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逆境ストラグル  作者: 沢渡 夜深
ストラグルの鐘
11/17

織元唯希:契約しなければ








 『おとーさん!おかーさん!わたしね、すごいまどーしになる!』


 そう自信満々に告げた彼女に微笑みかけたのは、誰であろうか。


 『それでね!まどーしになってね、おとーさんとおかーさんをたすけるの!』


 その幼き夢を笑ったのは、誰であろうか。


 『だって、それがあたりまえなんでしょ?それが、わたしのしょーらいなんでしょ?』


 確信すらしているそれを、夢と言えるのか。

 否、言えるわけがない。


 『なら、いいよ!きまってるなら、それで!』


 ーーーだって、それが当たり前。


 いつしかその言葉が、彼女の夢を縛る鎖と化していた。





 (……あれ……?)


 ふっ、と彼女は我に返る。自分は今しがた何を見ていたのだろう。慌てて周りを見渡すも、辺りはゴウゴウと炎が燃え盛っていた。

 外壁をも崩す莫大な炎。傍に仕える炎獣の姿も確認した彼女はーーー困惑した。


 (ここ、どこ(・・・・・)ーーーー?)


 彼女は、今自分が何処にいるのかわからなかった。何故自分がこの炎獣を出している理由すらもわからなかった。


 「なに、これ……?」


 彼女は、惨劇たる場所を見渡し、顔を青ざめた。凄まじい熱気と一酸化炭素が入らないはずなのに、鼻と喉からは嫌な味と臭いが残っている。

 ……入らない?ハッとして、彼女は自分の体を見下ろした。

 どうやら自分の体には、「庇護(プロテクト)」の魔法がかかっているらしい。それも何重にも。魔法陣を設定さえすれば、最悪いかなる攻撃にも耐えうることが出来る絶対防御魔法ーーーそれが、「庇護(プロテクト)」だ。それが何重にも張ってあるとなると、暫くはどんな魔法も効かないであろう。

 いや、重要なのはそこではない。問題はーーー。


 (ーーこれを、全部、私が……?)


 この庇護(プロテクト)を、全て彼女自身が行ったという事実だ。

 この魔法陣には見覚えがある。高校時代、さらなる高みを目指して色々と組んだ、彼女の魔法陣の案の一つである。それに、こんなにも魔法陣をかけられるのは自分しかいないであろう、と彼女は推測した。

 ーーーなら、何のために?と彼女は改めて考える。

 彼女は、ある学園の結界を破壊した()から、記憶が殆どなかった。思い出そうとすると霧がかかって、よく思い出せない。それどころか吐き気と目眩がして、気を抜けば意識が落ちそうになる。

 だから彼女はーーー何も、覚えていないのだ。どうして庇護がかけられているのか。どうして自分の最強の魔法が発動しているのか。


 ーーーどうして、目の前の少年が血だらけで倒れているのか。



 「…………ぅ、ぇ、?」


 その少年を目にした時、彼女の頭は一瞬で白色をぶちまけられ、上書きされたように真っ白になった。

 どうしてこの少年はこんなにも怪我をしているのか。どうしてこの少年は自分の足元で倒れているのか。色々と考える事はあった。あったのだがーーーそれは、彼女が自身の足を見たことによって、確信に近づく。


 「ーーーひっ!?」


 彼女の足には、真っ赤な薔薇が潰されたかのように赤く彩られていた。べったりと粘着質のある赤色から鉄の臭いが漂い、焦げる臭いと混ざっていく。

 何だ、この赤は。何だ、この臭いは。グルグルと混ざりあっていく感覚に、彼女はぐっと酔っていく。足の感覚があるのかも分からない。そもそも、自分は地に足をつけているのか?それすらも分からない。


 「ーーーい、いや!」


 少年から逃げようとするも、足が竦んで動けず、尻餅をつく。べちゃ、と不快な臭いをさせる赤色が彼女の体に染み付き、さらに彼女を酔わせた。


 「た、すけーーー」


 この異常に耐えきれなくなり助けを呼ぼうとして、ハッとする。

 今、ここで自分が助けを呼んだらーーー真っ先に疑われるのは、誰だ?

