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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
109/136

6



「咲ちゃん」


 朝まで降り続いた雨が濡らしたアスファルトをぼんやりと見ていた咲良は、遼に呼ばれて振り返った。

 遼はひどい顔色をしている。咲良と同じ様に、夕べは良く眠れなかったのだろう。

 

 女性や子供に畳の上を譲った男性たちは、アスファルトに布団やクッションを敷いて寝た。

 だが、布越しにも冷たい夜気が上ってきただろうし、そもそも地面が硬いから辛かったはずだ。それに加えて、莉子や悠馬の夜泣きや、誰かがトイレに行く音で、ただでさえ浅い眠りは何度も破られた。

 畳の上で休めた咲良にしてもぐっすり眠れていないのだから、遼や孝志など夕食を殆ど取れずに空腹を抱えたままの人たちは、もっと大変だったのは想像がつく。

 日が昇ってすぐに撤収の準備をし、朝食は他の人間と同じようにクラッカーしか口にしていないから、顔色が良くなるはずもない。


「遼ちゃん、大丈夫?」

「はは……まぁ、なんとか。えっと、これ」

 

 渡されたのはモバイルバッテリーだった。


「昨日、荷物整理してたら出て来た。そろそろ充電ヤバいっしょ?」

「あ、うん。助かる!ありがとう」

「やー、薬局の荷物から出て来たから、咲ちゃんたちのお手柄なんだけどね」


 はは、と笑って見せるが、いつもより大分元気がない。


「他の荷物は昨日のうちに割り振ったから、後は浩おじさんに聞いて。こいつだけ色々確かめるのに時間かかっちゃって」


 じゃあ、とモバイルバッテリーを幾つか持ったまま、卓己と桐野の元へと歩き出す。彼らに渡すのだろう。


 車は七台じゃ多すぎる、と乗る人間と荷物を調節し、六台になっていた。

 ルイスの軽は脆すぎるから置いていく。ガソリンとキーを残したから、誰かが使うだろう、と言ったルイスは郷田の車を譲り受け、先頭を走る予定だ。道案内に勇が同乗するが、運転はルイスがやるという。

 郷田の車を改めて見てみて、うまく当てれば車は壊さず死者を排除できると分かったからだろう。孝志が特養で待機してる間に車種を調べたところ、車のメーカーの本拠地に生息する大型野生動物―体重二百キロを超えるヘラジカ―に衝突しても大丈夫なように設計されている、と分かったらしい。

 それに比べたら死者のが軽いし、銃には限りがある。弾は有限だから、とルイスは苦笑していた。


 桐野はどうするのかとこっそり窺っていたら、卓己と一緒に、孝志が運転していた外車で殿を務めるらしい。

 卓己は死者に手をかけた事こそ無いが浩史と一緒に都内を抜けて来た経験があり、桐野は運転免許は無いが銃を扱える。

 武力もある丈夫な車で前後を挟み、間に上野家の車、山下家の車、卓己から借りた車に孝志と田原と久佳が乗り、中原家の車が続くのが一番だろう、というのが、運転手たちの総意だった。 


 咲良は遼から貰ったバッテリーを手に、浩史の運転する車の助手席に乗り込む。


「行くぞ」




 昨日に引き続き、今にも雨が振り出しそうな空の下、草の茂る区画の間を走る。

 車列の向かう先は昨日とは別の道、特養とはほとんど逆の方向だ。しばらくは人気の少ない土地が続くが、あと十数分も経てば、人家のある市街地に突入する。

 高速を使わないで移動しようと思うと、どうしても人がいそうな場所を通らなければならない。

 

「咲良、これがサイドブレーキだ」


 緊張する娘の気持ちを紛らわせるためか、浩史が運転しながら車の各部位を示す。

 

「車によって場所とか形状が違うから注意が必要だけど。これで一通り教えたから、後は実践だな」

「え、無理だよ!」

「大丈夫。田舎帰る途中に原っぱぐらいあるだろ?休憩取る時にちょっとづつ教えるよ」


 えぇ~と抗議してみせるが、浩史は笑うばかりだ。


「運転できると便利だぞ。そら、あの標識の意味は?」

「えっと、駐車禁止?」

「正解。これなら余裕だよ」

 

