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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
119/136

16



 死んだ、と思った。死者の身体の方はピクリとも動かない。

 だが、上着はまだ手の中でもごもごと動いていた。

 手を離すに離せず、そのままの姿勢で硬直していると、死者の喉元から離れた浩史の足が死者の顔の上に移動し、踏みつける。

 浩史の履いている底の分厚いブーツの底を、死者の口が上着越しに噛みつこうとするのにゾッとしていると、「全員離れて」と言われ、典子と遼と顔を見合わせ、同時に飛びすさった。

 

「し、死んだんですか?」


 動かなくなった死者の上から退いた山下には顔の方が見えていないらしく、恐々とした様子で尋ねる。


「いえ。首を折っただけなので、首から上はまだ動きます」

「うえっ!?」


 変な声を出した山下は、なぜか死者の顔が見える位置に動き、また飛びあがった。

  

「近寄らないでください。そばに行けば噛まれますから」


 死者から足を退けて離れた浩史に注意され、咲良と典子はもちろん、山下もガクガク頷いた。

 絶対近くには寄らない、と典子と一緒に、大きく死者を迂回して浩史の元へと向かう。

 

「お、お父さん……」

「大丈夫だ……あっちもしばらくは持つだろう」


 あっち、と視線を逸らした浩史につられて見れば、卓己と浩史が向かった植込みの、死者が侵入してきたと思しき隙間に、その死者たちが山積みにされていた。

 あれを退けて進入してくるのは確かに難しそうだ。


「うわぁ………」

「死体を積むな」


 思わず漏れた声に、呆れたような桐野の声が被り、驚く。

 さっきまであんなに切羽詰まった声を出していたのに、と振り返ると、なぜか桐野が引きずるようにスコップを持っていた。見覚えのあるスコップだ。


「それ………」

「ん?ああ、丈夫そうだから貰ってきた」


 住宅展示場であの男が持っていたスコップに見える、と思っていたら、当たっていた。男が落としたのを、いつの間にか回収していたらしい。


「ちゃんと雨水で洗ったから安心しろ」

「あ、うん………?」

「それよりそっちは?」

「片づけた」


 見れば出入り口付近の左右に、死体らしきものがいくつも転がっていた。

 そっちも積んでるだろうが……と浩史が呆れた様に呟く。


「出入り口は開いてるからいいだろ。さっさと出るぞ」

「ちょっ、ちょっと待ってください!まだ妻と子供たちが………恵美!」


 コンビニの方から歩いてくる恵美の姿に、山下が慌てて駆け寄っていく。


「……社長がいないな。美優ちゃんも」


 悄然と息子を抱きしめてふらふら歩いてくる恵美に、浩史の顔が険しくなった。

 感染を警戒したのか、咲良たちにここで待ってて、と言って浩史も走り寄ろうとした所で、恵美が近寄ってきた夫を見て突然泣き出した。


「えっ!恵美?どうし、」

「美優が!」


 美優がぁ!と子供の様に泣き出す妻に、山下はオロオロする。

 咲良は浩史たちや声を聞いて車を降りてきた悦子と顔を見合わせ、恵美の所へと駆け寄った。


「恵美さん、どうしたの?泣いてちゃ分からないわよ」

「美優が、走っていっちゃって、」

「ええ。コンビニよね?」


 相槌を打った悦子に首を振る。


