未来の自分へ。
人は生まれながらにして罪を抱えているらしい。
よく見返してみると、それは子供の頃には分からないが、大人になってからもしくは思春期。
自分で思い当たることはないだろうか。
だけども。
幼少期こそが自分の性格、そして罪を計れる時だとは考えれないだろうか…?
たとえば、そう。
とあるクラスに目を向けよう。
まず一人目。
そうそう、あのクラスの中心に立ったと思っている奴。
あいつはきっと、無邪気で何気ない所で人を傷つけていたに違いない。
もしくはその反対。
誰かにいじめられていた、友達も少ない可哀相って言われる子。
つぎに二人目。
みんなからいじめられている子。
これはまぁケースバイケース。
昔は傲慢でおごり高ぶっていた奴。
才能あふれて妬まれた奴。
おとなしくて、慈愛に満ちあふれた奴。
そして三人目。
中心核っぽい奴に付き添ってる奴。
だいたいこいつらは、何かひどい目にあってしまってひどく恐怖しているはず。
もしくは自分が守れればいいと思っている奴。
そして、楽しければいいと思ってる奴。
そして四人目、クラスメイト。
つまりはいじめの観客。
ひとつめ、無関心。
ふたつめ、自分が守れればいい
みっつめ、もしもが怖い
よっつめ、そいつと仲良くない
エトセトラ、エトセトラ。
これだけでも、たくさんの罪が見つかる。
途中から話が脱線してしまっているけども。
すみません、そして分かって欲しい。
きっと、いじめなんてなくならないことを。
ただし、それから逃げる手段はあるって事を。
罰を受ける覚悟があるなら、一生いじめればいい。
罪を加算される、いいや乗算されるがいい。
罪を軽くしたいなら、最後まで他人に優しくあれ。
いじめについて、自分なりに考えてまとめてみた結果です。
未来の自分へ。ってタイトルは大層なものですが、きっと未来で、自分が苦しんだらなにができるかなって思って書きました。
感想などおまちしています。