婚約破棄された【無能】侯爵令嬢、冷徹公爵に契約結婚を申し込まれる。年齢差十歳、溺愛開始です。
第一章 無能令嬢の絶望
「エリザベス、この婚約は解消させていただく」
侯爵令嬢エリザベス・ローズウェルは、突然の宣告に全身が凍りついた。目の前にいるのは幼馴染みで婚約者のアレクサンド子爵——彼女が十八年間、心の底から愛し続けてきた唯一の人。
「どうして......?」
声が震えた。王都でも有数の美しい薔薇庭園で、春の午後の陽だまりの中、エリザベスの世界は音を立てて崩れ落ちた。
「君には魔力がない。それだけでなく、貴族として最低限必要な社交術も政治的洞察力も不足している」
アレクサンドの言葉が、容赦なくエリザベスの心を切り裂いた。
「『無能令嬢』と陰で囁かれている君と結婚すれば、子爵家の地位が危うくなる。それに......」
アレクサンドは残酷な笑みを浮かべた。
「君の義妹のロザリアと、真剣にお付き合いをさせていただくことになった。彼女は聖女候補として王宮で認められている。光魔法の才能も一級品だ。どちらが子爵夫人にふさわしいか、言うまでもないだろう?」
エリザベスの頭の中が真っ白になった。義妹のロザリア。三年前に父が後妻を迎えた時、一緒にローズウェル侯爵家にやってきた完璧な美少女。強力な光魔法、王都一の美貌、優雅な立ち振る舞い——エリザベスが持たないものを全て持っている、まさに理想の貴族令嬢。
「私たちは子供の頃から......十年も婚約していたのに......」
「子供の頃の戯言だ。君も大人になったのだから、現実を受け入れてくれ」
アレクサンドは振り返ることなく庭園を後にした。残されたエリザベスは薔薇の花びらが舞い散る中、膝から崩れ落ちた。
(私は本当に......無能なのかしら)
今まで必死に努力してきた。魔力がない分、学問で補おうと夜遅くまで勉強した。社交界でも、誰よりも丁寧に挨拶し、気配りを心がけてきた。それでも、魔力がないというだけで全てが無意味になってしまう。
その夜、侯爵邸の食卓は重苦しい空気に包まれていた。
「エリザベス、アレクサンド子爵から正式に婚約解消の申し入れがあった」
父のローズウェル侯爵の言葉に、エリザベスは小さく頷いた。継母のマリアンナ夫人とロザリアは、申し訳なさそうな表情を浮かべている——少なくとも表面上は。
「お姉様、本当に申し訳ございません......私がいなければ......」
ロザリアの美しい瞳に涙が浮かんでいた。しかし、エリザベスには彼女の涙が芝居に見えて仕方なかった。きっと最初から計画していたのだろう。無能な姉を蹴落として、より良い縁談を奪うことを。
「大丈夫よ、ロザリア。あなたに罪はないわ」
エリザベスは必死に笑顔を作った。家族関係を悪化させても意味がない。第一、魔力なしの無能な自分よりも、聖女候補のロザリアの方がアレクサンドにふさわしいのは明らかだった。
「しかし、これは困ったことになった」
父が深刻な表情でため息をついた。
「アレクサンド子爵との縁組は、我が侯爵家の政治的立場の要だった。この解消により、宮廷での発言力は大幅に低下するだろう。下手をすれば、侯爵位の格下げさえあり得る」
マリアンナ夫人が青ざめた。
「そんな......何か解決策はございませんでしょうか?」
「適当な縁談相手がいればよいのだが......エリザベスの評判では、なかなか難しい」
その時、執事のセバスチャンが慌てて部屋に入ってきた。
「失礼いたします。レイモンド・アッシュフォード公爵閣下がお見えです。緊急のご用件があるとのことで......」
「レイモンド公爵が? こんな夜更けに?」
父は驚愕した。レイモンド・アッシュフォード公爵——王国最高権力者の一人で、二十八歳という若さで公爵位を継いだ天才。しかし同時に、氷のように冷徹で、女性には一切興味を示さないと恐れられている人物でもあった。
「すぐにお通しして」
数分後、応接室に現れた公爵を見て、エリザベスは思わず息を呑んだ。黒髪に深いグレーの瞳、完璧に整った顔立ちは確かに美しかったが、それ以上に彼が纏う圧倒的な威圧感に足がすくんだ。
「突然の訪問をお許しください、ローズウェル侯爵」
低く響く声で公爵が挨拶すると、父は慌てて頭を下げた。
「とんでもございません、公爵閣下。何かご用件でしょうか?」
レイモンド公爵は、まっすぐにエリザベスを見つめた。深いグレーの瞳と目が合った瞬間、なぜか心臓が激しく鼓動した。
「エリザベス嬢と、政略結婚をさせていただきたく参上いたしました」
その言葉に、その場にいた全員が息を呑んだ。
第二章 冷徹公爵の契約
「けっ、結婚......?」
エリザベスは自分の耳を疑った。あの冷徹で有名なレイモンド公爵が、無能と蔑まれる自分に結婚を申し込んでいる?
