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その8 稲葉家の決断

 稲葉家の庭先にて忠敬は、息を整えていた。

 向こう側での生活と同じように早朝鍛錬として、敷地の周りを十キロになるまで走り続けた直後である。

 腹に負っていた怪我はこの五日間で殆ど完治しており、僅かな違和感があるのみ。

 何か、例えば先程のように走る事に集中していたりすれば、違和感すら感じない。

 息を整える間、ずっと木刀を手にしていた忠敬であるが、それを杖にするような事はなかった。

 忠敬の意識の変化もあるがそれ以上に、辺りに満ちる活気のおかげでもある。

「はぁッ!」

「なんの、やあッ!」

 気合の声は木剣を握り、鍛錬を行うファーガスの部下達である。

 十名を超える元警備隊の面々が、相手を変えては木剣を振るい合っていた。

 一振り一振りに裂帛の気合を混め、声を張り上げ、打っては打たれてを繰り返す。

 今は純粋に技術を磨く場なので潜在魔術を扱っている者はいない。

 それでも大勢が木剣にて打ち合う姿は十分に迫力があり、辺りの空気が引き締まる思いである。

 潜在魔術の訓練は別途行われるのだが、この数日の間ずっと忠敬は彼等の姿を見てきていた。

 彼らのひたむきな姿に、変わり始めようとしていた忠敬の心がどんどん引っ張られる。

「寅之助、今日もまた一手打ち合わねえか? 今日こそは負けねえぞ」

「すまぬが、今は無理でござる。若の怪我の具合も良くなったので、快気稽古でござるよ」

 一人の男が気軽に寅之助に声をかけ、返ってきた答えに肩をすくめる。

「あんまり坊主に無理させんじゃねえぞ。お前、はっきり言って手加減が下手糞だからよ」

「余計なお世話でござる。若、まずは軽く俺と打ち合ってみましょうか。その後で自ら創意工夫しながら素振り、打ち込みといきましょう」

「……はい、お願いします。行きますよ、寅之助さん」

 男の人が放った無理と言う単語に思うところはあったが、頭の隅に追いやる。

 木刀を正眼に構えて、目前で同じように構えている寅之助を見据えた。

 そして。真正面から馬鹿正直に木刀を振り上げ、渾身の一撃を繰り出す。

 息が整いきっていなかった事もあり、あまり鋭い太刀筋とはいえなかった。

 受け止められた寅之助の木刀によって、あっさりと受け流された。

 一歩、二歩とたたらを踏んで、さらにはヤジロベエとなりそうなところをなんとか踏ん張る。

 そのまま踏ん張った足で地面を蹴り、振り向きざまに寅之助との距離を確認、軌道はやや低めにして木刀を横に薙ぐ。

 それもまた刀身を垂直に地面に向けた形で防がれる。

 弾かれず受け止められた木刀に力を込めても、寅之助は顔色一つ変えずに押し留めていた。

 一度引くべきか、押し切るべきか。

 迷いを持った忠敬が答えを選ぶより先に、寅之助が動いた。

 忠敬の木刀を巻き込むように手にした木刀を動かし、跳ね上げようとする。

 巻き込まれきる前に、素早く木刀を引く。

 空振る事で寅之助の木刀と腕だけが宙を舞うように振り上げられ、懐ががら空きであった。

 その隙をつき、地面を思い切り蹴り出し木刀を突き出す。

 瞬間、突いたはずの木刀が叩き伏せられ、地面の上を転がった。

 痺れが手を伝い脳髄に駆け上がり、手を押さえながらうずくまる。

「若、もっと地に足をつけるでござる。決して跳ばず、いつ何時、どの方向にも動けるように。さすれば自然と、体勢を崩す事もなく安定した動きが可能となります」

 言われて見ればと、寅之助の足元を見てみれば開始時点からほとんど動いていない。

