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その3 旅立ち

 忠敬たちが迷いの森の奥にある家に戻ってこられたのは、日が暮れてしまう直前。

 元々木漏れ日が僅かにさす程度でしかない森が、足早に闇に落ちていく様は怖ろしく、冷や汗ものであった。

 辺り一帯が闇に包まれていくのと同じぐらいの早さで、三人は森の中を駆けて来た。

 これには灯りとなるものを持っていくべきであり、深く反省すべき事柄である。

 そんな汗だくで帰宅した三人を出迎えた薫子は、お風呂で身を清める事を勧めてきた。

 その時、忠敬が寅之助と小春のどちらとお風呂に入るかで少しもめ、忠敬が寅之助と入ると言い出し、それはそれでもめた。

 特に小春が忠敬と一緒に入りたいと。

 だがそこは見聞きしてきた事を仁志に伝える役目が残っており、長湯は禁物だと懇切丁寧に忠敬が説明する事でなんとか話は纏まった。

 出来るだけ手早く湯浴みを終えて、三人揃って仁志が待っているお座敷へと向かう。

「父さん、只今帰りました」

「良く帰ったな、忠敬。寅之助と小春も、ご苦労だった」

「いえ、これも主君に仕える侍の務め。勿体無いお言葉」

「若のお世話は、好きでやっている事ですから」

 夕食の準備が進んでいる途中の卓の前に座り、まずは帰宅の言葉を交し合う。

 それから忠敬が預かっておいた冒険者の組合のカードを仁志の前に滑らせて置いた。

「森の外は別の意味で緑豊かな一面の草原でした。ナグルさんの村は、迷いの森の近くでしたが規模は小さく、全くの勘ですが人口は百ぐらいではないかと思います」

「それは少ないな。村の景観はどのようなものであった?」

「あまり豊かとは言いがたいものでした。言葉は悪いですがあばら家のようなものが点々と。唯一それなりに見えたのが、冒険者の組合が立てた建物です」

 忠敬の言葉に度々頷いて、仁志は先を促がしてきた。

「どうやらここでは冒険者と言う職が定着しているようで、村もしくは街の困りごとを解決するのが仕事らしいです。そしてさっき父さんに見せたのが、登録証となるカードです」

 カードが石で出来ている事は、ヘイゼルの説明をそのまま忠敬は伝える。

 仁志は忠敬に見せられたカードを手に取り、やや眉根をひそめた。

 そこに刻まれた文字が読み取れず、ただの文様のように感じてしまったのだろう。

 粗雑な造りのカードを一頻り眺めた後、興味を失ったかのように仁志は卓の上に戻した。

 それから冒険者の組合で見た地図の事など、見聞きしてきた事を全て伝えると、改めて仁志は尋ねてきた。

「忠敬、お前はこの場所の事をどう感じた?」

「日本ではないと思います」

 馬鹿らしいと言えば馬鹿らしい言葉を口にしなければならない事に忠敬は眉をひそめていたが、仁志が一度頷いてくれたことで少し心が軽くなった。

「カータレットと言う国についてはその存在を後で調べてみますが……可能性は低いように思えます」

 日本ですら、地球ですらない何処か別の場所。

 さすがにそこまで口にする事ははばかられ、濁した表現で忠敬は自分の考えを語った。

「寅之助と小春も、同じか?」

「はっ、信じがたい事ではありますが」

「世界は広いと言っても、冒険者のような一部の日本人好みの職業があれば一度ぐらいテレビで見たりすると思いますし」

 忠敬の意見への同意を二人の家臣から見た仁志であったが、その表情にはあまり困ったものはみられなかった。

「そうか。それでは、忠敬」

「はい」

「お前はどうしたい?」

「は?」

 何を問われたのかわからず、瞼を瞬かせた忠敬へと、仁志は再度尋ねてきた。

「あの地震の後、我々はわけもわからず迷いの森と呼ばれる異なる場所に敷地ごと飛ばされた。そこでお前はどうしたい?」

「それは、日本に戻らなければならないのではないですか? 僕は学校がありますし……アレ? 家もある、皆も居て。父さんの畑はここにある。寅之助さんが他所の道場で教えているのは半分ボランティアで……」

