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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
120/136

17


 

 遼と山下のやりとりを見て少し安心したのか、恵美も一度移動する事に頷いた。

 悠馬が散々泣いたから周囲に声が響いたかもしれない、と思ったのだろう、気まずそうにすぼめた肩を悦子に励まされるように抱かれ、上野家の車に乗り込んでいく。

 咲良もトイレを済ませた小町を連れ、車に戻った。足を拭いて後部座席のキャリーに乗せていると、何故か桐野が運転席に乗ってくる。


「え?桐野くん?お父さんは?」

「山下さんの車を運転する事になった。山下さんは手の怪我だから運転出来ないだろうし、万一があっても自分は保菌者だから、と言ってたが」

「でも、保菌者だからって噛まれたら、」

「ああ。だから山下さんは縛って後部座席に置いてきた」

「は?」


 思わず間抜けな声が出たが、桐野の方は至極真面目な顔だ。


「シートベルトで固定してきたから、発症してもしばらくは大丈夫だ。本人も承諾している」

「あ、うん……」


 ならまた恵美が怒る事も無い、のかな?と自分を納得させつつ、後部座席を閉めて助手席に乗り込む。

 桐野は慣れた様子で車を発車させた。前の車に続いて入り口を通過する。両脇に積まれた死者に、咲良はそっと目を逸らした。

 何度も死者を見てはいるが、やはり慣れない。もう動かない彼らは、大怪我を負って亡くなった人、にしか見えないのだ。肌がミイラの様に異様に乾燥していたり、青白かったり、という事も無い。


「……映画みたいに、いかにもゾンビ、て感じだったら、気持ちも違うのかな」


 ぽつりと呟くと、桐野が肩を竦めるのが視界の隅に映った。


「あまり映画は見た事が無いが、人に近すぎると登場人物と見分けがつかないから、あえてああいうメイクなんじゃないか?」

「あ、そうなのかな」

「分からんが。こいつらも数週間もしたら、映画っぽくなるかもな。まだ事が起きてから十日もたっていないだろ?生肉だってこの程度じゃそこまで腐らない」

「そ、そうなんだ……?」


 あいにく咲良は生肉を腐らせた事が無いから分からないが、桐野は平然と肯定した。


「ああ。暑くなるとまた腐敗も早くなるんだろうが。今は気温も低いからな。咲良は寒くないのか?」


 言われて上着を置いてきてしまった事に気づいた。

 持って来ていたとしても、死者の口に被せてしまったから、もう着る事は出来ないだろうが。


「ちょっと肌寒いかな。上着取ってくるね」


 断ってシートベルトを外し、後部座席へと移動した。ちょうど良い薄手の上着はもう無いが、長袖のシャツでも羽織れば良い。

 荷物を漁っていると「掴まれ」と言われて身構えた途端、車が大きく揺れた。窓の外で死者らしき人が後方へと遠ざっていく。あれを避けたのだ。


「またふらふらしてるのがいるな。揺れるから気をつけろ」


 礼を言い、揺れる車に苦戦しながら長袖を引っ張り出す。

 なんとか羽織って助手席に戻ると、前の車がウィンカーを点滅させた。角を曲がるらしい。

 広い道路から普通の二車線の道路に入り、車はどんどん進んでいく。

 目指す所は坂の上らしく、緩やかな傾斜が続いていた。

 しばらくして狭い二車線に入ると、道路の両脇は草が茂った空き地だったり、駐車場だったりに変わる。


「今どこら辺だろう?」


 地図を手に取って指で辿ろうとしたが、最後に地図で確認した場所から随分離れてしまっていて、現在地が中々見つからない。


「さっきのコンビニは目印にならないのか?」

「全国展開してるとこだから、同じ名前のコンビニが結構あるんだよね。居抜きで変わっちゃってる場合もあるし……」

「なら行き先はどうだ?自動車修理工場だとか言ってたが」

「名前は?」

「ナガヤマ、だったかナカヤマだったか……」


 長山?中山?とあたりをつけて探すと、さっきのコンビニらしき所の裏手を少し行った場所に長山自動車修理工場、という名前を見つけた。


「これ?」


 思っていたより近い。遼は五分から十分くらいかかる、と言ってたのに、と思ったが、時計を見ればすでに五分経っていた。死者を轢いたり避けたりにかかった時間に加えて、道がぐねぐねとした坂道だからだろう。