 忠敬を相手にしていては、動く必要すらなかっただけかもしれないが。

「足は地につけ、打ち込みは素早く確実に。これを頭に叩き込んでくだされ」

「分かりました。少し素振りをしながら考えてみます」

 言葉通り考えながら素振りを開始した忠敬を見て、寅之助は良い傾向だと満足そうに頷いていた。

 忠敬が剣術に対して前向きに考え始めたのも嬉しいが、自分の指導が変わった事がもっと嬉しかったのだ。

 これまではとにかくやれと、頭ごなしであった。

 しかし今は、素振り一つをとっても意味を与えてから行わせている。

 これもオズワルドとの出会いが切欠であった。

 恥ずかしい話だが、以前自分の指導力不足だと仁志に語った言葉は本心でなく、心の何処かではやる気を見せない忠敬のせいにしていた。

 本当に恥ずかしい話だと、以前の自分を殴りつけたい気分である。

「はぁッ!」

「若、違います。もっと腹に力を込めて、こうでござる!」

 お手本として、鋭い一振りが繰り出される。

「寅之助さん……助言はありがたいのですが、分かりにくいです」

「なんと!?」

 分かりにくいとは、まだまだ指導力不足かと寅之助が拳を握り締める。

 後で指導のコツをこっそりオズワルドに仰ごうと思っていると、そのオズワルドが現れた。

「おお、今日もやっておるな。結構な事だ。さすがに冒険者たちとは違い、地盤がしっかりしておるな」

「当然、私の自慢の部下達だ。基礎がなければ、潜在魔術も宝のもちぐされ。冒険者時代に嫌と言う程、知ったからな。そこは徹底している」

「訓練など詰まらん。やはり命を賭けた時こそ人間は輝くものだ。その方が戯れがいもあるというもの」

 一人不穏な台詞を吐いたのは、大型犬並みの大きさになる事に成功したアディである。

 宝石の外に体を作り、意識を移す事に成功し、大きさもある程度操れるまでになった。

 だが元いた宝石からは、あまり遠く離れる事も出来ないらしい。

 その為、今はオズワルドがあの宝石のついたペンダントをしていた。

 それでもあまりアディに不満はないようで、戯れる事の出来る体を得た事でご満悦なのである。

 そんなアディの背中には縛り上げられた黒装束の男が、荷物のように置かれていた。

 意識はないようで、ぐったりとしているばかりか、痩せこけ弱っているようにさえ見える。

「また、忍びの類でござるか。懲りない領主でござるな」

「さすがにこれだけの人数がウィルチ村のような小さな村に集まったとなれば、目立つからな。領主も迷いの森に逃げ込んだという確証を得たいのだろう。相手が見えないのは何よりも怖いからな」

 してやったりとばかりにファーガスが笑みを浮かべる。

 当初は迷いの森へ入る事に懐疑的であったが、その効果は予想以上だった事だろう。

 なにせ送り込まれた諜報員は、これで三人目。

 そのいずれもが迷いの森に足を踏み入れた事で森に惑わされ、行き倒れていたのだ。

 この森に惑わされないのは、今のところ寅之助と小春を加えた稲葉家の人間、それと精霊であるアディだけ。

 アディがオズワルドとファーガスと共にいたのは警戒の身回りと、諜報員の回収の為であった。

 まだ未発見の諜報員が居ないとも限らないので、ちゃんとした数はふめいである。

「それにしても、迷いの森の中にこんな立派な屋敷があるとはな。何時見てもめまいがしそうになる」

「当たり前だ。この屋敷は精霊たちの格好の戯れ場所になっておる。そもそも森で人が惑わされるのは精霊の戯れのせいだ。良いか、決して森を荒らすでない。戯れの為の玩具を壊された時の精霊は、お主らが考える以上に怖ろしいぞ」

