織元唯希:何だかムカついた
風の噂で聞いた。どうやら、織元唯希は虐めにあっているらしい。だが、彼の相貌を考えれば彼が虐めにあうのも納得が行く。
だってそうであろう。あんな死人のような奴に、誰が普通に接する?教師だって距離を置いて接しているのだ。クラスメートはもう彼を腫れ物扱いにしている。
それが現実。そしてこれが日常。自分達にも、彼にとっても、この虐げられる時間は次第に日常と化していく。そうして誰も咎めることなく、何食わぬ顔で卒業するのだ。
それが未来、彼の結末。もう彼の未来は決定されているも同然だ。
だから俺は、何も関わらない。関わりたくもない。この三年間、自分はただの傍観者であり続けるーーーつもりだった。
(…………あ)
借りた本を返す為に図書室に赴くと、既に先客がいた。隅の机に、まるで銅像のように読んでいる織元唯希が。彼は物音に一切反応せずに、ただ本を黙読していた。……心做しか包帯の数が増えたような気がするが、気のせいだと思い込む。
付いていない、と君崎はこの時間に図書室に来たのを後悔する。このまま帰ろうかと思った。だが、今日返さないと返却期限日が無駄に伸びて後々面倒臭くなる。
(……本を返すだけだ)
そう、たったそれだけの事。別に彼と関わる訳でもないのだ。
委員に確認してもらい、本を元あった場所に返すために歩き出す。向かう先は、織元唯希の所だ。織元唯希の方の棚に、その目的の場所があった。だから君崎は必然的に彼の近くに行くしかない。
スッ、と織元唯希の背後を通り過ぎる。よし、第一関門突破、と一人で喜んだ。借りた本を元あった場所に戻し、出口に戻るためにまた織元唯希の元へ。
後はこいつの背後を通り過ぎればーーーと、織元唯希の背後を通り過ぎた。
ーーーその際に、チラリと織元唯希が読んでいる内容を見てしまった。
(…………………………は?)
その内容を見て、君崎は瞠目する。つい足を止めてしまう程に、君崎はその内容に酷く動揺していた。
惹き込まれるようにその内容を凝視する。目を見開き、乾くまで、記憶に刻みつけるように、君崎はその本を見続けーーー。
「ッ!」
気づけば、君崎は彼が読んでいた本を取り上げていた。
本を取り上げられた際に掠ったのか、織元唯希の指腹には細い傷跡が出来上がる。しかしそんな事はどうでもいい。
織元唯希の講義するような目を受けたが、君崎は完全に見下した目で、先程取り上げた本を見せびらかしながら問う。
「……お前さ、何魔法の論文なんて読んでるわけ?」
「………………」
織元唯希が読んでいたのは、著者「イグニス・ゲーボルス」が書き残した「魔法論文」であった。この本には魔法の事細かな記述や詠唱の効果や必要性、魔法の属性や魔法陣の概念など、魔法についての事が様々書いてあった。
この本を愛読するものは少なくない。世界で初めて「魔法」を発現させた人物、それが「イグニス・ゲーボルス」だ。その人が書いたものとなると、価値はウン十億とするであろう。
だがそんな事はどうでもいい。問題はーーー。
「……これ読んで、魔導士になれるっていう希望持った?」
「………………」
「何とか言えよ、ミイラ男」
君崎は、織元唯希がこの本を読んでいることが解せなかった。
何故?こんな社会不適合者が、この偉大なる本を読んでいる?おかしいであろう?こんな、魔導士になる未来も潰えていると言わんばかりのこいつが、どうして?と。そんな憎しみにも近い思いが混ざり合い、結果それは行動となって現れた。
現れてしまったのだ。ずっと、君崎の奥底に眠っていた憎悪が、織元唯希の何気ない行為で呼び起こされてしまった。
君崎はケッ、と吐き捨てるように言う。
「お前がこれを読んでも魔導士なんかなれねぇ。それは決定事項なんだよ。何故だか分かるか?」
「………………」
「お前がそんなんだからだよ、自殺嗜好野郎」
君崎は、織元唯希から奪った本を提げ、さらに続ける。
