イスタンブール脱出!!
本当なら、もっと前に出せるモノだったが、パソコンのデータごと消失した。
イスタンブール脱出!!
イスタンブールに来て四日、大体見て回れた。タダで回れる所、新・旧市街地、他の観光客が行かない処。
それでも、道が悪い。
折り畳み自転車だからか、タイヤが小さいが、それなりに動けるのだが、イキナリ道路に穴が開いていた事も。
一寸飽きた。
決して、土産物屋と喧嘩したからではない! 気まずくは成ったが。
そういう訳で、イスタンブールから離れて見る事にした。
取敢えず、土産物で多くなってしまった!荷物を片付け、日本に送ろうと思った。(後で失敗していた事が判った)
フロントで段ボール箱は無いかと、ジェスチャ-で聞き。丁度良い箱を貰った。
その後、宅配業者の所で通じないながらも交渉し、家に送った。
その後が、大変だった。
旧市街から、運河の向こうに渡ろうと、日本の瀬戸大橋の様な橋を、自転車で渡るつもりだった。
今考えると、無茶な事を考えたモノだと思う。
橋の袂までは行けたと言うか、行った!
デカかった!
瀬戸大橋よりも、デカかった!と言うより高かった!
さすがに無理だと思い、半日かけて来た道を戻る事に。
その事は、後悔しては居ない。
それだけのモノは見れたし、楽しめた。
取敢えず、フェリー乗り場に行き、自転車を乗せても良いかと聞いた。通じないが、意味は通じた。
駄目だとの答え。
なら、と目の前で畳んで見せた。
それならOKだ!とばかりに通してくれた。
向こう岸に着き、周りの人が何事かと見る中。
私は折り畳みを組み立て、バスを待つ人々を後目に、駅へ向ってまっしぐら!
大層驚かれた!
駅に着き、ガイドブック片手に、アンカラに行きたいと日本語で。英語もチョビッと混ぜながら言い。
地図を指さし、チケットを購入。
ここで、初めて家に電話連絡を入れた。怒られた。
まあ、ホテルに電話を入れたら、そんな奴は居ねぇ、と言われたら、心配もするだろう。
面倒くさいと、切られた様だ。
トルコで鉄道が有るのは、貨物を除けば、イスタンブールからアンカラのみ。
大体の人は、トルコの首都は、イスタンブールだと思う人が多い。
だが、首都はアンカラ。
余り、見所は少ないが、首都である。
電車は、なんだか酷い。襤褸っちい処も・・・、トイレが凄かった。
電車が動き出したら、バッタンバッタン、配電盤が!開いたり閉ったり!
動き出すまで電気も点かない。
朝、電車に乗る事何時間?後だったかは、覚えてない。
朝ご飯の出前と言うか、屋台?
塩味の飲むヨーグルト、ゴマを塗したドーナッツ状の編みパン。
飲むヨーグルトは、何じゃ!?となった、だってそうなる、想定外の味なら・・・、判って貰えると思う。
ゴマパンは、ゴマの風味だけだった。
イスタンブールには、障害者が多かった。
両腕が無い、両足が無い、凄まじい傷痕が有る人も。
大都市なら、集まる人も多い、そういった人が集まる事も、判る。
私の祖父も、傷痍軍人であった。片足を喪い、それでも生きて来た人であった。
そういった人達の日々の糧は、宝籤の販売らしい。
立て札を持ち、その札に、無数の札が付いている。
サンドイッチマンの様に、板に打ち付けられた札を売る事で、糧を得ている様だ。
体重計屋? 体重を量り、それで糧を得る人も?居た。
そういった人々は、大体、年配の人が多かった。
戦争が有り、戦争とは限らなくても、争いが有り、そういった結果になってしまう人が居る。
旅の裏ワザ
ここでは旅の裏ワザ、私が良く使う、取って置きの裏技を披露しよう。
これを使えば、言葉が通じなくても、大体、行きたい所へ行けてしまう、何とか成ってしまう!
都市から都市へ、移動するのに便利であった!
まず、行きたい所だけを言う。都市名のみ。
無理に、何処其処へ行きたいと言うと、通じ難い。
都市名だけなら、意外と通じる。
それでも通じなければ、ガイドブックを見せる。それで、ココ!と指さす。写真が有ればそれで。
それで、大体、向こうは察してくれる。
後は、何時から何時か、どの位(金額)か、筆談する(何かを書く仕草でOK)。私は判らないが、数字は共通。
それで交渉できる。
私は、それで全て切り抜ける!
何処までも、行ける! 行ってみせる! 行ってみた! 大体通じた!
度胸が有るとは言えないし、勇気なんてものは、持ち合わせては居ない。
通じない通用しない覚悟の上で、行って見た結果である。
こんなモノでも、何かの役に立てばと思う。