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その17 妖精探索

 アイゼリアから説明を受けて分かったのは、妖精と精霊はほぼ同じであるという事であった。

 万物に宿る力、この力の定義は諸説あるので省かれたが、それが精霊と妖精の元となった存在。

 精神のみの存在であるそれが長い時間を掛けて変化し、二つの存在に枝分かれした。

 一つは精霊、我というものがほとんど存在せず、この世には現象という形でのみ姿を現す不滅の存在である。

 もう一つが妖精、この世に完全な形で姿を現し、人のように理性を持って生の営みを行う。

 本当にさわりだけだが、説明を受けた後に、二手に別れた。

 アイゼリアが妖精を見た場所を中心に、近辺を捜索する為にである。

 寅之助とアイゼリア、忠敬と小春の二手に別れて、現在は藪を掻き分けながら妖精の捜索中であった。

 妖精の身長は、だいたい二十センチ程度。

 鬱蒼とした森の中を探すには、あまりにも小さな相手であり、その捜索は難航していた。

 森の中をただ突っ切るなら、いずれ終わりが来る事は分かっているし、歩んだ分だけ目的達成に近付くのだ。

 だが捜索となると、そもそも妖精が何処にいるかもわからない上に、見つかるとも限らない。

 あっちへ行っては藪を掻き分け、こっちへいっては藪を掻き分ける事を延々と繰り返す。

 とても根気のいる作業であり、三十分も経とうかという頃になれば、疲れるというよりも滅入ってきた。

 アディなどは途中で飽きてしまったのか、地べたに転がって遊び始めている。

 遊んでくれと言われるよりは良いのだが、少し恨めしく思ってもバチは当たるまい。

「アイゼリアさんの話を聞いて、思ったんですけど」

 さすがにたった三十分では、休憩にはまだ早いと辟易する気持ちを紛らわせる為に忠敬がとある話題を口にした。

「アディさんたちって、精霊から半ば妖精に変化してしまったのではないでしょうか?」

「確かに、若の言う通りですね。アディさんたちは手で触れられますし、お喋りできますからね」

「かも知れぬが、我は別にどちらでも構わん。精霊だろうが、妖精だろうが。属する枠組みが多少変わるだけの事であろう? それで我がどうにかなるわけでもない」

 忠敬の疑問は、張本人であるアディが一番興味を示してはいなかった。

 名を呼ばれた事で一度は顔をあげるも、直ぐに降ろしてごろごろし始める。

 仲間外れを嫌う割には、我が薄いところも半霊半妖な所以なのか。

 結局それだけで会話の種は発芽する事なく枯れてしまい、黙々とした作業に戻ってしまう。

「若、一度場所を移動しませんか? アイゼリアさんを見て逃げ出したようですし、近くにはいないのかもしれません」

「そうですね。てきとうに、移動しながら探しましょうか。アディさん、遊んでないで行きますよ」

「仕方がないのう」

 しぶしぶといった感じで立ち上がったアディの体毛が土で汚れてしまっていた。

 折角綺麗なのにと、忠敬が簡単に手で払ってやった。

 するとやっと構えてもらえたかと、嬉しそうにアディが尻尾を振り、じゃれ付いてくる。

 忠敬も疲れていたので、気分転換に構ってやろうとアディの頭や首筋に手を伸ばして撫で繰り回す。

「アディさん、良いなあ。若、私も後で撫でてください」

「何をわけのわからない事を。アディさんを、撫でてやってくださいよ」

「忠敬に撫でて貰えるのは我の特権だからの。ふっふ、羨ましいか」

「私だって、若の犬になりたいのに……」

 小春の不穏な言動は無視をして、無心でアディを撫で付けていると、近くの藪が揺れた。

 枝葉を擦り合わせ、ガサガサと音を鳴らすのは獣か何かが飛び出してくる前兆だ。

 戯れを邪魔され、苛立ちながら身を低くしてアディが構え、忠敬もまた護身刀の柄へと手を伸ばす。

 慌てて小春も帯の中に隠している短刀を取り出そうとするが、咄嗟の事で心の切り替えが上手く行かず手間取っている。

 小春だけが戦闘準備を終える前に、それは飛び出してきた。

「え、ちょっと待ッ」

「助けてェ!」

 飛び出してきたのは、探していた妖精であった。

 アディの本体である宝石と同じ、淡い水色の髪を頭部の両脇で二つに結っている。