 家族は元より、住むべき家もあって戻らなければならない理由が薄い。

 寅之助と小春は家族が別にいるが、正月や盆でさえも帰らず、手紙を年に数回送る程度だ。

 もちろんそれだけで家族の絆を推し量る事は出来ないが、そこは二人に直接尋ねるしかない。

 要は何の前触れもなく誰の意見も聞かれる事なく、引っ越してしまったようなものだ。

 食べる物については、基本的にこの家は仁志の畑より取れるものばかりの自給自足。

 大豆から醤油を作ったり、豆腐を作ったりと手製出来るものは殆どしている。

「申し訳有りません、父さん。分かりません」

「仕方のない奴だ。薫子、少しこちらへ来なさい」

「はいはい、ちょっと待っててね」

 呆れるというよりも軽く苦笑した仁志は、夕食の準備をしている薫子を呼びつけた。

 ご飯時で忙しいから早く小春を解放してくれと頬を膨らませている、エプロン姿の薫子がやってくる。

「どうしたの、仁志君? ご飯はもう少しかかるわよ」

「小春がいないのだ、少し何時もより遅れるのは分かっている。ところで、忠敬たちはここを日本ではない、それこそ地球ですらないと回答を得たようだが、どうする?」

「私は直接見てきたわけでも、報告も聞いてなかったし。けど、はっきりしてるのは何も変わらないって事かしら。毎日皆のご飯作ったり家事をして、忠敬育てて、仁志君とイチャイチャして。それぐらい」

