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その19 稲葉家と妖精

 お座敷にて定位置とも言える上座に座る仁志は、卓上にある一枚の地図を見下ろしていた。

 アイゼリアが持っていた地図を複写したものである。

 手書きのものなので精密さは失われているが、治めるべき三つの村の位置関係を把握する事は出来た。

 東西と南、それぞれの村がある場所には、本来は無かった追記がなされている。

 人口や年齢比などの情報に加え、仁志が目で見て、手で触れた農業の基礎となる土壌に関する記述であった。

 人口はどの村も百人未満、一番少ない南のサウル村であり、五十人をきっていた。

 どの村も過疎化に加えて、高齢化現象が起きているが、サウル村が特に顕著である。

 恐らくは、身近に大きな街がない事が大きいのだろう。

 東のウィルチ村はノーグマンが近く、西のストル村はさらに西の沿岸いある港街シートンズが近い。

 迷いの森にて狩った獣の毛皮を、それぞれの街に立ち寄る商人に売ればよい。

 だが南にあるサウル村にはどちらの街も遠く、シートンズと王都を結ぶ南の街道の宿場街は近いとは言い難かった。

 それは少し足を伸ばしてみようという商人がいない事を示している。

 自然と生活を農業のみに頼らなければならず、立ち行かなくなってしまったのだろう。

 だからと言って、南のサウル村よりも他二つの村が裕福かと言われれば、そうではないのだが。

 ノーグマンの領主や、他の在地領主が興味を示さないのも頷ける。

 衰退の二文字はあれど、現状のままでは繁栄という二文字とは無縁である事だろう。

「仁志君、お茶が入ったわよ」

 地図と睨めっこを続けていた仁志の耳に、妻である薫子の呼びかけが届く。

 何時ぐらいぶりに顔をあげたのか、首の後ろがじんじんと傷む。

 歪みそうになる表情を極力おさえながら、おぼんの上に湯のみを二つ載せて持ってきた薫子を見上げる。

「はい、どうぞ」

「ちょうど喉が渇いていたところだ。助かる」

「内助の功って感じよね。どういたしまして。それで仁志君から見て、村の具合はどんな感じ? 発展させられそう?」

 当然と、謙遜か自慢かどちらともつかない笑みで薫子が笑う。

 そして卓の前に座り、湯のみを配ると、身を乗り出すようにして地図を覗き込み尋ねてくる。

 ただ尋ねるにしても発展という言葉は、性急過ぎた。

「発展以前の問題が山済みだ。現実的に足りていないものがいくつもある」

「なんで? 仁志君が村の人たちに農業指導をすれば直ぐじゃないの?」

「指導とは生活の保障があってこそ、受けられるものだ。生きていくだけで精一杯の彼らに指導を受ける暇はない。各家庭に指導に行くにはこの身一つでは到底足りん」

「仁志君は、自分の畑もあるもんね。困ったわね。忠敬たちも、何時アイゼリアさんから解放されるか分からないし。二束の草鞋は辛いわ」

 認識が少し甘かったかなと、薫子がお茶をすする。

 考えても見れば物作りと違って農業は生命の搾取が前提の仕事だ。

 農作物の成長には時間がかかり、成果も時間を掛けなければ得られない。

 どんなに熱く作業の効率化や生産性の向上を説いても、人は実際に目で見て実感しなければ納得しないだろう。

 お茶の熱さに舌を慣らしながら薫子も自分なりに考えてみるも、お手上げ状態。

 だからこそ、少し期待するまなざしで同じくお茶をすする仁志を上目づかいで見る。

 惚れた弱みで自然と期待してしまう事もあるが、仁志の落ち着きようがそうさせるのだ。

 その頭の中にはある程度の考えがまとまっているのではと。

「こちらから変えるのではなく、村人達に変えさせれば良い。もちろん最初は手心を加える必要はあるが……」

 仁志が語ったのは、納税方法の若干の変更であった。

 これまでの納税は、各家庭の家族構成に対して定められた税額を決定していた。

 家族三人、例えば三十代の男を十とすると、同じく三十代の女が八、十代未満の子供が三。

 これに一定額をかける事で算出した納税額分の農作物を徴収していたのだ。

 ただ町長が各家庭の人数や年齢を把握していなかった事から、これまでの役人が幾らか懐に納めていた可能性もあるが。

 これを廃止して、納税専用の畑を新たにおこさせる。

 納税専用の畑の世話は、もちろん村人達が代わる代わる面倒を見るのだ。

 それも仁志が持つ農作業の知恵を遵守させ、そして収穫された作物を納税させる。

 村人たちからすれば、作業量は確かに増えたように感じるだろう。

 だが、こちらの畑は納税用、こちらの畑は自分達と分ける事で間違いなく張り合いが出てくるはず。

 自分達が手にする事の出来る成果物が、はっきりと目に見えるからだ。

「それに自分達の畑と納税専用の畑の収穫量の違いを知れば、自然と真似をする。畑の数も三つで済む分、私の目が行き届き、同時に農業指導も行える」

「でも、それで前年度と同じ作物量を収穫出来るの? 超えてれば良いけど、足りなかったりしたら追加で徴収する?」

「いや、ここからは少しいい加減な話なのだが。知っての通り、三つの村はノーグマンの領主が代々片手間で治めていた。適当な役人を派遣して、納税させていたのだ。だがおかしい事に、納税額は家族構成や年齢で決まるのに格村長がそれを把握していなかった」

「そう言えば、そうね。じゃあ、お役人が各家庭を回って徴収……なんて、面倒な事をするはずがないわね」

 そもそも町長を含め、他の村人達は納税額が家族構成により決まる事すら知らない可能性があった。

 となると派遣された役人のさじ加減一つで全て決まっていたのだろう。

 徴収された税の何割かは、役人の懐に納まっていた可能性もある。

 何せ誰も村の人口や規模を知らないのだから、過剰請求されても気付く事が出来ない。

 村の規模から納税額がそれ程でもない事は伺えるので、小遣い稼ぎ程度かもしれないが。

「三つの村を合わせて二百人から徴収できる税など、代々の領主は興味が無かった。最悪、納めたという事実さえあればよかったのだろう。実際に治められた作物の量も、私の畑一つでまかなえる程度だ」

