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逆境ストラグル  作者: 沢渡 夜深
ストラグルの鐘
9/17

織元唯希:一目見て




 「ぶっ!」


 顔面から突っ込んだ君崎の痛む声を無視して、唯希は冷静に着地し、辺りを見渡した。

 無造作に放り投げられている弁当箱の数々。消しかけの数式は前の授業の残りなのであろう。ここも所々焼け焦げていた。

 どうやらここは教室らしい。どの教室かまでは分からないが、あの灼熱の炎は感じないので、女性との距離は遠いはずであろう。


 「チッ……外には出れなかったか」


 悔しそうに舌打ちを零した希美に、唯希は問いかけた。


 「さっきの、転移魔法か?しかしお前そんな素振り一度も……」


 「本来の力を使ったのよ。少しでも制御出来ればこちらのものだからね。……だけど三人分だったのか、どうやらさっきの時間じゃ制御するに足らなかったわ。あんまり彼女と離れていない場所に転移しちゃったし」


 少しでも魔法を出せば、直ぐ様彼女はそれに気づいてここにやってくる。かといってこのままずっと長居するわけにもいかない。衝撃の魔法は付けることが出来たが君崎の治療は施されていない。下手に君崎も動かせない状態だ、その状態で安易に窓から飛び降りるのは愚策と言ってもいいであろう。

 さて、どうするか。唯希はこの場で出来る最善策を考える。怪我人も背負っての移動となると相当なリスクとなる。しかし、この場においての最善策は、「襲撃犯に見つからずにこの校舎を出ること」である。窓から飛び降りる事も、希美の力を借りて外に転移する事も今は不可能だ。


 「ここは二階だから、別に織元と私は飛び降りてもいいのだけれど……」


 「無理だ。そいつが死ぬ」


 チラリ、と希美は横たわる君崎を見る。その意見に唯希はきっぱり断言する。

 「そうよね……」と彼女は考えを改め、再度考え出す。今でも彼女は本来の力を制御しようとしているのだろうが、それに頼るのは止めておいた方がいいであろう。出来るだけ自分で動いた方が後から楽になる、と唯希は考える。

 となると、やはり自分の足で玄関まで逃げることが最善だ。ここは二階、細心の注意を払っていけば、玄関まで逃げることは可能だ。

 よし、それで行こう。この策を二人に伝えようとした時だった。



 「ーーーもう、俺を置いていけよ」



 途切れ途切れのその言葉は、嫌にでも唯希と希美の耳に入る。通り抜けも出来ないその言葉は、唯希の先程の策を一瞬で消滅させる程に衝撃のものであった。


 「……は?」


 地を這う声が希美からする。先程までの緊迫した声色とは打って変わって、まるで人一人を捻り潰すような冷徹な声で、その言葉の元を威圧した。

 その言葉は君崎から発せられたものであった。俯き加減で表現は伺えないものの、彼が何を考えているのか手に取るようにわかる。

 君崎は威圧に怯えながらも、震え混じりに紡ぐ。


 「ほら、俺って今、足でまといじゃん?俺のせいで、お前ら、何も出来ないんだろ?なら、こんな邪魔な奴、放っておけばいいじゃん」


 「ふざけないで。あの時の私の苦労はどうなるのよ」


 「その点は感謝する。だけどお前も、足でまといの俺がいない方が、いいだろ?」


 その反論に、希美は言葉を詰まらせる。全て事実だからだ。

 彼が言った事は、この場において全て真実である。彼が足でまといなのも、彼がいなければ自分達は逃げれた事も、彼がいなければ自分達は自由に動けた事もーーー全て、事実だ。

 それを君崎は理解していた。突き放すような言い方。言葉の風に乗せられる拒絶。いや、それだけではない。


 「それに、さ」


 振り絞るように、彼は零す。その先に待っている言葉を、唯希は安易に予想がついた。

 だから、聞きたくなかった。





 「もう、おれ、しにたい」





 何故ならその言葉は、唯希にとって一番嫌いな言葉だからだ。





****





 いつしかそれが、「生きたい」から「死にたい」に変わっていた。

 彼女が向けた炎に、君崎は体を震え上がらせ、「生きたい」とただ願っていた。死にたくない、と。まだ生きていたい、と。しかしいつの間にか、その思いが変わってしまっていた。

 彼は「死にたい」と願うようになった。未だに続く内側からの激痛。体も満足に動かせず、そしていつ襲ってくるかもわからないあの襲撃犯による恐怖のせいで、君崎の精神は限界を越えていた。


 (こんな、思いをするなら)


 一思いに、死んだ方が、楽であろうーーーー?