 雪のように白い肌を覆うのは、レオタードのように肌に吸い付く肌着と、その上から袖やスカートとなる布地をあてがっていた。

 衣服本来の意味は薄く、自らを飾り立てる程度の意味しかない。

 身の丈は二十センチ足らずの彼女が、背丈のある藪を飛び出してこられたのは背中にある羽のおかげだろう。

 ブレード状になった薄い氷の一対の羽が、宙に浮く体を支えていた。

 言葉通り助けを求めながら飛び出してきた彼女は、そのままアディの口内へと飛び込んだ。

 より正確に表現するながら、飛び出してきたところをアディに一口で食べられた。

「まったく、無粋な奴め。我と忠敬の戯れを邪魔するとは」

 求めていた相手が向こうから飛び込んできた事や、その相手をアディが食べた事に固まっていた忠敬と小春が我に返った。

 そのまま妖精を飲み込もうと顎をあげたアディを、必死に止めにかかる。

「アディさん待ってください。飲み込んじゃ駄目です!」

「気持ちは分かりますが、吐き出してください。最終的に困るのは若なんですよ!」

「アレ、何時の間にか夜に……そうか、私逃げきったんだ。やれば出来るじゃない、凄いぞ私!」

 アディの口の中にいるのに事態が飲み込めていないのか、妖精の暢気が言葉が聞こえた。

 忠敬がアディの首に縋りつき、小春が閉じた口をこじ開けようと上顎と下顎を掴む。

 だが意固地にでもなったように、アディは頑として口を開かず、抵抗を続けている。

 何を駄々っ子のようにと同時に思った忠敬と小春であるが、これまた同時に気付いた。

 アディは駄々をこねているわけでも、意固地になったわけでもなかった。

 雪のように白いアディの体毛は普段、新雪のようなサラサラ感とそれに似た冷たさを持っている。

 それが今、ほんのりと本当の狼か犬のように体温を持っていた。

 明らかにアディは平常ではなかった。

「アディさん?」

 少々心配げに、忠敬がアディの瞳を覗きこむ。

 瞳の焦点があまり合っておらず、ゆっくりと振り返ったアディがにへりと笑う。

 見た事のないようなしまりのない笑みでだ。

「らららか!」

「え!?」

「うひゃぅ」

 叫んだ拍子に妖精を吐き出しながら、アディが忠敬に圧し掛かった。

 押し倒し、勢いで忠敬が地面で頭を打った事すらいとわず、じゃれつき顔を嘗め回す。

 これまでアディは構って欲しそうに顔をこすり付けたり、じゃれつく事はあった。

 だが、本当の犬のように誰かの顔を舐めたりした事はない。

 人と全く変わらない自我を持つ以上、やはり舐めるといった行為には抵抗があったのだろう。

 そのアディが、忠敬の顔を舐めまくり、親愛では決してないない狂乱の様を見せていた。

「今度は急に昼になった。一体、どうなってんの!?」

「アディさん、そんな抜け駆け……もとい、若が迷惑がっています。離れてください!」

「わ、びっくり!?」

 全くの無防備だった目の前の妖精を無視して、小春がアディを引き剥がしにかかった。

 一抱え以上あるアディの胴回りに両手を回すも、地中深くに植わる芋のように苦戦する。

 それだけならまだしも、じゃれつき飽きたアディが振り返り小春を見た。

 もちろん、我に返ったわけではなく、次の標的としてだ。

 一瞬、忠敬の事も忘れ跳び退った小春の感は間違ってはいなかった。

 得物を狙う獣のように、ゆっくりと振り返ったアディが小春へとにじり寄る。

 そして両者同時に駆け出し、迷いの森の中を疾走していく。

「らからかはにゃいではらいか、こらる。らぎってくるろう!」

「なんで酔いどれ口調なんですか。あんなに舐められたら化粧が落ちちゃいます。せめて、せめて若の居ない所で。あと出来れば、お化粧直しが出来る場所まで!」

 藪を掻き分け二人の姿が見えなくなるまで、時間は掛からなかった。

 ただし、数分と経たずに小春の悲鳴が聞こえてくる。

 地面の上に大の字で寝転がっていた忠敬は、それを聞いてもしばらく動けないでいた。

 後頭部は痛み、顔はよだれではなく霜か何かで冷え切ってピリピリと痛い。

 そして改めて確信する、アディは精霊であると。

 アイゼリアの説明にもあったが、妖精の身から零れる粉は精霊を活性化させる効果がある。

 活性化、つまり酔っ払うのだ。

