を宥める様に、遼は口早に続きを告げる。


「じゃなくて、そういう判断力も無くなってるのかなって」

「はい?」

「……こういう言い方どうかと思うんすけど、精神的にイっちゃってる人って可能性、ないっすか?」

「……狂ってるって事?」

「はい。さっき奥さんが東京に帰りたいって言って出てった、て言ってたじゃないですか。東京の都心部から来た人間だと、結構ひどい目にあったり色々見たんじゃないかなって思うんすよね」


 ちら、と遼が視線を送った浩史に、全員の目が集まる。見られた方の浩史は少し驚いた後、思案する顔になって頷いた。


「確かに目を覆いたくなるような光景は結構あったよ。俺は咲良とも皆さんとも無事に合流出来たけど、都心部に家があったら……」

「家に帰ったら家族が家族を食ってた、て事もあるわけだ」


 直截な遼の言葉に、それぞれ顔を顰めたり俯く。

 

「……そんなの見たら、おかしくなっても無理ないわね。でも、それと長山さんたちとがどう結びつくの?」

「いや、少なからず変な動向があったと思うんすよ、おっさんどもに。それでも二人なら何とか追っ払えたかもしれないですけど、俺ら結構数いるじゃないですか。普通だったらもっと警戒しません?」

「それは、その二人組がまともなとこしか見せなかったから、とか」

「そういう可能性もあるとは思いますけど……なんか、腑に落ちないんですよね」


 遼の言葉に賛同するようにルイスや何人もが頷いた。咲良も同意だ。

 夫の長山の方は妻の言動に物を言いたげだったから、現状が分かっていないわけでもないと思う。妻の理恵だけが妙に積極的で、遼たちもその落差に違和感を覚えているのだろう。


「……じゃあ、泊まるのは無しって事ですか?」

「そこが問題なんすよね。俺、卓ちゃんへの伝言、ここにいるって書いて来ちゃったんで……もし別のとこに移動するなら、もっかいメモ書き直しに行かないとだし」

「なら誰かがメモ書き直しに行くとかぁ?」

「なんて書き直すんだよ、て話だろ。父さんはこの近辺で夜明かしできそうなとこ、心当たりある?」

「この辺はそれほど来た事が無いんだ。うちの会社のエリアじゃないし」

「エリア?」

「ええ。タクシー会社は営業できる区域が決まっているので。自社のエリア内なら、どこそこの会社が潰れた、とか空き家が出来た、とか結構運転手仲間で情報が行き交うんですが……」


 とうに自分たちの住んでいた市の外に出ているから、卓己にもこの辺りの建物の事は把握しきれていないらしい。


「もう一回さっきのコンビニまで全員で戻って、てわけにもいかないですしね。行き違いが怖い」


 浩史の懸念に同意するように恵美が頷く。


「行き違いはもう嫌です。でも、その、ワンちゃん反応しなかったんだから、長山さんって、どちらも感染者じゃ無いわけじゃないですか」

「まぁ、それは多分……」

「だったら怖い事無くないですか?長山さんたちが私たちの事怖がるならともかく、私たちが怖がるのは変ですよ」

「私も同感」


 久佳が手をあげる。


「妙に社交的なのは、娘さんの看病で疲れてハイになってるだけじゃないかしら。後から無茶苦茶言われたら、それこそその時にさっさと去れば良いじゃない?」

「それは、まぁ、そうなんすけど……」


 渋々といった感じで遼が言えば、勇も苦い顔ながら頷いた。


「確かにちょっと気になる点はあるけど……悪意があるわけじゃなさそうなんですよね」

「じゃあ泊まりますか?」


 恵美がホッとしたように身を乗り出すが、ルイスが首を振る。


「泊まるのはそれぞれの車のが良いんじゃないですか?あちらの部屋を借りて夜中に揉めて放り出されるより、ロックをかけた車の中のが安心ですし。ただ駐車場だけ借りさせてもらって」


 折衷案を出した勇に、皆、完全にとはいかないが納得はしたらしい。

 じゃあ、と頷く。


「しばらく休ませてもらいましょう」



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