 だから彼は、「死」を選んだ。

 それは誰にも変えることはできない、彼自身の決定事項であったのだ。





 「………………死にてぇのか、お前」


 君崎の零れ落ちた願望に、唯希はただそう返す。それには怒りも冷たさも、何も含まれていない。まるで人形に返事を返されたかのように、感情というものが乗っていなかった。

 痛みに堪えながら、君崎は彼の顔を窺うことにした。視界が霞んで彼の顔を認識する事に少しだけ時間がかかった。しかし、どうしても、この時だけは彼と向き合わなければいけない、と思ってしまったのだ。

 そさて君崎は、彼の顔を見た。そして、目玉が零れ落ちそうな程に大きく見開く。


 彼の表情には、何も映し出されていなかった。怒りも、困惑も、焦りも、何一つ、感情が欠如したかのように、彼の人格だけが抜き取られたかのように、彼は無表情であった。

 か細い悲鳴が喉を鳴らす。頬を伝う生暖かいものが床に垂らされていく。自分の精神が恐怖に支配されているという事は、嫌にでも君崎は分かってしまう。

 その冷徹な目を君崎に向けたままだった唯希は、興味を失くしたかのように視線を希美に向けた。


 「じゃあ置いてくぞ。俺達だけなら、そこの窓から飛び降りれるだろ」


 「…………いいの?彼を置いていって」


 「自殺志願者にああ言われたらそれを呑むしかない。早くしろ、衝撃を緩和させる魔法はもう付加させただろ」


 そう言って唯希は窓の方に近寄り鍵を開けようとする。ーーーしかし、まるでコンクリートで固められたかのように、鍵はピクリとも解錠されなかった。


 「…………開かねぇ」


 呆然と呟く唯希。慌てて駆け寄った希美が窓に触れる。すると、その窓から微弱ながらも魔力が感じられた。それもその一つの窓だけではない、外に繋がる窓全てに、この微弱な魔力が感じられる。


 「ーーー結界かッ!」


 ハッとした希美は、悔しげにそう吐き捨てた。

 この魔力は、外に繋がる全ての出口を開けさせないようにする為の結界の力。ーーーつまり、襲撃犯の女が、彼らを逃がさない為に施した拘束魔法。

 やられた。彼女は本気で自分達を殺すつもりでいるらしい。これでは窓からの脱出はおろか、玄関口からの脱出も不可能であろう。ーーーそれだけではない。このような拘束魔法を、全方位を短時間で作り上げた彼女の技量は恐ろしいものだと、改めて実感した。

 脱出する術を失ったと知った希美は、窓から踵を返してドアの方へ向かう。


 「どの道、ここにいるのも時間の問題よ。対策を練る前にここを離れた方が良いわ」


 「だな。ならさっさと出るぞ。いつまでもここにいる理由はない」


 希美の意見に賛同して、唯希はドアに手をかける。

 その瞬間、チラリと唯希が君崎を一瞥した。しかし気のせいかと思う程の一瞬だった為、君崎がそれに気づかないのは無理もない事であった。

 もう彼を助ける者など、この場にいない。死を望む彼を、無理に助ける者などもういない。

 希美と唯希は、もう君崎に話しかけも、見もしなかった。そして彼らは君崎の願いを尊重し、ただ自分が生き残る為にこの教室を出るのであった。




 遠のく足音を耳にして、君崎は思い出す。これが走馬灯というものだろうか。これまでの三年間が、電光石火のように頭の中を駆け抜ける。

 その記憶の中に、一つの物語を見つけた。真新しい制服に身を包み、緊張で顔が強ばっている幼い少年の物語を。とても懐かしく、そして自分を構成する始まりの章でもあるその懐かしき記憶に、君崎は身を委ねた。