「最後のは余計だ。子供の前で何を言う」

「もう、照れちゃって。忠敬の照れ屋は、仁志君似ね。絶対に」

 視線を背けた仁志の頬を指でつついてから、薫子は台所へと戻っていった。

 言葉を体現するかのように、何も変わらない様子で。

「イチャイチャ……」

 小さな呟きと共に小春から視線を感じたが、忠敬は黙殺する。

 と言うよりも、黙殺せざるを得なかった。

 今は別の事に思考を割きたかったからだ。

 薫子は何も変わらないと言ったが、仁志は答えを半ば予想して呼びつけたのだろう。

 それは仁志が持つ答えを、代弁させたという事で、仁志なら畑を耕すのみと言ったところか。

 他、寅之助や小春の気持ちはどのようなものか、大体は想像できる。

 特に小春は自分の世話が出来ればと言いそうであるし、寅之助も侍として生きられるのならと言うところだろう。

 答えがないのは、絶対に日本に帰りたいと言いだす可能性があるのは忠敬のみ。

「僕は、どうしたい?」

 心の中では形に出来ず、言葉にして探ってみる。

 十歳の身の狭い行動範囲の大部分を占めていたのは、学校と家の二つ。

 家はまるまるここにあるが、学校はどうだろうか。

 友達はそれなりにいたし、目をかけてくれていた先生もいる。

 だが絶対ではない。

 父である仁志や母である薫子、面倒を見てくれる寅之助や小春、この誰かが欠けていれば絶対に戻ろうとしただろう。

 天秤の両端にそれぞれ家と学校を乗せたら、瞬く間に家に傾く。

 だからと言って簡単に捨てる事もできず、悩みに悩んだ末に忠敬が出した回答は、

「やはり、分かりません」

 保留であった。

 確かに家族と学校を天秤に乗せれば、家族に傾く。

 それではこの世界と学校を天秤に乗せるとしたら、どうなるのか。

 本来ならば学校の方がやや重いかもしれないが、忠敬はこの世界の事を何も知らない。

 知らないからこそ、何かが埋もれているのではと思える。

 忠敬がここに残りたいと言える何かが。

「だから、少しこの世界を見て回りたいと思います。それから、改めて考えます」

 残りたいと言える何か、それが忠敬が日頃から望んでいたものならば探してみたい。

「そうか。ならば、寅之助、小春。少しばかり忠敬につきあい、時に厳しく、時に優しく。見守ってやってくれ」

「御意。しかし感慨深いですな。ついに、ついに若が稲葉の名を背負って、名を上げようなどと仰られるとは」

「一体、何処をどう解釈したら、そうなるんですか!?」

 深々と頭を下げていた寅之助の言葉に、思わず忠敬は叫んでしまった。

「はっはっは、隠されなくとも俺にはわかっていますよ。この世を見て回るのに、若の事ですから冒険者に身をやつすつもりなのでしょう。さながら暴れん坊将軍ですな」

「冒険者の制度は利用するつもりでしたが、名を上げるつもりなんてありませんよ。勝手な事を言わないで下さい」

「敵を欺くには見方からですか。若も侍らしくなってきましたな」

 否定の言葉も何処か遠く、寅之助は笑うばかりで聞いてはくれない。

 頭が痛いと思っていると、何時の間にか背後に移動していた小春が抱きついてきた。

 押し潰されそうになるのをなんとか踏みとどまっていると、忠敬の目の前に幼子をしかりつけるように人差し指が立てられる。

「若ったら、いつの間にそんないけない事を覚えたんですか。もう、ちょっとだけですからね」

「なにがですか!? 珍しく父さんの言葉に返事をしないかと思えば、イチャイチャ辺りからずっと妄想してたでしょう」

 後ろからがっしりと掴まれ、逃げる事も出来ずにもがいていると、奥から薫子の声が飛んでくる。

「なんだか賑やかだけど、仁志君お話しは終わったの? 終わったのなら、小春ちゃんを台所に呼んで欲しいんだけど」

「話は終わったが。忠敬と小春は、そのアレだ。俺の口からは……」

「詳細に言ってくださいよ、父さん。そこで有耶無耶にされたら、余計に怪しいじゃないですか!」

「なになに、何か面白そうだけど。ああ、もう。早くご飯を食べて私も仁志君とイチャイチャしたい!」

 これも一種の自業自得か、薫子のイチャイチャしたい発言に思い切り仁志はむせていた。

 女性に振り回されている事は変わらず、そんな点は似て欲しくなかったと心底忠敬は思った。







 翌朝、穏やかな木漏れ日に包まれる森の中。

 この場からは晴れ渡る空を見上げる事は出来ないが、良い天気だと言う事は木漏れ日と風が教えてくれている。

 稲葉家の門前に立つ忠敬は、寅之助と小春を後ろに従え、仁志と薫子と向かい合っていた。

 再び旅装束に身を包んだ忠敬は、準備万端だとばかりに笑顔で言った。

「父さん、母さん。それでは行って来ます」

「気をつけて行ってきなさい。私と薫子は、何時も通り畑でも耕してのんびり待っている。疲れた時は何時でも帰って来るように」

「はい、今日のお弁当。ゴミはなるだけ出ないようにしてあるから、食べたらゴミはそのまま燃やしちゃいなさい。それと忠敬の事はもちろん。虎ちゃんと、小春ちゃんも気をつけてね」