 強いていつも通りの様に笑って見せる父に、咲良も笑って見せた。

 どちらも空元気なのは分かっている。落ち込んだり泣いたりすれば、一気に車内が暗くなってしまうから、無理にでも笑うのだ。


「ああ、ほら、看板が増えて来た。あれは?」

「十字だから……この先に交差点がある?」

「そう。少し、交通量が増える可能性がある」


 それは人も増える、という事だろう。窓の外へと警戒する視線を送る浩史に、咲良も緊張が募る。

 強張りを誤魔化す様に膝の上で充電中のスマホを触っていると、浩史が呟いた。


「昨日、電話で何かあった?」

「え?」


 ぱっと浩史を見れば、父の視線はまっすぐ前を向いている。


「電話の最後の方、顔色が悪かった」

「そ、れは………」


 桐野と兄妹かもしれない。

 なんて、父には言えなかった。

 ただでさえ浩史は桐野に対して警戒心があるようだし、母を裏切った咲良の実父と母の従妹の子なら、きっと父は激怒する。母をとても愛していたから。

 そう思い、内心で首を振った。

 そんなのはただの言い訳だ。実際はそれを口にするのが怖いだけ。口に出したら本当になってしまいそうで、怖いのだ。

 口篭もり黙り込んだ咲良に、浩史はふ、と小さく息を漏らして笑う。


「言いたくない事なら言わなくていい。でもお父さんに相談したい事があったらいつでも良い、言いなさい」

「………」

「お父さんはいつでも、何があっても咲良の味方だから」

「……うん」


 よし、と伸びてきた手が咲良の頭を撫でた。

 優しくて力強い手に、不安を口に出せない申し訳なさが胸をつく。

 思わず何か言おうと口を開くが、言葉が出る前に窓の外からガッ!と大きな音が聞こえ、父と顔を見合わせた。

 なんだ?という問いに対する答えは、すぐに出た。道路脇に撥ねられたらしい死者が転がっていたからだ。

 

「……先頭が死者と遭遇し始めたな」


 警戒を強めつつ、起き上がった死者に追いつかれないように前の車に続いて速度を上げる。


「すごい音だったけど、大丈夫なのかな」

 

 グリップを握りながら咲良が呟くと、浩史は曖昧に笑った。


「頑丈さに定評がある車だし、まぁ……っと!危ない」


 先程よりスムーズに体当たりをしたのか、さほど大きな音が聞こえなかったのに倒れている死者に気づき、浩史がハンドルを握り直す。

 立ち上がろうとしている死者を掠める様にすり抜け、前の車に続いた。

 スマホに何か連絡は無いかと見るが、充電を回復しているマークが出るだけだ。先頭車両からしたら、異常なし、という状態なのだろう。

 トランシーバーは残数が四台だけなので、各車には配られなかった。

 遼が主張して譲られていた六台のうち二台は、スーパーの死者を引き付けるのに使った後に回収できず、郷田が持っていた一台は行方不明。多分、スーパーでの爆発時にどこかに飛んでいったのだろう、と卓己が言っていた。

 今トランシーバーを持っているのは、先頭と殿の二台のみ。距離が離れているこの二台だけは、即座に連絡が取れる様に、とそれぞれが二台づつ保有していた。

 

「静かにあたった方が音がしないから死者を寄せ付けないのは分かるが、こっちも気づかないのは困りものだな。咲良、そっち側になんか見えたら教えてくれ」

「分かった」

「あと車間距離に気をつけないと、っこうなる!」


 浩史がブレーキを踏み身体にぐっと負荷がかかった。

 咲良は前のめりになりそうなのをグリップを握って堪え、前方の車がみるみる近づいてくるのに目を見開いた。このままじゃぶつかる。

 思わずぎゅっと目を瞑ったが、衝撃はこなかった。


「はっ、ぎりぎり……」


 浩史の言葉に目を開けば、中原家の車の鼻先と前の車の尻がつくかつかないかで止まれたらしい。

 はー、とため息をついた咲良だったが、いきなり車がバックし始めて驚いた。


「えっ?お父さん?」

「掴まってなさい!ちょっと揺れるぞ」


 後ろにいた桐野たちの車は、と振り返れば、こちらはどうやったのかUターンしたらしい。バックではなく前進の形で、さっきまで走っていた道を戻っていく。

 ついてこい、とばかりにテールランプを点滅させている。浩史が少し乱暴にハンドルを切り、車をUターンさせた。

 咲良は助手席の窓に頭をぶつけそうになりつつ、必死にグリップを掴む。


「ど、どうして」

「前の車の前で何かあったんだろう。そら、ついてきた」


 振り返ると田原が何か叫びながら車をUターンさせている。吐いてしまった孝志よりは田原の方がまだ余力があるから、と運転を任されたのは知っていたが、確か田原は免許を持っていないはずだ。

 運転に慣れていないのだろう。助手席の久佳と何か言い合いながら、ハンドルにしがみついている。


「突っ込まれそうで怖いな。さっさと逃げるぞ」


 田原の車を後ろにつけながら、浩史は桐野たちの車の後を追って車を走らせる。来た道からは途中で逸れ、知らない道へと突入していく。


「これ、道、大丈夫なの?」

「社長が勇さんと連絡とってるんじゃないか?ああ、こっちもか!」


 前の車が何かを嫌がる様に、ぐいっと鼻先を大きくブレさせたと思ったら、ひどく大きな音がして道端に死者が転がった。

 

「うわぁ………」


 豪快な運転は卓己のはずだ。まだ死者に手をかけた事は無いと言っていたが、度胸や胆力はあるらしい。

 死者を撥ね飛ばした後とは思えないほど、車は変わらずにすいすいと走り続けている。


「社長、猪と渡り合った事あるらしいからな……」


 ぼそ、と呟いた浩史に、ああ猟師だったな、と思い出し、咲良は遠い目になってしまった。



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