織元唯希:母は泣き崩れ、彼は真実を知る
ダンジョン要素組み込もうかなと思ったけど、世界観めちゃくちゃになるからやめた
事態は終息した。
初凪中学を襲ったテロ行為、それは二人の学生と服従生物によって事を収めた。しかし、それに伴う犠牲は計り知れないものであった。
襲撃犯---高見 望の無差別攻撃により校舎は半壊。それにより今年度の卒業式は別校により行われることとなり、それの準備により延期。生徒は鳴りを潜めるまで自主学習という名の自宅待機となった。
そして、高見を抑えた一人、君崎翔斗は、魔法の酷使により入院。魔力回路を無視して魔法を行使した為、後遺症が残る可能性が高くなる程の重傷を負った。
対して、織元唯希は君崎より怪我も少なく、医療士の魔法で全回復する事が出来るほどだったので、数日の入院だけで済むことになった。
そして、初凪中学を襲い、二人の生徒に怪我を負わせるテロ行為に走った襲撃犯、高見望は----死亡が確認された。魔力枯渇による疲労と、その状態での魔法の酷使、さらに魔法、人格による暴走も見られ、それらに耐えきれずに死亡したのだろうという結論に至った。
こうして、「初凪中学テロ事件」は、一人の犠牲者と二人の怪我人、校舎半壊という被害を出して、完全に終息したのであった。
「【来たれ、果てなき幻想。呼び起こせ、原点を】」
まだ散らかりが目に余る唯希の自室で、彼と希美は互いに体を向けながら目を閉じていた。
希美が手を掲げながらそう言うと、刹那、彼らの足元に白色の魔法陣が浮かび上がる。
「【我が魂は主の命、我が命は主の意思。主の意向、妨げることなかれ、揺るぎなくその身を捧げる事を、汝に誓約する】」
数多なるルーン文字が書き連ねていき、次第に魔法陣は光沢を帯びる。
途端、バシュッ!と、光が部屋中に拡散した。それは磁石のように唯希と希美にくっつき、一層輝きを増していく。
「【……主の名を申告する】」
そう言った後、彼女は目を開けて唯希を促した。
唯希は薄く瞼を開いた後、軽く息を吐く。そしてまた目を閉じて、名を告げた。
「【---我が名は、《織元唯希》】」
「【---主の名を確認。認証。服従生物の名を申告する。我が名は…………】」
次に服従生物。
しかし、希美は直ぐに名を告げず、何処か難渋する様子を見せる。
いつまで経っても名乗らない希美に唯希が首を傾げた数秒後、何かを決心したのか、希美は唯希と同じく息を吐いた後、名乗る。
「【---我が名は、《エヴェリーナ》。服従生物の名を確認……認証。これより、主との調和を始める---10%--40%---】」
魔法陣が、さらに輝きを増す。最早灯を必要としない程の輝きを放つ魔法陣は、彼らを体ごと飲み込む。
「【---100%】」
彼女が目を開いた、次の瞬間。
バンッ!と、硝子が罅割れる音が鳴った刹那、魔法陣は粒子となって消え去った。
輝きも無くなり、元の薄暗い空間へと戻ってきた唯希と希美。唯希は突然の大きな音に咄嗟に目を開けて、辺りを見渡している。
「【今ここに、契約は結ばれた】………………契約完了、ね」
そして仕上げと言わんばかりに、希美は微笑む。
どうやらあれは、契約を終えた演出のようなものだったらしい。すっかり元の味気ない部屋の光景を見渡し終えた唯希は、「ああ、自分はこいつと本当に契約したんだな」と、改めて実感した。
数週間で退院することが出来、無事延期になっていた卒業式にも出席することが出来た、その日。
卒業式を終えて帰ってきた唯希と希美は、早速本契約へと取り掛かった。薄汚れた自室に魔法陣を描き、希美から本契約のやり方を教えて貰い、それを実行する