「仁志君の畑って、五十平方メートルぐらい? もうちょい、あるかな? それで二百人分の納税額って……どういう事?」

「一番大きいのは収穫量の違いだろう。肥料を使った土壌の作成方法から、農具一つとっても比べ物にはならない」

 何を指折り数えるつもりだったのか、両手の指を見ながら目をまるくする薫子へと説明する。

 全てが手作業であるこの世界の農民と、小型の耕耘機を使う仁志では比べるものではない。

 さすがに耕耘機一つでは二百人には勝てないが、クワ一つで畑を耕すのと耕耘機で耕すのでは労力が違う。

 とりあえず、納税専用の畑の基礎は耕耘機を使用し、後はクワを貸し出す。

 指定する作物次第では、二毛作等も可能になる。

 恐らくは小麦と大豆。

 出来れば稲作をしたいところだが、稲と麦とした場合には灌漑と排水といった人工的な水の制御が可能な乾田化への土地改良が必要となる。

 さすがにここまで大規模なものとなると、現代技術無しでは数年単位の計画が必要であった。

 今の稲葉家ではそこまでの金もなければ、実績もない。

「彼等の生活の向上に関係して、現実的な策はそれぐらいだろう。後は、金銭の扱いを知る事や、若い労働力の確保。物品の流通を多くする事、これはこちら側の仕事だな」

「仁志君、楽しそうね。とても生き生きしてて、若返って見える。今でも十分若いけど」

「そうか、自分では普段通りのつもりだが?」

 普段通りのつもりではいても、指摘され、改めて省みてみると確かにそうかもしれない。

 そろそろ二十年近くになるか、親友兼右腕と共に金をかき集めて回った頃の気持ちが少し蘇る。

 当時と違うのは、やはり守るべき者が居るという事であろう。

 我武者羅に稲葉家の威信を取り戻そうとし、親友兼右腕とバブル期を駆け抜けた過去。

 先の事は露程も考えず、その時その時に命をかけていた。

 だが今は支えてくれる妻や、尽くしてくれる家臣、そして成し遂げたものを受け継いでくれる子供がいる。

 先を見据えなければならない。

 自分がやり遂げた結果が未来へとどう繋がり、忠敬がさらに次の世代へとどう繋げてくれるのか。

「さて、納税専用の畑についてはもう少し煮詰めねばなるまい。その後の事もあるしな。薫子、お茶をもう一杯頼む」

「はいはい、ちょっと待っててね。それと甘い物が何かなかったか見てくるわ」

 仁志のやる気を、肯定と受け取り、薫子は湯のみを下げて台所へ向かう。

 だがその前に一度振り返った。

 視線の先の仁志は、地図を見下ろし考えに没頭している。

 その瞳の真剣さに、惚れ直したかのように笑みを深め、薫子は今度こそお茶を淹れに台所へと向かった。













 仁志に二杯目のお茶を出してから、薫子は家事三昧であった。

 忠敬たちが外へ出ているので洗濯物は少ないが、小春がいないので人手が減っていた。

 家が広いのでローテーション通りに一角を掃除し、蔵へ赴いてはお新香や味噌、醤油等の世話をする。

 その合間に、頃合を見計らって再び仁志へお茶を差し入れ、家事に戻っていく。

 そうこうしているうちに、気がつけばお昼も近くなっていた。

 お昼は何にしようかと考えながら蔵を出ると、台所へ直通する勝手口側へと回り込む。

 仁志の畑に立ち寄って、相談する為だ。

「あら?」

 畑の前に立ち、手近にあった春キャベツの葉を手により指先で撫でる。

 その次に根元の土へと触れるが、完全に乾ききっていた。

 そう言えばと、今日は朝から仁志がお座敷から一歩も動いて居ない事に気付く。

 慌てて勝手口を開いて、お座敷まで届くように声を大きくして叫んだ。

「仁志君、今日畑に水まいたっけ?」

 返答は無かったが、少々慌てた足取りで仁志が勝手口にまでやってきた。

「村の事ばかり考えていて、まき忘れていた。こんな事では農業者失格だな。すまないが、薫子。手伝ってくれ」