 マタタビを与えられた猫のように。

「なんだか良くわかんないけど、精霊が一緒って事は良い人? だったら、助けてくれない? 悪い人に追われてるの!」

 気力と言う気力がまるで湧かず、溜息でもつきたい気分の忠敬を、恐る恐るといった感じで妖精が上から覗き込んできた。

 目線を向けると及び腰になるが、忠敬が子供という事もあってか逃げる事は無かった。

「あ、たぶんそれ大丈夫です」

 妖精の懇願を前に、億劫な気持ちをおいやり忠敬は答えた。

 この迷いの森の深部とも言える場所で歩き回る事が出来る人など限られている。

 体を起こし、妖精が飛び出してきた藪へと振り返り、次に現れるであろうその人を待つ。

「若、小春殿の悲鳴が。それとこの辺りに妖精が逃げてきませんでしたか?」

「アディ殿がいないようですが……」

「で、出たわね。悪い人間!」

 予想通り現れた寅之助とアイゼリアへと、忠敬の体に隠れながら妖精が指差しながら叫ぶ。

 妖精を見つけたまでは良いのだが、その後にどう声を掛けたのか。

 その内容がいかに穏便であろうと、やはり数十倍近い大きさの相手に言われれば怖いだろうなと自分の影に隠れる小さな妖精を見て忠敬は思った。









 忠敬の胸元にある襟と襟の隙間に入り込みながら、忠敬の胸元で揺れている精霊石を妖精のマルーがノックする。

「もう直ぐ私達の村に着くよ。ねえ、アディ聞いてる? 出てきなよ。大丈夫だって、妖精の粉を直接口に含まない限りは」

「しばらくの間、そっとしておいてあげてください。初めての醜態と言う奴に、自己嫌悪に陥っているだけですから」

「別に誰も気にしてないのに。おーい、おーい」

 あの後、酔いから覚めて我に返ったアディは、忠敬たちが悪人ではないとだけ告げて精霊石の中へと戻っていった。

 相当恥ずかしかったのだろう、忠敬や小春とは目を合わせる事もせずにだ。

 それからうんともすんとも言わず、引きこもってしまっている。

 それでも懲りずに精霊石をノックしているマルーは、一応寅之助たちへの警戒は解いていた。

 同じ氷属性の精霊であるアディが言うならと、本当に一応であった。

 その証拠に、アディがいる精霊石の傍を離れようとはせず、忠敬の着物の前襟の部分に挟まっている。

 現在忠敬たちは、マルーに案内されながら妖精の村を目指していた。

「もう、つまんない。ねえ、忠敬たちはなんでこの森の中で平気なの? 普通の人間なら、直ぐに迷っちゃうのに」

「アディさん曰く、僕らはこの森の精霊たちに気に入られてるみたいなんです」

「確かに言われてみれば、普通の人間とちょっと違うわね。そっちとそっ……怖、その人怖!」

 忠敬の着物の中をもぞもぞと移動し、首の後ろ側から顔を出して後ろを歩いている寅之助と小春を見る。

 ただ、アディに続いて妖精にまで先を越されたと淀んだ空気をまとう小春を見てマルーが指差し言った。

 臆病なのに怖い者知らずと、妖精も精霊並みに良い性格をしている。

「気に召されるな、マルー殿。それより俺は、マルー殿の言う悪い人間が気になるのでござるが」

「私も詳しくは知らない。長老がね、最近森の近くに人間の悪い奴が住み着いたって言ってたから。気になって探してみたの」

 本人は何気ないつもりで言ったのだろうが、忠敬たちは気が気でなかった。

 この迷いの森に最近住み着いた人間など、自分達以外にいるはずがない。

 そもそも稲葉家は、昔から森に住んでいたが最近外の世界に興味を示し始めた事になっている。

 世間知らずな事はそれで誤魔化せるが、この森にさらに昔から住んでいる妖精に証言されては言い逃れは出来ない。

 アイゼリアや領主へ向ける献身を、今さら疑われては稲葉家のこれからも危うかった。

「ほら、盗賊とかならず者って奴?」

 だが次のマルーの言葉を聞いて、忠敬は振り返り、今にも暴走しそうな小春を押さえつけていた寅之助と目を合わせた。

 少なくとも稲葉家は盗賊やならず者ではない。

 盗賊の汚名を着せられたファーガスを匿った事もあるが、どうもそれをマルーが指して言っているようにも思えなかった。

「その話は気になりますね。現状、稲葉家の方以外にこの森を通過できる人がいる事は好ましい状況とは言えません。例えそれが、盗賊であろうと」