 炎に覆われる部屋。その炎を出した炎獣の主人は、自分。そして自分の側で倒れている傷だらけの少年。それに対して、自分は無傷。しかも加護を何重に付けている。

 考えなくても、一目瞭然であった。

 真っ先に疑われるのは、殺人の容疑として敵視されるのはーーー自分だ。


 「ぅ、ぇ、あ」


 その事実に気づいた瞬間、彼女は「助けを呼ぶ」という行為を躊躇した。

 理由は、分かっているーーー捕まりたくないからだ。

 そもそもの話、彼女はここまでの記憶が無い。何処かの学校の結界を安易に壊した後から全くと言っていいほど記憶が無いのだ。そんな彼女が今、表舞台に降り立ったらーーー数々の魔導士に攻撃され、彼女は拘束される可能性が高い。

 そうなればーーー過去の栄光も、全部丸潰れである。高校で華やかしい成績を残したあの記憶さえも、これで穢され、失墜する。


 「ーーーい、やだ」


 彼女は我儘であった。自分の不利益になることは一切手を出さない女であった。

 だから彼女は、傷だらけで瀕死の少年を見捨てて、自分の栄光を守るために、自分を選択した。

 善意を捨てるつもりか?馬鹿を言え。いつだって可愛くて大切なのはーーー。


 (自分、なんだから)



 この時、彼女が自分のプライドを捨てて投降すれば、未来は変わったのかもしれない。

 少なくとも、最悪な未来は回避出来たに違いない。

 だがーーー彼女が自分を可愛く見るあまり、他者を見捨てるのであれば。



 彼女には一生、幸福な未来は訪れないだろう。





 だから彼女は、その光景に戦慄した。

 体に付着する赤さえも忘れてしまう程に、彼女はその光景を、そして今の現状に驚倒を隠せなかった。


 「ーーーーどう、して」


 彼女は、これまでの全ての思いを、たった一つの言葉に加えて叫ぶ。


 「ーーーーどうして、私が悪なのよッッ!!!!」


 彼女が泣き叫ぶ先には、美しい九尾の女を従える、少年の姿があった。





****





 時は少し遡る。


 「オーケー。契約しましょう」


 「え?」


 「え?」


 至極あっさりとした了承に、唯希は呆けた声を零した。それにまた「何を言っているのか?」と言いたげに希美が聞き返す。


 (ーーーあれ、俺今、結構重大なこと頼んでるんだよな?)


 少しだけ自分の言葉に不安を感じた唯希だった。しかしこの言葉がどれだけ勇気ある言葉なのは、唯希自身が痛感している。

 事を話せば、彼は希美ーー神に契約を申し出たところであった。その申し出に彼女はあっさりと答え、その軽さに呆気した唯希が冒頭の姿である。

 何とも言えない、という顔で希美を見つめると、彼女は浅く溜息を吐いて仕方なくという風に話し始める。


 「厳重で高度な結界を、私の力を持ってしてでも破れない。そうなると、この結界を消して安全に事を進める方法は限られる。そしてその方法は唯ひとつーーー元凶を潰して、確実に脱出すること」


 「………………」


 「それを遂行するためには、私と契約して、私の本来の力を解放しなければならない……ということでしょう?」


 全く持ってその通りであった。

 この結界は、元凶となった魔導士が意図的に、又は気絶させることによって解除することが出来る。ーーーしかしそうなると、あの魔導士と戦闘をせざるを得ない。そして、その魔導士に筆頭する力を持っているのはーーー本来の力を持っている希美しかいないのだ。