 稲葉の家を仰ぎ見たオズワルドへと、アディが警告を添えて忠告する。

 以前ナグルを家に連れてきた時に挙動不審となっていたのは、近代的な生活用品のせいではない。

 忠敬たちが鈍感である為に気付けなかった精霊の存在感に、畏れおののいていたのだ。

 アディが言うには、忠敬たちは家の所有者という事で精霊にありがたられているとの事。

 その為に森に迷わず、水道や電気は精霊の戯れによって使えるらしい。

「皆さん、そろそろ朝食のお時間です。お座敷にお集まりください」

 早朝の鍛錬の終わりを告げに、大量のタオルを抱えて小春がやってきた。

 そこへ示し合わせたかのように、真面目に訓練をしていたファーガスの部下の人たちが小春へと振り向いた。

 そのまままるで砂糖に群がる蟻のように、小春へと群がってていく。

「小春さん、私にタオルをください!」

「はい、どうぞ。お疲れ様でした」

「俺にも、俺にもください!」

「あの慌てなくても人数分ありますから、慌てないでください」

 本当にもう、大人気の小春であった。

 なんせ男女比が二十数対二と言うありさまになってしまった稲葉の家である。

 そのうち女の一は薫子で仁志の妻。

 森の中と言う閉鎖空間にあって唯一の花、しかもとびきりの美人ともはや神や仏のような扱いである。

「はっは、戦意高揚にはやはり女が一番だな。美人の前では自慢の部下もかたなしだなファーガス」

「五月蝿い、オズワルド。全く、恥をかかせよって……」

 そんな部下達をみて被りを振ったファーガスは、アディの背から諜報員を抱え、牢代わりに使用している蔵へと連れて行った。

 きっとこの後の訓練は彼らにとって厳しいものになる事だろう。

「盲目的になり過ぎて、小春殿の本性に気付いておりませんからな。今の彼らにすれば、小春殿の若への態度も、子供好きの素敵な女子に映っている事でござろう」

「それが若さよ。まあ、こんな穏やかな空気も長くは続かん。仁志殿に相談し、そろそろこちらから動かなければいかん」

「ほう、それは嬉しい知らせだな。確かに穏やかなのも悪くはないが、そればかりでは興が冷める」

 オズワルドとアディの言葉を耳にした忠孝は、思い悩むように木刀を強く握り締めていた。






 大人数で行われた賑やかな朝食が終わり、薫子と小春が片づけを始めた。

 大皿に乗せられていた余り物を真っ先に台所へと運び、その後から皆が使用した食器をさげる。

 これで五日目の事とはいえ、二人だけでは大変だろうと忠敬も手伝おうと食器に手を伸ばす。

「若、そのような事は私がしますから」

「食器を運ぶくらいは、僕でも出来ます」

 小春の慌てた声にそう答え、近くにあった盆に食器を載せて立ち上がる。

 この時、父である仁志から視線を感じたが、顔を伏せるようにして台所へ向かう。

「母さん、食器は何処へ置けばよいですか?」

「貴方、何してるの? 食事の後に話したい事がってオズワルドさんが言っていたでょ?」

「それは父さんに、それと寅之助さんにですよ」

 驚いて食器洗いを止め、エプロンで手を拭く薫子へと呟いた。

 そして自ら口にした内容にて、表情を歪める。

 隠れ家を提供した稲葉家の殿として、オズワルドやファーガス達から敬意を払われる仁志。

 侍としての実力を買われ、同じく敬意を払われる寅之助。

 では自分はと言うと考えるまでもなく、二人から保護される子供、足手纏いでしかない。

 分かっている、そんな事は分かっている。

 十歳の子供でしかない自分に、誰かから頼られる部分があるはずがない。

 それは当然の事で、誰から責められるわけでもない。

 以前までの自分なら、子供である自分が何も出来なくてもそれを当然として諦められた。