「とりあえず、長老なら詳しい事も知ってると思う。あ、ほら見えてきた」

 マルーが指差したのは、樹齢数百年はありそうな周りの木々に比べても一際大きく、威厳さえ感じられる大樹である。

 大人が十数人で手を繋ぎ合わせても、幹を一周する事は出来ないだろう。

 その大樹が地面に植わっている部分に、屈めば潜れる程度の洞があった。

 忠敬は大丈夫だろうが、寅之助たちは頭上を気にしなければ潜るのも難しい。

 そんな大樹の洞へマルーの案内に従って足を踏み入れる。

 瞬く間に太陽の木漏れ日すらも感じられない程に暗くなり、奥どころか、たった今入ってきたばかりの入り口さえ見えなくなった。

 それでも頭上に気をつけながら足を進めると、膜か何かを素通りしたような感じを受けた。

 直後、急に視界が開け光が差し込む。

 通常迷いの森の中は陽の光が木々に遮られ、木漏れ日のみであまり明るいとは言えない。

 だがそこは光に溢れていた。

 大樹の幹の中をくり貫いたかのような木目に覆われた空間は、外からみた大樹の幹より広く見える。

 まるで別の空間に迷い込んでしまったかのようにも思えた。

 木目のある壁には小さなドアが幾つもついており、妖精の家があるとなると見た目よりさらに広いはずだ。

 濃い木の匂いが鼻腔をつらぬき、光の強さも相まってやや眩暈がする程である。

 だが、静まり返って閑散としており、待っていたのは老人の姿をした妖精一人であった。

 マルーとは違い、深い緑のローブに身を包み、背負った羽は葉を覆い茂らせる木の枝にも見えた。

「全く、勝手に結界の外に出たと思えば、人間など連れてきよって……」

「だって行って来ますって言いに行ったら、長老止めるじゃない。だから皆も、こっそり勝手に出てくし」

 長老の言葉に触発されて、忠敬の懐から飛び出したマルーが宙を飛び駆け寄り、反論する。

「お前達、若い者は昔を知らんからな。安全な場所というものは、危機感を薄れさせる。困ったものだ」

 マルーに長老と呼ばれた老人の妖精は、やれやれと首を振っていた。

 その口ぶり、態度から忠敬たちが歓迎されていない事が伺える。

 これまでのマルーの態度や、危機感と言う言葉からも、妖精にとって人間とは怖ろしい者らしい。

 妖精の粉が精霊を活性化させる事から、人間が妖精に何をしたのかは想像に難くないが。

 長老はマルーに下がっていろと手で制すると、改めて忠敬達へと振り返り視線を交わした。

「さて、すまんが歓迎は出来んぞ。出来れば何も見なかった事にして去って欲しいものだが」

 そう長老が呟くと、彼が背負っている枝葉の羽がざわりと波打った。

 精霊への知覚能力が無いにも等しい忠敬達にさえ、彼の周りに何か特別な力が集まるのが感じられた。

「お待ちください。我々は、貴方達に危害を加えるつもりもありません。それと同時に、何も得ずに帰る事も許されません」

「駄賃が欲しいと? 聞いてやる義理もないわ。立ち去らんと言うならば、実力行使と行くが? この場は既に、わしの腹の中だと思い知る事になるぞ」

 再度、長老の羽がざわつき、今度は羽だけでなくこの場所、空間が脈打つ。

 まるで本当に長老の腹の中にでも踏み込んでしまったかのようであった。

 三百六十度、それこそ天井や足元からでさえ妙な視線のようなものを感じてしまう。

 具体性のない危機感を感じて身構えそうになった寅之助を、アイゼリアが振り返り視線で制する。

 ただし、危険性はアイゼリアの方がより大きく感じているようで、額に薄っすらと冷や汗をかいていた。

「争うつもりは毛頭ありません。話を聞いていただきたい」

 拒絶を示す長老へと、アイゼリアが食い下がる。

 その様子は少々急いているようにも見えた。

 彼女自身が誰よりも、危機的状況を理解しているというのにだ。

 今回の任務が地図の作成である事を考えると、今は特別無理をするべき場面ではない。

 それに他の妖精たちが長老の目を盗んで外に出ているのならば、少しずつ信頼を結ぶ事が出来る可能性もある。

「アイゼリア殿、ここは一先ず退散するべきでござる。これ以上、相手の心象を下げない為にも」

「小春さん、アイゼリアさんをお願いします」

「アイゼリアさん、失礼します」