「違、違うんです。コンビニじゃなくて、横に行っちゃって、植込みの隙間から、出てっちゃって……私、追いつけなくて、あの人が、追いかけてって……」

「美優ちゃんが敷地内から出て、社長が追っていった、て事ですか?」


 浩史が聞き返すと、うんうんと頷いた。

 遼と桐野が恵美の来た方へと走っていき、すぐに戻ってくる。


「姿見えなかった。どっち行ったかも分かんねぇ」


 遼は悔しそうに呟き、あ!と叫んでまた駆け出した。


「スマホ!スマホ持ってってるかも。卓ちゃんの車見てくる!」

「頼んだ。美優ちゃんは、携帯とかGPSがついてるものは?」

「持たしてないです。あの子、まだ三歳だから、まだ早いって……」


 こんな事ならキッズ用でも持たせておけば良かった、と恵美が泣き崩れる。

 震える肩に山下が手を伸ばしかけ、引っ込めた。慰めるために伸ばしたはずだろうに何で?と思ったのは咲良だけではなかったらしい。

 典子がおずおずと問いかける。


「山下さん?あのぉ、奥さん泣いてますよ?」

「……ごめん。僕は、触らない方が良い」

「?」


 首を傾げた典子の対面で、悦子が顔色を変えた。


「山下さん、その手……」

「………噛まれました」


 泣いていた恵美が、ぴたりと動きを止めて夫を振り返る。


「あなた、何、」


 信じられないと言いたげな恵美や咲良たちに見せるように、山下が手を見せた。

 少し骨ばった手は血で汚れていたが、親指と人差し指の間に、確かに人の歯形がついていた。


「うそ……やだ、なんで、なんでっ」


 混乱したのか恵美が夫の手に手を伸ばすと、山下は慌てて手を引っ込めた。


「触っちゃ駄目だよ!」

「なんで、なんで、そんな、」

「さっきの死者、ですね?」


 恵美に飛びかかろうとした死者に体当たりして抑え込んだ、あの時のどこかで噛まれたのだろう。山下は浩史の問いに項垂れるように頷いた。


「……とにかく、手当をしましょう。血が出てますから」


 さぁ、と悦子に促され、上野家の車へと向かった。手袋をして手際よく悦子が消毒をしていく。 

 山下は死者に噛まれ、多分感染しただろう。

 その証拠に車から出した小町が、降りた途端に山下を警戒し始めた。彼が発症するかしないかは、時間が経たなければ分からない。

 その上、美優と卓己はまだ戻ってくる気配が無い。卓己のスマホは車の中に置きっぱなしだったと戻ってきた遼が告げる。

 不安と心配が、その場の空気を重くしていく。

 

「これから、どうすっか……」


 てきぱきと処置をしていく悦子の横で、遼が途方に暮れた顔で呟くが、答えられる人間はいない。

 卓己と連絡が取れればまだ話は簡単だった。

 彼らがいる位置を聞き、合流すれば良い。けれど連絡手段が無い今、彼らを探しに行けばすれ違いになる可能性が高いだろう。


「……ここってさ、あとどれくらい時間の猶予あると思う?」

「猶予ぉ?」

「卓ちゃんたちが帰ってくるのを、ここで待てる時間、て事」

「どういう、事?待つって……そんな、帰ってくるまで待つに決まってるでしょう?!」


 信じられない、と言わんばかりに恵美が遼を見つめる。

 遼は気まずそうに視線を落とした。


「その、さっきのでこの辺の死者は結構やっつけたと思うんすよ。でも動物とかと一緒で、陣地が開いたら他のグループが移動してくる、て可能性もあるんじゃないかなって……」

「あいつらに知能があるか分からんが、さっきかなり音をたてたから、他のが寄ってくる可能性はあるんじゃないか?」

 

