織元唯希:己の足は次なる舞台へ
(最後の方若干寝ながら書いてたなんて言えない……)
数日前までは暫くいたとしても、やはり間が開けば久しく感じてくる。
唯希は狐が描かれた手帳とキャリーケースを手に、前まで入院していた総合病院を訪れていた。入院患者やその見舞いの人とすれ違いながら受け付けへ向かう。受け付けへと赴けば、最早顔馴染みとなっている看護師が座っており、彼女は唯希に気づくとパァッと顔を輝かせた。
「こんにちわ、織元さん!今日はどういったご用件で?」
「どうも、入院していた時はお世話になりました。えっと、用件は……」
手短に用件だけを看護師に伝える唯希。その用件を聞いた看護師は、合点と言いそうな程に警戒に管理表をペラペラと捲っていく。
「……702号室ですね!」
「ありがとうございます」
あるページで止め、そこに載っていた部屋の番号の一部を看護師は唯希に伝えた。
短くお礼を言った唯希は、その部屋へと足を進める。2、3人が乗っているエレベーターに体を滑り込ませ、その部屋がある階のボタンを押す。
間もなくして、目的の階層に着く。壁に取り付けてある案内板を見ながら、唯希はゴロゴロとキャリーケースを転がしながら702号室へと足を進める。
暫くして、『702』と書かれた部屋に辿り着いた。その部屋の前に止まった唯希は、一回深呼吸をする。トク、トクと心臓の音を聞いて心を落ち着かせ、緊張を解していく。
「……よし」
緊張がある程度解れた唯希は、三回ノックをした。程なくして、「はい」と中からノックに対しての返事がくる。
返事があった事を確認して、唯希は扉に手をかけ、開けていく。キャリーケースを引っ掛けないように素早く中へと体を滑り込ませ、唯希は一直線に病室に設置されているベッドへと近づいた。
ベッドには、ある男が上半身を起こしていた。以前と比べて短めになったであろう黒髪に、赤メッシュ。まだ痛々しいガーゼや包帯などが残る体。目で見ても明らかに重傷な男は、部屋に入ってきた唯希を凝視している。
唯希はそんな彼の姿を見て、ハッと鼻で嗤って言った。
「随分と、無様な姿だな---君崎?」
---君崎翔斗は、露骨に隠されていない皮肉に、少しだけ顔を歪めた。
事実だからだ。高見の攻撃をマトモに受け、さらに未熟なまま魔法を行使し体を壊し、その影響で生死を彷徨ってしまったから。君崎に虐げられていた唯希にとっては、さぞ彼の姿に愉悦を感じるであろう。
「……何の用だ」
「お前の無様な姿を拝みに……は、ついでだが」
唯希はキャリーケースと狐の手帳を、君崎が見えるように前に出す。
「ケジメをつけに来た。お前と」
そして彼は、絶対零度の瞳で君崎を睥睨した。
君崎はその瞳を正面から受け、自嘲するように言葉を並べる。
「…………ケジメ、か。つまり俺とはもう関わらないって事だろ?」
「そうだな。金輪際お前と関わる気は無い。あの時は成り行きでお前も助けちまったが、別にこれまでの事を許した訳じゃねぇからな。今回はそれをハッキリさせに来たんだ」
「言われなくても分かってる。俺だって、もうお前と関わる気なんてない」
ハッキリと、唯希と君崎は断言する。
もう互いの縁は切ろうと。クラスメート同士、又は虐めっ子と虐められっ子の関係を断ち切ろうと。せいぜい赤の他人という言葉が相応しい関係になろうと、彼らは言葉にはせずともそういう意図を含ませて言う。
「……だが、この関係が無くなる前に、俺はお前に聞きたいことがある」
唯希は傍にあったパイプ椅子に腰掛け、君崎と同じ視線の高さにする。姿勢を前のめりにし、少しだけ息を吐いた唯希は、その瞳に怒りを滲ませながら、こう聞いた。
「何で、俺を虐めた」
「…………ムカついたからだよ」
君崎は予測していたのか、唯希の問いかけの数秒後に答えを出す。
「……何で」
答えを聞いた唯希は、君崎から視線を逸らして尚問いかける。
「……お前みたいなやつが魔導士を目指してるのが有り得なくて、それにムカついた。だから、諦めさせる為に虐めた」
「……唯の私怨で笑えねぇわ」
たったそれだけ、それだけの思いで、君崎は唯希を虐めたのだ。
ああ、本当に---彼の性根は前と全然変わらない。そう考えるだけで、心の奥底に湧き立つ憎悪がグツグツと激しさを増す。