 忠敬のお願いを聞いて、小春がアイゼリアを羽交い絞めにするようにして連れ出そうとする。

 少々不敬かもしれないが、上司を諌めるのも部下の役目かと思ってもらうしかない。

 そしていざ小春が体を張ってアイゼリアを止めようとしたところで、腰の重い彼女が動いた。

 忠敬の胸元で揺れる精霊石、引きこもっていたアディである。

 その姿を現すと、ふてぶてしい態度で長老の目の前にまえ歩み寄っていく。

「少しは落ち着け、神木の妖精。正直アイゼリアの事は詳しくないが、少なくとも忠敬たちは悪しき人間ではない。我の言葉を疑うなら、他にも精霊を連れてくるが?」

「氷の精霊、妖精か。どちらともつかんな。だが、どちらでもある。同胞の言葉ならば、聞く耳を持たんわけにもいくまい」

「長老、私からもお願いして良いかな? さっき忠敬の服の裏に回った時、背負っている物の中から美味しそうな匂いがしたし」

 マルーの言葉に対しては、頭が痛そうにしながら、長老は一先ず羽のざわめきを押さえてくれた。

 ただし忠敬たち人間を見つめる視線の鋭さは変わらず、警戒を解いたとは言いがたい。

「話を聞くだけなら聞いてやろう。ただし、妙な真似をすれば、結界の中から放り出すだけでは済まさんぞ」

「アディ殿と長老に感謝を。稲葉家の方々も申し訳ありませんでした。もう、冷静になれましたので大丈夫です」

 アイゼリア自身にも冷静さを欠いていた自覚はあったようで、軽くだが謝罪される。

「アディさん、ありがとうございます。なんとか、穏便にいきそうです」

「我は忠敬の守護精霊だからな。ただ、もう少し時間をくれ」

 忠敬も仲裁に入ってくれたアディに感謝を言うが、再び引きこもられてしまう。

 初めての羞恥という感情を整理するには、まだ時間が必要らしい。

 精霊石の中から現れ、そこへ戻っていくアディの在り方に長老がやや目を見張っていた。

 先程長老も口にしていたが、精霊と妖精の狭間にいるアディのような存在が気になるのだろう。

「ではお尋ねしたい事が二つあります。一つは妖精の粉の取引は可能なのか。もう一つは、この迷いの森にいる盗賊についてです」

「一つ目に関しては、ふざけるなと答えておこう」

 本当に話は聞くだけしか興味はないようで、即答であった。

「アレは髪の毛のように、わしらの体から勝手に生まれるものだ。惜しんでいるわけではない。人間と取引など出来ん。将来的にどうなるかも見えている」

「そこをなんとか、お願いできないでしょうか?」

「くどい。二つ目の盗賊の居所ならば、教えてやる。聞いたら、さっさと出て行け」

 再び食い下がったアイゼリアの言葉に、長老の雰囲気が険悪になる。

 妖精たちがこの森に住まう以上、その長である人物の印象をこれ以上下げるのは得策といえない。

 それなのに必要以上に食い下がるのは、妖精の粉が単純に高価だからとは思えなかった。

 アイゼリア自身、目先の高価な品に魅せられ、迷いの森の全貌を明かすという任務を忘れるとも考えにくい。

 妖精の粉という品に固執するのは、それなりの理由があるのだろう。

「奴らは森の北東、森の表層部分に根城を構えておる。あちら側は、ここからも遠いからな。さあ、問いには全て答えた。出て行ってもらおうか」

 長老の羽が枝葉を擦らせざわめき、一際大きくなる。

 辺り一体が脈打ったかと思った次の瞬間には、本当に足元が脈打っていた。

 木目のある床が大きく傾いたようになり、忠敬達四人を有無を言わさず転がしていく。

「わわッ!」

「若!」

 そんな状況で立っている事など、妖精のように羽がなければ不可能である。

 長老は大樹の洞の中を結界といったが、妖精の住まいを隠す意味と、実力行使が出来る場所と言う意味でもあったのだろう。

 長老の意志一つで如何様にも動かせる空間ならば、人間にはどうする事も出来ない。

 踏みしめるべき足場を奪われれば、剣術の達人である寅之助でさえ、成す術も無いのだ。

 忠敬や小春、精霊魔術師であるアイゼリアなどは語るまでもない。

 四人は波打つ地面に運ばれ、最後には入ってきた洞から放り出されてしまった。

 気がつけば、洞があった大樹の直ぐ目の前で、折り重なるように倒れていた。

「乱暴な御仁でござるな。せめて、心構えぐらいは欲しかったでござる。皆、怪我はござらんか?」