 だが今の自分はそれを悔しいと思う。

 不正を行い何かを仕出かそうとしている領主を止める為に立ち上がる男達、その中にいたいと思えた。

「まったく、何をいじけてるのかしらこの子は……」

 呆れの混じった声の後、目の前にしゃがみ込んできた薫子が乾いてない手から水滴と飛ばす。

「わっ、何をするんですか。子供っぽい事はやめてくださいって、前から言ってるじゃないですか!」

「どっちが子供よ。お馬鹿さんの目を覚まさせてあげただけ。でも以前の忠敬にはなかった良い事でもあるのよね」

 慌てて顔を拭おうとする忠敬の手から、食器が載せられたお盆が取り上げられる。

 濡れた顔を拭き終わった後には、既に薫子は食器洗いを再開していた。

 そのまま食器を洗いながら、忠敬を見る事なく言葉だけを向ける。

「誰も忠敬に仁志君と同じ事を求めてやしないわ。もちろん、虎ちゃんと同じ事も。貴方は貴方が出来る事で手伝えば良いじゃない」

「僕が出来る事……それって何ですか?」

「そんなの知らないわよ。ちゃんと自分で考えなさい。長い人生ね、人に聞くよりも自分で答えを見つける事の方が多いんだから」

 肝心なところをはぐらかされた感はある。

 だが悔しい事に全く持ってその通りでもあり、話が始まらない内にお座敷へ戻るべきだ。

 しかし、一度片付けの手伝いを始めた以上、急にそれを止めて座りなおすのも変な話であった。

「もう、本当に仕方がないわね。ほら、そこにお茶が沸かしてあるからやかんごと持って行きなさい。どさくさに紛れて座っちゃえば良いわよ」

 難易度は高いが、それこそオズワルドの話を聞き逃せば、以後あの人たちの中には入れなくなる。

 意を決した忠敬は、やかんと湯のみを載せた盆を抱え、お座敷へと向かう。

 途中心配げな小春に笑いかけて緊張を解きほぐし、お座敷へと足を踏み入れる。

 少しの違和感、食事時にはなかった緊張感が張り詰められていたが、これからについて会話していた節がない。

 オズワルドやファーガスが、積極的に口を開いてもいなかった。

「さて、これで全員そろいましたな。忠敬、座りなさい」

「あ、はい」

 忠敬が戻ってきた事を確認してからの仁志の言葉に、思わず涙腺が緩みかけた。

 全員そろった、たかが一息のその言葉だけで悩みが消し飛ばされる。

 忠敬は持ってきたやかんと湯のみを卓の上において、好きに手が伸ばせるようにした。

 それから上座にいる仁志の左手、何時もの定位置へと座った。

「ではヒトシ殿、今一度我らを匿っていただけた事に感謝を。そして今しばらくご迷惑をお掛けする事をお許しくだされ」

「匿う事を決めたのは忠敬や寅之助、小春です。礼なら三人に」

 ファーガスの感謝の言葉をあっさりと忠敬たちに譲り、仁志は先を促がした。

「まず我らは今夜より行動を開始しようと思っております。今の領主は我らの居場所を掴もうと躍起になっているはず。遠くを臨めばおのずと足元が疎かになる事でしょう」

「証拠をあげる当てはあるのですかな?」

「我らが以前掴もうとしていた証拠、横領した宝石です。確かに鉱山の所有権は国にあり、領主がその管理を任されています。原石を掘る工夫も領主の管理下。ですが原石を加工する研磨職人、細工職人は別です」

 力仕事の工夫に比べ、研磨職人や細工職人は技術者。

 職人の持つ技術によってその価値は激変し、公共の機関では管理は難しくなる。

 となると領主とは別に権力を持つ商人たちの手の中にあると言って良い。

「つまり、一度原石が職人の手に渡れば、商人の管理下。横領は不可能という事ですか」

「ならば原石のうちに横領するしかないな。しかし、だからといって簡単というわけでもない。原石とは言え、金のなる木だ。商人達の目も節穴ではあるまい。運び出すのも一苦労だ」