彼と関わらければ、彼に会わなければ、もしかしたら唯希の人生は少しはマシになったのであろう。学校だけは心の拠り所となり、そのおかげで自殺をする可能性は少なくとも減るであろう。
そう何度か、彼は考えた事がある。---だから彼は、君崎との縁を切る。その為に唯希はここに来たのだから。
「……お前さ」
不意に、君崎が唯希に問いかけようとする。
彼の質問には極力答えないでやろうかと思ったが、反応してしまった以上仕方がない、と唯希は彼の言葉に耳を傾けた。
「……何で、魔導士を目指そうと思った?」
その質問は予想外だったのか、唯希の瞳孔が僅かに開かれる。思わず君崎の方を見ると、君崎は顔を俯かせたままでこちらを一瞥もしていなかった。しかし、答えは聞くつもりのようである。
「…………兄を超えるためって、自己紹介の時にも言っただろ」
唯希は渋々と、動機を答える。
魔導士を目指す理由は『兄を超える為』。それはあながち間違いではない。昔は魔導士を目指している兄に尊敬を抱いたし、憧れの目で見ていた。そんな兄を見て魔導士を目指したと言っても過言ではないからだ。
---しかし、魔導士を目指す理由はもう一つある。寧ろ、これが最大の理由と言ってもいい。
しかし唯希はそれを認めていないし、認めようともしていない。指摘された時点で、自分の中の何かが壊れると気づいたから。だから唯希は極力考えないで、その理由を隅に置いている。もっと言えば壺の中に無理矢理捩じ込んでガムテープでぐるぐる巻きにしている。それくらいに、考えたくなかったのだ。
「………………ふーん」
唯希の答えを聞いた君崎は、特に興味無さげに返した。
自分から聞いてきたというのに何だその返しは、とさらに苛立ちが募る唯希に、君崎は再度問いかける。
「何で、そのお兄さんを越えたいんだよ。そのお兄さんを目指してるとかでもいいだろ」
……ああ、痛いところを疲れた。唯希は無意識に下唇を噛み、君崎を睨む。
「…………そんな事、なんで聞くんだ」
「ただの興味」
苦し紛れに問い返すも、即座にバッサリと答えられる。
その興味がとても良い迷惑なんだ、と唯希は眉を顰める。本当ならこの理由を語らずにこの場を去りたい---が、唯希の口は勝手に、意図せずしてポロポロとその理由を君崎に対して零していった。
「…………兄を越えたら、家族に見てもらえると思ってたんだ」
「……」
「俺の親はいつも成績優秀な兄を褒めるから、馬鹿正直だった俺は『兄以上に優秀なら見てくれるかも』って思った。だから、兄を越える魔導士を目指したんだ」
「……」
「結局は、無駄だったけどな」
親にめいいっぱい褒められて嬉しそうに頬を緩める兄を、何度か見掛けた。
100点のテスト用紙を見せれば忽ち頭を撫でられ、魔法実技で良い点を取れば、電話越しでだが口々に賛美の言葉が投げ掛けられ、魔法の大会に優勝すれば直ぐに親は宴会のように騒ぎ出す。幼い頃から、ずっとそれを見続けていた。
その時に思ったのだろう。その頃から罵詈雑言を浴びせられていた唯希は、『もしかしたら兄以上に賢くなったら、自分を許してくれるんじゃないのか』と。そう思ったら、いても経ってもいられなかった。
だから唯希は頑張った。親に虐げられようとも、親に、皆に認めてもらえるように、勉強を人一倍頑張った。
これで認めてくれるなら。
これで、笑って貰えるなら。その一心で。
結局は上には上がおり、結果を残す事はなかった。……しかし、あのトウキョウの有名な魔法高校に受かったのだから、少しは褒めてくれると思っていたのだ。
---だが、飛んできたのは罵声と暴力。大していつもと変わらない日常。それだけだった。
その時に、唯希は知ってしまったのだ。
(こいつらは、俺がどんな事をしても、決して態度を変えることは無い)
たとえ歴史に名を残す事をしても、魔法の大会で優勝しても、偉業を成し遂げたとしても。
親は自分に、価値を見出さないであろう。
絶望した。幼い頃から溜まっていた熱が、急激に冷めていく感じに襲われた。
あまりにも遅い真実に、今更気づいてしまったのだ。ああ、何とも滑稽な。
その日からだろうか、家族の事がモンスターのように思えたのは。
妹では抑えきれないほどに澱んだのは。
---自殺を考えるようになったのは。
「…………お前の話に同情するつもりはねぇけどさ」
黙って唯希の話を聞いていた君崎は、淡々と語る。
