織元唯希:蔑
初凪中学校。白塗りの外壁にコの字で建てられている造り。右手には体育館らしき大きな建物が建っている。窓から垂れ下がる横断幕には幾つもの部活の心得が書かれている。男は黒の学生服。女は上下紺色のセーラー服であり、今もその制服を着込んでいる学生達が学校内でたむろしていた。
玄関に行く道は華やかな草木で囲まれており、可愛らしい花々がまるで生徒に挨拶しているかのように小さく揺れる。友達と挨拶を交わすもの。危険と知りながらも歩きながら勉強に勤しむもの。早く教室に着きたいのか、人の波を掻き分けて走っていくものと様々な生徒がいた。その中には教師も混じっている。
その波に埋もれている、ある人影。
良く手入れをされているであろう、サラリとした黒髪。多少の傷はあるものの触れればふんわりと柔肌を感じるであろう白い手。何処もかしこも美しい相貌の彼の汚点を上げるとするならば、その死にきった金眼の双眼であろう。
所かしこに汚れが目立っている彼の制服を笑うものは少なからずいるが、それよりも彼の姿に見惚れるものが多数であった。
好奇の目がグサグサと刃のように突き刺さる中、彼はーーーー織元唯希は、少しだけ照れくさそうに校内へと向かっていた。ふとした時に肩までの長さとなった髪を弄り、自分の肌の感触を確認するかのようにつねるなどするなど、落ち着く様子がない。
「少しは落ち着きなさいよ、織元」
その時、唯希と共に歩く彼女が、落ち着きのない彼を咎めた。
絹糸のような銀髪を腰の辺りで結び、ゆったりとさせている。ほっそりとしたモデルのようなプロポーション。ロングスカートとはいえど、スカートから覗く足は白く艶かしい。唯希と一緒の金眼をした彼女は、クスリと小さく笑った。まるで一国の姫のような相貌に、すれ違った生徒達は一様に頬を染める。
唯希は呆れたように首元に手をかけながら、彼女に言い返した。
「うるせぇよ。……ちょっとは余韻に浸っても、いいだろ」
照れくさそうにした唯希に、彼女はまた優しく微笑む。
何故彼がこんなにも綺麗になっていたのか。まるで小さい頃から手入れされているような美麗な姿になったその発端は、昨日まで遡るーーーーー。
***
それは、織元唯希と神の間に期間限定の契約が結ばれた後の事であった。
「ところで織元。貴方前と比べて凄く汚れているのだけれど、大丈夫?」
神が唯希の姿をジロリと見て、述べた。そこに心配も含まれているが、どちらかと言うと「うわ、お前ボロボロじゃんウケる」といったサラリとしたものであった。
その問いに唯希はあからさまに顔を顰め、傷んでいる髪を掻いた。
「うるっせぇよ。お前なら全部分かってるだろうが」
「まぁ分かっているのだけれど、本人の口から聞きたいのよ」
「…………あいつらのせいだよ。あいつら、碌に風呂も入らせてくれねぇし、体洗おうとしたら何故か上半身焼けたし。傷は若干腹辺りに残ってるけど……自分の身を守るのに精一杯で、禄に頭も体も洗ってねーんだ。そりゃ傷むに決まってるわ」
忌々しそうに腹の辺りを摩る。それは幼き頃、今よりも酷かった両親がつけた傷であった。
今世の親はとてつもなく酷い。前世は穏和でとても優しい親だったのに対して、この親は淀みのない清水にクソをぶち込んで煮込んだような性格である。
出されるものは全て汚物と言っても過言ではない。風呂に入れば忽ち火傷し、その度に妹に治してもらう。だが独学での治癒魔法だからか、完全に傷が消えない個所もあった。その一つがこの腹の傷である。後は全て完全に消えており、日常生活に支障は出ていない。
だがそのせいで、彼の素材が劣化した。吐き出しすぎたせいで骨が浮き出るほどにやせ細り、何度も足掻いたせいで手が荒れ、足も死んでいる。前世はここまでとは行っていなかったのに、最早自身の肌は既に息絶えたのかと思える程に荒れていた。
唯希は舌打ちを零すと、神を睨む。
「で?それを聞いて何かあんの?」
「いやぁね?とてもボロボロだったから手入れしてあげようと思ったのよ」
「ハッ、神の慈悲かよ。虚しいねぇ」
「こういう好意は素直に貰っておいた方が得よ。貴方素材はいいんだから、せめて見た目だけでも戻しちゃいましょ」
そう言って彼女は、スッと唯希に向けて手を翳す。そこから黄緑色の光が漏れだし、忽ち唯希を包み込んだ。
ザッ、と唯希の足元が瞬時に魔法陣で彩られる。微弱な風が部屋中に吹き、唯希の髪を少しだけ揺らす。
唯希がその魔法陣を解読する間もなく、彼女は一言でそれを発動させる。
「【汝、あるべき姿へ、刮目せよ】」
瞬間、魔法陣が唯希を包み込んだ。
瞬く間に部屋は光の世界へと移り変わる。誰にも認知出来ない、一瞬だけの神の領域が作られ、唯希はそれに呑まれていくかのように姿を消す。