本契約のやり方は至ってシンプル。その服従生物に対する魔法陣を描き、お互いが同意の上で詠唱を紡ぐ。主の名を、服従生物の名を魔法陣に刻むことによって、契約は交わされるのだ。
たったこれだけのこと。難点なのは、「絶対にお互いの意思で結ぶこと」と「魔方陣を描くのに少々時間がかかる」事だけである。力が弱い服従生物は範囲が小さいが、希美のような神クラスと契約するとなれば、唯希の部屋を占めるほどの魔法陣を描く必要があるのだ。
だからあの時、希美は本契約ではなく仮契約に移行したのである。勿論、唯希の意見も尊重したということもあるが、その理由も大分占めている。
「……こっちも意外にあっさりしたな」
本契約を終えた唯希は、率直に感想を述べた。
本当に呆気なかった。ただ魔法陣が光だしただけで、特に何も起きない。体に異変も無いし、副作用があるわけでもない。
これで本当に契約が完了したのか、と希美に疑いの目を向ける。希美はそれに対し、心外そうにその目に答えた。
「契約は魔力を必要としないって仮契約の時も言ったわよね?。だからあまり体に変化はないの。脱力する事も立ちくらみがあるわけでもないし。だから契約事態はあっさりしているのよ。言うなれば、仮契約をさらに派手にしたみたいな感じ」
「……確か、契約に必要な代償は『魂』、だったか……」
服従生物と本契約するに当たって、調教師が捧げるものは魔力ではなく、『魂』が普通だという。しかし、魂を代償に捧げたにしてはあまり変化が無さすぎるのではないか?と唯希はさらに疑問を深めた。
しかしその疑問は、次の希美の答えによって解消される。
「大半の服従生物がそうね。でもね、今だから言うけど、別に代償は『魂』だけに限った話じゃないの。実は何でもいいのよ、賭けるものは」
「は?そうなのか?」
「昔の調教師達が、魔力を使わずに、かつ契約に見合うもので相応しいものとして選ばれたのが、『魂』だそうよ。一生の契りを交わすのだから相応しいっちゃ相応しいけど、私は別にそんな堅苦しい風習なんかに従う気は無いわ。だから、代償を変えさせてもらったの」
「……じゃあ、お前、俺から何を奪ったんだ?」
「……教えなーい」
「おい」
「まぁ、直ぐに分かるわよ」
愉快そうにはぐらかす希美を見て、これ以上聞いても絶対に教えてくれないと悟った唯希は、次に契約時に気になった事を口にする。
「そういえば、お前『エヴェリーナ』って名前なのか?」
「ええ……と言いたいところだけど、実は違うの。それ、今さっき適当に付けたのよね」
「は?」
「だって、神に名前なんて、存在しないんだもの」
そう言い切った希美の表情は、何処か遠く、憂いているようだった。
踏み入ってはいけない話題だろうか、そう解釈した唯希は特に追求する事もなく、「ふぅん」と興味なさげに返す。
「じゃあ、これからお前の事は『エヴェリーナ』って呼んだ方がいいのか?」
「どちらでも構わないわよ。その場しのぎで付けた名前だし、いつものように希美って呼んでも……織元、貴方そんなに私の事呼んでないわよね?」
「じゃあこれからエヴェリーナって呼ぶわ」
ふと気づいた事実に目を細めて不服そうに問う希美ーーー基、エヴェリーナを華麗に無視して、唯希は部屋の隅に置いてあった白色のキャリーケースを手に取った。既に中身は入っているらしく、ゴロゴロと重みを感じるような音を出す。
「あら、もう行くの?」
「ああ」
少しだけ目を見開いて聞いたエヴェリーナに、唯希は肯定した。机の上に置いてあった肩掛け鞄のチャックを開け、財布などの中身を確認する。全てあったのでチャックを閉じた唯希は再度キャリーケースを手に取り、ゴロゴロと音を鳴らしながら部屋を出た。エヴェリーナも軽く魔法陣を消してから、彼の後を追いかける。