「はいはい、分かっていますよ」

 二人で勝手口脇にある水道場の蛇口から、延長ホースを伸ばしていく。

 畑の端にまでホースを伸ばすと、仁志が合図を出して薫子が蛇口を捻る。

 すると仁志の手にあるホースのノズル部分からシャワーのように水が放たれ始めた。

 もうそろそろ正午近く、水をまくには遅い時間帯だが真夏ではないので許容範囲であった。

 仁志の水巻に合わせて、何度かホースを移動させ水をまいていると、ふよふよと何処からともなく水の塊がやってきた。

 無重力空間に浮かぶ水の塊のようなそれは、水の精霊のエチゼンだ。

「エチゼン、また手伝ってくれるのか?」

「あそぼう」

 普段からたまに手伝ってもらっているようで、ふわふわと宙を浮きながらエチゼンが霧雨を降らせ始める。

 こちら側からするとお手伝いなのだが、エチゼンからすると戯れの一環らしい。

 一体何処から何処までが戯れなのか、エチゼンは口数も少ないので分かりがたいところがあった。

「エチゼンちゃんも、もう少しお話ししてくれれば良いんだけど。レインちゃんなんかは、結構お喋りなんだけど」

「水属性の子は大人しい子がおおいもん。私の友達の水の妖精も、あんな感じだよ」

「そうなの? でも、アディちゃんみたいに氷の属性だと、そうでもないのよね。構ってちゃんなところはあるけれど」

「でもアレで結構恥ずかしがりやだよ。酔って暴れた後なんか、宝石の中から全然出てきてくれなかったもん」

 へえと呟いた後で、アレっと薫子は小首を傾げた。

 仁志とエチゼンは現在畑で水をまいており、一体自分は誰と会話していたのか。

 他に誰か精霊の子がと振り返ったところで、虚をつかれ、目を丸くする。

 直ぐ隣ではそれでねと話を続けようとしている、小さな女の子がいた。

 数日前に、野草を採りに行った時に見かけた妖精である。

「えっと、どちら様かしら?」 

「あ、いっけない忘れてた。私、氷の妖精のマルー。忠敬とアディいますか?」

「二人なら、ちょっと出かけてて居ないけれど」

 何故妖精が忠敬とアディを尋ねてくるのか。

 それも近所の友達が遊びに来たような感覚でだ。

 このアイゼリアからの任務で出かけた際に知り合ったのか、薫子は軽い混乱に陥っていた。

 何処から入ってきたかは定かではないが、危険な子であれば恐らく門前に控えるコマが黙っては居ない。

 一応、危険は無いのだろう。

 そして危険云々以前に、マルーという名の氷の妖精は可愛かった。

 まん丸の顔にくりくりの瞳。

 ツインテールにされた水色の髪が光の加減を幾通りにも変え、幾通りの可愛らしさを生み出している。

 全長の小ささも、ひ弱さに見えて庇護欲をかき立てていた。

「なにこの子、可愛過ぎるんですけど。撫でて良い、撫でて良い?」

「当然!」

 可愛い事か撫でても良い事かは定かではなかったが、答えを聞く以前から薫子は撫でていた。

 手の平を使うとちょっと怖いので、さすがに一指し指でころころとだが。

「客か、薫子?」

「妖精、氷」

 可愛いと連呼しながら嬌声を上げていた為、マルーの来訪は仁志にも知れた。

「忠敬とアディのお友達のマルーちゃん。マルーちゃんは、遊びに来たの?」

「ええ、そうよ。約束したし。あのね、忠敬から貰った食べ物が美味しかったから、アレ食べたいの!」

「そんな美味しい物をあの子持ってたかしら。味噌と醤油、あとは餅ぐらいだったはずだけど……まあ、いいわ。これからお昼食べる予定だけど、マルーちゃんも食べてく?」

「え、いいの。だったら、もちろん食べるわよ!」

 サムズアップ付きの返答に、最後にもう一度だけ薫子はマルーの頭を撫で付けた。

 元気の良さのみならず、食べ物につられた事や遠慮のなさはまるで子供だ。

 体の小ささは種族的なものにしても、見た目は忠敬よりも大人にみえるのだが。