「良かったんじゃねぇの。見限る事が出来て。知る事が出来て。ずっとそんな事ズルズル引き摺ってたら、魔導士になるもなれねぇだろ」
「…………」
「親の期待に答える為に、自分を犠牲にして独行しそうだしな、お前。今の話を聞いてそう思った」
「……あー」
確かに、母親が語った真実を知らなければ、唯希は親に認められる為にあれこれ功績を残そうと動くであろう。それも、捨て身で無我夢中に。そうなっていたら、もしかしたら何も幸せになれずに孤独に死んでいたかもしれない。独断専行が多い問題児として扱われていたかもしれない。
そう考えると、良かったのかもしれない。母親と話す事が出来たことは。そのおかげで、母親達を見限ることが出来た。
「……で、親を見限ったお前に改めて聞くけど」
改まって、君崎は問いかける。
「何でお前、魔導士を目指すの?」
今度は言葉に詰まった。瞬間に声が出せなかったのだ。
今まで唯希は、兄を越える為に頑張ってきた。兄を越えて、親に認められる為に、全てのものを犠牲にしてきたのだ。たとえ努力が実らなくても、いつか絶対に、という思いが拭いきれなかったから、ここまで頑張ってきたのだ。
しかし今、その頑張りのきっかけとなった魔導士になる為の理由を失ってしまった。兄を越える必要が無いことを知った唯希は、自分は何の為に魔導士になるのか、と考えてしまう。
もう兄を越えなくてもいい。どうせ無駄なのだから。---なら何で、自分は魔導士を目指すのか。
人々の役に立ちたいから?---違う。
魔導士という職業に憧れたから?---違う。
どれも違う。そんな夢物語みたいな、生易しいものではない。
なら自分は、何故魔導士を志すのか。
魔導士となって、何をしたいのか。
---魔導士になるにあたっての、メリットはなんなのか、考えた。
「……あ」
そう考えてしまえば、答えはあっさりと出た。
「----幸せに、なるためだ」
唯希はほぼ無意識に、ポロリとそれを口にする。
そうだ、魔導士になれば、もしかしたら幸せな事が訪れるかもしれない。
背を預けられる信頼する仲間、笑顔溢れる職場で、仲間と切磋琢磨しながら悪を討ち取る未来。恋というものを知って惹かれた女性と付き合ったり、仲間と飲んだりと、それはそれは楽しい未来が待っているかもしれない。
そう、こういった幸せが欲しいから、今も魔導士を目指せるのだ。この理由が消えない限り、唯希はずっと魔導士を目指し続けるであろう。
全ては不幸になった自分を救う為に、自分自身の為に。
「…………幸せ、ねぇ。まぁ理由なんてどうでもいいが」
聞いてきたはずの本人が、興味無さげに返すも、次には顔を上げて唯希に言う。
「魔導士を目指す以上、絶対に止めるんじゃねぇぞ」
「…………」
「お前は俺とは違って、まだ魔導士になれる可能性が高いんだ」
そう言った彼の表情は、諦めと後悔が入り交じっていた。
そして唯希は、先程の彼の言葉に引っ掛かりを感じる。"まだ"とはどういう意味か、そう問う前に、君崎が視線を左腕へと落としながら答えた。
「俺の左腕、もう動かないんだ」
---あの時。
高見に攻撃された時に使った魔法と、高見に攻撃する為に使った魔法による影響で、君崎の左腕は動かなくなってしまったのだ。
医者達は「左腕が動かなくなっただけで幸運」と感嘆の声を上げたが、それでも君崎は絶望した。
まだ未熟な身体で魔法を使えてしまったこちらの落ち度ではあるが、それでも、その魔法によって将来が潰されてしまった事に、崖の上から落とされたような絶望感を味わった。
「お前は魔法回路を感覚で理解して魔法が使える『特異体質』なんだって言われたけどさ、そんな事言われても、この腕じゃあ満足に魔導士なんてやっていけねぇだろ……?」
---『特異体質』。
普通、魔法を使う為には「魔法回路」という、魔法を使う上で必要不可欠な魔力の通り道が存在する。この魔法回路と詠唱を理解する事によって身体中に魔力が行き渡り、魔導士は魔法を暴走させずに使用する事が出来るのだ。
通常なら義務教育を終え、高校一年で習う事である。そもそも、十五歳未満の者は魔法回路を理解していないので、普通なら魔法を使える筈がないのだ。魔法回路を教える教育者は、高校からしか存在しないのだから。しかしもし、魔法回路を理解しているものが自主的に教えたとなれば、魔法が使えるようになるのかもしれない。使えたとしても、未熟で精錬もないので直ぐに病院送りとなるが。