彼の部屋は二階の角部屋だ。その隣の部屋が妹、向かいが遠い昔、魔導士になる為に家を出た兄の部屋である。彼らの部屋のドアを一通り見回してから、唯希は階段に続く廊下を歩き始めた。
階段に着くな否や「ケース、持つわよ」と手を差し出してきたエヴェリーナの厚意を唯希は丁重に断り、自身の手でキャリーケースを持ち上げて階段を下りる。慎重に、一歩ずつ。やっとの事で下に着いた頃には、唯希の息は上がっていた。
「だから持つって言ったのに」
「うるせぇ……」
強がりなんてするから。うるせぇ、と言葉の応酬をしながら、唯希は玄関に向かう為に足を動かした。
「---」
---動かしたかった。
ピタリ、と唯希の足は止まる。そしてそのまま、視線は家族団欒の為のリビングへと注がれた。
訝しむエヴェリーナを他所に、唯希はキャリーケースを置いてリビングへと近づく。
長年自ら開けることがなかった、リビングの扉。目に入ることすら嫌悪を感じる扉に、唯希は自ら近づき、耳を澄ませた。
「---ぁ」
リビングからは、誰かの啜り泣く声が聞こえた。
声の高さからして、女性だろう。頻りに嗚咽を鳴らし、堪えるように泣いている声が、唯希の耳に届く。
(---ああ、この声は)
久方振りに聞いた。もう何十年も前に思えてくる。
懐かしさと後悔の感情をグルグルと掻き混ぜながら、唯希は背中を押されるようにドアノブを回し、リビングへと身を投じた。
「---ぁ、あ」
リビング中央に設置されている、ダイニングテーブル。四つの椅子の内の一つ、唯希に背を向けるような形で置かれている椅子に、一人の女性が座っていた。
煌びやかに艶のある黒髪、服の合間から覗く鎖骨は何処か妙齢の色気を感じる。……しかし、彼女の後ろ姿は悲しみに満ち溢れ、色気は薄れ、まるでグズって泣き出したかのような子供のようだった。
「---ぅ、あ」
彼女は、唯希の、母だ。
今世の、母にあたる人物だ。
そして---唯希に魔法の存在を初めて教えてくれた人でもあった。
母の姿を目にした瞬間、唯希の感情が激昴しかける。怒りと憎悪、困惑が一遍に唯希に襲い掛かり、彼は思わず吐きそうになるも、寸のところで押し留めた。
今までの事を思い出してしまったのだ。唯希を人とも思わぬ悪行の数々の事を。最早、トラウマと言ってもいい。それら全てが蘇り、唯希の体がガタガタと、地震のように震え上がる。
「---」
ドアの開閉音に気づいた母が、ゆっくりと振り返った。ボサボサになった髪の合間から覗く、どす黒い瞳が、唯希を映す。
彼女が振り返った時、唯希は「っぁ」と一粒の言葉を落とした---瞬間だった。
「---ああああああ!!化け物、化け物おおおおおおおッッ!!」
突如、母は絶叫を上げて暴れ出した。痩けた頬をこれでもかと掻き、口が裂けそうな程に開けて、頻りに叫び続ける。唯希に向かって、ずっと。
突然の絶叫に唯希の体が固まる。母の狂暴な姿に顔が引き攣り、思わず彼は一歩後退りをした。
「来ないで、来ないで来ないで!私の前に姿を現さないで!!あぁ、醜い子!何とおぞましい!どうして貴方が、貴方が存在しているの!何で、なんでなんでなんで!」
「------」
「貴方なんて、貴方なんて----!!」
嫌だ聞きたくない。
耳を塞がなきゃ耳を。
でも手が言う事を聞かない体が動かない。
やめて言わないでもう何回も聞いた。
もう聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
埋め尽くされる懇願の数々。しかしそれらは体に反映せず、ただ唯希の頭の中をグルグルと旋回するだけ。
やがて、発狂する母は、嘴る。
「貴方なんて、産まなきゃ---!!」
刹那。
「……ッ!」
