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その14 稲葉家の仕事

 沸き立つ一歩手前のだし汁の中に、味噌をのせたお玉を入れて菜箸でかき混ぜる。

 炊飯器からは湯気が噴き出しており、あと数分で炊き上がるはずだ。

 おかずは海苔に納豆、卵焼きの卵は以前オズワルドたちに食べても大丈夫だと教えてもらった野鳥のもの。

 以前、アディを連れて彼らが森を見回っていた時に、見つけてきたものだ。

 指折り数えるまでも無いが一応指を折っておかずを数え、今小春が隣で切っているお新香も入れる。

 最後の指が折られて以降、薫子は眉をひそめて困ってますという顔を作り上げた。

 振り返って見上げた時計の針が指すのは六時丁度。

 まだまだ時間に余裕はあり、朝食のおかずを増やす事ぐらいは出来る。

 それを作る為の材料さえあればだ。

「困ったわね。冷蔵庫はあっても、中にあったソーセージやハムはとうの昔に胃袋の中。かと言って、朝から猪みたいな動物のお肉を焼いて出すのも嫌だし。お魚、欲しいわねえ」

「確か寅之助さんが若とのランニング中に川を見つけたとか言ってましたよ?」

「あら、そうなの? 今度、釣りでもお願いしてみようかしら。後は……ソーセージやハムの作り方、憶えてみる?」

「そこまで憶えたら私達、お店開けちゃいますよね」

 味噌、醤油に納豆、豆腐それにお新香。

 そこにハムやソーセージが加われば、添加物一切無しが売り文句のお店が開けるだろう。

 おかげで稲葉家で行う家事の八割は、食事に関したものだと言っても過言ではない。

「仁志君と寅ちゃんがいないし、妥協しても良いけど。癖になると困るし……後出来ると言えば、お浸しぐらいか。小春ちゃん、私ちょっと出てくるね」

「分かりました。気をつけてくださいね」

「コマちゃんを連れて行くから大丈夫」

 台所にある勝手口からサンダルを履いて、外へと出ていく。

 稲葉の家の裏手、裏庭とも言えるそこにあるのは広々とした仁志の畑である。

 ただし、春も半ばのこの時期にお浸しに使える野菜は植わっていないので、畑には向かわず壁伝いにぐるりと表に回りこむ。

 すると見えてくるのは外へと繋がる門と、庭先で木刀を振るう忠敬であった。

「はぁ、はぁ……はぁッ!」

 滴る汗を何度も拭いながら木刀を振るう姿は、男の子という感じがする。

 目的を見つけた男の子の成長は早い。

 今はまだ小さく、どちらかと言うと薫子に似ているが、少しずつ仁志の方に似ていくのだろうか。

「そのうち、女の子が放っておかなくなるわね。現時点で、小春ちゃんが放っておかないけど」

 頑張れと心の中で忠敬へと声援を送り、閉められていた門を開いて外に顔を覗かせた。

 森に住む獣達は基本的に敷地内に入ってはこないが、門を一歩出れば人も獣も喰うか喰われるかになる。

 だから忠敬だけでなく、薫子も一人で外へ出る事はこれまで禁止されていた。

 門の前で番犬のように座り込んでいる火の精霊のコマが来るまでは。

 アディを除いた殆どの精霊は、迷いの森の中で好きに過ごしている。

 だがコマは、門を妙に気に入ったらしく、まるで本当の狛犬のように門前に住み着いてしまったのだ。

 あと雷の精霊であるライウも暗いのは嫌だと、夜の間だけは稲葉の家に帰ってくる。

「コマちゃん、野草を採りにいきたいから散歩のついでに護衛お願い出来る?」

「散歩!?」

 番犬のように目を光らせていたコマが、振り返り見上げてきた。

 その目はキラキラと期待に満ち溢れ、火のついた尻尾が勢い良く振られている。

「行く、直ぐ行こう。僕、この家の中で一番薫子が好き!」

「ああ、もう可愛いわね。ペットに骨抜きにされる人の気持ちが分かるわ。忠敬はこういう可愛い時代が極端に短かったし」