 仁志の推察をオズワルドが広げるが、直ぐに行き詰まる。

「オズワルド、別にわざわざ商人たちの目に触れさせる必要はない。全ては鉱山の中だけで事を終えられるのだ。鉱山にはいくつか、原石を掘りつくし廃坑となった坑道がある」

「そうか、廃坑を利用すれば原石の移動は最小限で済みます。それに領主の管理下である以上、勝手な捜索も出来ない。隠れ蓑としても最適です」

「若の言う通りですな。そうなると、アディ殿がジュエルモンスターとして鉱山に突然現れた事からも、ジュエルモンスターの生成工場も兼ねている可能性があるでござる」

「それで、鉱山の中に廃坑は幾つあるのですか?」

 目の前に見えてきた横領の証拠を遠ざけるかのような疑問が、仁志の口よりあげられる。

 忠敬も寅之助も、仁志の疑問を耳にして今一度考え直してみた。

 そう、そこまで分かっていて何故ファーガスは証拠をあげる事に失敗したのか。

 調査の動きを先に領主に察知された事もあるだろうが、逆に出遅れたと言って差し支えない。

 まさに仁志の疑問の通りではないのだろうか。

 廃坑とはいえ、横領の証拠があるとなっては監視も厳しく、迂闊に調べるわけにも行かなかった事だろう。

 複数あるうちの何処かの廃坑。

 当てずっぽうに踏み込んで失敗でもすれば、残りの廃坑から瞬く間に証拠品は引き上げられてしまう。

 そんな恐れから二の足を踏んでいるうちに、逆襲を喰らったと言う事か。

「廃坑の数は三つです。そのどれかが横領した宝石の、そしてジュエルモンスターの研究所かと。まずは総力をあげて、的を絞ろうかと思っております」

「総力とは言っても、こればかりは敵の内から調べ上げるしかないですな」

 鉱山の内部のみで横領が完結している以上、街中で噂を聞くことも難しい。

 かと言って、領主が独自に雇っているであろう研磨職人を洗うにしても時間がかかり過ぎる。

 既にファーガスたちが領主に警戒されている以上、時間をかけた分だけその身が危うくなってしまう。

「捕らえている諜報員を篭絡してみてはどうでしょうか?」

「いや、それは危険すぎる。そのまま姿をくらますだけならまだしも。偽の情報を掴まされたりする危険性の方が高い」

 ファーガスの部下の一人が意見を言うが、別の人に即座に否定されてしまう。

 これまで静かに進行していた会議が、途端にざわめき始める。

 兵と拠点、それに食料を得ながらも、戦う為の情報またはそれを得る手段が掛けていた。

 さすがのファーガスやオズワルドも、直接的な戦闘はまだしも、後方支援は得意としていないようだ。

 腕を組み、渋面を作り出しながら必死に考えをひねり出そうとしていた。

「職人の人たちを管理している商人の方たちに協力は求められないでしょうか?」

 停滞してしまった会議の場へと、忠敬が波紋を誘う小石を投げ込む。

「言われてみればその通りだ。ファーガスよ、お主の事だ。わしのように忘れておったわけではあるまい?」

「一応考えてはいたが……下手に商人を巻き込めば、話が予期せぬ方向に飛び火しかねない。例えば鉱山の経営形態。領主一人が実権を握るから等々。出来れば罪は領主という役職ではなく、今の領主個人の罪としたい」