 地図上では分からなかったが、長山自動車修理工場はちょっとした丘の上にあって、コンビニの近くにある様に見えるものの、実際は結構な高低差があるらしい。


「自動車修理の工場なのに、主要道路から結構かかるんだね」

「さっきの道路から行ける道もあったらしいが、事故車で閉鎖されてる、と遼が言っていたな」


 そういえば事故車がいっぱいあったな、と思い返していると、ぽつぽつと民家らしい建物が見えてきた。この道は地元民が使う裏道の類なのだろう。

 古い家やアパートの住人はもういないのか、こちらが走り抜けても出てくる人影はない。代わりに二、三人ほどふらふらと歩いている死者の姿があるだけだ。

 廃墟染みた光景を眺めていると、家では無く広い駐車場らしき所が現れた。フェンスの向こうに新しいのや古い車が停まっている。

 その先に大きなトタン屋根の建物が見えた。長山自動車修理工場、と書いてある。


「あれだな」


 人の背丈よりも高い頑丈なフェンスの向こうで、見知った顔が数人、こちらに気づいて手を振ってくれた。

 頑丈そうな鉄製のゲートを、走り寄ってきた田原と孝志が開けてくれる。

 そのまま修理工場の前庭らしき所に入ると、こっちだ、と久佳が車が並んでいる駐車場の方へと誘導してくれた。前から順に開いているスペースに車を入れていく。

 最後に入った中原家の車は少し奥だ。桐野は危なげなくバックで車を駐車する。

 良いぞ、と言われて車から降り、小町を車からおろした。


「咲良ちゃん」


 典子たちと合流した久佳に手を振られて振り返していると、桐野が「先に行っていろ」と言いながら車の鍵を閉め、山下の車に向かった。縛っていたという山下を開放するのだろう。

 咲良は小町と一緒に小走りになりながら、典子たちの所へ向かった。

 停まっている車の下から何か出てきたらどうしよう、とちょっと不安を覚えながらつい車をちらちら見てしまう。殆どの車は修理に出されていたものなのか、ナンバーがとれていたり車体に傷があったりだ。

 中にはどこが悪いのか分からないくらい綺麗なものもあったが、修理が終わった車なのかもしれない。持ち主が取りに来られていないものもあるのだろう。

  

「あれ?社長さんの車は?」

「修理中よ。あそこ」


 思わず零れた疑問に、久佳が工場の中を指さす。

 鉄なのかトタンなのかで出来た工場は大きく、体育館より一回り小さいくらいの規模だ。シャッターが上がり、開口部からは中が見えた。

 こちらを向いて車が横に二台並んでいる。さらに奥にも置けるらしく、そちらで火花が飛ぶのが見えたから、あれが久佳たちが乗っていた車なのだろう。

 こっちと促されて屋根の下に入り、手前に置かれた車に既視感を覚えた。

 どこかで見た事がある。

 思わず立ち止まって見ていると、山下と一緒に来た桐野と浩史も足を止めた。


「この車、」

「さっきの車だ」

「?さっきって……」

「展示場で遭った奴らの、だな」


 浩史が声を潜めて言うのを聞き、咲良は息を飲んだ。

 咲良を連れて行こうとし、桐野にスコップで殴りかかろうとしたあの二人の車。

 それがここにあるという事は、彼らもまたここにいるという事だ。

 

「咲良ちゃん?どうしたの?」


 久佳に声をかけられてそちらを見れば、典子たちの間に見知らぬ中年の女性がいて、不思議そうにこちらを見ていた。

 