 外観年齢は十四、五に見えるが、精神年齢は十歳未満に感じられた。

 とりあえず、エチゼンがいるならば、水まきで薫子がこれ以上手伝える事はない。

「お昼の用意は頑張っちゃいますか。マルーちゃんは、お外で待ってる? それともお家の中で待ってる?」

「外で待ってる。水の精霊がいるから、一緒に遊んでる」

「そっか。それじゃあ……エチゼンちゃん、しばらくの間マルーちゃんをお願いできないかしら。水まきが終わった後で良いから」

「いいよ」

 薫子は水まきを行っている仁志へと、視線だけで二人が何処か遠くへいってしまわないように頼んで勝手口へと向かった。

 ただそこから台所へと向かう前に、一度だけ振り返り、辺り一体を見渡す。

 畑に水をまく仁志と、それを手伝いながらふよふよ浮いているエチゼン、そしてエチゼンの周りを飛ぶマルー。

 その他には当然だが、誰も居ない。

 それだけを確認してから、今度こそ台所へと向かって行った。










「あー、美味しかった。もう食べられない」

 仁志や薫子と一緒に、お昼を食べたマルーは満足しきったようにごろんと卓上に寝転がった。

 目に見えてぽっこり膨れたお腹の中は、信じられないぐらい食べた証拠である。

 小さな体の何処に食べたものが入ったのか。

 お猪口に盛られた白米や味噌汁、その他はお浸しや冷奴、肉入り野菜炒めと本当に良く食べた。

 忠敬で例えると、どんぶり飯で白米からおかずまで全て食べた事になる。

「マルー、行儀が悪いぞ。食べて直ぐに横になるんじゃない。体にも悪いぞ」

「はーい。もう、仁志は細かい」

「そう言いながらも、座り直すマルーちゃんは偉いわね。ご褒美に甘い果物でも、切ってきてあげるわ」

「食べる、食べる!」

 もう食べられないと言う言葉を撤回し、諸手を挙げて歓迎する。

 そんなマルーを見て、食器を片そうとお盆に載せていた薫子が破顔する。

 そして人差し指でマルーの頭を撫でながら、ふいに仁志へと囁いた。

「二人目は女の子も悪くないわね。今夜ぐらいにでも頑張ってみない、仁志君?」

「ぐっ……げほ、子供の前でそう言う事を言うんじゃない。前にも言っただろう」

「あ、なんか良くわかんないけど子供扱いしてる。私これでも、仁志や薫子よりも年上。何歳かは忘れちゃったけど、確か百歳は超えてるんだから!」

 良く分からないと言っている時点で大人とは言いがたい。

 薫子は「はいはい」と相手にせずお盆を抱えて台所へ向かい、むせてお茶で汚れた口元を拭った仁志も「そうか」としか言わなかった。

 卓上で薫子の真似をして正座をしたが、直ぐに足が痛くなって崩しているマルーに大人だといわれても、そうですかとは信じ難い。

 もちろん、座布団代わりにハンカチを小さく折り畳んだものを代用している。

 何度か座り直すも、結局どの座り方もしっくりこなかったようだ。

 思いついたように卓上の隅にかけより、ハンカチ座布団を強いて足を投げ出して座り込む。

 そのままブラブラと足を振って果物を楽しみに待つ姿は、やはり子供だ。

「そんなに気に入ったのであれば、また食べにくると良い。忠敬たちがいないと、この家の中が広く感じる。客人は大歓迎だ」

「それなら今度は他の子も連れて来て良い? 本当は、あの茶色いやつと黒い液体貰って帰ろうかと思ってたんだけど。あんなに美味しいご飯は初めて」

 忠敬から携帯食料等を貰った事は既に聞いている。

 妖精が味噌と醤油を欲しがるとは、ややイメージから外れるが仁志は気にしなかった。

 ただ、精霊が戯れ好きであるように、妖精が食道楽好きなのかと考えていた。

「普段はどのようなものを食べているんだ?」

「木の実が中心かな。けど、薫子みたいに採れたものを特別手を加える事はしないかな? 誰もそんな事を考えなかったし。そのままでも十分美味しかったから」

「では果汁でジュースを造ったりはしないのか?」