「ちょっと待ってください、公爵閣下」
父が混乱しながら手を上げた。
「あまりに突然すぎるお話で......一体どのようなご事情でしょうか?」
レイモンド公爵は冷静に説明を始めた。
「来月の王太子殿下の結婚式において、私も妻帯者として出席する必要が生じました。最近の政治情勢により、独身のままでは不利な立場に置かれる可能性があります」
なるほど、政治的な理由。エリザベスは胸の奥がチクリと痛んだ。やはり愛情などではなく、単なる政治的必要性なのか。
「しかし、なぜエリザベスを? もっと他に適切な令嬢が......」
「ローズウェル侯爵家は名門中の名門。そして、エリザベス嬢は現在、困難な状況にあると聞いております。互いにとって有益な提案だと考えました」
公爵はエリザベスの方を向いた。
「無論、これは政略結婚です。お互いに恋愛感情を期待するものではありません。契約期間は一年間。その間、公爵夫人として必要最小限の社交を行っていただき、一年後に円満離婚という形を取らせていただきます」
契約結婚。なんと現実的で冷たい提案だろう。でも、エリザベスには他に選択肢がなかった。
「その......私が無能だということはご存知ですよね? 魔力もありませんし、社交術も......」
「『無能』?」
レイモンド公爵の眉がわずかに動いた。
「誰がそのような評価を?」
「みんなです。アレクサンド様も、社交界の皆様も......」
「愚かな」
公爵の声が低く響いた。
「魔力の有無で人の価値が決まるなら、この王国の半数以上が無価値ということになります。むしろ、魔力に頼らずに培った知性と教養こそ、真の貴族の証です」
エリザベスは驚いた。今まで誰も、そんな風に言ってくれた人はいなかった。
「条件についてお聞かせください」
父が身を乗り出した。
「契約期間中、エリザベス嬢には月々二百万リアの生活費をお渡しします。公爵夫人にふさわしい衣装、宝飾品、教育費用もすべて私が負担いたします。契約終了後は、慰謝料として二千万リアをお支払いし、お嬢さんには新しい人生を歩んでいただければと」
とんでもない金額だった。これなら、離婚後も一生安泰で生活できる。本当に愛する人と結婚することだって可能だろう。
「エリザベス、どうする?」
父が尋ねた。家のためにも、自分のためにも、この提案を断る理由はなかった。
「一つだけ、質問があります」
エリザベスは勇気を出して公爵を見つめた。
「なぜ恋愛結婚ではなく契約結婚を? 公爵閣下ほどの方なら、喜んで結婚したいと思う女性はたくさんいらっしゃるでしょう」
レイモンド公爵の表情が一瞬、かすかに翳った。
「私には......感情というものを理解する能力が欠けているようです。恋愛感情に振り回されるよりも、理性的な関係の方が安全で確実です」
その言葉に、エリザベスは胸が締め付けられるような感情を覚えた。なんだか、とても孤独な人のように感じられた。まるで、感情を封印することで自分を守っているような。
「分かりました。お受けいたします」
エリザベスは静かに答えた。
「ありがとうございます。では明日、正式な契約書を作成いたします。結婚式は来週土曜日に執り行いたく」
来週土曜日! 慌ただしいが、エリザベスには異論はなかった。一刻も早く、この惨めな状況から抜け出したかった。
契約書にサインを終えた後、公爵が最後に言った。
「エリザベス、お約束します。この一年間、決してあなたに不快な思いはさせません。互いに尊重し合い、支え合える関係でいましょう」
その言葉が、不思議と温かく感じられた。冷徹と恐れられている公爵が、実は誰よりも優しい人なのかもしれない——そんな予感がした。
第三章 偽りの夫婦、芽生える想い