 お弁当を小春へと渡しながら、薫子が頼む。

「奥方、お任せください。次に戻ってくる頃には、少しでも若が成長されていますよう。実りある旅路を心がけます」

「若のお世話はお任せください。それと、薫子様も頑張ってくださいね」

 後半の方は小春がこっそりと薫子だけに聞こえるように囁いていた。

 忠敬の旅がどれくらいになるかは分からないが、その間は稲葉の家には仁志と薫子の二人だけ。

 それに薫子はまだ二十八なので、今から忠敬の弟か妹が出来てもおかしくはない。

「もう、小春ちゃんたら。頑張っちゃおうかなって思っちゃうじゃない」

 気遣いに照れながら肘をついてかえした薫子も、満更ではないようだ。

「小春さん、何をしているんですか。行きますよ」

「はい、直ぐに行きます」

 忠敬が呼ぶと、それじゃあと小春も小走りで掛けていく。

 手入れがされているはずもない森の中を歩けば、数分も経たない内に稲葉の家は枝葉に隠れて見えなくなった。

 とりあえず目指すのはウィルチの村である。

 昨日と違って今日は行き先がはっきりしているので、ゆっくりとした足取りで向かう。

 先頭を歩く寅之助が草木を掻き分け、軽く踏み鳴らし、その後を忠敬と小春が駄目押しで踏みならす。

 いずれ仁志や薫子が通ることも考え、今のうちに獣道程度は作っておくつもりなのだ。

「若、今後を冒険者と言う身で旅して回るのは良いですが、具体的な計画はあるのでござるか?」

 足元の草を踏み踏みとしながら、おもむろに寅之助が尋ねてきた。

「具体的と言える程はありません。ただ、ウィルチの村で幾つか依頼を受けて、実質的な旅はそれからですね。なにしろ先立つ物がありませんから」

「そういえば、日本のお金は使えませんよね。それじゃあ、小金が溜まるまでは家に戻りますか?」

「父さんも母さんも、僕らの気分次第で帰ってくるかどうかも分からない状態と言うのも落ち着かないでしょう。出来る限り家に戻るのは避けておきます」

「若、もしかして私が薫子様に言った事を聞いてました?」

「さあ、どうでしょう」

 肩を竦め、はぐらかす。

 それでは聞いていたも同然なのだが、半分以上は照れ隠しである。

「若、寂しくなったら何時でも小春の胸が空いていますよ」

 じゅるりと微かによだれをすするような音さえ聞こえなければ、頷いていたかもしれない。

「小春殿、旅の初めから若を甘やかすものではないでござる。何時か男は親の元を離れて巣立っていくもの。過剰な甘やかしは、男の道を外させるだけでござる」

「その通りですが、親以外の保護者が同伴してますけどね。巣立ちにはまだまだですよ」

「若はまだ十歳なんですから、母性を持った女性の温もりが必要なんです。この中で女は私一人、ですから私が愛を注ぐんです。でも何時かは若には小春に別の物を注いで」

「昼間から何を口走っていますか。母さんへはまだしも。自重してください、嫌いになりますよ」

「嘘です。ちゃんと若が元服なさるまでは我慢します。だから嫌っちゃ嫌です!」

 全く自重しないまま、半泣きで小春が声を大きくする。

 忠敬は自分の小さな背中に泣きつかれ、だったら言わなければ良いのにと溜息を一つ。

 いや、二つであった。

 もう一つの発信源は、寅之助である。

「俺の想像した若との旅路はこのように姦しくはない。もう少し斬った張ったの殺伐さが……先日の獣でも現れはしないだろうか」

「寅之助さん、昨日の自分の台詞を思い出してください。刃を振るうばかりがと、言ったばかりじゃないですか。それに水戸黄門や暴れん坊将軍も、そればかりではないでしょう?」

「確かに、変わらぬ毎日によぎる悪の気配。それが色濃くなった時に、いざ現れる義の侍たち。そうでござるなあ」

 方向性は違うが困った人の度合いは同じレベルだと、忠敬は呆れる他なかった。

 このように忠敬が溜息をついたり、小春が泣いたり、寅之助が悪の気配を欲したりと、各人忙しない様子で迷いの森を進んでいく。

 今日は昨日よりも小休憩を少なくしたものの、ゆっくり歩いた為、結局三時間程迷いの森を抜けるのにかかった。

 やはり、毎日家とウィルチの村を往復するのは現実的ではない。

 ウィルチ村では宿のような施設は期待できないので、空き家でも紹介してもらうべきか。

 忠敬はそんな事を考えつつ、ウィルチ村へと冒険者の組合へと足を向けた。

「こんにちは」

「あ、あんたたち。良く来たね」

 忠敬が扉を開けて入ると、そこには昨日と変わらず暇そうなヘイゼルがいたのだが、少し様子が違った。

 昨日カードの登録を行っただけなのに、その声は弾んでおり歓迎振りをうかがわせる。

「あんたたちが帰ってからね。聞いたのよ、ナグルの話を。迷いの森の奥でワルフに襲われたところを助けられて、村まで送り届けて貰ったってね」

 さすが田舎は話が広がるのが早い。

 それともここが冒険者の組合だからこそ、こういった話が即座に舞い込んでくるのか。

 しかし、どちらにせよ忠敬が危惧したような無用な警戒を生んだ様子はない。

 ナグルへの印象が良かった事もあるのだろうが、稲葉家という存在を好意的に受け取って貰えたようだ。

「それで、これが少ないけど村からの謝礼だよ。ウィルチ村の生命線は迷いの森の動物の毛皮だからね。ナグルは狩人としてはそこそこでも、大切な働き手だからね。それとカードを貸しな。本当はいけないんだけど依頼として、カードを更新してあげるよ」