だから、十五歳未満は、中学三年生までは魔法が使えない---普通ならば。
稀に、十五歳未満で魔法回路を『無意識に』理解する者が現れる。誰にも教えられる事なく、自身の力で魔法を使えてしまう、そんな存在が。
そのような有り得ない「体質」を持っている者達を総称して---『特異体質』、通称『特異体質』と呼んだ。
それに、君崎は含まれるのだ。本来なら重宝される才能を持つが故に、死と隣り合わせになってしまった特異体質に。
「……これも、天罰ってやつなんだよな。最高にイキがってた俺に下された、罰則なんだよな」
左腕を失った以上、君崎は魔導士の卵として志すのは不可能であろう。隻腕で窮地を超えるのはさすがに無理があるだろうし、使える魔法も限られてくる。全身に回らなくなった魔力がどうなるのか、想像するだけでも恐ろしい。
「……お前は窮地を超えたんだ。魔導士になる才能がある。だから、途中で挫けたりするなよ」
もう目指せない夢を、大嫌いな相手に託す。それがどれ程屈辱的なのか、唯希には痛い程理解している。自分だって、今の君崎みたいな行為は出来る限りしたくないのだ。寧ろ、大嫌いな相手に夢を託す行為をしている君崎を尊敬してもいい。
本音は止めてほしいと思っているはずなのに。唯希の事を憎たらしく思っているはずなのに。君崎は、唯希の夢を尊重してくれた。
「……気味が悪いな」
認めてくれた、とはあまりにも信じ難い。だからこそタチの悪い。
素直に言葉にすると、君崎が睥睨する。折角俺が、と言いたそうな顔だ。
「……まぁでも、受け取っとく」
折角くれた言葉だ。頭の片隅にでも置いておいてやろう。大嫌いな奴の相手の言葉を覚えるのは誠に遠慮願いたいが、折角の激励だ、受け取っておいて損は無い。
君崎の言葉を受け取った唯希は、話は終わりだと言わんばかりに立ち上がる。唯希の本来の目的は概ね達成したので、もうここに留まる理由はない。
「長居し過ぎた。直ぐに出る」
「勝手に出てろ」
しっしっと追い返す素振りをする君崎。先程の唯希の夢を後押しする姿は何処へ行ったのか。
態度の変化に特に気にすること無く、唯希は病室の扉に向かう為に一歩進める。
「……ああ、言い忘れてた」
取手に手をかけ、半分ほどまで開けた唯希は、ふとハッとして君崎の方を振り返った。
訝しげに見詰める君崎の瞳を真っ向から見詰めて---浅く笑いかけ、こう言い放つ。
「お前の事、今も昔も大嫌いだよ---さようなら」
その一言で、彼らの関係は糸を絶った。
長年繋がれていた糸が、ついに切れた瞬間であった。
ふと、君崎は唯希の浅い笑顔を見て思う。自分は何処かで、あの笑みを見た事があるのではないのかという錯覚に堕ちた。
「……何処で見たんだっけ」
思い出そうと君崎が頭を捻っていた時には、既に唯希は病室から出て行ってしまっていた。
君崎の返事も待たずに病室から出た唯希は、少々の小走りで玄関窓口へ向かう。途中、年配の看護師に少し注意され、今度は控えめに小走りで向かった。
診察の為に多くの人でごった返している待合室を通り抜け、唯希は病院から出る。途端、活気溢れる太陽の日差しが唯希に照り着いた。
思わず腕で日差しを守り、目を細める。日差しの効果か、ポカポカと体も暖まってきた。
「随分とあっさり終わったわね。私、乱闘を予想していたんだけれど」
唯希の持つ狐デザインの手帳から声がした。
手帳はみるみる内に人間の形に姿を変え、見目麗しい女性に変化する。女性は長い髪を鬱陶しそうに払いながら、唯希の隣に浮いた。
「まぁ穏便に済めたのはいいんじゃないかしら。あっちも改心していたし」
「改心かどうかは分からないが、大人しくなったのは認める」
「素直じゃないんだから……」
で、とエヴェリーナは一度言葉を切って続ける。
「この後のご予定は?」
「駅に行って寮に行くしかねぇだろうか。なんの為の荷物だ」
「寄り道とかしないのね」
「当たり前だ。こっから学生寮まで二日はかかるんだぞ。変な所で寄り道して始発を逃したらどうするつもりだ」
「その始発、あと三十分なんだけど」
「走るぞ」
エヴェリーナの言葉を聞いた瞬間、唯希は走り出す。事前に決めておいた予定が狂うのを防ぐ為には仕方がない。