 ファーガスとしては、今の領主という役職と商人たちの間柄はこのままにしておきたいらしい。

 と言うよりも、利権が絡む争いには関わりあいたくないといったところか。

 忠敬が放り込んだ小石は、石切りをしたように湖面を跳ねて他所へと飛んでいった。

「そうですか……」

「若、この場は意見を言い合う場。否と言われただけで気にする必要はござらんよ」

 落ち込みかけた忠敬の頭に手を置き、寅之助が仁志へと向き直る。

「知りたいのは、横領の証拠品のある廃坑がどれか。必要なのは、それを調べられる諜報能力のある者。殿、ここは一つ協力すべきではありませんか?」

「もしや、そのようなツテまであるのか。ならば何故もっとはやく言わん」

「頼りきりで心苦しくはあるのですが……仁志殿、その話を詳しく聞かせてはくれませんか?」

「…………」

 身を乗り出し尋ねてくる勢いのファーガスたちを前に、仁志は押し黙っていた。

「即答はしかねる。オズワルド殿、ファーガス殿、少し時間が欲しい。昼までには答えを出す故、お待ちいただきたい」

 諜報員一人の為に、何を決める事があるのかとオズワルドもファーガスも不思議そうにしていた。

 だが匿ってもらっている我が身を考慮し、仁志の顔も立てて幾らでも待つと言葉を返して、座敷を後にする。

 ファーガスの部下の人たちも座敷を抜け、この場に残ったのは仁志と忠敬、そして寅之助だけであった。

 それでもまだ仁志は悩んでいる。

 仁志の態度もだが、忠敬はこの時、寅之助が投げた言葉の不可解さに首を捻っていた。

 諜報活動が出来る人物に心当たりがあると言う事だが、この世界にそんな知り合いがいるとは思えない。

 いるはずがないのだ。

「忠敬、薫子と小春をここに連れてきなさい」

「はい、分かりました」 

 ついに仁志が言葉を発し、じわじわと湧き上がる嫌な予感を感じながらも、忠敬は従った。

 台所へと向かい、片付けが一段落してお茶を飲んでいた二人を連れてくる。

 ここしばらくはお客が滞在しているので、稲葉の人間だけでお座敷に集まるのは久しぶりだ。

 だが肩の力を抜いて気楽になれるような雰囲気ではなかった。

「小春、前もって言っておくが私は強要するつもりはない。お前の母がそうであったように、性格的に向いてはおらん。お前は奪うよりも、与える方が向いている」

 仁志の言葉から何かを察した小春の顔色が、さっと青いものに変わる。

「殿、それは甘い考えでござる。小春殿も美濃の人間なれば、稲葉家の為にその力を使うべきでござる。平和な日本では多めに見てきましたが、ここではそうではありません」

「寅之助さん、若の前ですよ! 止めて、ください……」

 何故か仁志が小春へと何かを頼むような言葉を発し、寅之助がそれを肯定する。

 さらには珍しく小春が声を荒げ、忠敬は何が目の前で起こったのか理解しかねた。

 領主のもとへと派遣する諜報員の話をしていたはずだ。

 それなのに何故、仁志が小春へと意思を尋ねるような事をしたのか。

「ちょっと仁志君も虎ちゃんも。唐突に小春ちゃんを苛めすぎ。とりあえず、小春ちゃん。精神安定剤の忠敬人形」

「誰がにんぎょ……」

 薫子に後ろから持ち上げられ、小春の膝の上に置かれてしまう。

 突込みが途中で途切れたのは、抱きしめてきた小春が鼻を鳴らしていたからだ。

「おぼろげには見えてきましたが、どういう事ですか?」

 ギュッとより強く抱きしめられる腕に手を沿え、忠敬が尋ねた。

「まず軽いおさらいでござるが、稲葉家に今でも仕えている二つの家のうちの一つ、陽野家は侍の家系。一族で最も腕のたつ人間が稲葉の家に送られるでござる」

「それは確かに聞いた事があります。侍という形が消えても、それまでに受けた恩義は消えないとかで。義理堅く稲葉の家に人を送ってくれているんですよね?」

「それが陽野家が掲げる忠義の形でござる。一方、美濃家でござるが……」

「寅之助さん、自分で……自分で言います。私の口から、若へ」

 寅之助の言葉を遮り、ぽつりぽつりと小春が語る。

「陽野家が侍として表から稲葉家を守る一方、美濃家は裏から稲葉家を守っていた忍の一族です。今でも私のように人は送られますが、陽野家とは大きく理由が違います」

「何が違うんですか?」

「美濃家が稲葉家へと人を送るのは、今もなお忍として生きる一族が顧客へのアピールの為、義理堅さの強調の為なんです。だから私のように最も腕の落ちる者が送られます」

 光のある表で生きた侍は時代と共に滅び、暗闇しかない裏で生きた忍はしぶとく生き延びた。

 当然、過去のものよりある程度形は変わってはいるだろうが。

 美濃家は忠義ではなく、利益の為に稲葉家を利用している。

「でも私が稲葉の家を、若を大切に思う気持ちに偽りはありません」

 それを恥と感じるからこそ、小春は特に忠敬には教えたくなかったのだろう。

「最初から、疑うつもりなんてありませんよ。むしろ、少しはその気持ちを自重して欲しいと思うぐらいです」