だがそれは一瞬の出来事で、直ぐに唯希は戻ってきた。ーーーーあるべき姿へと、成り代わって。
【フィットチェンジ】。あるべき姿へ変身を遂げる魔法。一般的に体の汚れを落とす為に使われているものである。当然、唯希は使った事もないし、今は使えない魔法だ。
神は、魔法で変わった唯希の姿を吟味した。
「んー……やっぱり契約してないから力が落ちてるか……まぁでも、我ながらいい出来ね。体がちょっと惜しいけれど、まぁそこは食生活を変えればいけるでしょう」
サラリとした黒髪。生気が宿ったかのような肌。身体は惜しいことにまだゲッソリとした部分はあるが、それ以外は前世とほぼ同じであった。
これが彼の、唯希の本来の姿であった。
***
あの時は実感が湧かなくて手鏡を前に百面相を延々としたが、いざこうやって公の場へと赴くと変な気持ちになる。そう唯希は思い出しながら瞼を下ろす。
そうとも知らない(正確には知ろうとしない)隣に歩く彼女ーー神は、その銀髪を揺らしながら辺りを隈無く見渡していた。
「ここが貴方の通っている中学校ね。大層ご立派なこと」
「この中学校は、県内で有数の魔法学校だからな。魔法について徹底的に学ぶこの学校は珍しいんだよ」
「他の学校もそうなんじゃなくて?」
「他の学校は前世とほぼ変わんねぇよ。そこに少し魔法が加わっただけ。逆にこの学校は殆どのカリキュラムを飲み込むほどの魔法の基礎学が練り込まれている。だからなのか、ここを卒業した生徒はとても魔法の扱いが上手くなる。現に俺の兄もここの卒業生で、さらにトウキョウの有名魔法高等学校を卒業しているから、相当優秀な筈だ」
「へぇ……」
「てか神なら全部知ってるだろ」
「あまりそういう所に興味がなかったわ」
「それでも神かよ……」
悪態をつくと、「それと」と神が顰め面で唯希に言う。
「私の事は神ではなく『雨宮希美』と呼びなさい」
「俺お前の偽名初めて聞いたんだけど」
「聞かれなかったもの」
「いや事前に教えろや」
神ーー希美はそう言うと前へ向き直った。話は終わりということであろう。
ここでの彼女の設定は「唯希のクラスメート」だ。唯希のクラスには不登校の生徒が一人いる。理由は病気と聞かされたが、真相は担任と本人、そして本人の家族しか知らない。その枠に希美を無理矢理捩じ込み、元からいたかのように錯覚させた……らしい。全部希美がやった事なのだが、たった二日の為にこんな大掛かりなことをするなど、神はやはり大胆不敵である、と唯希は驚愕を通り越して呆れた。
校内へ入り、自身の下駄箱へ。シューズを持って自分の下駄箱の扉を開ける。
「…………」
とても予想通りの光景であった。黒ずんだシューズにはこれでもかと言う程の悪口が書かれている。全部がよく見る「来るな」とか「キモイ」とかだが、慣れてしまった唯希はそれを洗うことなく履いた。
「織元」
名前を呼ばれたのでそちらに顔を向けると、希美が怒りか悲しみか捉えられない複雑な表情で、こちらを見ていた。「なんだよ」と唯希が返すと、希美は「何でもない」と踵を返す。
心配してくれたのだろうか。そんな彼女の心情に少しだけ感謝を述べ、唯希はその後を追った。
教室の扉を開け、自分の席へ直行する。唯希の席は真ん中の列の四番目の所にある。ちなみに希美は窓側の前から二番目だ。
自分の席に行ってまず目に付くのは、油性で書かれた不吉な絵であった。恐らく少年であろう人が仰向けに倒れており、その上には子供が描いたかのようなぐちゃぐちゃな鋭利なものが、少年に向けられている。
恐らくこのままにしていたら、それは少年の心臓にブスリと刺さってしまうであろう。何とも不吉で不潔な絵だ。残念な事に、唯希はこの絵を描いた人物に心当たりがあった。
唯希はその張本人へ視線を向けた。後方の席に三人程で集っているその男を。
濡れ羽色の短髪。前髪の一部が赤いメッシュになっている。パーツだけを見れば一応イケメンの部類に入るが、いたって普通とも言えるプラマイゼロの容姿で、正直唯希はその男の事は髪型の印象しか残っていなかった。
その男は唯希の視線に気づいたのか、唯希の方を向いてハッと嘲笑う。
「何だよ織元。俺に何か用か?」
彼の名前は「君崎翔斗」。唯希を虐めるグループの筆頭である。この三年間、飽きることなく唯希を虐め続けているので、ある意味のタフネスを兼ね揃えている……と唯希は勝手に思っていた。
そしてーーーー前世で唯希を屋上から突き落としたその一人でもある。
どうやら今世は残念な事に、前世で関わった相手もそのまま反映されるらしい。唯希にとっては迷惑極まりない機能である。