「その車がどうかしたかしら?」


 問われて言葉に詰まった咲良の代わりに、浩史があらましを伝える。

 車に気づいていなかった典子たちや久佳の顔が強張るが、その女性は「あらまあ」と驚いた様な声をあげ、朗らかに笑った。


「それに乗ってた人たち、もう出て行ったわよ」


 何で知ってるの?という疑問が表情に出たのか、久佳がフォローするように口を開く。


「この人、ここの工場の奥さんなの。長山理絵さん」

「あ、籠城してたっていう」


 遼が言っていた事を思い出して呟けば、うんうんと頷かれた。


「旦那と娘と一緒にね。娘がちょっと病気でね、動けなかったから」

「それは大変でしたね」

「ええ。もう少しすればもっと良くなると思うんだけどね」


 娘の病状が良くなったのが嬉しいのかニコニコしている理絵に、桐野が柔らかさの欠片も無い口調で問いかける。


「それであの車の持ち主は?」

「東京に帰りたいって言ってね、あれと交換でうちが代替に使ってる車で出て行っちゃったわ」

「そうだったんですか。全然気づかなかった」


 へぇ、と久佳が呟くと、桐野が鋭い目でそちらを見た。

 久佳は突然の視線にぎょっとし、弁解するように小さく手を振る。


「私たち、奥で休ませて貰ってたから。新しく車が来たのは知ってたけど、その後は全然」

「休む?」

「工場内にね、お客さん用の応接室があるのよ。あっちにはうちの母屋があるわ。あなたたちも休んで行くと良いわよ。赤ちゃんもいるし、なんだったら泊まっていったらどうかしら?」


 理絵が駐車場とは逆方向を指す。工場の壁に阻まれて見えないが、向こう側にあるらしい。

 

「でもまだ時間も早いですし、泊まるなんて……」


 悦子は戸惑う様子を見せたが、恵美はほっとした顔になった。ここならあのコンビニから遠くないからだろう。

 今にも頷きそうな恵美に慌てて遼が前に出る。


「まずは父さんたちに会わないと」

「ああ。こちらには保菌者もいるからな」

「保菌者?」

 

 知らない言葉だったのか、理絵が首を傾げた。それに浩史が答えている間に、遼と桐野は車の間をすり抜けて修理中らしい車のとこへと歩いて行く。

 咲良たち女性陣と山下は顔を見合わせ、典子たちは桐野の後に、咲良は父親のそばに残った。


「――俺も保菌者ですが、発症しないタイプです。山下さんはまだちょっと分からないのですが……」

「あらあら。でも大丈夫よ、きっと。まだ息子さんも小さいし、頑張ってくれるわよ」


 楽観的な人物なのか、理絵はにこにこと笑いながら、大丈夫と繰り返す。浩史は戸惑った表情だ。

 普通、感染者がいる、と聞けばもっと忌避するだろう。特養に避難してきた人たちが松高を怖がったように。なのにやたらと友好的なのは、ずっとここに籠っていて外の惨状を知らないからだろうか。

 テレビは見て無いのかな?と内心で首を傾げつつ、咲良は小町を見下ろした。理絵に対して唸るなどの行動は無い。代わりに落ち着かなげに耳を動かしたり、ふんふんと鼻を鳴らしていた。工場内の臭いが気になるのだろう。

 タイヤのゴムやオイルの臭いに、錆びた鉄やペンキの臭い、ドアを修理するのに溶接でもしているのか、焦げた臭いも漂っている。

 頭が痛くなるほどでは無いが、嗅ぎなれない色んな臭いで嗅覚が麻痺しそうだ。犬は人より鼻が利くから、小町も混乱しているのかもしれない。

 しきりに周囲を探る小町の横にしゃがんで宥める様に背中を撫でていると、音が止まり、典子たちが戻ってきた。


「あら、終わったの?」

「ひとまずは」


 ぶっきらぼうに答えた見知らぬ作業服の男性が、この工場の主だろう。

 少し俯きがちな猫背の男性は咲良たちを見て、ふい、と顔を逸らした。何か失礼をしただろうかと不安になったが、理絵は構わずニコニコとして工場の一角を指す。


「ちょっと休みましょう。お茶をいれますからね」


 そうして夫の反応も待たずに行ってしまう。

 咲良たちは戸惑って顔を見合わせたが、先に来ていた久佳や田原は納得した様に後に続いた。

 すれ違いざまに、咲良に久佳が苦笑する。


「ここのお家、奥さんが強いのよ」

  


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