「それは造るよ。お酒も造ったりして、皆で飲んで食べて、踊って歌って。そんな感じ」

 一度立って踊ろうとしてみせてくれたが、くるりと回ったところで膨れたお腹に振り回されてコテンと転んでしまう。

 一瞬なにが起こったのかわからないような顔をしていたが、直ぐに立ち上がって言い訳を始めた。

「違うもん、何時もはちゃんと踊れるの。ただ食べ過ぎただけ!」

「ああ、次に皆で来た時に見せてくれ。忠敬たちもいる時の方が良いだろう。楽しみにしている」

「絶対、だからね。歌だって綺麗に歌えるんだから!」

 もう一度楽しみにしていると言って、ムキになるマルーの頭を撫でる。

 話を聞いた限りでは、食道楽ではなく、道楽が好きな事が分かった。

 楽しい事が好きだと言う基本は、精霊と同じらしい。

「あらあら、なんだか楽しそうで妬けちゃうわね。はい、マルーちゃんイチゴよ。あと、味噌と醤油を包んでおいたから帰りに持っていってね」

 台所から戻ってきた薫子の手には、風呂敷に包まれた味噌と醤油、そして畑から収穫したばかりのイチゴを載せたお皿があった。

「おっきい……今までこんな大きなイチゴ見たことない。良いの、本当にこんな凄いの良いの?」

「こんなに喜んで貰えるなんて、農家冥利に尽きるわね、仁志君。後でイチゴも……さすがに、そこまで持てないか。じゃあ、次に来た時にでも持っていきなさい」

 途中から薫子の言葉は、マルーの耳には届いていない。

 視線は既に、お皿に盛られたイチゴの大群に釘付けであった。

 マルーからすれば一抱えもあるイチゴを手にして、瞳をキラキラ輝かせる。

 確かに自然に出来るイチゴと畑で生産されたイチゴでは、種類が元々違うが成長度は比べ物にならないだろう。

 何しろ、幾たびの品種改良を経て、甘味と大きさを両立した種類なのだ。

 やがて、恐る恐る口をつけ、その後は果汁で顔を汚しながらも食べつくそうと奮闘し始める。

 そんなマルーの顔をエプロンの裾で拭いてやりながら、薫子が面倒を見ていた。

「ほら、マルーちゃん落ち着いて。イチゴは逃げないわよ」

「んぐ、んぐ……こんなに食べても、まだある!」

 一抱えあるイチゴを半分食べても、まだまだマルーの瞳の輝きは収まらない。

 ただ、さすがにさらに半分、計一個を食べきった頃には限界であったようだ。

 お腹の膨れぐあいもそうだが、満足と座り込んだまま目がとろんとし、瞼が降り始めていた。

「マルーちゃんはお寝むのようね」

「だから、子供じゃ……はわぅ」

「子供も大人も一緒よ。お腹が一杯になれば眠くなるの。我慢しなくて良いのよ」

「じゃあ、寝るもん」

 お尻の下にあったハンカチ座布団を枕にして、眠りに落ちていった。

 すると薫子は、新たにハンカチを一枚引っ張り出してきて、お腹が冷えないように掛けてやる。

 そこまでは薫子も頬が緩みっぱなしであったが、その表情を真面目なものへと戻した。

 このままマルーを、と言うわけではもちろんない。

 ここからは、正真正銘大人の話であるからだ。

 仁志と薫子、そしてマルーの保護者との。

「そろそろ出てきていただけないでしょうか?」

「気付いておったのか」

 マルーが寝転ぶ直ぐそばに、これまでいなかったはずの妖精の長老が現れた。

 忽然と、まるで最初からそこに、マルーの傍にいたかのように。

 ただその姿はガラスに映ったかのように色合いが薄く、実体であるようには思えなかった。

「何故、分かった。擬態は完璧だと思ったのだが?」

「気付いたのは家内の薫子です」

 不可解そうに尋ねてきた長老の言葉を、仁志は薫子へと向ける。

「実際に気付いていたのは、マルーちゃんですよ。周りが思う以上に、子供って他人に対する警戒心が強いんです。ただその警戒心を削ぐのが簡単なだけで。けれど、マルーちゃんは知り合いである忠敬やアディちゃんがいないのに、直ぐに私に話しかけてきた」