ハッと、母は息を呑んだ。
動きを止めて、肩で息をしながら、彼女は力を無くしたかのように頭を掻いていた手を下げる。そして時間をかけて、ゆっくりと手を口元へとやった。
「……?」
「魔法をかけたわ」
突然の母の奇行。
本来なら、その後に唯希の存在を否定する言葉が吐き捨てられる筈なのに、今回はそれがない。その事に不審に思った唯希に、いつの間にか隣に立っていたエヴェリーナが答えた。
「精神を安定させる魔法をかけたの。これで暫くは、彼女も大人しくなるわ」
いつの間に、そんな事を。詠唱も聞こえなかったのに。
否、唯希が聞こうとしなかったからだ。唯希の意識は全て母に行っていた。だから周りが疎かになり、エヴェリーナの魔法発動の瞬間も逃したのであろう。
母に魔法をかけたエヴェリーナに「……ありがとう」と小さく礼を言った唯希は、母に向き直る。
母は依然として、信じられないと言いたげな表情を浮かべながら、地面を見詰めていた。
「…………」
「今なら会話する事も、出来るんじゃない?」
エヴェリーナの言葉に、ああ、そうだなと同意する。
確かに今なら、自分の言葉は母に届きそうな気がする。そう思った。いつもの様に狂った母ではなく、落ち着いた母と対話する事が出来るのではないのかと、そう思った。
---本当なら、唯希は彼女と会話するつもりはなかった。
だけど、今、彼女と話せるのなら。
そして唯希は、目的を遂行する為に口を開く。
「---母さん」
久しぶりに口にした、彼女の敬称。
その敬称で呼ばれた母は、ピクリと肩を震わせる。しかしそれだけで、彼女は顔を上げず、視線はそのまま地面のままだ。
それでも、唯希は構わなかった。
「…………この家を出ていく前に、貴方に聞きたい事がある」
「……」
「……………………」
ああ、声は震えていないだろうか。体の震えは止まっても、やはり無意識に恐怖してしまうのか。一度染み付いた感情は拭えないのか。と唯希はゴクリと生唾を飲み、出来る限り緊張を解そうとする。
しかしその状態だとしても、これだけは聞いておきたい。家を出る前に、『真実』を知りたい。その一心で、唯希は彼女に問うた。
「---どうして俺を、家族として認めなかったんだ……?」
「……」
「何で、オレだけ扱いが違ったんだ」
「……」
彼の必死の問いかけに、母は何も反応しない。彼の顔すら、見る為に顔を上げない。それがさらに唯希の不安を駆り立てた。
今までの虐待の数々。常人なら死に至る程の暴力を受け続けた彼が、この生活で唯一疑問に思う事。
---どうして親は、自分を虐げるのか。
---どうして、兄と妹は普通の生活を送れて、俺は違うのか。
それだけ、せめてその理由を聞きたい。家を出る前に、最後に、せめて。
彼女の『理由』を、『真実を』。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………化け物、だったの」
それは数十分過ぎたか、体感ではそう感じるも、実際には一分も満たない。
静かに、沈黙して待っていた唯希の耳に飛び込んできたのは、母の消え入りそうな声であった。
「…………貴方の、顔が……化け物、だったのよ……。ドロドロに、溶けた、人とは思えない、化け物の顔、だったの、よ……」
「………………ぇ……?」
息が詰まる。彼女が語る『理由』に、思考が白濁する。
何を言っているんだ、彼女は。
何を言い出すのだ、彼女は。
「目玉が取れて、肌が爛れて、骨が、みえ、て、声が、ぐちゃぐちゃで、化け物で、あ、あ」
母が嘘を言っているようには見えない。本当に、これまで見たものを正直に話している様子だ。
嘘は見られない。彼女が言う『理由』は、全て事実。