「大丈夫です。でも、あの長老気になる事を言っていましたね」

「気になる事ですか?」

 差し伸べられた忠敬の手を取りながら立ち上がった小春が尋ね返してくる。

「盗賊が根城を構える北東は、ここから遠いからと。この森で人が迷いのは、精霊のせいらしいですが、あの長老さんも一枚噛んでいるかもしれません」

「可能性はあります。例えば、彼が妖精の粉を使って精霊を活性化させ。人を迷いやすくしているなど」

 最後に立ち上がったアイゼリアが同意してくれたが、声がやや震えていた。

 妖精の粉に関する取引が決裂した事が、相当堪えているらしい。

「アイゼリア殿、少々伺いたいのだが、妖精の粉にあそこまで固執した理由はなんでござるか? この森の唯一の資源ならば固執する理由も分かる出ござるが、まだ調べ始めて一日でござる」

「申し訳ないですが、その質問には答えられません」

 誰もが気になっていた事を寅之助が尋ねるが、返答を拒否されてしまう。

 だがその返答の拒否が、アイゼリアの同様の度合いを示している。

 せめて上っ面でも、国の新たな財源にとでも言ってくれれば、怪しみながらも一応の納得は出来た。

 国の重要機密は言いすぎにしても、それでは財源以外の意味があったとしか思えない。

 一体それが何かは想像の域を出ないが、口が止まり、静寂が訪れる。

「ねえねえ、忠敬」

「え!?」

 そんな中、忠敬の着物の袖を引っ張り声を掛けてきたのはマルーであった。

 妖精の村か家を追い出された忠敬たちの傍にいてよい妖精ではない。

「なんで出てきてるんですか。長老が追い出した人のところになんか来てはいけませんよ。僕らが悪い人だったら、このまま浚われちゃいますよ?」

「大丈夫、大丈夫。それより、忠敬が背負ってるものって何が入ってるの? 良い匂いがするんだけど」

 何が大丈夫なのか、根拠を示して欲しいモノである。

 幸いアイゼリアは、目先の欲にかられてマルーを捕らえるつもりはないようだ。

 一応寅之助がその後ろで用心しているが。

 もしこの場でアイゼリアがマルーを連れて行くと言い出したら、稲葉家としてはどうするべきなのか。

 小役人的な立場である稲葉家としては断れない発言だが、モラルと照らし合わせ忠敬は逡巡する事だろう。

 ただ現状はアイゼリアは静観しているので、長期策と勝手に解釈して背負っていた風呂敷を外した。

「携帯食やら調味料の類です。欲しければ、マルーさんに差し上げますよ」

「本当、お……重い。ありがとうね。美味しかったら今度、家の方に遊びに行くから」

 ふらふらと危なげながら、風呂敷を釣り上げた状態でマルーは大樹の洞に帰っていく。

 その洞の中からは、他にも数名の妖精たちがこちらを伺うように覗きこんでいた。

 マルーが無事に戻ってくると、口々に言葉をかけながら姦しい様子で洞の奥にある結界の中へと帰って行った。

 マルーの現金な別れの言葉や彼女らの態度に、長老との大きな温度の差を感じられた。

 長老の人間不信を解きほぐすには、好奇心の強い彼女らを利用するべきだろう。

「さて、ではアイゼリア殿。これからの行動はどうされますか。地図の作成の為の地理調査か、盗賊の調査か」

「先に盗賊の方を調べます。必要であれば、退治も視野に入れて」

 幾分落ち着いたのか、寅之助の問いに対してアイゼリアは即答であった。

「それに忠敬さんの言う通り、長老の言葉は気になります。仮に、迷いの森の北東部分に抜け道のような場所があるのなら、確認の必要があります」

 盗賊の討伐のみを視野に入れるならば、地理調査が後回しになったようにも思えるだろう。

 だが、迷いの森の北東部分がどうなっているのか調査を平行して行うならば後回しにはならない。

 多少調査の順が変わった程度の事である。

 それならばと一先ず来た道を戻るように、東へと忠敬達は移動を始めた。

 やや出遅れて歩きだしたアイゼリアは、一度惜しむように妖精の村のある大樹の洞へと振り返った。

 だが直ぐにグッと奥歯を噛むようにして耐えると、先を歩く忠敬たちにおいていかれないように足早に歩き始めた。

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