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その2 迷いの森

 家の門を飛び出した忠敬は、想像以上の森の深さに面食らいながらも必死に先を行く寅之助を追いかける。

 道らしい道はなく、草木を掻き分けるようにしながらだ。

 寅之助は後から追いかける忠敬には気付いていないようで、全力で森の中を駆け抜けていた。

 直ぐそこにあったはずの背中が瞬く間に遠くなっていく。

 以前から分かってはいた事であった。

 早朝鍛錬のジョギングの半分は忠敬に並走する寅之助だが、残り半分は別々に走っていた。

 最後まで忠敬に付き合っていては、寅之助の鍛錬にならないからだ。

 最初から別々にジョギングしては忠敬がさぼるからと、折り返し地点まで並走しているに過ぎない。

 折り返し地点まで走れば、残りは放っておかれようと帰るしかないからだ。

「ある意味、自業自得なんですけどね」

 肉体的にも、精神的にも、寅之助と忠敬を比べる事が失礼な話なのである。

 けれど、今は望んで寅之助の背中を追っていた。

 悲鳴を聞いた後で、しかもその場へ駆けつける途中で不謹慎ではあるのだが、胸から湧き上がる奇妙な感覚に突き動かされるように。

 余計な装飾を全てこそぎ落として言葉に表してみると、ワクワクだろうか。

 本当に不謹慎だと思う。

「来るな、来るな!」

 悲鳴と同じ声が、今度は怯えを多分に含ませた懇願と言う形で聞こえてきた。

 既に寅之助は豆粒ほどに小さく、遠くを走っている。

 やがてその足が止まり、動けない誰かを庇うように前に飛び出した。

 深い雑草や茂みのせいでその誰かは見えないが、終着点が近い。

 庇い立てた誰かを背後に置き、何かと睨み合う寅之助のそばにまで遅れて忠敬は辿り着いた。

「子供まで。あんた、俺の事は良い。早くその子を連れて逃げてくれ!」

「こど……若?」

 男の指摘にて、ようやく寅之助も忠敬が追ってきていた事に気付いた。

「馬鹿を言っては困る。民草を見捨てて逃げたとあっては武士の名折れ。さすが若、気持ちは俺と同じということでござるな」

 忠敬へと確認するように笑いかけてきた寅之助の背後には、壮年の男の人がいた。

 仁志と同じぐらいであろうか、傷ついた腕をもう一方の手で庇うようにしながら腰砕けになって座り込んでいる。

 怪我の度合いはそこまで緊急度は高くなさそうだが、状況はそうでもなかった。

「つい先程までは……ですが、ね」

 寅之助の言葉に、忠敬は引きつった笑いで返す。

 男の人に怪我を負わせたらしき生物を目の当たりにして、勇ましい言葉が出てくるはずがない。

 狼、それよりも体格は遥かに大きく、四つ足を着いている状態でさえ忠敬と同じぐらいの背丈がある。

 低く唸り声を上げる口からは鋭い牙が伸びており、男の人の衣服の切れ端が引っかかっていた。

 飛びかかられ、牙によって裂かれたのだろう。

 唾を飲んだ喉が音をたてる。

 もしも自分に飛びかかられたらと想像が膨らみ、腰に差した脇差へと手が伸びていく。

 だがその手は、寅之助が放った制止の言葉によって止められた。

「若、刃を振るうばかりが剣術ではござらんよ。見ていてくだされ」

 ことさら安心させるように、振り返った寅之助が笑いかけてくる。

 忠敬はその笑みを見て、僅かな安堵を抱くと共に自分がいかに焦りを抱いていたのかを知った。

 脇差の柄に触れそうであった手には汗が滲み、そんな手で柄を握る事など出来ない。

 小さく、息を吸って吐く。

 そして、狼のような獣に向けて一歩踏み出した寅之助へと視線を向ける。

 寅之助は、腰に差した刀に手を伸ばすわけでもなく、ただ狼の前に悠然と立っていた。

 威嚇の唸り声にも負けず、そのようなものは涼風同然とばかりに、再び一歩踏み出す。

 するとどうしたことか、威嚇の声を上げ続けていた狼がたじろぐように一歩下がった。

 寅之助の毅然とした態度に威圧されての事か。

 刀を抜くどころか、その柄にさえ触れる素振りも寅之助が見せていないのにだ。

「退け、お主のテリトリーを侵すつもりはない。こちらも直ぐに退散するでござる」

 囁きを耳にして獣が再び一歩退くが、今度は寅之助は一歩を踏み出さなかった。

 言葉だけではなく、態度で退くなら追わぬと示したのだ。

 それを期に、獣は二歩、三歩と退いて、ついには背後へと振り返って森の奥へと消えていった。

 獣の姿が完全に遠ざかったのを確認した寅之助が、息を大きく吐き出した。

「と、何よりも戦いを避ける事が重要でござる。刀を振るうのは万策尽きた後の最後の手段。若、憶えておいてくだされ」

「無手勝流と言うやつですか?」

「河の離れ小島に相手を置き去りにした逸話とは異なりますが、無意味な戦いを避けるという点では同じでござるな。もっとも本能で生きる獣の方が、人よりも物分りは良いものでござるが」