 薫子が忠敬の母親であるという確信もなしに。

 しかも、以前は視線が交錯するだけでその場から逃げ出していたのにだ。

「その時、思いました。この子は、親が見ていてくれる事を知っているから、そこまで安心しているんだと。忠敬が本当に小さい時が、そうでしたから」

 ただし、と最後に薫子は付け加える。

「今はもう、私や仁志君だからって理由で安心してくれているんだと思いますけど」

 餌付けみたいなものだが、一度優しくされると子供は簡単に相手を信用してしまう。

 それが警戒心を削ぎやすいと言う事である。

 そこは少し心配だと、お腹が一杯で幸せそうに眠るマルーの頭を撫で付けた。

 一瞬、長老の羽、木の枝が広がったようなそれがざわめくが、薫子は風か何かと思って気にしなかった。

「ふん、わしがいる事を知っているのなら演技のしようはいくらでもある。少しでも妙な真似をすれば、即刻家ごと潰してやろうと思っておったのに」

「それは穏やかではありませんな。そこまで言うからには、一言では語りつくせぬ過去があるのでしょう。あえて、それを尋ねようとは思いませんが」

「同族の恥部には耳を塞ぐか?」

「予想がつくというだけです。ただ……現状を省みるに、遠くない先に同じ事が繰り返されるであろう事も予想がつきます」

 仁志の言葉に、長老が悪い意味で顔色を変える。

 もちろん、仁志達にとって悪い意味で。

 瞳の色が警戒から敵意へと変わり、長老の背中で広がる枝葉の羽がざわめく。

 だが仁志や薫子があくまで自然体でいる事から、長老は行動に移す事はなかった。

 普通ならば明らかな敵意、それに伴う力を見せ付けられれば本心はどうあれ身構える等の行動を行う。

 だが仁志と薫子にはそれがなかった。

 まるで何が起きているのか、全く分かっていないように。

 実際、仁志と薫子には精霊の力を感知する能力が欠如しているので、一部は長老の勘違いなのだが。

 何故そこまで自然体なのかと、興味をそそられ敵意を抑えた長老が尋ねる。

「何故、そう言い切れる?」

「長老が人間を必要以上に警戒している事は明らか。恐らく、普段から他の妖精達にも人間には気をつけろと教えているのではありませんか?」

「当然だ。我々は迷いの森を作り、さらにその中でわしが創り上げた結界の中で暮らさせている」

「その結果、人間と言うものを全く知らないマルーのような妖精は、警戒心は強くても、それを維持する力が薄い。だから今回のように警戒心は強くても、簡単に信じてしまう」

 長老が言い返す事も出来ず、言葉に詰まる。

 マルーだけでなく、他の妖精も警戒心は強くても危機感が薄い事には気付いていた。

 警戒心以上に、好奇心が強いと言い換えても良い。

 人間を知らないからこそ、その危険度を察知せねばならないが、どういう人間が危険か分からない。

 結果、全てを察した頃には……という事にもなりかねなかった。

「子育ての基本。危ないからって、何でもかんでも親が決めちゃ子供に考える力はつかないわ。一度や二度、危ない目にあっても良いの。親が手を出すのは、本当に危ない時だけ。それで将来のもっと大きな危険を避けられるのならね」