「いやです。これからも小春は若の事だけを考えて生きていきます」

 小春が向ける過剰な愛情は、一族の不義理ゆえなのか。

 口にされた言葉を省みるに、それだけではないような気もするが、今大切なのはそこではない。

 改めて気付いたが、仁志はともかく寅之助は領主のところへ小春を潜り込ませようとしているのだ。

「ちょっと待ってください。小春さん、気を悪くしないで欲しいのですが。寅之助さんとは違って、一族の中で一番腕が悪かったんですよね?」

「それでも素人よりは知識も経験もあるでござる。先日、ファーガス殿に浚われた若を探し当てたのも小春殿が追跡したからでござる」

「でも小春さんは護身術ぐらいしか使えないって、危険過ぎます」

「忍の本領は戦闘にあらず。それに事情はどうあれ、一度稲葉家に来た以上、その為に働くべきでござる」

 むしろそれこそが本来の姿だとばかりに語る寅之助であったが、一つ見落としている事があった。

「稲葉家やそれに仕える両家の事は一先ず置いておいて……虎ちゃん、今回の件がどう稲葉家の為になるの?」

 ふとした疑問を薫子が口にすると、何かを言おうとした口を開いたまま寅之助は言葉を派する事が出来ないようであった。

 今回ファーガスたちを匿ったのは、純然たる好意に過ぎない。

 領主の横領の問題にしてもノーグマンの街の人間の問題であり、忠敬たちはむしろ巻き込まれた被害者だ。

 それに数日の事とは言え、二十数名の食を養うだけでも大変で、食料の備蓄の減りが速くなっている。

 仁志の畑からある程度野菜は採れるが、主食となる米を生産する田園はない。

 今すぐに種もみとなる分まで食べつくす事はないが、いずれはそうなるだろう。

「私が小春を領主へと差し向けるのに苦慮していたのは、その点にある。ハイリスク、ノーリターン。それだけではない。もしも小春に何かあれば、リスクどころの話ではない」

 忠敬が始めた物見遊山の旅とはわけが違うのだと、仁志は言う。

「もしや殿は、小春殿の事をオズワルド殿たちには黙っておられるつもりだったのですか?」

「当然だ。稲葉の利益や小春の安全の話より以前に、匿っている人間相手とはいえ、易々と忍の存在を明かしてどうする。失態だぞ、寅之助」

「申し訳ありません、殿。腕が立ち、気の良い者ばかりで知らぬうちに心が緩んでおりました。以後、肝に命じておきますゆえ、お許しください」

「お前を罰するつもりなどない。幸い彼らもまさか小春がとは気付いておるまい。だが彼らにはどう答えたものか……」

 そろそろ、稲葉家としての態度をはっきりさせる必要があった。

 仁志としては影ながらの支援者程度のつもりであったが、どうも向こうは協力者のつもりらしい。

 ジュエルモンスターの件や、忠敬が誘拐された事など、そこまでは巻き込まれたで済ませられる。

 彼らを匿い、食と住の提供までは譲歩しても良いだろう。

 だが小春を諜報員として、または寅之助を戦力の一部として貸し出す事を易々と約束は出来ない。

 仁志の考えとしては、そこはどうしても譲れない点であった。

「仁志様、私は……ファーガスさんたちにもっと積極的に協力するべきだと思います」

 その譲れない点を、身の安全を憂慮されていたはずの小春が覆した。

「既に相手には若がアディさんを所持している事が知られています。降りかかる火の粉は払う必要があります」

「けど、そうするには小春さんが」

「若、私はこれでも美濃家の端くれ。そうそうドジは踏みません。それに、この一件には稲葉家の利になるものがあります。精霊が封じ込まれた宝石です」

 忠敬の言葉を遮り、小春は語る。

「事件を解決したあかつきには、ジュエルモンスターの宝石を管理という名のもとに預かりましょう。言葉なんてどうでも良いです、供養だろうと鎮魂だろうと。稲葉家の名を知らしめる足がかりになります」

「精霊が集まる迷いの森。そこに居を構える稲葉家は精霊に認められた一族。故に、人に辱められた精霊を鎮める為に……筋は通っているでござるな。それにアディ殿は自称若の守護精霊でござるし」

「父さん……」

 悪政をしき、汚職を行う領主を罰したい正義感と家族である小春を危険にさらしたくない相反する呟きが忠敬の口から漏れる。

 決断を迫られた仁志は、腕を組み押し黙るように俯いていた。

 決断の重さを苦慮している事もあるのだろうが、それだけではないようであった。

 この世界に来た時、仁志は元の世界に戻るか、ここに残るかを忠敬の決断に任せた。

 どちらの世界でも同じだと。

 だがこうして小春や寅之助の身の安全を考慮して、尻込みするならば元の世界を選ぶべきであった。

 そうしなかったのは、迷いがあったからだ。

 その迷いを本人以外で唯一知る薫子が、仁志の肩に手を添えて囁いた。

「仁志君、この世界に来てからずっと考えていた答えを出す時は今。仁志君が選んだ事なら、皆賛成してくれる。もちろん、菊千代さんも。殿と侍である前に、親友だったんでしょ?」