しかしその理由が---唯希を、困惑と恐怖に陥れる。
「小さい頃は、別にそんなこと無かったの、まだ顔が、見れたの……でも、でも、それから、数年して、化け物の顔に、なって……!!」
「………………だから、俺を虐待したのか」
困惑からポロリと出た言葉は、簡単には止まらない。
「だからあんたは、俺を叩いたのか。餓死させかけたのか、痛みを与えたのか!?俺が、ッ俺の存在が化け物だったからっていう理由で!?」
「そうよッッ!!貴方が、貴方が化け物だったからッッ!!人じゃない顔を、していたからッッ!!」
激情に駆られた唯希に、母は負けじと返す。
しかしそれでも、瞳に宿るは恐怖。怒りに身を任せたわけではなく、恐怖を遠ざける為の叫喚であったらしい。
彼女は透明な水滴を流しながら、唯希に叫ぶ。
「化け物を倒せば、帰ってくると思ったからッッ!!私の大切な、大切な息子が帰ってくると思って、ずっと、ずっと……!!」
「---」
「でも、帰ってこないの、あの子の顔を、見れないのよぉ……!!」
慟哭し、泣き崩れる母を、唯希は瞠目しながら見つめる。
母はあの行為を『善』だと思っていた。化け物を倒せば、愛する我が家族が帰ってくると、信じて疑わなかった。
だから唯希を、化け物の顔をした唯希を、今まで貶めてきたのだ。それが彼らに出来る、息子を救う手段だったから。
(もっと他にも方法はあっただろうが)
しかし、それで寛容になる唯希ではない。
化け物の顔に見えるとなれば、そういった幻覚がかけられている可能性がある。そういう類に強い魔導士に調べさせたり、治療させたりする事も出来るはずなのだ。
……それらをしても尚見えるから、あの愚行に走ったのか定かではない。
しかしそれでも、一人の息子を助ける為だとしても---度が過ぎている。
(それで何度、俺の心を壊してきた)
人を信用出来なくなって。
内側に溜め込み過ぎて暴発して。
挙句の果てには自決の道。
エヴェリーナがいなかったら、今頃唯希は転生の間へと昇っていたであろう。
それくらいに唯希は追い詰められ、壊れてきた。
「……それで、俺が、はいそうですかって許すと思っているのか……?」
腸が煮えくり返る。溜め込んだ感情が、一気に吐き出される。
唯希は母に近づき、胸ぐらを掴む。そして勢い任せに、母の体を机に押さえつけた。
「ッ!」
「お前らがッッ!!お前らが俺にしてきた事は、善だっていうのかッッ!?俺の気持ちを無視してやることなのかよそんなことッ!?!?」
「---ッ」
「今までお前達がしてきた事で、俺がどれだけ傷つけられたか知ってんのかッ!?崩れていく気持ちが分かってんのか!?人が信用出来なくなってッ、家族が大嫌いになってッ!お前らのせいで、学校にも居場所がねぇッ!!お前らのせいで、魔導士になる事も否定されたッッ!!お前らのせいで、お前らのせいで----ッッ!!」
やがて、唯希の語尾は萎んでいく。お前らのせいで、と壊れたように何度も呟くと同時に、母の胸ぐらを掴んでいた手が、ゆっくりと離れていく。
掴まれた手が離れた途端、母は机の上で咳を零した。喉を手で押さえ、呼吸を求めるべく息を大きく吸う。
「……………………………………………………………………………………り、だ」
その時、溶けてなくなりそうな声が聞こえた。
母が静かにそれを聞くために耳を澄ますと、崩れ落ちた唯希の声がハッキリと聞こえてきた。
「…………………………もう、無理だ。耐えられ、ない。お前らと、いっしょにいると……俺が、こわれる……」
「……………………」
「……………………………………もう、これっきりだ。もう、お前らに会うことなんて、ない」