 桐野が淡々と言うのを聞き、咲良はゾッとした。

 だとしたらここに長時間留まるのは危険だ。

 コンビニに立て籠もっても、前面はガラス張りだから、走るタイプやパワータイプが集まってきた死者の中にいた場合、割られて進入される恐れがある。

 それぞれの車の中に籠っていた場合も同じだ。田原が運転していた車は、それでドアをやられている。

 それに学校での経験上、歩みの遅い死者であっても、数が集まれば頑丈な耐火扉すら破れるのは分かっている。


「……俺は一度ここを離れて勇さんたちと合流した方が良いと思う」

「娘を置いていけって言うんですか?!」


 恵美が浩史に噛みつくように叫び、腕の中の悠馬が驚いたのか、ふぇ、と泣き出した。恵美は息子をあやし始めたが、顔は強張っている。


「恵美さん、落ち着いてください」

「……落ち着いています」

「気持ちは分かります。でも娘さんが戻った時にあなたが無事でないと意味が無いんですよ」


 分かりますね、と言われ、恵美は唇を噛み締めた。

 ここにいれば自分たちも決して安全ではない、と恵美も分かっているのだ。ついさっき、襲われかけたのだから。

 でも娘を置いて移動するのに同意は出来ないのだろう。俯いてしまった恵美に、応急処置の終わった山下が寄り添う。


「あの、僕が残ります」

「なに、言ってるの……?」


 凍り付いたように恵美が傍らの夫を見上げる。

 対して山下はへにゃ、と気弱そうな微笑みを浮かべた。


「いや、だって誰かが、残って無いとだし……あの、申し訳ないんですが、妻と息子をお願いします」


 ぺこ、と頭を下げた山下に、浩史が困った様な顔になる。

 浩史は遼と顔を見合わせてから口を開こうとしたが、その前に恵美が叫んだ。


「あなたが残ってどうするの!ゾンビが来たってどうしようもないじゃない?!」


 腕っぷしだって強くないし、武器だって無いのよ!と叫ぶと、少し落ち着いていた悠馬が身動ぎをした。恵美はぎゅっと悠馬を抱きしめる。


「ごめん、恵美。でも僕が残るよ」

「……あなた、血とか痛いの駄目じゃない。私の出産の時だって、立ち合いで見てて貧血で倒れかけたくせに。なんで、こんな、」


 絞り出す様に恵美が言うと、山下は困った様な顔で小さく苦笑する。


「うん。血とかは怖いけど……でも、こんなんだけど、僕、お父さんだからさ。最後くらいはさ、お父さんらしい事しないと」

「最後って、なに、言って……」

「手、噛まれたから、どこまでもつか、分かんないけど……」

「そんなのっ……そんなの言ったら、待つなんて、出来ないでしょ!あなたが待ってて、ゾンビになって、それからあの子が戻ってきたら、どうするの!」

「頑張るよ。美優戻るまで、頑張るから」

「っ馬鹿!そんな都合良く行くわけ無いでしょ!」

 

 馬鹿馬鹿!と泣き出した恵美につられて、悠馬が本格的に泣き出した。

 ぎゃー!という大きな声に、恵美はハッとして息子を抱え直し、唇を噛み締めた。涙を堪えながら、息子を宥める様に揺らす。

 山下は申し訳なさそうな顔で、浩史たちを振り返った。


「あの、だから、僕が残るので、」


 言いかけた山下を浩史が止める。


「待ってください。移動するにしても、誰かが残ってる必要は無いんです」

「でも………」


 思い詰めた表情の山下と弱った顔の浩史に、遼が突如「んんん」と変な声を上げて割り込んだ。


「山下さん、あのですね……卓ちゃんの車があるでしょう?」

「?はい」

「もし移動するにしても、あれは置いてきます。じゃないと戻ってきた卓ちゃんの足が無くなっちゃうし」

「はぁ」

「だからですね、もし父さんたちのとこに行く場合、中にメモ残しとけば良いんですよ。卓ちゃんにはさっき父さんたちのいるとこの話してるんで」

「あ」


 指摘に山下は間の抜けた声を上げたかと思うと、すぐに赤くなってしまった。両手で顔を覆う。


「……すげぇシリアスな雰囲気だったから俺も浩おじさんも言いづらかったんすけど、まぁ、その、そういうわけなんで……」

「ああ、うん、はい……なんか、すみません、お恥ずかしいところを……」


 今にも膝を抱えてしゃがみ込みそうな山下を励ます様に、遼は笑った。


「いやぁ、お父さんって感じで格好良かったっすよ。それに………」

「それに?」

「結局、どっかでそういう、覚悟を決めるっつうか、腹をくくるって、必要になると思いますから。俺も、ちゃんとしないとなって、思いました」


 言って右手を左手で包み込んだ。

 その仕草に咲良は銃を撃った時の事を思い出しているのだろうな、と思った。

 スーパーで死者の少女を撃った時、遼は望まずに銃を持って、典子のためにやらないといけない、という追い詰められた状態で撃った。

 あの時、遼は腹をくくった様に見えた。

 けれど、撃ってみて、予想以上の衝撃を受けたのだと思う。肉が食べられなくなっているのだから、相当心に負担がかかって、多分トラウマになっているのだろう。

 普通ならカウンセリングに通ったりして治していくものかもしれないが、今の状況では無理だ。

 原因となるべく距離を置いて心を休める事も出来ない以上、後は向き合うしかない。

 遼はその覚悟を決めたのだろう。


 咲良は遼の様に自分の手を見る。

 父や桐野に守ってもらってばかりだが、いつか自分も、人を手にかける事を覚悟するのだろうか。



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