 門を開けて出てきた薫子の周りを、コマがグルグル回りだす。

 終始落ち着かない様子のコマを連れて、薫子は森の中へと足を踏み入れていく。

 忠敬たちが何度も歩いたおかげで、少しは獣道らしきものが出来上がり始めていた。

 だがあくまで獣道らしきもの。

 地面の地肌はまだ見えず、踏まれた雑草はなんのこれしきと、再び立ち上がろうとしていた。

 止めとばかりにその草花を踏みしめながら、目的の場所へとコマと共に向かう。

 門を出てから歩く事、二分か三分。

 そこは森の中でありながら、木々の隙間が出来たちょっとした広場のような場所であった。

 陽の光も他の場所に比べて多く、忠敬がゲンと約束した甲羅干しもそこで行われた。

「コマちゃん、ちょっと待っててね。野草を取りたいから」

「うん、いいよ」

 あまり離れた場所にいかず、草花を前足でつついたりと遊び始めたコマを尻目に、薫子もその辺にしゃがみ込む。

 この場所も、野鳥の卵と同じくオズワルドたちに教えてもらったのだ。

 記憶を引っ張り出しながら、食べられる野草へと手を伸ばす。

 これまでにも数回来たが、この辺りの野草は生命力が強いのか成長が早い。

 根っこごと採らずに柔らかな葉だけ千切れば、数日も経てば同じぐらい伸びてしまう。

 土壌が良い事も関係しているかもしれないが、稲葉の人間の数分だけならば採り尽くす事はない。

 摘み取った野草をエプロンのポケットに詰め、こんなものかと立ち上がる。

 曲げていた体を伸ばすように伸びをしていると、あるものと目があった。

 そんな馬鹿なと目元をこすり見直すも、何も変わらない。

 森が開けた場所にある広場の終わり、覆い茂る草木の茂みの中にそれはいた。

 ぱちくりとお互いに瞬きをし、見詰め合う。

 数秒後、相手が慌てふためいた様子で、茂みの奥へと消えていく。

 そこでようやく薫子の頭が再起動を果たした。

「コマちゃん、見た? 今の見た?」

「え、なにを?」

 ひらひらと舞う蝶を追いかけていたコマが、振り返り尋ね返してきた。

 もう一度念をおすように確認しても無駄な事は明らかであった。

 それにアレをなんと表現して良いのか、上手く言葉に出来ず、口ごもってしまう。

「あ~……なんて言うんだったかしら。とりあえず、家に戻りましょうか」

「うん、もう?」

 残念そうなコマにごめんねと謝り、薫子は足早に来た道を戻り始めた。

 先程目にしたものを忘れないように、脳内で何度も思い返し続ける。

 そして、それは何と表現するのが一番近いのかと考えながら。

 やがて見えてきた稲葉の家の門を前にして、チラリと該当する言葉が頭をよぎった。

 直後、あっと声を上げた薫子は、お皿の形にした手に、もう片方の拳を落とした。

 ぽんっと手と手で音を鳴らし、凄いものを見たと小走りになって門を潜り抜ける。

「あ、忠敬」

 熱心に素振りを繰り返していた忠敬が振り返る。

 慌てふためいて折角思い浮かんだ言葉が逃げないように気をつけながら、薫子は言った。

「妖精、妖精がいたの。ほら、あそこの広場で。茂みの中からこっちを見てたの、コレぐらいの小さな妖精が」

 両手で二十センチ程の大きさを表現し、透明感のある羽が羽ばたいていたのを今一度思い出しながら伝える。

「か、母さん。とうとう、頭が……」

 薫子の言葉に目を見開いた忠敬は、隠す事なく失礼な言葉を投げつけてきた。

 とりあえず、唖然としている忠敬の汗に濡れたほっぺたを左右に引っ張り上げる。

「アディちゃんたちが、精霊がいて、なんで妖精が駄目なのかな? ん、母さんに分かりやすく言ってみなさい」

「痛い、痛いですってば。アディさんたちは目に見えて、ちゃんと意志の疎通ができるじゃないですか。見てもいないものがあると言われても、信じられないのは当然でしょう?」