 薫子があげた名に仁志が、思い悩んで俯かせていた顔をあげる。

 聞き覚えのない人の名に忠敬と小春は疑問符を浮かべていたが、寅之助だけは何故その名がと驚いた様子であった。

「大切な者たちを危険にさらしてまで、手に入れる価値はあるのだろうか?」

「価値はあるかないかじゃない。自分で決めるもの。価値があると思ったから、一度は目指したんでしょ?」

「だが自身の至らなさから何もかもを失くし、穏やかに日々を過ごす事に決めた」

「夢を捨てた代わりに手に入れたものもあった。だけど再びチャンスが訪れた。どうするかは、仁志君次第よ」

 仁志と薫子、二人の間だけで通じる問答が続く。

 逡巡、戸惑い、渇望、様々な感情を込めた表情を仁志が見せる。

 忠敬はおろか、小春や寅之助でさえほとんど見たことのない表情であった。

 夫婦だからこそ、薫子だからこそ仁志のそんな感情を受け止め、促す事が出来た。

 仁志がうなづき、改めて皆へと向き直る。

「私の決断は決まった。だが、それを口にする前に忠敬に聞いておきたい」

「なんですか父さん」

「随分と答えを聞くのが早まってしまったが、お前はこの世界を望むか?」

「そういえば、当初はそれの答えを探す為に旅立ったのでしたね」

 地球かこの世界か、どちらを望むかの選択権を持っていたのは忠敬であった。

 例え仁志の迷いの末に委ねられたとしても、今はまだ忠敬の手にある。

 だから忠敬は仁志の答えがどうであれ、自分が望むままに答えた。

「僕はこの世界を望みます。数日ですがこの世界で旅をして、僕なりの答えを得ました。確かにこの世界は安全と言う言葉が脆くて、危険に満ち溢れています。だからこそ、侍という言葉に意味が生まれる。僕は侍になりたい。僕はこの世界で侍になりたいです」

 侍が絶えた世界ではなく、侍が侍として生きられるこの世界。

 ここでなら憧れ望むままに侍を目指す事が出来る。

 子供っぽい考えだが、仁志や寅之助、オズワルドやファーガスたちのように侍として悪漢に立ち向かいたい。

 忠敬は理屈屋だ。

 だから侍が絶えた世界では、憧れや望みを持ったとしても目指す事が出来ないでいた。

 侍である事を請われても、それが絶えた世界では真面目に考える事すら出来なかった。

 だが侍が侍として生きられるのがこの世界ならば、何を迷う事がある。

 素直に心の赴くままに目指せばよい。

「そうか、ならば唯一残った憂いもこれで消えた。寅之助、オズワルド殿とファーガス殿たちをここへ。稲葉家の立場をはっきりさせ、我々の意を伝える事としよう」

「御意、少々お待ちくだされ」

 寅之助が、オズワルドたちを呼びに走る。

「さあ、忙しくなりそうね。とりあえず、人数分のお茶を入れましょうか。お茶請け、なにかあったかしら」

「薫子様、お手伝いします。それにそろそろお昼の準備を始めないと、人数が人数ですから」

 薫子と小春は、台所へと向かう。

 お座敷に残ったのは忠敬と仁志のみ。

 直ぐに再び賑やかになるのであろうが、その前にと仁志の手が忠敬の頭へと伸びる。

 普段よりも強く、力を込めて撫でられた。

「忠敬、稲葉家に再び、威光を取り戻す。長く険しい道だろうが、お前にも期待しているぞ」

 自分の未熟を知りながら、大好きな父に力添えを求められ、断ろうはずもない。

 忠敬は満面の笑みと、出来る限りの力強い声で返事を行った。

ども、えなりんです。

その8を掲載させていただきました。


さて、第八話にしてようやく、看板から偽りが抜けました。

折角一家で来たんだから、一家でなりあがろうぜ。

この物語のコンセプトの一つです。

そして、父ちゃんが忠敬に答えを丸投げした意味も少々出てきました。

詳細はまた次の次です。


そして折角の三連休なので、次話は明日あげようと思います。

それでは、えなりんでした。

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