結婚式は王都大聖堂で盛大に執り行われた。純白のドレスに身を包んだエリザベスは、レイモンド公爵の隣に立った。式に参列した多くの貴族たちは、この予想外の組み合わせに驚きを隠せずにいた。
「誓いますか?」
司祭の問いかけに、二人は同時に答えた。
「誓います」
契約の始まりを告げる言葉だった。でも、エリザベスの胸は不思議と温かかった。
式の後、二人はアッシュフォード公爵邸に向かった。王都で最も美しいと謳われる邸宅は、確かに息を呑むほど素晴らしかった。広大な敷地に建つ白亜の館、完璧に手入れされた庭園、そして丁寧に訓練された使用人たち。
「こちらがあなたのお部屋です」
レイモンドが案内してくれた部屋は、まるで王宮のように豪華だった。大きな窓からは美しい庭園が見え、調度品はすべて最高級のものばかり。
「私の部屋はちょうど隣です。何かあれば、遠慮なくお声かけください」
「ありがとうございます」
エリザベスの新しい生活が始まった。
最初の一週間は、すべてが夢のようだった。朝は優雅に朝食を取り、午前中は図書室で読書や刺繍を楽しみ、午後は庭園を散歩する。夕食は必ずレイモンドと一緒に取った。
「今日はいかがお過ごしでしたか?」
レイモンドは毎日、必ずエリザベスの一日について尋ねてくれた。最初は社交辞令だと思っていたが、日を追うごとに彼が本当に関心を持ってくれているのが分かった。
「図書室の『王国政治史』を読んでいました。公爵の蔵書は本当に素晴らしいですね」
「どの部分が興味深かったですか?」
「先代王の税制改革について詳しく書かれた章が。庶民の視点から見た政策の影響が丁寧に分析されていて」
レイモンドの目が輝いた。
「それは私が大学時代に書いた論文を基にした部分です。魔力を持たない庶民の立場から政治を見るという、当時としては革新的な視点でした」
「えっ、公爵閣下が書かれたんですか?」
エリザベスは驚いた。確かに、非常に論理的で説得力のある文章だった。
「とても勉強になりました。もっと詳しく教えていただけませんか?」
その日から、夕食の時間は様々な話題で盛り上がるようになった。政治、歴史、文学、芸術——レイモンドは博識で、どんな話題にも深い見解を持っていた。そして何より、エリザベスの意見を真剣に聞いてくれた。
「エリザベスの視点は新鮮です。魔力を持たない立場からの分析は、私には思いつかない貴重なものです」
ある日、貴族社会の階級制度について議論していた時、レイモンドがそう言った。
「私は魔力がないので、いつも『下』から物事を見上げる癖があるんです」
「それは決して劣った視点ではありません。むしろ、真の現実を見る目だと思います」
レイモンドの言葉に、エリザベスは胸が熱くなった。アレクサンドは魔力がないことを欠点だと考えていたが、レイモンドは価値あるものとして認めてくれる。
二週間が過ぎた頃、エリザベスは自分の心の変化に気づいた。朝、レイモンドの足音が聞こえると嬉しくなる。夕食の時間が待ち遠しくて仕方がない。彼の部屋に明かりが灯っているのを見ると、安心する。
(これは......恋なのかしら)
最初は感謝の気持ちだと思っていた。困っていた時に救ってくれた恩人への感謝。でも、違った。彼の知的な会話に魅力を感じ、時折見せる優しい笑顔にドキドキし、もっと彼のことを知りたいと思う。
これは紛れもなく、恋だった。
でも、これは契約結婚。一年後には終わる関係。エリザベスは自分の感情を必死に押し殺そうとした。
そんなある日の午後、庭園で読書をしていると、使用人が慌てて駆け寄ってきた。
「奥様、アレクサンド子爵とロザリア様がお見えです」
エリザベスの心臓が不快な鼓動を始めた。なぜ今、彼らが?