「腹立たしいぐらいに反論できない、正論をありがとう」

 くりくりと引っ張った頬を弄び、仕方なく開放する。

「妖精はいるぞ?」

 負け惜しみ一つ出ない薫子へと助け舟を出したのは、忠敬の胸元で揺れていたアディであった。

「絶対数は人間よりも遥かに劣るが、人里離れた場所にならいてもおかしくはない。考えてもみれば、この森は妖精たちが隠れ住むのにもうってつけだな」

「ほら、みなさい。母さんが正しかった。ほら、自分が間違ってたら相手に謝る」

「いや、この場合それは当てはまりません。母さんの言葉を疑っただけで頬をつねられて、僕はただの被害者ですよ」

 可愛くないと再びつねってやろうかと、薫子が手を伸ばすと、忠敬も来るならこいと木刀を構える。

 もちろん互いに本気で喧嘩をするつもりはない。

 忠敬の守護精霊を自称するアディも、母子のじゃれあいに水をさすほど野暮ではなかった。

 互いを牽制し合う母子の捻くれたスキンシップに終止符を打ったのは、家長の帰宅の声であった。








 二日程前から出かけていた仁志と寅之助の行き先は、ノーグマンの新領主のもとであった。

 アイゼリアから聞いたのか、数日前にウィルチ村の冒険者の組合へと新領主から連絡が届いたのだ。

 文面は近日中に立ち寄って欲しいという穏やかな物腰のものであり、仁志はその言葉に直ぐに応え、寅之助を護衛として連れて出かけた。

 一体どんな話だったかは、身を清めた後の食事が終わり、お茶を口にしている仁志しかまだ知らない。

 寅之助はあくまで護衛としてであり、実際の会談の場にまでは同行できなかったらしい。

「さて、そろそろ良いか?」

 朝食の後片付けも終わったのか、お座敷へと戻ってきた薫子と小春を見て、仁志が確認の為に尋ねた。

「はい、お待たせいたしました」

 言葉にして答えたのは小春であり、薫子は自分達のお茶を急須から注ぎながら頷いていた。

 手にしていた湯呑みを卓の上に置き、仁志は軽く座りなおして身を正す。

 釣られて忠敬や寅之助も座布団の上で座りなおしたり、背筋を伸ばしたりしていた。

「まず以前アイゼリア殿が言っていた通り、新しい領主殿は稲葉家を迷いの森の管理者として遇すると明言してくださった」

「父さん、新しい領主はどのような人でした?」

 口約束が履行された事に安堵すると同時に、忠敬は率直にそれが気になった。

 なにしろ以前の領主が領主なだけに、人格面を危惧するのは当然だろう。

「年頃はオズワルド殿たちと同じぐらいか、物腰の穏やかな好人物だった。国一番の街を有する領主としての手腕は定かではないが、少なくとも悪政を敷くような御仁ではない」

「私は直接お会いしたわけではありませんが、領主の館で働く者は皆、領主殿が返り咲いた事を心底喜んでいた様子であったと感じました」

「そうだな。それにオズワルド殿やファーガス殿も少なからず面識があると言う。以前の領主のような事にはならないだろう」

 あの事件の仕掛け人が国である以上、返り咲いた領主も一枚噛んでいる可能性もあるのだが。

 その事については口を噤み、仁志は続けた。

「稲葉家が迷いの森を管理するにあたり、近辺の村を一緒に管理するよう命ぜられた。森の東にあるウィルチ村、南にあるサウル村、西にあるストル村の三つだ」

「領主に代わって現地で直接管理する、在地領主みたいなものね。でも、ぽっと出の稲葉家に任せるぐらいだから……」

「ウィルチ村の規模は各々知っているだろうが、他の村も似たり寄ったりらしい。他の役人たちも特に旨味のないこれらの村には興味を示さず、ノーグマンの街を管理する傍ら、領主殿が面倒を見ていたようだが、片手間も良いところだったようだ」

「そこに現れた迷いの森の管理者に体良く押し付けたわけか。ちゃっかりしてる。人柄が良いだけじゃないみたいね、新しい領主は」

 呆れるように薫子が呟いているが、悲観に暮れた様子はかけらもない。

 なにせ迷いの森の管理者といっても、アイゼリアから連絡がない限りは実質的な仕事がないのだ。

 特に旨味のない村であろうと、管理する事は多少なりとも実績を作る事が出来る。

 ゼロと一程度の差でしかないかもしれないが、決して小さくはない。

「アイゼリア殿から連絡が無い以上は、この三つの村の管理を優先させる。税の為に納められる農作物の情報は頂いたが、本当にそれだけだ。まずはそれぞれの村の状況の把握だ。人口、就業内容、懇意にしている商人、主な宗教」