 だから唯希はこうして契約を申し込んでいる。そうでないと、希美が本来の力を使えないから。


 「……別に断ったっていいんだぜ?」


 何故かこんな言葉を投げかけてしまう。こんなにもあっさり事が行くことが信じられないからだろうか。

 しかし希美は「は?」と目を細め、その後呆れたように返した。


 「何言ってるのよ。元々私は貴方と契約したかったのよ?そう考えればこんなチャンス、逃すわけないじゃない」


 「…………あー、そうだったな」


 元々彼女は唯希と契約したがっていたことを思い出し、唯希は両手を上げて降参を示す。

 何を言っても、彼女はこのまま契約する気満々だ。致し方ない。それに、唯希もそれを望んでいたのだから一石二鳥である。

 お互いの意思を確認した唯希は、真剣な顔付きになって希美に言った。


 「時間がねぇ。さっさと契約するぞ」


 「オーケー……と言っても、本契約じゃあ少々時間がかかるから、別の方法で行くわ」


 「……別の方法?」


 そんなの、あっただろうか。訝しげに希美を見ると、希美はニッコリとほくそ笑んで、こう言った。



 「ーーー『仮契約』よ。これならお手軽に契約出来るわ」


 『仮契約』

 全ての身を捧げる本契約とは違い、仮契約はほんのちょっとした意図で繋げれる簡易な契約である。そのせいで契約生物(サブヴェール)は本来の半分の力しか出せないというデメリットを抱えているが、契約を交わらせればどうとでもいいという物好きも存在するらしい。

 唯希はキョトンとした顔で希美を見て、言った。


 「あれだけ契約したがっていたお前が、仮契約で充分なのは意外だな」


 「あら、私が無理矢理な女に見える?」


 勘違いしないでちょうだい、と希美は不服そうに唯希に返した。


 「前にも言ったと思うけど、私は契約を強引にするようなことは嫌なの。それも、私が心の底から契約したいという人なら尚更ね。こんな時くらい、人の意見は尊重するわ。ーーー貴方もこんな形で永遠の契りなんて交わしたくないでしょう?」


 ーーー確かに、その通りである。

 いくら最善策がこれしかないからだと言って、ここで一生を共にする契りを交わすのはさすがに躊躇する。もし彼女が底知れぬクズ野郎だったとして、本契約を交わしてしまったら死ぬまでそのクズ野郎と共にしなければならない事態に発展してしまう。


 (ならここは、こいつの提案に素直に甘えとくか)


 神直々がこう提案してきているのだ。それに肯定した方が、自分の不利益も少なくなる。

 神の問いに深く頷いた唯希は、ふと気になる事を希美に尋ねた。


 「だが、もし仮契約を交わしたとしても……お前の力は半分しか出せないだろう?それで大丈夫なのか?」


 「あらーーー見くびられたものね」


 唯希の疑問に、希美()は口元を吊り上げ、不敵に笑いながらこう自信ありげに答える。


 「たかが人間如きが、神に適うとでも思っているの?ーーーあんな人間、半分の力さえあれば充分よ」


 それは、神特有の「余裕」。

 並大抵の人間では理解出来ない、神だけに許された「自信」。神が持つ「威圧」であった。

 その重みに思わず唯希は体を身震いさせる。初めて唯希が神に屈した瞬間であり、神に恐れた瞬間であった。気を抜けば膝から崩れ落ちてしまう、体の力が殆ど無くなってしまう。ーーー神に、全てを吸い取られてしまう。

 ーーー今は人間だというのに、ここまでとは!

 ーーーそして自分は、こんな奴と契りを交わそうとしている!