第四章 元婚約者の後悔と真実の告白
応接室に向かうと、アレクサンドとロザリアが座っていた。ロザリアは相変わらず美しく見えたが、よく見ると目の下にクマがあり、以前のような輝きが失われていた。アレクサンドに至っては、明らかに憔悴しており、頬もこけて見えた。
「エリザベス......」
アレクサンドが立ち上がった時、エリザベスは驚いた。以前の自信に満ちた表情はどこにもなく、まるで別人のようだった。
「お忙しい中、お時間をいただき......」
「ロザリア、久しぶりね。元気にしていた?」
エリザベスは努めて明るく声をかけた。もう、彼らを恨む気持ちはなかった。それよりも、二人の様子が心配だった。
「お姉様......実は......」
ロザリアの目に涙が浮かんだ。
「私たち、婚約を解消いたしました」
「え?」
エリザベスは驚いた。聖女候補のロザリアとの結婚は、アレクサンドにとって最高の政略結婚だったはずでは?
「僕が......僕が間違っていました」
アレクサンドが震え声で言った。
「君との婚約を破棄したことを、心の底から後悔しています」
エリザベスは困惑した。隣でロザリアがさらに青ざめているのが見える。
「ロザリアは確かに美しく、聖女の素質もあります。でも......君のような深い知性も、思いやりも、内面の美しさもない。結婚してから分かったんです。政治的には有利でも、人として......妻としては君の方がずっと......」
「アレクサンド、やめて」
ロザリアが泣き声で遮った。
「私たちは愛し合っていたはずじゃない? どうして今になって......」
「愛......?」
アレクサンドは苦笑いを浮かべた。
「最初はそう思っていました。でも、君との結婚生活で気づいたんです。君は美しいけれど、会話をしても面白くない。政治や文学について話そうとしても、興味がない。常に自分が一番美しく、一番優秀だと思っている」
ロザリアの顔が真っ赤になった。
「それに比べて、エリザベスとの思い出は......十年間の婚約期間中、どんな話題でも楽しく語り合えた。君の優しさや思いやりに、どれほど支えられたか......」
アレクサンドはエリザベスを見つめた。
「僕は馬鹿でした。魔力なんて、本当はどうでもいいことだったんです。君の心の美しさこそが、最も価値あるものだった」
「アレクサンド......」
エリザベスは静かに首を振った。
「それは今言うべき言葉ではありません。第一、ロザリアを傷つけるだけです」
「でも、僕は......」
「それに、私はもう公爵夫人です。過去を振り返るつもりはありません」
その時、扉が開いてレイモンドが入ってきた。彼の表情はいつもより厳しく、威圧的だった。
「お客様ですか?」
「はい。アレクサンド子爵とロザリアが挨拶に来てくれました」
エリザベスは努めて平静を装って答えた。
「そうですか。ごゆっくりどうぞ」
レイモンドの声は氷のように冷たかった。彼がこんな表情をするのを見たのは初めてで、エリザベスは少し怖くなった。
「僕たちは失礼します」
アレクサンドは立ち上がりかけて、最後にエリザベスを振り返った。
「エリザベス、僕は諦めません。もし......もし公爵との結婚に疑問を感じることがあったら......」
「そんなことはありません」
エリザベスはきっぱりと答えた。
「私は幸せです。本当に」
二人が帰った後、重苦しい沈黙が応接室を支配した。レイモンドは窓の外を見つめたまま、何も言わなかった。
「あの......怒っていらっしゃいますか?」
エリザベスがおそるおそる尋ねると、レイモンドは振り返った。その目には、今まで見たことのない感情が宿っていた。
「彼は復縁を申し込んだのですね?」
「......はい」
「そして、あなたの答えは?」
「お断りしました。私はもう公爵夫人ですから」
レイモンドの表情が少し和らいだ。
「契約を守っていただき、ありがとうございます」
契約——その言葉が、エリザベスの胸に深く刺さった。やはり、彼にとって自分は契約の相手でしかないのか。
「レイモンド様は......私がアレクサンドと復縁したら、困りますか?」
「当然です。政治的に大きな不利益を被りますから」
政治的な理由。やはり、それだけなのか。エリザベスの心は沈んだ。
「もし......政治的な理由ではなく、個人的な感情として、私がいなくなったら寂しいと思いますか?」
レイモンドが固まった。長い沈黙の後、彼が口を開いた。