*****





 ーーーその男を目にしたのは、入学式が終わった直後の、HRの時間の時であった。

 地元としても有名な初凪中学として初めての交流の場に、君崎は柄にもなく緊張していた。知っている面々もいれば、知らない学校から来ている面々もいる。まるで値踏みするような好奇の視線がこの教室中を行ったり来たりもしているのを感じて、君崎は居心地を悪くしていた。

 そんな空気の中で行われる自己紹介は最悪なものであった。何故なら全ての視線がこちらに集中するからである。好奇の視線が幾つも集まるとなれば、緊張で吃って変な事を口走るかもしれない。

 昔からこういうのは苦手だった。だから自己紹介もあまり乗り気ではなかったが、担任に言われてしまえばもう何も言えなかった。

 次々に行われる自己紹介。自分の名前、誕生日、好きなもの、将来の夢など、様々な事を公開していく。どうして個人情報をそんなに晒していくのか、君崎には疑問で沢山で仕方がなかった。

 そんな疑問を抱えている間に、前の席の人物が立ち上がる。もうそこまで迫っていたらしい。次の自分の番に引き締めていた時だ。


 「ーーー名前は、織元唯希です」


 前の人物の名が教室中に響き渡る。少しでもクラスメート達を覚えようと、その名前の人物を見上げーーーそして、言葉を失った。それはこのクラスの全員にも言える状態であろう。寧ろこんな姿を見て、言葉を失わない人間がいるのだろうか。

 何故なら彼は、織元唯希は全身が傷だらけであったのだ。制服こそは真新しいものの、首までを覆う包帯に、荒れて傷だらけの手。そして手首にはぱっくりと赤い線がついている。ボサボサの髪はあまり手入れされていないのは一目でわかった。それだけで、彼の環境がどれだけ過酷なのか一目瞭然であった。

 全員が言葉を失っているにも関わらず、織元唯希はそんなのは知るかと言わんばかりにそのまま続けた。


 「趣味とかはありますが言うつもりはありません。誕生日は10月3日。将来の夢は兄を超える魔導士になることです。一年間、よろしくお願いします」


 ガタリ、と早々に言い終わった彼は着席する。そして少しだけ体を屈めて、頬杖をついた。

 その異様な雰囲気と彼の相貌の衝撃に呆然としていた君崎は、担任の促しがあるまで自己紹介する事を忘れていた。




*****






 中学生になって二日目。だんだんと織元唯希の事が分かってきた。このクラスには織元唯希を知る者が結構いるらしく、彼らの口々から織元唯希にまつわる噂を聞くことが出来た。

 曰く、彼は虐待を受けているらしい。それであんなにも傷だらけだということ。

 曰く、彼は自殺嗜好などではないか、という噂。死にたいがために色々と模索した結果あんな傷だらけになったということ。

 真実がどれかは分からない。だがそんなのどうでも良かった。どうせ関わるはずがないと思っていたからだ。


 (だって、こんな気味の悪い奴、誰が相手にするんだよ)


 それは世間一般的に見て正しい観点なのかもしれない。誰もが気味の悪いものを見たら近づかないのは当たり前の行為である。

 しかし現実はそうも行かない。その気味の悪い彼と前後になった時点で、君崎の運命は既に決まっているのだから。


 プリントを渡してくる時に、必ず織元唯希はこちらを向いて渡してくる。それが非常に嫌であった。何も言わずに、濁りきった瞳でこちらを見つめてくるのが本当におぞましかった。

 思いっきり顔を顰めて受け取っても、彼は特に表情を変えずに前を向く。それもまるで相手にされていないようでとても嫌だった。

 傲慢な奴だ、と善良な市民ならそう糾弾してくるであろう。しかし、ここに彼を批難する者はいない。それどころか、過半数が彼と同じ気持ちを持っているのだ。


 (だから、俺は正常なんだ)


 自分は普通の人間だと、これが本来の人間の思考だと信じて、君崎はプリントを後ろの席の人へ渡した。


唯希君のこの無慈悲で素っ気ない所が結構気に入っています。



2018/10/29 0:00

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