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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
107/136

4


 

 ホッとした空気が広がる。

 それを感じたのか、今まで空気を読んでいたかの様に静かだった山下家の下の男の子、莉子と同じくらいのサイズの赤ん坊が目を覚まし、泣き出した。


「ああ、オムツ替えないと」


 山下家の妻、恵美というらしい女性が立ち上がると、つられた様に他の人間も腰をあげた。


「荷物出そう。母さん、いる物あったら言って。車から持ってくる」

「一緒に行くわ。食材見たいし。あ、あと」


 動き出した人々を悦子が呼び止める。


「食事の支度は一括でしちゃいませんか?今夜は雨で冷えそうですし、スープでも作れば後は乾パンとかクラッカーで良いでしょうし」

「あ、持ってきた食材で使えそうなの出しますよ」


 久佳が言えば、恵美も息子をあやしながら頷いた。

 咲良も父に頷かれ、同意する。

 

「じゃあいったん全員で下に行きましょう。今夜一晩過ごせるように、準備をしないと」


 ガランとした部屋を見回し、全員が動き出した。




 人参、玉ねぎに、キャベツ。それにウィンナー。

 それらを切って炒めて鍋で煮込み、コンソメと塩コショウで味付けする、簡単なポトフの様なスープを作ることになった。ただし量が多いため、材料を切っては炒め、炒めたら鍋に放り込んでいく流れ作業になる。

 恵美に、莉子と山下家の息子―生後六か月になる悠馬と三歳になる上の娘の美優をまとめて見てもらい、残った女性陣で料理に取り掛かった。


「目に染みるぅ」


 玉ねぎを切りながら典子がべそをかく。その横で皮を向きながら咲良も鼻をすすった。皮を剥く作業もなんだかんだで目の痛くなる汁が飛んでくるし、切っている横にいるからそちらの余波もある。


「代わろうか?」


 二つあるコンロの内一つで先に切った人参を炒めていた久佳に心配されたが、大丈夫です、と首を振った。炒め用のフライパンは久佳の物だ。なるべく洗剤を使う洗い物をしないように、と彼女の鉄製のフライパンを使う事になったのだが、扱いが難しい鉄製は咲良と典子には荷が重い。

 しかもテーブルすら無い空間だから、コンロは床に直置きで、まな板の下には滅菌消毒したレジャーシートを敷いての作業だった。慣れない体勢が地味にしんどい。


「こっち終わったから手伝うわよ」


 二リットルのペットボトルを二本分、鍋に移し終えた悦子が、もう一つのコンロの火をつける。

 火加減を這いつくばる様に確認してから、典子から包丁を譲り受け、鼻をかんでらっしゃい、と遼たちの所に送り出す。


「咲良ちゃんは大丈夫?」

「まだ大丈夫です。一応窓も開いてますし」


 一番近くにある窓を見上げる。小振りの雨が降っている空は薄暗い。

 視線を窓に沿って移して行けば、奥には桐野がいた。窓の外を見張っているのだ。

 顔を見ると白鳥との電話を思い出してしまう。ぱっと視線を外して建物の反対側に移せば、ルイスが同じ様に外を見張っていた。

 部屋の中央では孝志と遼が座り込み、タブレットで動画を見ている。勇のギプスを外すための動画だ。孝志が特養にいる間にネットで見つけ、ダウンロードしていたらしい。勇を前に座らせ、ああだこうだ、と整形外科から持ってきた道具を試している。電気が来ていないから動かせないため、練習なのだろう。

 あとの男性陣はそれぞれ協力しながら寝床を作ったり、トイレ用の水を準備したりと忙しい。小町は出入り口で番をさせていた。


「お母さん、ティッシュ残りが少なくなっちゃったぁ」


 鼻をかんだゴミとティッシュを抱えて典子が戻ってくる。柔らかい布のティッシュケースは、確かに中身が減ってふにゃふにゃして頼りない。

 