 一頻り忠敬へと講釈を行うと、寅之助が本来の目的を思い出したように振り返った。

 その先にいるのは、信じられないものを見たと目を丸くしている怪我を負った男の人である。

 マタギを生業にしているのか、野良着のようなやや汚れた格好の上に毛皮のベストを着ていた。

 その背には矢筒が背負われてはいるが、肝心の弓は先程の獣に弦を裂かれたのか近くに落ちている。

 猟銃ではなく、弓を使うとは、身なりと同じく古い慣わしを大切にしているのだろうか。

「御仁、怪我をしているのなら稲葉の家に案内するでござるよ」

「母さんと小春さんの事ですから、既に治療の準備は万端だと思われます」

「あの凶暴なワルフを何もしないで追い払っちまった」

 信じられないと言う呟きは、二人の問いかけとは関係ない返答であった。

 生き残った安堵からであろうが、腕の傷を庇う事さえ忘れているありさまである。

 放っておけばいつ我に返るか分からず、寅之助が男の無事な方の腕を首に回して、少々強引に立たせた。

 そこまでされてようやく我に返った男が、涙混じりに助かったと、ありがとうと言葉を紡いだ。

 気が抜けたようでその足取りはおぼつかず、寅之助が肩を貸して正解であった。

 忠敬は落ちていた男の人の弓を拾い上げ、その後を追いかけた。







 腕の怪我を治療され、からからに乾いていたであろう喉をお茶で潤した男は、ナグルと名乗った。

 名乗らせる事に成功したと言った方が正しいだろうか。

 あの巨大な狼から命からがら救い出され、九死に一生を終えた事とは別に、ナグルが落ち着くまで時間が掛かったのだ。

 特に家の門前にまで連れてくるまではそうでもなかったのだが、家を目の当たりにして放心してしまっていた。

 そのナグルを家の中へと連れ込むと、今度は挙動不審にまでなっていた。

 ビクビクと脅えるように周囲を見渡し、まるで盗賊にでも捕まったかのような振る舞いであった。

 長い時間を掛けて警戒を払拭されたナグルは、相変わらずお座敷内をキョロキョロとしながら語った。

「本当に、すまねえ。迷いの森の奥に、こんな立派なお屋敷があるだなんて聞いたこともなくて。それにこんな親切にされたら、逆にとって喰われるんじゃねえかって」

「迷いの森ですか……確かに森は深いですし危険な獣はいるようですが、そんなたいそうな名がつくような森には思えませんが」

「そんな事はねえ。さっきの場所からここに来るまでの短い距離でも、同じ場所をぐるぐる回ってるみてえで」

 ナグルはそう言うが、忠敬にしても寅之助にしても行きと帰りで真っ直ぐ歩いただけである。

 富士の樹海の中に足を踏み入れたような感覚を受ける事はなかった。

「うむ、話を聞く限り。ナグル殿を最低でも森の外まで送り届けなければならないな」

「そんな命を助けられるだけでなく、傷の手当てまで受けて……と言いたいところだけども、お願いできますか?」

「寅之助」

「はっ、ご命令通りナグル殿を送り届けてまいります」

 仁志の言葉を聞いて、寅之助が頭を下げて命令を拝領する。

 だがそれは言葉通りだけの内容ではなく、ナグルを送るついでに周辺の状況を確かめてこいと言う意味が含まれていた。

 地震の後で忽然と、敷地の外が森へと変貌してしまい、しかもその森には危険な獣が潜伏している。

 とてもここが元々家のあった場所だとも思えず、早急にその辺りを確認する必要があった。

 現地人であるナグルが居る事には居るが、彼が迷いの森と呼ぶような場所に住む人間が突飛な質問をすればまた余計な混乱に落としいれかねない。