 おいおいと思いつつ言われるままにヘイゼルへとカードを渡すと、星印が刻まれていく。

 直接ワルフに立ち向かった寅之助が八つ、ナグルを治療した小春が六つ、そして忠敬が五つである。

 星印の大きさと、石の表面の残りから十個で胴のカードに昇格と言うところだろうか。

「別名帰らずの森で迷った人の救出なんて、一流の冒険者への依頼。本当は一度にカードの昇格までさせてあげたいんだけど、優遇しすぎるのもあんたたちの為にならないしね。勘弁しとくれ」

「なんの、これだけでも十分でござるよ」

「そう言ってもらえるとありがたいね。直接的な報酬はもう無理だけど、間接的なものなら後二つ渡せるんだけど」

 過剰な報酬にも聞こえかねないが、間接的というからには金品ではあるまい。

「今丁度、何時もこの村に毛皮を仕入れに来る商人が一人来てるんだよ。だけど、何時も連れてる護衛がちょっと怪我しちゃってね。都合の良い護衛を探してるのさ」

「臨時という事は、今後の仕事に繋がる可能性はあまりありませんね」

「坊や、しっかりしてるね。けどもう一つの報酬にも関わってくるからね。仕事内容は護衛で、ここから北東に半日ほど歩いた場所にある鉱山都市のノーグマン。そこにある冒険者の組合で、昇級試験を受けられる推薦状を書いてあげるよ」