 ウィルチ村はともかくとして、他の二つの村に関して稲葉家は無名である。

 明らかに異邦人と知れる稲葉家の面々が、村を管理するには何よりも情報が必要であった。

 経済的な観点は当然として、宗教も見逃せない。

 この辺りは精霊信仰が主流とはオズワルドの弁であるが、何が許されて、何が許されないのか。

 現代ではまだしも、まだ文明が発達しきっていないこの世界では宗教と常識はイコールで結ばれてしまう事だろう。

 誰だって、常識知らずに自分達が住む土地を治めて欲しくなど無いはずだ。

 治めるべき村々を知り、土地と時代的に異邦人である稲葉家が持つギャップを薄れさせなければならない。

「手分けして、それぞれの村を調べると同時に、我々が新たに管理する事になった事を通知する」

 そう言った仁志が、懐から取り出したあるものを目の前の卓の上に置いた。

 楕円の形をした筒型、その周りは漆が塗られ、金色の模様と家紋が浮かぶ。

 古くは印鑑入れ、薬箱などに使われた印籠だ。

 最も一番有名な使い道は水戸黄門の威光をかざす用途だが、あれは極端な例である。

 そして仁志が置いた印籠に浮かぶ家紋はもちろん、稲葉家のものであった。

「中に木製の割符が入っている。稲葉家の者だという証として、認識させる」

「印籠はカモフラージュというわけでござるな。しかし、通知は兎も角、調査は美濃家である小春殿の領分でござるが……」

「村の規模調査なら領主の館への潜入よりも簡単ですけど。調査対象が三つとなると調査そのものよりも、移動の方に時間をとられてしまいます。申し訳ないですけれど」

「気にするな小春。忍は本来、組織だって動いてこそだ」

 稲葉家は当主を含めても、動ける人員は五人しかいない。

 各々がそれぞれの役どころに専念出来るようにするには、何もかもが足りなかった。

 稲葉家の権力はもちろん、金も人員も。

 だから今はまだ、当主どころかその妻に息子さえも人員に数えて動かなければならない。

「それで、それぞれの村にはどのように行きますか? 全員で一つずつ回りますか?」

「面倒だ、手分けすれば良いではないか」

 人の営みそのものにはあまり関心を示さず黙っていたアディが、投げやりに呟く。

「いや、今回は調査を優先させる。私が南のサウル村に、寅之助と小春が西のストル村。既に知り合いのいるウィルチ村には忠敬と薫子が向かってくれ。通知も村長に相当する人物にするだけで良い」

 この仁志の割り振りに対して、ほぼ全員が納得のいかない表情を浮かべていた。

 忠敬はそれでも仁志が決めた事だからと黙っていたが、黙っていられなかったのは女性二人であった。

 それも酷く個人的な意見によってだ。

「仁志様、意義ありです。私の仕事は若のお世話ですから、私は若とご一緒したいです!」

「私も外に出るのは嬉しいけど、出来れば仁志君と一緒が良いわね。それに私と忠敬の組だけ、やけに貧弱じゃない? アディちゃんがいるから、大丈夫だろうけど」

「自覚はありますが、母さんに言われると妙に嫌な感じがします。僕も我慢しているのですから、我慢してください」

 ついつい当て付けるように忠敬が語気を荒げてしまうが、薫子は何処吹く風で火種を放り込む。

「あら、なに。やっぱり忠敬は母さんじゃ不満なんだ。そりゃ、色々とさせてくれる小春ちゃんの方が良いわよねぇ」

「若……若がそこまで小春を求めてくださっているなんて。これはもう、調査にかこつけて二人きりの濃密な時間を過ごすしかありません!」

 なんと言い返せば薫子をやり込め、かつ小春を抑えられるか。

 頭を悩ませて言葉が出てこない忠敬の頭に、寅之助が手の平を置いて落ち着かせる。

「殿、割り振りに関して各人が納得できる説明をするしかないでござる」

「仕方が無いな」

 しっかりしてくれと、溜息に願いを込めた後、仁志が説明する。

「まず三つの村を同時に調査する場合、私と寅之助、忠敬が分かれるのは当然の事だ。迷いの森を歩めるだけの確かな実力が必要だからな」

「うむ、忠敬には我がついておる。その辺の獣程度ならば、即座に追い払ってくれよう」

「頼りにしている。そして忠敬が村長宅を訪れるにあたってはやはり保護者は必要だろう。ナグル殿経由でこちらの事を聞いているとは言え、忠敬一人ではやはり厳しい」

「ではやはり、若には私が」

 自己主張するように胸に手を当てて言った小春を、仁志は手で制する。

「ある意味専門家の小春と忠敬を組ませては、忠敬の為にならん。それにウィルチ村の間逆の位置にあるストル村の方が初めて訪れる分、小春の力が必要となる」

 忠敬と小春を二人きりにさせると、仕事になるかどうか分からないと言う裏事情はもちろん口にしない。

 後は消去法で、忠敬の保護者として薫子が同行させる事になる。

 正直、この組み合わせもどうかと思うところはあるが、それでも薫子は忠敬の母親だ。

 やや早い反抗期を薫子だけに見せる忠敬に上手く合わせ、導く事は出来る。

 納得できたかとそれぞれの表情を眺め、異論が出ない事を確認すると仁志は言った。

「では、各々準備を行い昼前には発つ事にしよう。調査が終わり次第、遅くとも二、三日中にはこの家に戻って来る事。そして、一度戻ってきたら再び家を出ない事。連絡手段が無い以上、一度すれ違うとやっかいだからな」

