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おきあがり  作者: 鳶鷹
一章
10/136

9

<9>


 本館と旧館を繋ぐ渡り廊下は薄暗かった。


 まだ時刻としては三時半過ぎなのに、降りしきる雨とそれをもたらす雨雲が、太陽光を遮っているからだ。

 夕方になれば点灯するはずの蛍光灯もついていない。


「……懐中電灯いるんじゃね?これ」


 呻く飯尾に八坂が首を振る。


「図書室にあるか分からないぞ。あそこ、救急箱もあれだったし……真ん中を通れば脇に、その、勅使河原がいても、すぐには捕まらない」


 だろ?と桐野を振り返る。


「ああ。多分、大丈夫だ。もし手が出てきたら振り払う」

「頼んだ。掴まれそうになったら、全員で本館まで走るぞ」


 いいな、と言われて、咲良たちが頷く。


「よし」


 ふー、と深呼吸して、八坂は麻井を支えながら渡り廊下に踏み出した。

 続く飯尾の背中を追いかけるように旧館から踏み出し、咲良は周囲を見回す。


 渡り廊下の一歩向こうは、雨雲と降りしきる雨のせいで先が見えない。普段なら駐輪場やグラウンドが見えるのだが、本館沿いに植えてある木さえぼんやりとしている。

 もし渡り廊下のすぐ外に誰かが立っていても見えないだろう。

 いつ脇から手が伸びてくるか、という恐怖と闘いながら、なるべく中央を通って本館へと足早に進む。

 と、もうすぐ本館、という位置で気づいた。


「あれ?本館が暗い……?」

「え?」


 ほぼ本館に足を踏み入れていた八坂が、上を見る。


「いや?非常口の明かり点いてるぞ、ほら」


 足を止めて頭上を指す八坂を飯尾が押す。


「いいから早く入ってよ、八坂ちゃん。暗いし寒いし怖ぇんだけど」


 暗いのも気になったが、咲良も飯尾と同感だったので歩みを止めずに本館へ入った。


「あれ?本当に暗い」


 本館の入り口あたりにかたまったまま、全員で廊下の天井を見上げる。

 確かに非常口の明かりだけは点いているが、本来生徒がいる時間はつけっぱなしな筈の廊下の電気が消えていた。


「まさか、停電……?」


 麻井が八坂の腕の中で、震えながら泣きそうな顔をする。

 怪我をして手当ても出来ず、しかも電気まで切れてたら目も当てられない。


「……いや、単にブレーカーが落ちてるだけかも……ちょうど校長室の前を通るし、ブレーカーを見てみよう」


 唸るように言う八坂に飯尾が「え!?」と声をあげる。


「ブレーカーって校長室にあんの!?」

「この学校はな。だから生徒は立ち入り禁止」

「知らなかった……」


 校長室に生徒が入れない本当の理由が呆気なく語られ、びっくりして咲良がこぼすと、麻井も小さく頷く。


「私も。あれ、でも図書室は電気ついてたわよね……?」

「電気系統が違うらしいぞ。旧館は独立してるし昔の設備のままなんだと」


 その説明になるほど、と頷いて、歩き出した八坂に続く。

 廊下の電気が点いていない本館は、渡り廊下と同じか、場所によってはそれよりも暗い。非常口の明かりがある周辺は明るかった。

 緑色の非常口の明かりを頼りに、被服室、進路指導室、応接室の前を通り抜ける。

 角を曲がって校長室の扉の前にたどりつき、ノックをしようと八坂が手を上げた時、黙って最後尾にいた桐野が口を開いた。


「先生。なにかおかしくないか?」

「?何がだ?」

「静か過ぎる」


 言われてみれば、後ろにある職員室から普段だったら聞こえるはずのざわめきが聞こえない。

 あれ?と咲良は思ったが、八坂は特に疑問には思わなかったらしい。


「教科によっては中間テスト無いから、保健の先生と一緒で研修行かされてるんだ。図書室の司書さんもいなかっただろ?」

「あー、そういえばうちの副担、会議で出張だって言ってた」

「だから静かなのね」


 納得した麻井と飯尾に、桐野が何か言おうとしたが、その前に八坂が校長室のドアをノックした。


「校長先生、おられますか?」


 返事を待つ間もなく、ポケットから出した鍵で開錠する。


「え。八坂ちゃん、良いの?勝手に入って」

「校長先生いたらブレーカー落ちっぱなしって事はないだろ。だから中は無人」

「じゃあ何でノック?」

「一応やっとかないとマズイだろ。もしいたら怒られるし。失礼しまーす」


 あっさりと建前だと言い切ってドアを押し開ける。


「やっぱ暗いな。つかないし」


 カチカチ、とドアを開けたすぐ横の壁にあるスイッチを押すが、暗いままだ。


「マジかー。八坂ちゃん懐中電灯ないの?」

「麻井は中原たちと一緒にここにいてな。飯尾、右手の壁に光ってるのあるだろ?あれ蓄光シート張った懐中電灯」

「うぃーっす」


 麻井をドア付近に立ったままの咲良と桐野に預け、八坂は校長室の奥に向かう。

 咲良は校長室に来た事がないので内部がどうなっているのか知らないが、多分部屋の奥の方にあるのだろう。入り口近くにあったら目に入るだろうから、あそこまで校長室立ち入り禁止理由の憶測が出回りはしないはずだ。