 ヘイゼルの説明では、昇級試験とはカードの昇格を仕事ではなく試験で決める制度らしい。

 例えば、受けたい仕事の条件が一つ上のカードなのだが星印が一つ足りない時。

 他には、冒険者ではなかったが似たような道で飯を食ってきた者が、大きな仕事を冒険者として請ける際に利用したり。

 今回の場合は後者である。

 身の丈に合わないカードであれば、下の者の仕事を根こそぎ奪ってしまうような事を避ける意味もあるようだ。

「若、どうしますか? 私は悪い話ではないと思いますけど」

「好意は受けておきましょう」

 小春の問いかけに、いぶかしむ気持ちを隠しながら忠敬は了承の意を返した。

 と言うよりも、返すしかなかった。

 今この村に都合良く他の冒険者が居るとも思えない。

 昇級試験の紹介状とやらも、本当にお礼の一つなのか、仕事を請けさせるエサなのか怪しいところだ。

 ウィルチの村としても、毛皮を買い取ってくれる商人に何かあれば死活問題なのだから。

 相手の都合に合わせて急遽冒険者を用意したというのも、恩を売るにはもってこいだ。

 それに忠敬たちにとっても、仕事を探していた以上、悪い話ではないのは本当の事だ。

「護衛対象は、チャップという名前の人よ。今は村長さんの家にお世話になっているはずだから、行ってみて。たぶん直ぐに出発になると思うけれど」

 ヘイゼルから村長の家を聞き、そのチャップという名の人を迎えに行った。







 村長の家に辿り着くと、チャップという名の商人は今か今かと待ちわびていたようだった。

 なにしろお茶を飲みながらも座っていたテーブルの下には商品が詰まったバッグを置いて、何時でも出発できるようにしていたのだから。

 忠敬たちの出で立ちに驚いたのも数秒の事、直ぐ行こうやれ行こうとぽっこり豊かなお腹を揺らす。

 思わずそんな所にも商品を詰め込んでいるのですかと聞きたくなるが、違うものが詰まっているのは間違いない。

 そのような事は想像もしたくはないが。

「では村長、次もまた寄らせてもらいますから。その時はまたご贔屓に」

「ええ、こちらこそその時はまたよろしくお願いします。あ……」

 チャップの勢いにのまれて、忠敬たちは外に追い出されるように出てしまう。

 村長さんもナグルの事かなにかで話をしたそうにしていたが、また今度になりそうだ。

 忙しない人だと忠敬のみならず、寅之助や小春までも眉をひそめている間に、ウィルチの村を出てしまった。

 そこまでは目を瞑っても良いのだが、その後が少し悪い。

 雇い雇われの関係とは言え、自己紹介も殆どなしの行動に重苦しい雰囲気が流れてしまうのは当然の事。

 だが、気まずいと言う顔をしながらもチャップは会話の糸口を掴みかねているようであった。

 先程はさほど気にしなかった忠敬たちの和服姿に、気後れしている事も少なからず関係しているだろう。

 こういう時、子供だと言う事は便利なステータスだと、普段よりも高い声を出して忠敬はチャップに近付いて尋ねた。

「ねえ、おじさん」

 子供だからこそ、敬った言葉使いをせず、率直に。

「な、なんだい坊や」

「何をそんなに急いでるの? 慌てなくても、ノーグマンの街は逃げないよ?」

「そうだね。坊やには少し難しいかもしれないけれど、最近ノーグマンの街道近辺に盗賊が出るって噂があってね。物の値段が上がりかけているんだ」

 それを聞いてふと、領主が変わって税が上がったとナグルが言っていた事を思い出した。

 上がった税の分、ナグルも切羽詰って迷いの森の奥へ踏み込んだそうだが、人の道を踏み外してしまった者がいてもおかしくはない。

 単に他所から流れてきただけかもしれないが。

 大まかにそんな事を思い浮かべながらも、表面上は眉根をひそめて小首をかしげる。

「わかんない」

「はっはっは、美味い儲け話がノーグマンにあるって事だよ」

 再度小首をかしげて、興味を失ったように後ろを歩いている小春の元へ向かう。

「チャップ殿、その盗賊とやらの事を、詳しく教えてはいただけないだろうか?」

「いえ、まだ実際に出たと言うわけでは……あくまで噂でして。あ、既にご存知でしょうがチャップと申します。護衛の程、よろしくお願いします」

「俺は寅之助と申します。こちらこそ、受けた依頼は完遂する所存でござる」

 盗賊の話には寅之助が興味を引かれたようで、忠敬が壊した壁を乗り越えてチャップへと話しかける。

 もう大丈夫だろうが、子供の振りは続けなければならなかった。

 その事に気づき、少し作戦ミスだったかもしれないと思う。

 今はまだウィルチ村を発ったばかり、依頼を完遂する後半日の間は子供で居なければならず、割と苦痛だ。

「お姉ちゃ~ん」

「ぶっ」

 少々やけくそ気味に、猫撫で声で小春にぶつかるように抱きつく。

 厄介な事をしてしまったと、隠れて溜息をついていると、視界の端を紅い雫が落ちていった。

 訝しげに上を見上げると、小春の手の指の隙間から血が滴り落ちている。

 何事かと思わず飛びのいてしまうが、くだらない理由であり、子供作戦の一番の失敗をその目で見た。

「わ、若……今のをもう一度。お姉ちゃ、えほっ。鼻、辛いです」

「普通に怖いんですが。本当に、もう。ほら鼻血拭いてください」