「予備もあんまり無いのよね。ウェットティッシュも莉子ちゃんのオムツ変える時に使うし」

「薬局から持ってくれば良かったねぇ」


 しょぼんと典子が言うが、後の祭りだ。またあそこに戻るには無理だし、気持ちとしても嫌だった。思い出すだけで鳥肌が立つ。

 他の薬局やスーパーに行けばまだ備蓄があるだろうが、そもそもが嵩張るものだから、すでにほぼ満杯の車に積みこめるかも分からない。

 

「節約で行くしかないわね……身体拭いたりとかは、雨水で濡らしたタオルでやるとか」


 悦子の言葉に久佳と典子と一緒に、咲良もため息をつきそうになった。

 もう何日まともにお風呂に入っていないだろう。

 学校であの死者たちと遭遇してから、もう五日くらいか。日にちすらあやふやだ。

 それでもこれだけ何日も風呂に入れないのは初めてだと断言できる。

 今まで逃げる事で頭がいっぱいだったが、改めて「数日間風呂に入っていない」状態に気づいてしまうと、気になって仕方ない。

 逃げ回って汗をかいた肌は梅雨時の湿度も相まって不快感を伝えてくるし、洗えていない頭が痒い。髪もべとついている。


「シャンプーしたいぃ……」

「お湯いっぱいの浴槽に浸かって、歯を磨きながら本読んだりね」


 典子の小さな訴えに、久佳もはぁ、とため息をつきながら希望を言う。歯磨きもここ数日はおざなりな人が多いだろう。咲良もそうだった。

 ゆったりと湯船につかって思う存分身体を洗う、歯磨き粉をつけた歯ブラシで時間をかけて歯を磨きうがいをする、そんな当たり前の事が、今は随分な贅沢だ。

 

「叶わない夢よね。手が洗えてるだけ、まだマシだって思わないと」


 衛生面や食中毒を考えてこれだけは、と手洗い用に回した二リットルのペットボトルを見ながら、悦子はウィンナーのパックを手に取った。最後に入れる予定のウィンナーだが、初めて見る商品なのか熱心に裏面を読んでいる。

 咲良はアルコールスプレーで手を殺菌し直し、キャベツを剥いていった。戻ってきた典子がそれを数枚まとめて食べやすい大きさに切り、久佳のフライパンへと送り出す。


「キャベツって使うの半分くらいでしたっけ?」

「ええ。野菜も節約ね。それくらいかな。典子、それ切り終わったら場所変わって」

「はぁい」


 これで最後、とキャベツをフライパンに入れ、咲良と典子は後片付けに入る。

 代わりに悦子がまな板の前に移動し、美優が飲み干したパックジュースを切り開いて洗って乾かした物を広げた。ウィンナーを切るのに油っ気があるものをまな板で直に切りたくないから、と急遽作ったものだ。

 そこにウィンナーを出して切っていく。

 黙々とそれぞれの作業に没頭していると、孝志と遼が近寄ってきた。


「母さん、ちょっと聞きたいんだけど」


 遼が手に持っているのはギプスを切るための機械だ。


「どうしたの?」

「これなんだけど、ギプス切る時に―孝志?」


 訝し気な遼の声に、咲良と典子も片付けの手を止めて孝志を見た。

 タブレットを手にし、遼の後ろに立っている孝志の顔は蒼白だった。硬直した様に悦子の手元を見ている。


「孝志くん?どうしたの?」


 悦子が声をかけると、パッと口に手を当て、なぜか出入り口に向かって走り出してしまった。

 あっという間にドアの向こうに消えていく姿に、遼も他の人たちも呆気にとられる。一拍後、我に返った遼があわあわと後を追っていった。

 

「どうしたのかしら?」


 わけが分からず顔を見合わせるが、誰も分からない。

 様子を見てきます、とルイスが更に後を追って行ったから危険は無いだろう、と少し安心したが、それでも不安は残る。典子などは心配そうにそわそわしているが、後片付けを放り出すのは、と自制したのだろう。手は止めない。