 飯尾はさほど肩の怪我は痛まないらしく、ひょいひょいと懐中電灯を取りに入っていった。


「暗いとよく分からんないんだよなぁ」

「八坂ちゃん、教師なのに」

「俺、新任だし、校長室なんて早々入る事無い、て、わっわっ!」


 バタン!という音に「痛ぇ」という八坂の声が暗闇から聞こえる。


「何やってんのー八坂ちゃん」


 懐中電灯を壁から取った飯尾が、スイッチを入れて声の聞こえた方に向けると、丸い光の中に八坂が浮かび上がった。


「なんか、つまづ、い、てっ!うわっ!」


 ばっと立ち上がる。


「秋山先生!」


 懐中電灯の明かりに、床に転がった秋山がいた。

 うつ伏せでこちらに背を向けている。


「うわ、なんで、こんな、」


 先輩教諭に躓いてしまった事に驚いた八坂が慌てて後ろに下がると、そこで壁ではないものにぶつかり、振り返る。


「あ、教頭先生?え、」


 訝しそうな声を出した八坂につられて、飯尾が懐中電灯を動かす。

 動いた明かりの輪の中には、八坂とスーツを着た教頭がいた。


 普通に考えれば、教頭もブレーカーの様子を見に来たのだろう、と思えたが、様子が尋常じゃない。

 身だしなみにうるさい教頭のスーツがぐちゃぐちゃで、普段はきちっと撫で付けている前髪もぼさぼさ。

 焦点の定まらない目をしていて、そして口の周りが赤かった。


「これ……」


 見た事のあるような状態に八坂が呆然と呟くと、のろのろと教頭は八坂に向かって腕を上げる。


「八坂ちゃん!」


 飯尾の声に弾かれたように、八坂は飛びのいた。

 慌てて振り返り、叫ぶ。


「飯尾、危ない!」


 懐中電灯を握り締めて八坂に注意を向けていた飯尾に、横からスーツを着た手が伸びてきていた。


「っ校長もかよ!」


 教頭と似たような状態になっている校長に掴まれる寸前に避けきり、八坂と飯尾は出口に向かう。

 予想外の出来事に呆然としていた咲良は、隣で震える麻井に気づいて肩を抱いて移動しようとしたが、それより早く麻井が飛び出した。


「もうやだ!家に帰る!」

「あ、麻井さん!?」


 走り出した先は昇降口だ。

 慌てて手を伸ばして後を追おうと足を踏み出したが、駆け出す前に桐野にもう片方の手を掴まれる。


「桐野くん!追いかけないと!」

「無理だ!早すぎる!」

「でも」

「錯乱状態になってる!あれじゃ追いつけない」


 言い合う間にも、麻井の背中は見えなくなっていた。


「火事場の馬鹿力、だったか?さっきまでは一人じゃまともに歩けなかったのに、あの早さだ。普通じゃ、」


「きゃあああああぁぁ!」


「麻井さん!」


 麻井の消えた方から甲高い悲鳴が聞こえた。

 それと同時に校長室から飛び出してきた二人にぶつかられそうになり、慌てて脇の階段の方へ下がると、走って行った麻井が戻ってきた。


「どうしたんだ!麻井は?!」


 後ろを振り返りながら問いかけてきた八坂に答えるより前に、麻井の悲鳴が二人の視線を廊下の先へ導く。


「やだあぁ!!」

「麻井!」


 足を縺れさせて戻ってきた麻井は、咲良たちのところへ走り寄ろうとし、校長室の開きっぱなしのドアを見て、たたらを踏んだ。


「や、もう、やだぁ……!」