 何をそんなに興奮しているのか、綺麗な顔が台無しになる程まで鼻から血が流れていた。

 ハンカチで血を拭ってやりながら、自分が世話をしてどうすると内心で突っ込む。

 まあ、これさえなければ、小春は十二分に自分を世話してくれるわけだが。

 プラス、マイナスでゼロになっているのは気のせいであろうか。

 こんな事をしている間に、寅之助とチャップの二人との間が少々離れていってしまうのに。

 少しばかり自分の方が年上気分でいると、ふにゃふにゃに緩んでいた小春の表情が引き締められた。

「若、危ない!」

 突き飛ばされ、距離が開いた忠敬と小春の丁度中間を風が駆け抜ける。

 尻餅をつくかどうかの刹那に目で確認できたのは、乾いた土のような色のイタチらしき小動物であった。

 体の色を保護色に、草花と土の二色の中を駆け抜けていく。

 目の錯覚でなければ、そのイタチらしき小動物が通った後には、切り裂かれるように千切れ飛ぶ草花が見えた。

「寅之助さん!」

 忠敬が叫ばずとも、小春の最初の声でこちらの状況に気付いていた。

 慌てふためくチャップを背後に庇い、イタチが辿り着くより早く刀を抜き去り、切っ先を軌道に待ち伏せる。

 イタチが急停止を選んだのも無理はなく、そのまま突き進んでいれば自ら刃の上に身をさらすところであった。

 ピタリと鼻先数ミリのところでイタチは立ち止まる事に成功し、無駄と分かってやっているのか小首をかしげて可愛い子ぶる。

 小春ではあるまいし、寅之助に対してそれはあまりにも無意味な行動であった。

 無慈悲に推し進められた刃を前にイタチが迷わず転進を行う。

 だがその転進は、寅之助の刀によって横への行き先を塞がれ、真っ直ぐ後ろへと誘導されていた。

「若、そちらに向かわせました。その程度の獣なら相手に出来るはずです。小春殿、助太刀無用でござる」

「小春さん、下がっていてください」

 不満そうにしつつも、小春は口には出さずに忠敬から距離をとる。

 寅之助と小春、それぞれの役目を心得ているからだ。

 侍としての修行に関しては寅之助の領分であり、私生活の世話においては小春の領分。

 それをきちんとわきまえているからこそ、小春が過剰に忠敬に甘くても、寅之助は口こそ挟むが最終的な方針は任せてしまう。

 逆もまたしかりで、それを踏み越えてしまえば、一番困るのは忠敬なのである。

「そう言えば、抜くのは初めてなのですが」

 呟きながら腰の護身刀を抜き、寅之助のもとから逃げ出したイタチを見据える。

 地を這うような動きは速く、風を身に纏ったかのように草花を千切り飛ばしていた。

 触れてしまえば本当に切れてしまいそうで、忠敬は普段よりも身を沈め、足元への警戒を強める。

 距離、三メートル。

 近付いてきたせいか余計にイタチが素早く見え、次の瞬間には見失う。

 縦移動から急に横移動へ、フェイントのようなものを混ぜたらしく、次にその姿を認められたのは二メートルをきっていた。

 正面ではなく、すれ違うような位置からイタチが跳ねた。

 その軌道は低く、せいぜいが太もも辺り。

 フェイントに引っかかった分、身構えなおしている暇はない。

 そのまま前へと右足を踏み込んだ直後に、左足を逆時計周りに回す。

 頭からお尻に棒が突き刺さっているかのように、独楽をイメージして回り、すれ違い間際のイタチを改めて視認。

 やや体勢は悪いが、一気に護身刀を振り下ろす。

 イタチの体が刃に裂かれ、心臓がある方はそのまま逃亡していき、切り離された尻尾がぽとりと落ちる。

「寅之助さん……逃がしました」

「いや、上出来でござる。俺が期待したのはアレの撃退で、殺す事ではござらん。侍と言えど、いや侍だからこそ無益な殺生はいかんでござる」

「確かに、それもそうですね」

 生かしておいてもまた別の旅人を襲うかもしれないが、さすがにそこまでは責任を持てない。

 それに護衛と言う依頼で雇われる冒険者と言う人種にとっては、ある程度の脅威は必要悪であろう。

 護身刀についてしまったかすかな血を懐紙で拭い、鞘に収める。

 そしてふと、近くの草むらでしゃがみ込んでいる小春に気がついた。

「小春さん、何をしているんですか?」

「何って……あ、あった。ほら、これを探してたんです。イタチの尻尾」

 なんでそんなものをと忠敬はおろか、寅之助も若干引いている。

「若の初陣の戦利品ですから。大事にとっておいて、仁志様や薫子様にも見せてあげないといけません」

 そしてその後、絶対に自分のものにするつもりだ。

 なんとなく、いや確信を持って忠敬はそう断言できた。

主人公だけが異世界に飛ばされるお話は良くあります。

家族や恋人がいるから、元の世界に帰らなければならない。

では、家族ごと飛ばされたら、生活の要がほぼ全てそろっていたとしたら?

(主人公が天涯孤独の身と言うのは無しの方向で)

そんな疑問がこのお話の発端でした。

大人である皆はそれぞれ生きる目的がある程度あり、一先ずは忠敬がそれを求める旅となります。


次話は来週の土曜日にお届けの予定です。

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