「周りがお前のことなんて言ってるか、分かっているだろう?屍人、自殺マニア、ゾンビ、気味が悪い、気色が悪いーーー全部、お前を蔑む言葉だ。そんな言葉を受けているお前が、魔導士になんてなれる訳がねぇ。あんな、高貴な役職にーーーー!」
ただただ許せなかった。『親にも逆らえなくて』『自分で何とかしようとしない』、そんな体たらくな人間が魔導士を目指す事に、君崎は激怒する。
魔導士は高貴な役職と君崎は豪語する。気品溢れる佇まい、絶対的な力、市民からの信頼も厚い、そんな人間が魔導士になるべきなのだ。
だから、君崎は突き放す言い方をした。もう彼がこんな希望を持たないように、今までの胸の内を多少ぶちまけながら、彼は織元唯希を魔導士の道から外れさせようとした。
これが悪い事だと君崎は思っていない。寧ろ、正しき道に導く聖者の如く良心的な行為だと思っている。
ほら、これで目指す気が失せたであろう。お前はお前らしく、亡霊のように彷徨って、適している将来に突き進むがいい、という意味を込めて、君崎は睨む。
「ーーーーで?」
だが、そんな君崎の善意をぶち込ますように、織元唯希は一言で返した。不機嫌を丸出しにして、只でさえ目つきが悪い姿を倍にして、君崎に睨み返してきたのだ。
これには君崎も目を見開く。まさか、反論してくるとは思わなかったのだ。普段の彼の生活を見ていたが、虐げている場面でも抵抗する素振りは見せなかった。寧ろーーー諦めて受けているかのようだった。だから今回も、諦めてすごすごこの図書室を去るのかと思ったのだ。
君崎は反論された驚きで反応が遅くなったが、そうとも知らず、織元唯希は自身の持論を述べた。
「勝手に人様が読んでいる本を奪ったかと思えば、お前の考えをぐちぐちぐちぐち押し付けてきやがって。そんな考え、赤の他人がそれを理解できるわけねぇだろ?」
ああ、確かにそうだ。理解できるわけがない。自分の考えと他社の考えが一致するわけがない。
「つーか、自分の評価なんてもう知ってるし。もう慣れたし。……何で知らねぇ奴に魔導士目指すの止めろって言われなきゃいけねぇんだよ」
それはお前の未来の為だ。お前の為に言っているのだ。どうして分からない。
「勝手に人様の夢を潰しちゃってさぁ……あんたの方こそ、魔導士になれないんじゃーーーーー」
その言葉を聞いた時、君崎の頭は真っ白になった。
気づけば、君崎は奪った本を織元唯希に叩きつけていた。只でさえ傷だらけの織元唯希の頭の包帯から、血が滲んだ。傷が開いたのは、明白であった。
ギッ、と睨みつけてくる織元唯希の顔を、君崎は掴む。そして息が吹きかかるほどに顔を近づけ、地底のような声を彼に浴びせた。
「黙れよ。社会の塵が、希望ある俺に外道な言葉を浴びせるな」
「ーーーそういうお前の方こそ、魔導士になる資格なんて無いんじゃねぇの?」
その言葉を境に、彼は、君崎は織元唯希を完全に敵と見なした。
その日からであった。彼がいじめっ子どもと共に挙って織元唯希を虐めだしたのはーーーーーーー。
沈みかけていた意識を無理矢理浮上させれば、燻った焦げ臭い臭いが鼻を擽った。不快に唸り声を出せば、すぐに喉が痛みを訴えてくる。
痛みを耐えて、ゆっくりと目を完全に開く。まず君崎の目に飛び込んできたのは、辺り一面に広がる火の海であった。波は君崎にまで近づいており、あと数分もすれば君崎すらも飲み込むであろう。
どうやら、自分は気を失っていたらしい。それは数秒の事だ。その数秒の間に、色々なことを思い出してしまった。
彼との初めての出会いと拒絶。それをズルズルと引き摺って、今自分はこうして存在している。
「……ッ!」
指先に力を込めてみるが、それは否定されたかのようにピクリとも動かない。体も、四肢を押さえつけられているかのように全く動かない。