「麻井さん?」

「うわ!校長!」


 ふらふらと校長室から、校長と教頭が出てきていた。

 八坂と飯尾は麻井のいる昇降口の方へと飛びのき、咲良は桐野の腕にひかれるまま、階段へと後ずさる。


「なんなのよ!もう!やだ……!」

「麻井、待て!」


 泣きそうになりながら、麻井が旧館に向かう廊下へとまた走り出す。

 止めようとした八坂の腕を、飯尾が引っぱった。


「飯尾!なにする―」

「八坂ちゃん、あれ……」


 抗議しかけた八坂は、飯尾が懐中電灯で指した先を見て息をのむ。

 階段の方へと避難していた咲良と桐野にも、彼らの姿がよく見えた


「嘘……」


 昇降口の方から、ぞろぞろとやってくる生徒たち。

 制服は乱れたり破けたりしていて、怪我をしている者も多い。中には真っ赤に染まったシャツの者もいる。動きは鈍く、怪我をしているなら普通あげるような苦痛の声も、悲鳴も無い。

 異常な状態で、ただのろのろと向かってくるのだ。勅使河原や校長たちのように。


「マジかよ……」

「くそ!一回図書室に戻って、」


 八坂が焦ったように言いかけて、校長たちを挟んで階段の方へと移動した咲良と桐野を見て固まった。

 困って咲良も八坂を見返す。

 このままじゃ合流して図書室に戻る事は出来ない。

 校長と教頭が廊下を塞いでいるからだ。幾ら動きが鈍くても、桐野の持っているモップで二人は抑えられないし、それより先に昇降口の方から向かってきている生徒たちに八坂と飯尾が捕まってしまう。


「先生、俺たちは別行動で図書室に向かう」

「桐野……」

「二階か三階の廊下を通って、非常口から出られるだろ」

「……分かった」


 ここで悩んでいる時間はない。

 生徒を二人、目の届かない場所、それもあの異常な状態の生徒たちがいる本館に置いていくのは辛いが、これ以上の手は無いと判断したのだろう。

 八坂は悔しそうに言うと、飯尾の腕を掴む。


「無事で来いよ!」


 いいな!と叫ぶように残し、飯尾の腕を引いて駆け出した。

 校長たちが八坂の動きにひかれるように首をめぐらせる。


「咲良」


 囁く桐野に振り返ると、静かに、というジェスチャーをされた。

 その後、口に当てた指で校長たちを指差され、気づく。


 校長たちは八坂たちに注意がいっているのか、そっと動く咲良たちへ向かってくる様子がない。

 静かにしていれば気づかれないのかもしれない。桐野を見上げて、静かに、というジェスチャーを返すと、頷かれた。

 それから少し考えるような間をあけてから、桐野は咲良の腕を離して自分の目を指差し、次に階段の上を指す。

 何が言いたいのか分からず首を傾げると、今度は咲良の目を指差し、その手を校長たちに向ける。両方をもう一度繰り返され、自分は上を見るから、咲良は校長を見ろ、と言われているのだと気づいた。

 うんうん、と急いで頷くと、咲良の腕を取って自分のジャケットの裾に捕まらせる。手を繋ぐ代わりなのだろう。

 校長たちから視線を外さないようにしつつ転ばないように注意しながら、そっと歩き出した桐野に続いて、咲良は階段へと移動し始めた。



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