---今日から唯希は、トウキョウのある高校の寮へ移る。だから唯希はキャリーケースを持って、普段登下校以外滅多に行かない外へと行こうとしたのだ。
寮へと入れば、もう母達と顔を合わすことも、声を聞くこともないであろう。
だから、これっきり。唯希が壊れない為の最終手段が、今放たれる。
「お金を出してくれたことは感謝する。だけど、それだけだ。それ以外感謝を述べる事は無い---だから、最後にこれだけは言わせてもらう」
立ち上がり、今も机に仰向けになっている母を睥睨して、彼は言い放つ。
「---精々苦しんで死ね、クソ野郎」
それだけで充分だった。
彼がそう言った刹那、母はダムが決壊したかのようにボロボロと嗚咽を鳴らしながら大粒の涙を流す。
それに何の罪悪感の湧かない唯希は、彼女に背を向く。もう顔を見ないように、もう二度と会わないように。これ以上顔を合わせてしまえば---魔が差しそうだ。
だからその前に、彼はここを去る。人間としての矜恃を失う前に、早急にこの家を出る必要があるのだ。
一歩、また一歩と扉へ向かう。扉の傍で待っているエヴェリーナの横まで行き、ドアノブを捻ようとした。
「……………………………………………………………………………………私達の、部屋に行って」
直後の事だった。
リビングを出ていこうとした唯希に、母が突然か細い声で促す。
「……?」
「部屋の、ベッドの傍の引き出しに……お金が、あるの。貴方の為の……」
理解が出来ていない唯希に構わず、母はさらに続ける。
「……そのお金を、持っていって。貴方の為の、お金なの……あの人と、協力して貯めた、せめてもの、償い……」
「…………………………」
「……………………………………………………………………………………あっちでも、元気で、ね」
「…………ッ!」
歯を食いしばった唯希は、激情のままに扉を開ける。そのままドスドスと、足音を立てて去っていった。
母はそれきり、何も言わない。引き留めるような事も、罵声を浴びせる事もない。唯希のただ身を按じる言葉を投げ掛け、後は体を投げ出しているだけ。
「…………」
それを一瞥したエヴェリーナは、特に彼女に声をかけることも無く、唯希の後を追った。
トットッと着物を少々引き摺らせたエヴェリーナがやって来たのは、母と父の寝室であった。
エヴェリーナが来た時には既にドアは開いており、中からはゴソリ、と無遠慮に物音が聞こえてくる。
「……」
部屋を覗き込むと、ベッドに隣接している棚から何かを取り出した唯希の姿があった。
彼は今しがた取り出した茶色い分厚い包み紙に視線を移したまま、動かない。エヴェリーナが部屋に踏み入れても、そちらを振り返りもしなかった。
「………………それ」
エヴェリーナは察したように、包み紙を指す。
それは、一万円札が何枚にも重なった札束であった。目安としては測れないが、恐らく学生にとっては多額の資金だということが窺える。
この包み紙が、先程母が言ったもの。唯希の為に用意した、お金。
「………………罪滅ぼしの、つもりかよ……」
--ー今までの事の謝罪を含んだ慰謝料なのか、それとも帰ってきた息子の為に溜め込んだものなのか。
だとしても、罪滅ぼしには変わりなかった。
唯希はぞんざいにそれを肩掛け鞄の
中に入れ、エヴェリーナに押し退けて外に出る。そして彼は、ゴロゴロとキャリーケースを転がしながら玄関に向かい始める。
「……………………」
エヴェリーナはもう一度、リビングの方に目を向けたが、やがて興味を失ったかのように目を逸らし、外に出た唯希の後を追うのであった。
リビングからは、また啜り泣く声が、微かに漏れていた。
魔導士は警察みたいな役割だと思ってください。
次回、一章最終回。