 普通ならば、このような尊い存在にこんな哀れな頼みをした時点で『死』は確実だ。だが唯希にはそれがない。

 何故なら、「神は唯希に償いをしようとしている」からだ。自らの失態を拭うものに必要な存在を、神自ら消すのは、さらに罪を重ねていくだけの愚行である。

 だから唯希は、神に殺されない。

 だから唯希はーーー神を前にしても、余裕の笑みを浮かべることが出来る。

 唯希は口角を上げて、神に合わせるように言った。


 「頼もしいドジっ子女神様だーーー俺の幸せの為に、頑張って動けよ」


 「ーーー仰せのままに、我が主」


 先程の威厳が拡散されたかのように消え、希美は跪く。

 その姿は、主人とその使い魔。神が人間に膝をつくという現実を受け入れるものなど、存在しないであろう。

 不敵な笑みを浮かべた唯希が、悪巧みするように低く零した。


 ーーーーさぁ、仮契約を始めよう。




****




 仮契約の工程は至ってシンプル。

 互いの血を同意の上で飲み込めば、それで仮契約は成立となる。そう、たったこれだけだ。必要なのは自身と相手の血と、心意気だけ。

 欠けた小さく鋭利な瓦礫で、希美は腕を少しだけ傷つける。傷口から少しずつ垂れてくる血を掬いとり、それを唯希に差し出した。

 唯希も同じようなことをする。希美から渡された瓦礫でこちらも腕を傷つけ、血を掬い、希美に差し出す。


 「心の準備はいいかしら。ここで拒否られても、無駄なんだけど」


 念の為と、希美が確認する。

 だがそれは愚問だ。それは彼女も分かっている。こんな確認など、皆無であると。

 唯希は首を横に振り、全ての準備が整った事を目で伝える。それを受け取った希美は笑みを浮かべて、唯希の血を舐めとった。

 唯希も同じ動作をする。ツッ、と希美の血を舐め取れば、口内が鉄の臭いに充満され、思わず顔を顰めてしまう。だがそれは一瞬の出来事であり、唯希は直ぐに血を体の中へと送り込んだ。

 初めて血を飲み込んだ感想は最悪だ。鉄の味がして不快だし、喉の辺りがつっかえていて気持ちが悪い。胃の中に悪影響を及ぼすのではないのかと不安になる。

 しかし、これも幸福の為。そう自分に言い聞かせて、唯希は最後の一滴まで余さず飲み込んだ。


 「ーーーこれで契約は成立よ」


 特に何のアクションも起こらずに、仮契約が成立する。

 自分の体を見下ろしたり手を見つめる唯希に、希美は「契約は人間に害を無いから安心して」と安心させる言葉を投げかけた。


 「……体の中が爆発したり、とか」


 「ないわよ。貴方の魔力を使っている訳でもないんだし、当然じゃない。人間が魔法に脆弱になる瞬間は、『魔力を使用』した時。契約に魔力は必要ないから、体内から突然血が噴き出すとかそういうのはないわ」


 「ああ、そう……」


 最もな理論で納得した唯希はそれ以上言わなかった。ぐっと己に力を入れて、息をゆっくりと吐く。

 ーーー仮契約と言えど、この神と契約してしまったのか。

 今更後悔など感じてはいないが、やはり少し気の迷いがある。まだこの神を完全に信じきれていない状態で、どうやってこの現状を乗り越えればいいのだろうか。


 「言っておくけど、貴方は何もしなくていいわよ。全て私がやるわ」


 独りで難航していると、希美がさらりと言いのけた。

 え、と呆ける暇もなく、希美は歩き出す。それが決定事項であるかのように、唯希の意見を尊重しない堂々たる歩みに、唯希は逆に不安になった。


 「お、おい待てよ!お前だけでやるってどういうーーーー」


 希美の勝手な台詞を問い正そうとした、その時であった。

 グオオオオッ!!と、二階の方から獣の雄叫びが轟いた。まるで地震でも起きたかのような獣の咆哮は、十中八九、襲撃犯の炎獣であろう。心做しか力が強くなっているのは、気のせいだと思いたい。


 「二階の方ね。多分、あの人の所」


 あの人とは、君崎の事。

 どうやらあの襲撃犯は、君崎を見つけたらしい。恐らく襲撃犯は今頃、君崎をいたぶっているに違いない。

 唯希は君崎の最悪な姿を想像したが、即座に振り払う。この際、助かるのは自分だけでいいと考えていた。他者の事など、考える余裕もなかった。

 全ては自分が生き残る為。その為に、襲撃犯をーーー返り討ちにする。


 「場所が分かればこっちのもの。ーーー行くわよ」


 「……おう!!」



*****





 二階は先程いた時よりも酷くなっていた。白塗りの壁は派手に壊され、荒らされた校内が惨めに晒されている。もはや壁として機能していないものを通り過ぎ、砕け散った瓦礫を器用に避けながら、唯希と希美は先程の場所まで走っていた。