ガラゴロとキャリーケースを手に駅へと駆ける唯希の隣で、ふわふわと浮いて付いてきているエヴェリーナは、前から気になっていた事をここで聞いてみる事にした。
「ねぇ」
「あ?」
「貴方の妹の事なんだけど、どうして生きてるの?」
エヴェリーナの疑問を聞いた唯希の顔が、密かに歪む。聞いて欲しくなかったという事に、エヴェリーナは気づいた。
直ぐに彼女は「ごめんなさい、忘れて」と、質問を撤回しようと言葉を選ぶ。
「……俺にも分からねぇ」
しかし、唯希はエヴェリーナの質問に応えた。
明確な答えではなく曖昧な答えであるが、答えてくれただけでも有難かった。
ふぅん、と鼻を鳴らしたエヴェリーナは、それ以上問い質してこなかった。駅まで口を開く事もなかった。
唯希も、これ以上妹について話す事はなかった。
「時間まであと二十分……ハッ、余裕で間に合った」
「走れば間に合うわよ」
時間に余裕を持ってホームへと来た唯希は、軽くホーム内を見渡す。
ホーム内には唯希と同じ考えを持ったのか、大きなキャリーケースを傍らに置いている人達がつらつらと立っていた。皆見る方向は一緒なので、恐らくこの中の何人かは唯希と同乗するであろう。
「エヴェリーナ、お前は手帳になれ」
「了解」
唯希の指示により、再び手帳に変化したエヴェリーナ。殆どの服従生物が、こういった物に宿って体力を回復しているらしい。また、これを媒体にして強力な攻撃を撃ち出す事も可能……らしい。全てエヴェリーナの説明だけで実際に見たわけではないから、中々判断する事が難しい。
エヴェリーナを手帳に変え懐にしまったその時、唯希はジロジロと不躾な視線を感じ取った。辺りを見渡すと、恐らく唯希と同じ考えを持った人達が、唯希の事を珍妙なものでも見たかのような目付きで見ていた。
(ああ、確か調教師って殆どいないんだっけ。最弱の魔導士とか言われてたせいで)
頭の中に入れてあった調教師の情報を、今更ながらに思い出す。
『調教師』は昔は多くの人々に認められていた。生物と背中を合わせて戦う姿や、生物と調和して敵を打ち砕く姿を、昔はよく目にしたものだ。
しかしある日を境に調教師は「時代遅れ」だの「最弱の魔導士」だの、好き勝手陰口を叩かれながら消え去っていった。今ではほんのひと握りしか調教師は存在しないとか。
(そんな存在が目の前にいたら見るよなぁ。俺も見る)
ジロジロと視線を送ってくる人達にうんうんと一人で納得した彼は、どんな視線に刺されようがジッその場で立っていた。
やがて興味を失い、手元の画面に目を移す姿を一瞥して、ホッと安堵の息をつく。何人もの視線を受け取るのはもう懲り懲りだ。そんなのは中学生時代だけでいい。
「……お?」
そうこうしている間に、電車が来てしまった。体感としては五分も経っていないのだが、どうやら知らぬ内に時間が大幅に過ぎていたらしい。
駅へと降り立った銀色の電車は、『ある場所』へ向かう為の専用列車だ。この電車が無ければ、『ある場所』へ赴くことなど出来ない。
その電車に、数人が乗り込んでいく。唯希も彼らに習って、運命の第一歩を踏み出した。電車内は一人一部屋個室で仕切られており、この個室の中で飲食を共にする。それが決まりなのだ。個室の中はベッドにこじんまりとした机、これだけである。
「……ついに行くのか」
ベッドに腰を下ろした唯希は、感慨深く声を発した。
「あっちでも、俺は幸せになれるのか」
そんな不安が過ぎるけれど。
でも、新しい出会いとかがあるかもしれないし。だから唯希は向かうのだ。
奇跡といっても過言ではない、倍率が非常に高いトウキョウの有名校に---。
それぞれが、夢の為に動き出す。
ある者は自分をある人に認めさせる為に。
ある者は自分の事を治す為に。
それぞれが目的と、夢と、希望を持って、ある学園へと集う。
これは、幸せを手に入れる為に行く不幸な男と、罪滅ぼしをする為に天界から降りた神の、逆境から立ち上がる物語である。
一章完結しました。読んでくださった皆様ありがとうございます。
ここから物語がかなり動きます。学園編書きたくて書きたくて仕方がなかった……やっとヒロインと親友が出せると思うと……。
途中設定が生えてぐっちゃぐちゃなところもあるかと思いますが大目に。もしかしたらこっそり改変してるかも。
では次回に。