 混乱するだけならまだしも、やはりとって喰うつもりかと思われては堂々巡りになってしまう。

「父さん、あの」

「分かっている。少し、待て」

 仁志の言葉の裏にある意味を察して発言した忠敬であったが、その仁志に遮られてしまう。

 ただその言葉の後に仁志の手が伸びて、忠敬の頭を撫でつけてくる。

 それだけで、本当に分かってくれたのだと忠敬には理解できた。

「はい、お待たせ。もう、埃っぽいったら……この機会に大掃除しちゃうのも良いわね」

「そうですね。隠すのに必死で、あまり手入れの事とかは考えていませんでしたから」

 そして、その理解に間違いはなかった。

 そう時間も経たないうちに、大きなつづらを抱えた薫子と小春がお座敷に戻ってきた。

 二人はナグルの治療が終わると、そそくさと何処かへいっていたのだ。

 目的は今抱えているつづらを取りに行っていたのだろうが、中身は不明であった。

 ただ、そのつづらには稲葉家の家紋が浮かんでいた。

 三日月に照らされる稲穂。

 つづらを見た事がないのか物珍しげなナグルはもとより、忠敬も多分に興味を引かれて眺める。

 薫子がつづらを畳の上に置くと、金属音、または重く硬いものが触れあう音が鳴っていた。

「仁志君、取り合えず忠敬と虎ちゃんに合いそうなものを選んできたわよ。忠敬、ちょっといらっしゃい」

「何が入っているんですか、それ?」

「秘蔵の逸品、色々よ。森の中は危ないみたいだし、それなりに気をつけないとね。小春ちゃんは、虎ちゃんの着替えを手伝ってあげてね」

「うぅ……私も若の方が。寅之助さんは慣れているので一人でも大丈夫です」

「いや、一人で出来なくはないが、手伝って貰えた方が素早く終わるのだが……」

 寅之助の言葉は聞き入れてもらえず、忠敬が薫子と小春の手によって着せ替え人形と化しす。

 衣類は全て脱がされ、専用の肌着の上に鎖帷子、その上にさらに家紋入りの袴。

 よくこのようなサイズのものがあったと驚くような篭手と具足。

 その重さからこれにも鎖か鉄板が仕込まれているのだろう。

 甲冑姿までとは言わないが、鉢金まで巻かれてしまい、完全武装といって過言ではない。

 ちなみに脇差は既に床の間に返しているので、新たにつづらの中から取り出した護身刀を二本左右の腰に下げさせられた。

 刃渡りは三十センチを超える程度もので、これぐらいならば忠敬にでも両手に持つ事が出来る。

 もっとも、二刀流など習った事もないので試したいとも思わないが。

「僕の記憶が正しければ、蔵はもとより家の中にもこんな物騒なものはなかったはずなんですけれど」

「忠敬に見つからないように、隠してたに決まってるじゃない」

 すっかり変わってしまった身なりを自分で見回した後、至極当然な呟きを漏らす。

 だがあっけらかんと言い放つ薫子に一蹴されてしまった。

 屋根裏は一度探した事がある。

 となると自分の知らない地下室でもあるか、隠し部屋の類だろうか。

「まあ、興味を持って持ち出さないとも限りませんしね」

「そう言うわけではないんですけれど、今はそうご理解されてかまいませんよ。若、着心地はいかがですか?」

「正直、重いです。風邪をひいたみたいに……」

 軽く飛びはねてみると、着地した時に鎖帷子の重みが肩を初め、全身に広がっていく。

 単に直立しているだけでも、ぶら下げた腕にはめられた篭手がぐいぐいと引っ張るようである。