チリチリと炎に焼かれながら、君崎はハッと息を吐いた。酸素が失われつつあるのか、呼吸がしづらくなってきたのだ。服も焼け、肌も焼かれ、床はフライパンを熱したかのように徐々に熱くなる。
(ーーー襲撃犯が来なくても、死にそう)
このまま放っておいても、彼はいつか死ぬであろう。この業火に焼かれて、襲撃事件の被害者として取り上げられるに違いない。
何とも呆気ない人生だったか。自分の中学の生活なんて、ただある特定の人物を虐めていただけではないか。
何とも惨め。魔導士を目指すにしてあるまじき行為。過去の自分に言ってやりたい、「暴力だけでは魔導士にはなれない」と。
浅く自身を嘲笑した彼は、再度ゆっくりと目を閉じた。
もう開くことは無い。このまま自分は微かな痛みに苦しみながら死んでいくのだから。
悔いのない、と言ったら嘘になる。だが、自分はもうこの運命には逆らえない。
(ああ、さようなら)
長ったらしかった、自分の卑屈な人生。
轟音が耳を突き抜けた。ガシャリ、と破壊して薙ぎ倒すような音が響き渡った。
それと同時に、炎の勢いも強まる。近くに置いてあった机が嫌な音をしながら、自分の側に倒れていく。
「ーーーーーーッ!!」
腹を強く蹴られた。身体強化でも付けているのか、彼の体は壁際まで吹っ飛んだ。
嫌な音を立てながら倒れていく自分の体。腹からせり上がるような気持ち悪さが襲ってくる。それを吐く前に、また蹴られる。今度は吹っ飛びはしなかったが、腹の中に溜まっていた吐瀉物を吐き出した。
荒い息が聞こえてくる。それは自分のなのか、彼女なのか、分からない。
ただ、音だけで分かることは。
「ーーーーあぁ、あああああぁああ!!ああああぁああああああああああああああぁああッッッ!!」
件の彼女は、何かに苦しんでいるという事だけだ。
*****
「ーーーくっそ!!」
苦し紛れに放たれた拳は、無慈悲にも硝子を突き破らず、依然としてそこに存在する。
ただ自分だけに痛みが帰ってきた分、彼は現実を思い知らされることとなった。
「やっぱりあいつ、この学校中に結界を張ってやがるーーーー!!」
唯希は、悔しげにそう吐き捨てた。
この学校中は今、襲撃犯の手によって包囲されていた。言うなれば『鳥かご』のようなものとなってしまった。
窓からの脱出は不可能と察した唯希と希美は次に、玄関口にへと向かった。ここも封じ込まれている可能性があったが、行かないよりはマシである。ーーーその結果が、これなのだが。
「……駄目ね。この結界、結構高度な術式よ。魔力のなくなった私じゃ、解除することもできないわ」
「…………一手は封じられたか……」
遠回しに「今の自分は無力だ」と伝えた希美の言葉を聞いて、唯希は苦々しく歯軋りする。
これでは安全に外には出られなくなってしまった。そうなると、残る手段は一つしかない。ーーーだがそれは、唯希にとっては選択すべきか否かする程の手段であった。
この手段を使えば、唯希達は無事に軽傷で済むであろう。だが、本当に?この手段を選んでもいいのか?もっと別の方法があるのでは?そう思って考えてみたがーーーやはり、この手段は使えない。
(ーーー結局運命は、俺を破滅へと導くのか……)
そう思っているのは彼だけだということは、彼自身も分かっている。他者にとっては願ったり叶ったりなこの手段も、唯希にとっては不幸極まりないことなのだ。
ーーーだが、これしかない。
(幸せを、掴めるなら)
生きて、帰れるのなら。
唯希は、手段は選ばない。
「おい、ドジ神」
「……何よ」
いきなり心を抉ってきた唯希に冷たく反応した希美。結界の術式を詳しく見ようとしていた手を止めて、唯希の方を向いた。
そして希美は、目を細めた。
それは、唯希の目が少し違ったからだ。多少なりとも迷いは生じているが、その目には揺るがない決心を感じた。
いぶかしむ彼女の尻目に、唯希は彼女に言う。
「ーーーー俺と、契約しろ」
今、最も有効な安全策を。