 簡単な注意事項を仁志から受け、それぞれ席を立った。








 無人となった稲葉の家はコマに留守を任せ、それぞれ目的の村へと向かった。

 仁志と寅之助、小春は連れ立って南へと向かい、まずはサウル村を目指した。

 三人が向かう村はまだ場所がはっきりしていないので、共にサウル村を目指し、その後寅之助と小春はストル村を目指す予定なのだ。

 そして位置がはっきり分かっているウィルチ村担当の忠敬と薫子は、稲葉の家の門前で三人と別れていた。

 出来かけの獣道を、忠敬を先頭にして薫子、最後尾に白い狼の姿をとったアディが続く。

 忠敬はその道を何度か通っているので特に感慨もないが、初めて稲葉の家を離れる薫子はやはり違うらしい。

 踏み固められた獣道を歩く足音も、何処か弾んでいるように聞こえた。

「そんな母さんが楽しみにするようなものは、特に何もありませんよ?」

「話で聞いてはいても、期待しちゃうものよ。出来れば、仁志君と行きたかったけど……忠敬で我慢してあげるわ」

「それはこちらの台詞です」

 後ろから頭を撫で付けてきた手を振り払い、憮然とした表情で歩く。

 自分だって仁志のそばで手伝いたかったが、仕事を任された事は嬉しく思う。

 保護者付きというのは、ある意味仕方が無いが。

「ま、あと五年。慌てないで、着実に歩きなさい」

 振り払ったはずの手が、再び頭の上に戻ってくる。

 忠敬が特別何かを口にしたわけではないのにだ。

「なんだ、なんの話をしている? 仲間外れは許さんぞ」

 案の定、アディは突然の話の転換に付いていけず、二人の間に割り込んできた。

「なんでもないわ。それより、アディちゃん。もう少し大きくなれない? 私、アディちゃんの背中に乗ってみたいんだけど」

「構わぬと言いたいが、忠敬と違い薫子を背中に乗せていては咄嗟の場合に動けん。森を抜けるまで我慢せい」

「何気に重いって言われてる気がするけど、まあいいわ。約束よ、アディちゃん」

 余程楽しみにしているのか、薫子が歩きながら鼻歌を歌い始める。

 忠敬が子供ですかと小さく呟いたのもなんのその。

 今楽しめる何かはないかと、忙しなく辺りを見渡し、あるものをみつけた。

 獣道を横に外れた数メートル先の木の幹。

 足の爪と翼の根元にある爪を引っ掛けて、よじ登っている白い鳥であった。

 頭部には赤い鶏冠がついており、やや丸い体格からも鶏に似ている。

「ねえ、忠敬。アレ……えッ!?」

 薫子がその鳥を指差した瞬間、目が合った。

 すると弾くように木の幹を蹴って鳥が宙に舞い、こちらへと向けて滑空してきた。

 自力で飛べないところも鶏そっくりだが、その目はこちらを得物として認識する獣のものであった。

 急すぎる事にまるで反応出来なかった薫子の前に、忠敬が飛び出す。

 腰に差している護身刀の柄へ手を伸ばし、滑空してくる鳥へと向けて峰を返した刀身を振るう。

 かなり鈍い音を立てて護身刀の峰が白い鳥の頭部を撃ち、脳震盪を起こしたのか足元にぽとりと落ちる。

「おー、凄いじゃない忠敬。ちょっと仁志君や寅ちゃんみたいだったわよ!」

「び、びっくりしました」

「なんだ、まぐれか」

「まぐれじゃないです。びっくりしたのは本当ですが、狙って斬り付けましたよ!」

 パチパチと拍手まで送って薫子だが、驚いたという忠敬の言葉を聞いて態度を変える。

「まぐれかどうかは置いておいて、薫子。不用意に獣を指差すでない。相手も驚いて襲ってくるに決まっているではないか」

「巣から卵はとった事あったけど、親鳥を見たのは初めてだったから。けど、親鳥がいるって事は……」

 アディの注意もなんのその。

 呟きながら薫子は獣道をそれて、鳥がよじ登っていた木のところまで近づいて見上げる。

 幹から枝へと変わる股の上に、小枝を絡めて作った巣があった。

 だが薫子一人では少し背丈が足りないので、呼びつけた忠敬を肩車して卵の存在を確認させた。