「甲冑を着込むよりは軽装ですぞ、若。この程度の装備でならば、一日中走り回れるぐらいにならなければなりません」

 忠敬とは違い、一人で篭手や具足、その他を身につけた寅之助は軽く動きを確かめていた。

 何度か身につけた事があるような、手馴れた動きである。

 寅之助が陽野の人間である事を考えると、その姿で稽古など普通にしているのだろうか。

「身支度も整ったようだな。では、改めて言うぞ。忠敬、寅之助、それに小春。ナグル殿を森の外までお連れしてさしあげなさい」

「はい、これはお弁当。虎ちゃん、小春ちゃん。忠敬の事をお願いね」

「はっ、命に代えても若の事はお守りいたします」

「危険だと判断すれば直ぐに戻ってきます。それに、どういうわけだか私達は迷わないようですし。きっと大丈夫です」

 そう言った小春は何時の間にか着物の上に外衣、和装のコートを羽織っており、薫子の手から風呂敷に包まれたお弁当を受け取っていた。

 あまりにも極自然に仁志と薫子がその名を上げた為、忠敬が小春の同行に気付くのは少し遅れる事となった。

「え?」

 疑問符を一言で表し、小春を見上げる。

「若、なんですか。そのえっと言うのは? まさか寅之助さんがいれば十分だと、小春ではご不満ですか!?」

「違います。ちょっとびっくりしただけで、不満とかは。特に……」

 確かに不満はないが、涙目で詰め寄られ少し面倒臭いと思ったのは秘密である。

「小春を捨てないで下さい。正妻でなくとも、お妾さんで妥協しますから!」

「あらあら、小春ちゃんったら。心配しなくても、忠敬の隣はまだまだがら空きよ」

「小春殿もこれがなければ……殿、どうかいたしましたか?」

「いや、遠き日の小春の母を思い出しただけだ。アレも終始、このような感じであったなと」

 そしてさらに抱きつかれて喚かれ、かなり面倒臭いと訂正する忠敬であった。

 そこに助け舟はなく、引いているナグルを除いては好き勝手に言うだけである。

 忠敬は一つ溜息をついてから、すがり付いてくる小春の背中をぽんぽんと撫で付けた。






 二度目となる迷いの森であるが、やはり忠敬たちにとっては普通の森にしか思えなかった。

 確かに木々の背が高く好き勝手に伸びた枝たちは太陽の光を遮って、昼前であるにも関わらず辺りは薄暗い。

 僅かな木漏れ日からは太陽の位置を知る事は難しく、獣道すらない茂みを歩けば余計な体力を消耗する。

 だがそれだけである。

 森の木々が勝手に動く事もなければ、テリトリーに入りさえしなければ獣たちも襲ってはこない。

 それに忠敬たちには自分達が真っ直ぐ歩いている自信と、裏づけがあった。

「ナグルさん、そちらではないですよ」

「あ、あれ……これは申し訳ない。ふと気がつけば何故か目の前にあるはずの、寅之助さんの背中を見失ってしまって」

 これまでにも何度かあったが、本当になんの前触れもなく、先頭から二番目を歩くナグルが道なき道をそれていく事であった。

 忠敬たちは、そろって前へ進んでいても、ナグルだけが何故か本人の意思に反して道をそれてしまう。

 それこそが迷いの森たる所以なのかもしれないが、忠敬たちにはその効果が及ばないようだ。

「それにしても、ナグルさんはどうして森のこんな深いところにまで狩りにきたんですか?」

「普段は俺もここまで踏み込みません。俗世間を離れている坊やや家の人は知らないかもしれないが、外では少し前に領主様が変わったんでさ。おかげで、急に税が引き上げられてしまって……」