 「一応聞くけど、武器は所持しているの?スタンガンとか」


 走りながら希美は唯希に確認してくる。


 「んなもんッある訳ないだろ!バレたら一刻の終わりだぞ!」


 「そうよね」


 ふざけんな、と言いそうに唯希が怒鳴り返すも、希美は知ってたと言わんばかりに即座に返す。それに少々癪に触ったが、今ここで啀み合っても仕方がない。

 炎獣の雄叫びが徐々に近づいてくる。それはつまり、これから始まる戦いが近づいているのを示していた。

 緊張で手が汗ばんでいく。外側からも、内側からも焼かれるように体が暑くなっていく。足もふらついてきた。今自分はちゃんと走れているのだろうか。ちゃんと希美の後を追っているのか。そんな不安ばかりが、彼の心を占めていった。


 「ーーー一回止まって」


 もう戦いは眼前に迫っているというのに、希美は突然唯希を制する。しかし遅かったのか、唯希の足は止まらずに「ぶへっ」と、希美の背中にぶつかってしまった。


 「……ここから先に進めば、絶対あの女はいるわ。そして、絶対に彼女と"殺し合う"事になる」


 情けない声が出てしまったことに恥じるが、希美の真剣な声色で現実に引き戻される。

 そう、唯希達が行うのは唯の行事に行うような戦いではない。

 唯希達が今から行うのはーーー血反吐を吐きながら、両者共に傷付け合う「殺し合い」である。

 襲撃犯は彼らを見つければ、直ぐに攻撃を開始するであろう。そしてそれを、希美が返り討ちにするのであろう。炎に包まれながら両者は戦い、学校が潰れようとも己の為に刃を振るうに違いない。

 恐怖で体が震えたがーーー目を閉じれば、落ち着きが取り戻される。


 (そうだ、この戦いは無意味なんかじゃない。俺達が助かる為に行う事なんだ。いわば正当防衛だ)


 彼女を倒さなければ(殺さなければ)、自分達は死んでしまう。それだけは嫌だ。

 だから自分はこの神と契約したのではないか。だから自分は、どんなものを犠牲にしてでも助かってやると誓ったではないか。

 そうだーーー全て、己のためだ。


 「さて……今一度問うわよ」


 ーーー貴方に、戦う勇気がある?


 「ーーーあるに決まってんだろ!」


 その確信めいた問いかけに、唯希は強く頷く。


 「ふっ……じゃあ、行くわよ!」


 唯希の決意に笑みを浮かべた希美は、意識を教室の方へと移した。

 今でも教室の方では、炎獣の雄叫びが轟いている。ーーーもう君崎が助かっているとは、思えない。

 少々罪悪感が残るが、それも運命。そう割り切り、希美と唯希は勢いよく教室に転がり込んだ。


 「ーーーーーえ?」


 そして、瞠目した。


 まず戦場に飛び込む前に確認しておこう。

 唯希と希美は、教室では殺戮にも等しい惨状が広がっていると思っていた。君崎とは思えないグロテスクな死体や、焼け焦げた机や黒板、そして教室の真ん中で狂気に叫ぶ襲撃犯の女が暴れていると、そんな姿を想像していたのだ。

 だが現実は、全く違っていた。

 真っ先に目に入ったのは、業火の中、頭を掻き毟りながら泣き叫ぶ襲撃犯の姿であった。絶叫にも近い悲鳴と共鳴するように、炎獣がまた雄叫びを上げ、轟かせる。

 視界の隅にピクリとも動かない君崎の姿。こちらも想像とは違い、原型が留められていた。教室もそこまで崩壊しておらず、二人の予想とは遥かに上を行く光景であった。


 (何、あの女、情でも移ったの?)


 襲撃犯が傷だらけの君崎に同情して攻撃をしていないのかと思ったが、襲撃犯の姿を見てその可能性は薄くなる。

 それに、襲撃犯が何故あんな状態なのかも気になるのだ。何故あんなに泣き叫ぶのか、何故直ぐに君崎を殺さないのか。

 この、異様な空気は何だ。


 「……な、何かあいつ、様子がおかしくねぇか……?」


 唯希は恐る恐る希美に同意を貰う為に問いかける。

 分かっている。そんな事は見ていれば気づく。彼女の様子が、前会った時よりも違うということは。

 前ーーー数分前に会った彼女は、とても殺伐としていて、言うなれば戦車のような女であった。獲物に目をつけば死ぬまで捉え続ける、獰猛な猛獣。それが前の彼女であったはずだ。