君崎は依然ニヤニヤと唯希を見ている。唯希がどう言い返してくるのか、楽しみにしているのだろう。
前の、神に出会うまでの唯希だったら言い返していた。睨み返していた。だが今はそれらをする事すら面倒臭いと感じてしまった。
なら、無視をするだけである。
唯希は君崎からフイッと視線を外し、席に座った。机のフックに鞄をかけ、そのまま何をすることなくボーッとし始める。机に描かれているものを消しもせず、勉強もせず本も読まず、ただじっと座るだけ。
「……おい、織元」
それが、彼にとっては気に食わなかったらしい。
君崎は織元の横まで来て、ピクピクと口元を痙攣させながら彼に絡み始めた。
「俺を無視するとはいい度胸してんなおい。何?イメチェンでも始めた?やっべー無視して平然とする俺カッケーとでも思っちゃってる?」
「………………」
君崎の方を全く見ず、黙りを貫く。
「お前、あのトウキョウの私立高校にマグレで受かったからって調子乗ってんじゃねぇよ。お前なんてあの高校に行ったら落ちこぼれ間違いなしだぜ。惨めになる前に入学を取り消せ、な?」
「…………………………」
「座学も実技も平凡なお前が何であの高校に受かったのか不思議で堪んねぇわ。どんなズルしたんだよ。俺にも教えてくれよ、なぁ?なぁなぁなぁ??」
ここで言う実技とは魔法の事ではない。魔法に耐える為の体力作りの事である。この位の歳に何も鍛えずに魔法を行使すれば、体を壊して寝込むことがある為、このような実技が組み込まれることとなったのだ。これである程度は、このくらいの歳でも耐えられる体になっている。
因みに唯希の成績は至って普通だ。良くもなければ悪くもない、平凡な成績。対して褒められることはない成績。君崎はそんな優秀でも何でもない唯希が、何故有名な高校に受かったのか疑問で仕方がなかった。
「…………」
だが、唯希は答える気はないというかのように無言を貫き通す。
何も言い返さない唯希に、君崎の苛立ちが募る。勢いに任せてダンッ!と机を叩いたが、それに怯えもしなかった。
ーーー以前だったら、わかり易く怯えていたはずなのに。
「テメェ織元……俺をコケにするつもりか。おい」
こうした脅し文句にも、わかり易くビクビクと、そしてイラついていたはずなのに。
唯希は君崎を見ることすらせず、じっと前を見据えていた。
***
そんな君崎の心中など知らずに座っている織元の視線は、ある人物にしか行っていなかった。
(ーーーこの二日で、見極めなければ)
不登校の生徒の席に平然と座る、雨宮希美にしか。
その座る姿も美しい希美の背中を、唯希は穴が開くほど見つめ続ける。全ては彼女が善良であるか否かの区別を付けるため。そして契約しても安全かどうかを見極める為。
今の所、行動を起こす気は無さそうだが……と、唯希は目を凝らしながら観察する。
「……」
「!」
見ていると、希美がチラリと目線だけでこちらを向いた。
何をやるんだろう、と少し身構えると、希美がパクパクと口パクで何かを伝え始める。「?」を浮かべた唯希は、必死にその口パクを読み取ろうとさらに目を細めて見続けた。
(……し、せ、ん……が……と、い……)
「おい織元!」
その時、誰かが唯希の胸倉を掴んだ。一瞬だけ息が詰まり混乱し、慌ててその犯人をバッと見た。
唯希の胸倉を掴んだのは、君崎であった。君崎は青筋をたてながら、口元を痙攣させて唯希を威嚇している。正直何故こんなにも怒っているのか、唯希には謎で仕方がなかった。
「テメェ俺を無視するたァいい度胸してんな!?俺の話聞いてたかこの恥晒しが!!」
「……お前何か喋ってた?」
正直に返すと、ブチリと君崎の何かが切れた。
君崎は胸倉を掴む手を強め、そのまま唯希を投げ飛ばす。机二つが唯希の体に当たり、唯希は肩を抑えて顔を歪めた。
教室には悲鳴が響き渡った。誰かが誰かを止める声と、先生を呼ぶ声が唯希の頭に木霊する。放り投げられた時に頭でも打ったのか、唯希は正常な判断を体に下すことは出来ない状態であった。
「織元、大丈夫?」
誰かが唯希にそう声をかけた。脳が揺さぶられても、誰の声なのかを唯希は判断する事が出来た。その声が、雨宮希美だということを。
「頭を打ってるからあまり動かない方がいいわ。誰かが先生を呼んだから、事が済むまでそのまま安静にしていなさい」
そう言うと、希美が唯希の顔に緑の魔法陣のようなものを翳す。そこから緑の粒子が溢れ出し、唯希の体を包み込んだ。
とても安らぐ、落ち着く感じになった唯希は、そのまま意識を落としていった。
学校の描写って難しいですね。アドバンスがありましたら教えてください。出来る限りわかり易くしようとしたのですが、自分でも表現が足りないなと自覚しております。