「なぜ、そのようなことを?」
エリザベスは意を決した。どうせ一年で終わる関係なら、せめて自分の気持ちだけでも伝えたい。
「私は......あなたに恋をしてしまいました」
レイモンドの目が大きく見開かれた。
「契約結婚だということは分かっています。一年後には離婚することも。でも、あなたと過ごした日々は、私の人生で最も幸せな時間でした」
「エリザベス......」
「お返事は期待していません。ただ、この気持ちを隠し続けるのが辛くて......」
エリザベスは頭を下げた。
「お気を悪くされたなら、申し訳ありません」
長い、とても長い沈黙が続いた。エリザベスは拒絶の言葉を覚悟していた。
しかし、次の瞬間、レイモンドが彼女の前に膝をついた。
「私も......同じ気持ちです」
「え......?」
「あなたに恋をしています。深く、激しく、取り返しのつかないほどに」
第五章 契約から愛へ、そして永遠に
「本当に......?」
エリザベスは信じられない思いでレイモンドを見つめた。
「最初は確かに政略結婚のつもりでした。感情に振り回されることのない、理性的な関係を築こうと思っていました」
レイモンドの手が、エリザベスの頬にそっと触れた。
「でも、あなたと過ごすうちに、すべてが変わりました。あなたの優しさ、知性、そして何より、相手を思いやる美しい心に......私は心を奪われてしまいました」
「レイモンド......」
「あなたといると、心が温かくなる。あなたの笑顔を見ると、世界が明るく見える。あなたが他の男性の名前を口にするだけで、嫉妬で胸が苦しくなる」
レイモンドの瞳に、深い愛情が宿っているのが見えた。
「これが恋愛というものなのですね。今まで理解できなかった感情が、あなたによって教えられました」
エリザベスの目に涙が浮かんだ。嬉し涙だった。
「私は恋愛が分からないと言いました。でも今なら分かります。愛とは、相手の幸せを自分の幸せと感じること。相手のためなら、自分のすべてを捧げても構わないと思えること」
レイモンドが立ち上がり、エリザベスの両手を取った。
「エリザベス、もしよろしければ......契約ではなく、本当の夫婦になりませんか?」
「本当の夫婦に......?」
「はい。愛し合う夫婦として、残りの人生を一緒に歩みませんか?」
エリザベスは迷わず答えた。
「はい......心から、喜んで」
レイモンドの顔に、今まで見たことのない温かい笑顔が浮かんだ。そして、彼女を優しく抱きしめた。
「愛しています、エリザベス。心から、魂の底から愛しています」
「私も愛しています、レイモンド。あなたに出会えて、本当に良かった」
二人は静かに唇を重ねた。それは、契約ではなく愛を誓うキスだった。
その夜、二人は改めて結婚の誓いを立てた。今度は神の前ではなく、お互いの心の前で。
「苦楽を共にし、互いを支え合うことを誓います」
「生涯、あなただけを愛し続けることを誓います」
翌朝、レイモンドは提案をした。
「今日、ローズウェル侯爵邸を訪問しませんか? 正式に、愛のための結婚に変わったことを報告したいのです」
「本当ですか?」
エリザベスは嬉しくなった。家族に、自分が本当に愛されて結婚したことを伝えたかった。
侯爵邸を訪れると、家族は二人の変化にすぐ気づいた。
「なんだか、空気が変わりましたね。とても温かい感じがします」
マリアンナ夫人が微笑んだ。
「実は、改めてお話があります」
レイモンドが父の前で膝をついた。
「改めて、エリザベスに求婚させてください。今度は、愛のために」
父の顔が驚きに変わった。
「愛のために......?」
「はい。最初は政略結婚でしたが、一緒に過ごすうちに、心から愛するようになりました。娘さんを、生涯をかけて大切にすることをお約束します」
「エリザベス、お前の気持ちは?」
「私も、心からレイモンド様を愛しています。この方となら、どんな困難も乗り越えられます」
父の顔に、深い安堵の表情が浮かんだ。
「それは......本当によかった。娘が真実の愛を見つけられたなら、父として嬉しい限りです」
その時、ロザリアが一人で部屋に入ってきた。アレクサンドの姿はない。彼女の目は赤く腫れており、明らかに泣いていた。
「お姉様......」
「ロザリア、大丈夫?」
エリザベスは心配になった。
「アレクサンド様のことで、お詫びがあります」
ロザリアが深く頭を下げた。