 だが、今はどうだ。そんな荒々しさは全然感じられない。荒々しい、という表現は少々残ってはいるが、精々児戯にも等しい暴れ方であった。


 「……あー、厄介」


 演技かも分からぬ姿。今、あの女の背後を突いてもいいのか。あれが演技だとすれば、直ぐ様攻撃してくるのではないか。そんな考えが、彼女の警戒を高めた。

 その時であった。先程までずっと泣き叫んでいた襲撃犯が、突然泣くのを止めた。ーーーそして次の瞬間、ぐるり!と体を捻って、唯希達に振り向いた。


 「……あ、はぁ……!」


 涙によって充血した瞳が唯希達を捉える。みっともなく鼻水と涎を垂らし、譫言のように呟くその姿は、まるで屍のようであった。

 ゴポリ、と黒く濁った彼女の瞳。その瞳に捉えられているだけで、唯希の体が竦んでしまう。気を抜けばそのドス黒い感情の波にあっさりと飲まれてしまいそうだった。


 「気を持って、織元!ーーー来るわ!」


 気を引き締めた希美の声で我に返る唯希と、襲撃犯が従える炎獣が彼らに攻撃を仕掛けたのは、ほぼ同時であった。

 紅蓮の牙を纏わせて攻撃を仕掛けてきた炎獣を、希美は即興の魔法陣で受け止める。淡い緑色が二重に希美の体に纒わり付く。その緑色の魔法陣はーーー防御魔法の印。


 「織元、あの男を回収して!あの男がいると戦いの邪魔になるッ。この獣とあの女の相手は私がやる、その隙に早く!」


 希美に急かされて言われた言葉に、唯希は迷う暇もなく従った。

 そうだ、迷っている暇はない。今この場で太刀打ちできるのは希美だけ。その希美の言葉に従えば、生存する確率が一気に跳ね上がる。

 だから唯希は深く考えずに、今この場だけ、希美の言葉を信じた。


 「ッ!」


 炎獣の横を通り過ぎ、彼は一目散に君崎の元に駆け寄る。


 「ーーーーァッ!」


 それを阻止しようと襲撃犯が唯希に手を向けたが、突如彼女の手が爆発した。

 痛みに顔を歪め、一瞬動きが疎かになる。その隙をついて、織元は君崎の傍に駆け寄った。


 「……ッ」


 血溜まりに沈む君崎を見て一度は足を止めたものの、頭を振り切って無理矢理歩を進める。

 君崎の側に膝をつくと、唯希は彼を配慮もなく背中に背負った。血を吸いすぎて冷たく重くなっているシャツから、とてつもない鉄の臭いを感じて顔を顰めたが、そんな嫌悪を押し殺して唯希は立ち上がる。

 ーーー首元にか細い息がかかっている。ということは、まだ君崎の命は消えていない。

 そんな些細なこと、唯希には関係ないのだが、とりあえず死体を運ぶことは無いことに安堵した。


 「織元!早く出てって!」


 炎獣と襲撃犯の攻撃を受け流しながら、希美は急かす。

 唯希は改めて君崎を背負い直した後、足に力を込めて半ば転げるようにその部屋を出ていった。




 「………………ねぇ」


 唯希達が出ていったのを見届けた希美が襲撃犯に向き直ると、襲撃犯は顔を俯かせて希美に問いかけた。

 ここで初めて、彼女は言葉を発した。先程までは魂のない木偶の坊のような人間だったというのに。

 希美が警戒を解かずに「何かしら?」と話を進めようとする。すると襲撃犯は、ゆっくりと顔を上げてーーー希美にこう言った。



 「ーーー私って、死ぬのかしらね」



 その問いかけに、希美は間髪入れずに即答する。



 「ええ、死ぬわね」




 それが戦いの火蓋を切ったのか。



 彼女に従える炎獣が、怒りの雄叫びを上げて、凄まじい熱量を誇った爪を、希美に振り落とした。





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