「領主様がですか?」

 呟く言葉にとっさに"が"を挿入して、小春が呟いた。

 領主の存在を知らないのと、領主が変わった事を知らないのでは印象が異なってくるのだ。

「迷いの森は奥に踏み込みさえしなければ迷う事はありません。この森の動物は毛並みが素晴らしいと良い値段で売れるので村では貴重な収入源なんです」

「税に追われ、気がついてみれば森の奥深くに踏み込んでしまったと」

「ああ、そうです。寅之助さんに救われなければ、今頃はワルフの胃袋の中でした」

 あの時の事を詳細に思い出してしまったのか、両腕をかき抱いてナグルが身震いを起こし始める。

 その時、先頭を歩いていた寅之助が、ナグルの視線が足元に向いたのを見て、忠敬と小春に視線を寄越して頷いてきた。

 今の一連の会話でもかなりの事が分かったからだ。

 領主と言う存在から分かるのは、ここが日本ではないと言う事である。

 今の日本に、俗世間から離れた孤島か何処かに領主制度で政治をする僻地があれば別だが。

 その可能性は低いだろう。

 日本ではないが、何故か日本語が通じると言う矛盾はこのさい置いておく。

 通じるのであれば通じる方が望ましいからだ。

 理由は定かではなくとも出来る事柄に頭を使うよりも、出来ない事、または困った事に対して頭を使うべきである。

「あの、深く踏み込むつもりはないのだけれど、皆様方は迷いの森の奥でどうしてお住まいなのですか? いえ、本当に立ち入るつもりはありませんが、俺が住むウィルチの村の者にとっては生活に関わる場所ですので」

 腰を低く伺うように尋ねてきたナグルの問いかけは、返答の難しいものであった。

 恐らくナグルは、村に住む者として今日の事を村長か誰かに報告するつもりなのだろう。

 ここで無理に秘密にしろというのも、怪しすぎる。

 今後、森の中で生活が続く事を考えても避けたかった。

 例え秘密にしろと言ったところでナグルは了承しながらも、それこそ秘密裏に報告するのが目に見えている。

 迷いの森という深く踏み込めない場所とは言え、ウィルチの村の人間は謎の一族が住んでいると知って良い気はしないはず。

 直ぐに元の場所に戻れないとしても、変に事を荒立てる必要は無い。

 さてどう答えたものかと、忠敬が頭を捻ろうとしたところで寅之助が先走ってしまう。

「殿と若、そして俺は侍でござる。遥か昔に形は滅びながらも、志や技術が脈々と受け継がれた気高い戦士の一族」

 腕を組み、自分の台詞に勝手に納得したように頷いていた。

 間違ってはいないのだが、あまり良い回答ではなかった。

 少々慌てて忠敬が寅之助の言葉を軌道修正する。

「世の為、人の為に剣を振るう者です。ナグルさんを助けたのも、人の為にという志あっての事です」

「その通り、想いのこもらぬ刃は凶刃。若は志だけは一人前でござるなあ」

 呆れるように言われ、少々額がひくついたとしても仕方のない事だろう。

 気高い戦士の一族などと言っては、戦う事に意味を見出す危ない集団に聞こえてしまうのだ。

 それをなんとか修正しようと、世の為人の為としたのに、何故口だけと言われねばならないのか。

「それは一安し……いえ、私もそのような人たちがいる場所で襲われ、ある意味運が良かったです」

 ぽろっと漏れたナグルの本心は聞かぬ振り。

「自分の事を正義の味方みたいに言って。若、可愛い」

 そして分かっていて言っているのか、何も考えずに言っているのか。

 小春の言葉に、フォローしてくださいよと頭の中で愚痴る。

 正面向かって言ってしまえば、きっと泣く、絶対に泣くからだ。

「しかし、そんな高い志と技術を持ったトラノスケさんなら、冒険者にでもなればより世の為、人の為に働けそうですが。俗世間を離れていては、その辺りはご存知ないですか?」