 一人の赤ん坊を十年育て上げた、言わば薫子なりの子育ての持論であった。

「ふん、そうやってわしを丸め込んで、狙いは妖精の粉か。それとも、珍品として金持ちに売りつけるか?」

「疑り深いのも結構、ですがよく考えてください。本当に子を思うなら、どうするべきか。人間の本当の怖さを知るのは、やはり人間。それに我々の住居は貴方方と同じ迷いの森の中。悪さが過ぎれば、直ぐに潰せましょう?」

 幾ら長老が悪意を指摘しても、仁志や薫子の意見は揺るがない。

 そもそも互いの視点が違うのだから、揺るぎようがなかった。

 長老は仁志達、稲葉家の人間が悪しき人間である事を疑っているが、仁志達は違う。

 マルー達が悪しき人間にかどわかされないよう、知恵を授けたいと思っていた。

 卓上で暢気に眠るマルーは、余りにも悪意に対して無防備過ぎる。

 例え、保護者が近くにいる事をなんとなく察し、感じていたとしてもだ。

「この子らがここに来る事を許したわけではないが、その言葉を忘れるな。この森はわしが作り上げた。わしの目が届かない場所など……」

 一瞬ハッと気付きながらも、長老はあえて言いきった。

「届かない場所などない。お前達の事は気に入らぬが、精霊達が気に入っておる。追い出しはせんが、過度な干渉はその身を滅ぼすと知れ」

「ん~……もう、うるさい。だれぇ?」

「誰ではない、この馬鹿者が。アレからまだ日も経たぬうちに結界を抜け出しよって。帰るぞ、マルー」

 寝ぼけ眼でこしこしと瞳を擦るマルーの片手をとり、長老が枝葉の羽で宙に躍り出る。

 数秒後、遅まきながら保護者である長老がいた事に気付いたマルーは何よりも先に手を伸ばした。

 薫子が用意してくれたお土産へと。

「わっ、なんで長老が。待って、お土産。皆で食べるんだもん!」

「まったく、お前と来たら……」

「はい、どうぞ。また来て下さいね。何時でも、歓迎しますから」

「二度とこんわ。マルー、お前も二度とこんな場所にくるでない!」

 長老に叱咤されているはずのマルーは、やはり話を右から左へと流していた。

 薫子から手渡された風呂敷包みを大事そうに両手で吊り下げ、少しよだれをたらしている。

 あれだけ食べて、少し寝たら、またお腹が空いてきたらしい。

 餌付けされよってと、長老も少しばかりマルーの危うさに危機感を抱きながら、手を引いて去っていった。

「しかし、ご近所さんとはもう少し上手くやりたいものだな」

「人間不信の偏屈爺さんと可愛いお孫さんってところかしら。まあ、長い付き合いになるんだから関係修復も長い目で見て行きましょう」 

 長老の態度がどうあれ、二人の認識はそんなところだ。

 人間と妖精、種族は違えど同じ迷いの森という地域に住む者同士、上手くやりたい。

 最近は寂しくなる事が多い稲葉の家に、マルーのような娘が遊びに来てくれるなら尚更。

 そして、次はマルーのように可愛い娘も良いかもしれないという認識も同様に行っていた。

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