「典ちゃん、行ってきても大丈夫だよ」

「でもぉ」


 まごまごしている典子の背を押す様に、悦子が切ったウィンナーをフライパンに入れながら言う。


「こっちはあとちょっとだし、咲良ちゃんの方もお母さんが手伝うから良いわよ」

「うぅん、でも……あ、お兄ちゃん」


 典子の言った通り、遼が出入り口から顔を出した。

 眉間に皺をよせて深刻な顔をしているが、部屋中から視線を向けられているのに気付き、たじろぐ。


「な、なに」

「なに、じゃないわよ。孝志くんどうしたの?具合悪いの?」


 真っ先に尋ねた悦子の方へ、そそくさと歩み寄りながら、それでも部屋の人間が孝志を心配してるのは分かっているのか、心持ち大きな声で告げた。


「あー、ちょっと肉が……」

「肉?」

「ウィンナーの断面が、ちょっと、その、リアルで………」

「リアル?何が?遼?」


 はあ?と顔を顰めた悦子だったが、遼の顔を覗き見て心配そうな表情になる。


「遼?あんた顔色悪いわよ。大丈夫?」


 言われてよく見れば、さっきの孝志の様に遼の顔色も悪くなっていた。

 どうしたの、と悦子が重ねて尋ねるのに、横で久佳が炒めていたウィンナーがじゅう、と音をたてるのが重なる。

 途端に、遼が鼻を押さえて身をひるがえし、何も無いのにコケた。ちょうど近くにいた卓己が走り寄って抱き起すと、何か囁く。それに遼がうんうんと頷くと、肩を貸して立ち上がらせた。

 そのまま卓己が引きずるようにして、二人揃ってドアを抜けていく。


「遼?卓己?」


 勇が心配そうに声をかけると、卓己だけが振り返って押しとどめるように手の平を見せられた。後で、という事なのだろう。

 そのまま階下に消えていく背中を見送り、咲良たちは目を見合わせた。

 遼と孝志、二人揃って体調を崩した事への不安、もしかして感染か、という疑念が微かに視線にのって交差する。

 今にも不安で泣きそうな典子の手を握り、咲良は大丈夫、と励ました。


「小町が反応してなかったよ。だから大丈夫だよ」


 うんうん、と縋るように握り返してくる典子と身を寄せあっていると、数分ほどして卓己だけが戻ってきた。


「卓己」


 急くように尋ねた勇に、卓己は両手を広げて落ち着け、とばかりに部屋の中を見渡す。全員の不安そうな顔を見て、最後に悦子と横の久佳に視線を移し、頭を掻いた。


「遼は肉の匂いが駄目だったらしい」

「匂い?」


 呆気にとられた悦子が、フライパンを見る。

 じゅうじゅうと音をたててウィンナーが焼かれている。少し油っぽいけど、食欲を誘う良い匂いだ。

 まさか、これ?と無言で訴えると、卓己は頷いた。


「あいつ、銃撃ったって言ってただろう?稀だが新米の猟師にもいるんだ、銃を撃った時に微かな匂いを感じて過剰に反応するのが」

「?」

「銃弾が貫通する時に、周囲の肉が摩擦で焦げる匂いだ。目の方は獲物が死ぬ瞬間を見ているから、匂いと生き物を殺したっていう感覚、罪悪感みたいなものが結びついちまう。それで同じ様な匂いを嗅ぐと、耐えきれなくなって吐く」

「え、お兄ちゃん、吐いたのぉ?」

「ああ。猟師なら獲物は食い物だしそのうち慣れるが、あいつはな……」


 遼が撃ったのは、一度死んでいるとはいえ、人間だ。

 しかも相手は小さな女の子だった。罪悪感は強いだろう。


「た、孝ちゃんは、」

「あっちはウィンナーの断面だな。特養で殴り倒した相手を思い出したらしい。あの二人は当分肉は食えんだろう」

「そんな……」


 すでにいくつか鍋に移したウィンナーに、悦子や久佳が眉を曇らせる。


「人間、一日二日くらいは食わなくても死なない。シリアルバーでも幾つか持ってこよう」


 それも食えるかは分からんが、と言い置いて、卓己はまた階下へと向かった。

 その背中を見送り、悦子はため息をこぼす。


「……今夜は冷えそうだから、スープが駄目ならお湯だけでも作っておきましょう。食べられない上に寒いんじゃ、とても眠れないわよ」


 換気のために薄く開いた窓から吹き込む風は、悦子の言う通り冷たかった。



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