「耳にするのは初めてでござるが……冒険をしているだけでは、とても世の為人の為とは言いがたい気がするでござる」

「今や冒険者はそんな前時代的なものではありませんよ。困った人々の頼みごとを、組合を通して受けて解決するのが冒険者ですから」

「それは興味深い。少し足を伸ばしてみるのも良いかもしれませんな、若」

「そうですね」

 寅之助の言葉に、忠敬はしっかりと頷き返していた。

 困り事というものがどの程度のものかは分からないが、ウィルチの村との対立を回避する意味でもなっておいた方が良いかもしれない。

 残念ながら忠敬一人では不安しかないが、寅之助がいれば荒事であろうと大丈夫だ。

 ウィルチの村についたら、情報集めも兼ねていってみようと思う忠敬であった。







 途中で入れたお昼や小休憩の時間も込みで、迷いの森を抜けるのに四時間程かかった。

 歩いていたのは実質三時間に満たないぐらいだろうか。

 妙に小休憩が多かったのは、慣れない防具を纏った忠敬の体力に不安があった為である。

 大人だけであれば、もう少し森を抜けるのは早かっただろう。

 森を抜けてからは、文字通り飛びあがって喜ぶナグルの案内でウィルチの村へと向かった。

 獣や小動物といった生き物の気配が濃厚な森とは違い、風にそよぐ草花の絨毯の上を歩いていく。

 とは言っても、ウィルチの村は迷いの森から目と鼻の先であった。

 草花の絨毯が途切れた一帯、そこにぽつりぽつりと粗末な木造の家が建っている。

 二階建てなどない、平屋のものばかりで、かといって広い土地を十二分に使った家もない。

 本当に村である、ただし一世紀近くも前のイメージの。

「これはまた……」

 ついついこぼしてしまった忠敬の呟きに、恥ずかしそうにしながらナグルが笑う。

「小さな村ですから。けれど、冒険者の組合はありますから。あそこです」

 ナグルが指差したのは、あばら家のような建物ばかりの中で、異質ともいえる建物であった。

 村の規模から需要を見越して建物の大きさこそ、特別大きくはないが、外観は整っていた。

 木造一辺倒ではなく、壁にはレンガが用いられており、造りがしっかりしている事が伺える。

 このような小さな村にさえ専用の建物を作るとは、組合とやらの規模は思っていた以上に大きいのかもしれない。

「では本当にありがとうございました。本来ならば、家に招いて御礼をするところなのですが……」

「いえ、そんなお怪我をされたばかりの方に無理は言えません。養生なさってください」 

 ナグルも粗末な家に忠敬たちを招く事を躊躇したようで、忠敬の方から辞退を申し出る。

 もっとも口から出た言葉に偽りはない。

 何度も頭を下げて去っていくナグルを見送ってから、忠敬たちは冒険者の組合へと向かった。

 途中、忠敬たちの身なりを見て驚いたり、隠れたりする人もいたが特に問題はなかった。

「御免」

 レンガの壁同様、厳重そうな分厚い木の扉を開いて、まず寅之助が入っていく。

 造りはしっかししているが、広さは周りの家と大差ない。

 雑談用のテーブルが二つほど、壁にはいたるところに張り紙があり、後は組合の人がカウンターの向こうにいるぐらい。

 寅之助と同じか、もう少し上の年頃の女性である。

 カウンターに頬杖をついて暇そうにしているのは、冒険者らしき人の影も形もない事が関係あるのだろうか。

「あら、珍しい」

 それは忠敬たちそのものを指しているのか、冒険者が珍しいと言う意味なのか。

 両方という線もあるなと忠敬が思っていると、壁に張られた張り紙にまぎれていたあるものが目に映る。

 思わず駆け寄り、まじまじと見つめるが、視覚情報以上の事は理解する事が出来なかった。

「そんなに地図が珍しいかい、坊や」

「初めて見ました」

 嘘は言っていないが、良い意味で女性の気を引けたようだ。

 立ち上がり様によっこいせと年寄り臭い台詞を呟きながら、女性がカウンターを出て忠敬の隣までやってくる。

 そして地図を指差し、簡単な説明を行ってくれた。

「これはカータレット王国周辺の地図だよ。組合に行けば、たいてい張ってあるものさ。今居るのが、ここ。迷いの森近くのウィルチ村」

 中央に描かれ城と街の絵が、そのカータレット王国の王城と王都だろうか。

 ウィルチ村は王都から北西にあり、迷いの森は詳細が分かっていないようで地図の途中で途切れている。

 それにしても、日本語は通じるようだが、文字までは通じないようであった。

 地図上に書かれていた街や村の名前は、読み取る事が出来ない。

「で、王都であるカータレットが中央にあるここ」