「すべて......すべて私の計画でした。お姉様の婚約者を奪うために、彼を誘惑したんです」
「ロザリア......」
「でも、報いを受けました。彼は最後まで、お姉様のことを愛していました。私といても、いつもお姉様の思い出を語っていました。無理に奪った愛は、本物ではありませんでした」
ロザリアが涙を流した。
「お姉様、本当に申し訳ありませんでした。そして......おめでとうございます。お姉様にはもっと素晴らしい方がふさわしかったんですね」
エリザベスはロザリアを抱きしめた。
「もう過ぎたことよ。あなたにも、きっと真実の愛が見つかるわ」
六ヶ月後、王都では新しい噂が飛び交っていた。
「レイモンド公爵の溺愛ぶりが凄まじいらしい」
「毎朝、夫人のために庭の花を摘んで、詩まで書いているそうよ」
「あの氷の公爵が、あんなに優しい表情をするなんて」
その噂は、すべて本当だった。レイモンドは毎朝、エリザベスのために庭の最も美しい花を摘み、夕食では彼女の好みを細かく気遣い、夜は必ず愛の言葉を囁いてくれた。
「今日はお疲れではありませんか?」
社交界のパーティーから帰った夜、レイモンドが心配そうに尋ねた。
「大丈夫です。あなたがいてくれるから、どんなことでも楽しくなります」
エリザベスは微笑んだ。確かに社交界は疲れることもあったが、隣にレイモンドがいると思うと、どんなことでも乗り越えられた。
「愛しています、エリザベス。毎日、あなたへの愛が深くなっていきます」
「私も愛しています、レイモンド。あなたと出会えたのは、奇跡だと思います」
八ヶ月後、エリザベスに素晴らしい知らせが届いた。
「おめでとうございます、奥様。ご懐妊されています」
医師の言葉に、エリザベスは感激で言葉を失った。レイモンドに伝えると、彼は飛び上がって喜んだ。
「本当ですか? 私たちの子供が?」
「はい......嬉しいですか?」
「もちろんです! あなたとの子供なら、きっと美しく、賢く、優しい子に育つでしょう」
レイモンドはエリザベスを優しく抱きしめた。
「ありがとう、エリザベス。こんなに幸せになれるなんて、夢にも思いませんでした」
一年前、婚約破棄された時は人生の終わりだと思った。無能と蔑まれ、愛する人に裏切られ、すべてを失ったと思った。でも、それがあったからこそ、今の幸せがある。
春の午後、二人は薔薇庭園を散歩していた。あの、すべてが始まった庭園で。
「あの時、ここで婚約破棄されました」
エリザベスが懐かしそうに言った。
「辛い思い出の場所ですね」
「いえ、今は違います。あの時があったからこそ、あなたに出会えました。私の『無能』も、すべてこの幸せのためだったのだと思います」
レイモンドがエリザベスの手を握った。
「あなたは無能なんかではありません。王国で最も美しく、賢く、優しい女性です。私の誇りです」
薔薇の花びらが風に舞い散る中、二人は永遠の愛を誓った。
エピローグ
それから五年が過ぎた。
アッシュフォード公爵邸の庭園で、美しい黒髪の少女が駆け回っている。四歳になったエミリアは、両親譲りの知性と美しさを持つ、愛らしい子供に育っていた。
「パパ、お花!」
エミリアがレイモンドに薔薇の花を差し出した。
「ありがとう、エミリア。ママにあげよう」
レイモンドがエリザベスに花を渡すと、エリザベスは幸せそうに微笑んだ。お腹には二人目の子供が宿っている。
「愛しています、エリザベス。永遠に」
「私も愛しています、レイモンド。永遠に」
今でも毎日欠かさず、二人は愛を確かめ合っていた。
王都では今でも語り継がれている。無能と蔑まれた侯爵令嬢が、冷徹な公爵と真実の愛を見つけた奇跡の物語を。二人の愛が今でも続いていることを。
アレクサンドは一年前、心を改めて遠い領地の優しい女性と結婚した。ロザリアも、誠実な騎士と恋に落ちて幸せになった。すべての人が、それぞれの真実の愛を見つけたのだった。
夕暮れの庭園で、レイモンドがエリザベスを抱きしめながら言った。
「あなたと出会えて、私は本当の人生を手に入れました」
「私も同じです。あなたが私を『無能』ではなく、愛すべき女性だと教えてくれました」
薔薇の香りに包まれて、二人の愛の物語は永遠に続いていく。
「高橋クリスのFA_RADIO:工場自動化ポッドキャスト」というラジオ番組をやっています。
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