 あいにく卵は一つしかなかったが、貰っておく。

 親鳥の方も、忠敬に思い切り護身刀で叩かれては無事ではすまないだろう。

 その辺にあった蔓性植物の蔓で確認の意味を含めて絞め落とし、縛り上げる。

「良いお土産が出来たわね。あ、しまったわね。皆にお土産持たせるのを忘れてた」

「いや、いらないと思いますよ。在地領主でしたっけ? 上が手土産なんて持って現れたら、村の人たち困りますよ。父さんも今回は通知だけと言っていましたし」

「そのままの意味じゃないんだけど……まあ、いいわ。運が良ければ、その場で調理してもらえるかもしれないし。この世界でのレパートリーも増やしたいしね」

 そのぐらいの図太さは、むしろ必要だろうか。

 卵は薫子が預かり、鳥はアディの首に蔓でぶら下げて再び道の上に戻って歩き出す。

「でも、本当に一人歩きは危険ね。私だけじゃ、散歩一つ出来ないのを再認識したわ」

「僕だってまだ一人歩きは出来ませんよ。でも僕にアディさんがいるように、母さんにはコマさんがいるじゃないですか」

「あやつは薫子の守護精霊と言うよりは、稲葉の家の守護精霊だぞ。何が面白いのか、門前に座り込んで、変わった奴だ」

「そうなのよね。頼めばついてきてくれるけど……私も魔術だっけ。憶えてみようかしら。忠敬はまだ潜在魔術出来ないの?」

 ある意味一番身近な魔術を思い出し、薫子が尋ねてきた。

「寅之助さんの方針で、僕はまだ駄目だそうです。オズワルドさんも言っていましたが、潜在魔術で腕力を得ると剣術そのものが疎かになるらしいので」

「それにアレは身体を鍛えている事が前提であろう? 薫子の場合は精霊魔術の方が良いのではないか?」

「精霊魔術か。響きがもはや美人よね。それなら私にぴったりよね?」

 そんな自己主張も、尋ねた相手が忠敬では鼻で笑われてしまう。

 もちろん仕返しに薫子は、前を歩く忠敬の頭をぽこんと叩くのを忘れない。

「もう……今度、アイゼリアさんに会った時に、教本でもお願いしたらどうですか? あの人は国の中でも凄い腕みたいですし」

「アイゼリアちゃんか。どんな子かしら。寅ちゃんの話では美人と言うより、可愛いって子らしいけれど」

「寅之助さんが女の人をそんな風に言ったというのは初耳な気がします」

「何言ってるの。寅ちゃんだって良い歳よ。結婚してたっておかしくないんだから。寅ちゃんは小春ちゃん限定で淡白なだけ」

 今さらの話だが、寅之助は二十六歳で小春は二十二歳。

 同じ一つ屋根の下に暮らしていて、二人が恋人であったとしてもなんら不思議は無い。

 小春の方が少々アレな人とはいえだ。

 確か小春が稲葉の家に来たのは、忠敬が生まれた辺りの頃のはずなので、二人は十年来の付き合いである。

 思春期から今に至るまでずっと一緒に居て、浮ついた話など一つもなかったのかと気になってきた。

 小春限定で淡白と聞かされれば、何かあったのではと勘ぐるなと言う方が無理であった。

「寅之助さん、小春さんと昔何かあったんですか?」

「何かあったというか、寅ちゃんが小春ちゃんを苛めてたのよ」

「はあ?」

 斜め上を行く薫子の言葉に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

「別に小突いたりとか肉体的な虐めではなかったわよ。ただ陽野家って美濃家を嫌っていてね。寅ちゃんも例に漏れずってところ。それに小春ちゃんも脅えちゃって、よく泣いてたわ」

「信じられません。今はそれなりに仲良く見えますけれど」

「お互い大人になったのよ。それに今は忠敬がいるしね」

 また後ろから頭を撫でられたが、からかうようなものではなかった。

 前に仁志から小春は忠敬に忠誠を誓っているといわれたが、それにも関係あるのだろうか。

 いずれ機会を見て、小春に聞いてみようと思う忠敬であった。

 

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