 へえと驚いた演技をしながら、忠敬は家に戻ったら地図帳からカータレット王国を探してみようと思った。

 予想通りであれば、そんな王国は見つからないだろうが。

「さて、坊やはともかくとして……あんたらは、仕事探しかい? この村は見ての通りだからね。お気に召す依頼があるとは思えないけど」

「いや、俺たちは冒険者に興味があってやってきた」

「登録って誰でも出来るんですか?」

「……出来るさ」

 寅之助と小春の言葉に、妙な間を持って女性が答えてきた。

 尋ねられた内容と、身につけた衣服や武具からチグハグな感じを受けたのだろう。

「まずは自己紹介。私はウィルチ村で冒険者の組合を仕切ってるヘイゼルだ。とは言っても、毎日ぐうたらしているだけだけどね」

「俺は、陽野 寅之助だ」

「私は、美濃 小春です。それでこちらの方が、稲葉 忠敬様です」

 小春の紹介によりヘイゼルの眉があがったのは、受けたチグハグ感を自分なりに納得できたからか。

 忠敬のような子供を大の大人が様付けしていれば、良い所の坊ちゃんが物見遊山の旅というところだろう。

 一度カウンターの中に戻ると、後ろの棚を引っ掻き回し、何点か物を取り出した。

 それらをカウンター奥の机の上に置き、おもむろに眼鏡を掛けるとガリガリと石を削るような音を手元でたてながら言った。

「仕事は基本的に組合に出向いて、張り紙から選ぶ事。結果報告は、仕事を請けた組合にしか行えない。仕事を請けた組合に戻ってこないと金が受け取れないから、遠出の依頼は気をつける事」

 自己紹介だけで、あっさりと説明に移っていた。

「仕事も護衛や討伐、肉体労働から雑用まで色々。けど依頼者は冒険者の実力なんてわからないのが殆どだからね。そこで身分証の出番」

 そう言ったヘイゼルは、手元で作業していた一枚のカードを掲げて見せた。

 大きさはトランプのカードと大差ないが、材質が石のようでかなり造りが荒いのが見て取れる。

「新入りは何処にでもある石から作られたカード。刻まれるのは名前と依頼完了の星印。星印を一定集めると、鉄、銅、銀、金、白金とカードが豪華になっていくわ。カードが豪華になれば刻まれる情報も住所や代表的な解決依頼など増えていく。まあ、普通の奴は銀止まり。一流が金、英雄が白金ってところね」

 最後に「はい出来た」と呟いたヘイゼルが寅之助と小春に石のカードを投げ渡す。

 二人は無造作に、しかも急造された石のカードを覗き込んで、一様に暗い顔となった。

 カードとは言っても連想できるのは石の厚みの薄さだけで、長方形になりきれていない。

 辺は歪んでおり、角は角と表現出来ない程に丸みをおびている。

 裏も表も見分けは殆どつかず、形容しがたい文字が刻まれたのが表で、それは各々の名前なのだろう。

「ヒノとミノってちゃんと掘れてるだろ。しかし、そんななりでヒノとは、親も随分先走って名づけたみたいだね。まるで女の子みたいだ」

「俺の名前は寅之助だ。やり直しを」

「まあまあ、寅之助さん。名前が刻まれるか、苗字かの違いだけじゃないですか。それとヘイゼルさん、若の、忠敬様の分のカードもお願いします」

 忘れていたと額を叩く仕草をしたヘイゼルであったが、余計な事は言わずにもう一枚、石のカードの作成に入った。

 その様子を傍目に眺めながら、小声で言葉を交し合う。

「とりあえず、今日はこの辺で十分だと思います。日が暮れないうちに、一度戻りましょう。父さんに報告して、今後の事を考えなければならないですし」

「登録には少々拍子抜けした感がありますが、異論はないでござる。腕試しを兼ねた試験でもあれば、なお良かったでござるが」

「はい、若の言う通りに。お夕飯の準備に間に合うでしょうか。薫子様だけにお任せしては、心苦しいですし」

 意見の合致を見て、互いに頷きあう。

「はい、坊やのカードも出来たわ。それで、どうする? なにか依頼を受けてく?」

「いえ、今日のところは帰ります。それでは、カードありがとうございました」

「あ、あら……そう、なの?」

 忠敬たちは最後のカードを受け取ると、一度頭を下げてから組合の建物を後にした。

 カードを作るだけ作って、何も依頼を受けていかなかった忠敬たちに面食らった顔をしたヘイゼルをその場に残して。

本当は週一の投稿のつもりでしたが、祝日でしたしその2を投稿いたしました。

今回は、状況確認編。

序章も序章なので大きくお話に動きはありません。

看板に偽りありの状態を脱却する日はもう少し先になりそうです。

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