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その10 未完の再興

 布団の上で眠る小春を、忠敬はその枕元で正座をしながら見下ろしていた。

 小春が必死の想いで手に入れた情報は、既に仁志の手に渡され、もう直ぐ廃坑強襲の作戦会議が行われる。

 忠敬もそれには参加するつもりだが、小春を放っておけない理由があった。

 静かに寝入りながらも、時折呻くような声を上げ、綺麗な顔を歪める。

 そんな小春へと忠敬は無言で手を伸ばし、小さなその手で安心させるように撫で付ける。

 すると幾分は楽になるのか、しばらく撫で続けた後には元の穏やかな寝顔に戻っていく。

「そう労わってやってくれ。我は見ておった、小春がお主の為に歯を食いしばりながら任務を全うする姿を」

「はい……」

 首元で揺れるアディの言葉を受け、小さく頷く。

 潜入任務の中で何があったか、大まかな経緯はアディから聞いていた。

 何度も見つかりそうになるたびに、小春は怯え涙を流し、それでも任務を続けたらしい。

 そして結果として見事やり遂げ、稲葉の家にたどり着くなり、緊張の糸が切れたのか倒れこんだ。

「小春は明日の決行には間に合わぬかも知れぬ。だが案ずるな。小春の代わりは我が務めよう。痴れ者どもへの折檻すら後回しで良い。我が主を守護しよう」

 目の前の小春の姿が、胸元で揺れるアディの言葉が重い。

 胃の辺りがキリキリと傷むような感じがする。

 忠敬は小春を行かせる事を否としながら、この世界そのものを選んだ。

 その結果が今目の前にいる小春である。

 任務が成功だったからと、小春が無事だっただからといって素直には喜べない。

 自分の選択は正しかったのだろうか。

 いや、小春の事を省みる事なく選びとった選択肢が正しいはずがない。

「忠敬、そろそろ会議が始まるぞ」

「分かっています」

 胸にのしかかる重さに後ろ髪を引かれながら、立ち上がる。

 そのまま皆がいるであろうお座敷へ向かおうとし、再び小さく呻いた小春へと振り返った。

 何も、今の自分には何も小春に返せない事に歯噛み、枕元に舞い戻り膝をつく。

「忠敬?」

 眠る小春の前髪をたくし上げ、露となった額へと唇を触れさせた。

「を、なんだ今のは? 何故小春を食べようとしたのだ?」

「卑猥な表現は謹んでください。それと、空気もよんでください……」

 だが直ぐに楽しそうな遊びでも見つけたように、矢次にアディが尋ねてくる。

 色々と台無しだが、照れてもだえずにいられるのはアディのおかげだろう。

 どちらが良かったのかは、五分五分だが。

「なんでもありませんよ」

「そうか、ならば小春が起きた時にでも」

「絶対に、止めてください!」

「こら、小春ちゃんが寝てるのに何を騒いでるの」

 ついつい声が大きくなると、駆けつけてきた薫子にゴチッと拳骨を落とされた。

 頭を抱えて体をくねらせながら、すみませんと言って小春の部屋を出て行く。

 ぱたぱたと小さな足音が遠ざかると、今度は薫子が小春の枕元にしゃがみこんだ。

 当初よりも随分と穏やかになった寝顔へと指先を伸ばし、つついた。

「忠敬も、やるもんね。現時点では、最高のご褒美じゃない。ねえ?」

 実はこっそり覗いていた事を口にした薫子は、少し乱れた布団を整える。

「お疲れ様、小春ちゃん。仁志君はオズワルドさんたちに囲まれていて、直接言えないから。私から伝えるわ。貴方はゆっくりお休みなさい」

 布団を整え終えると、ぽんと布団を軽く叩く。

 それから足音を忍ばせて部屋を後にした薫子は、静かに扉を閉めた。







 忠敬がお座敷へと足を踏み入れた時には、既に全員がそろい踏みであった。

 一番歳若い忠敬が一番遅れてくるのは問題だが、小春を見舞っていた事を皆知っているのでわざわざ指摘する者はいない。

 むしろ誰が最初か、最後かと小さな事に拘っている場合ではないという事もある。

 何しろ上座に座る仁志の目の前には、小春が心を削るような思いをして手に入れた貴重な情報があるのだ。

 それを手に入れてからそろそろ半日、情報の有効活用の為には、行動は早い方が望ましい。

「それでは会議を始める」

 仁志の一言で、お座敷内の空気がより張り詰めたものになった。

「まず稲葉家の方で手配した諜報員が入手した資料がここに。領主が行う横領した宝石の採掘量の改竄を記したものと、横領した物を隠した廃坑、第三廃坑の地図だ」

 両方の資料を卓の上に開き、皆が見えるように卓の中央へと押した。

 だが二十名を超える人が居る中で全員に見せられるはずもなく、あくまで目の前の卓にだ。

 実際にそれを目にする事が出来るのは忠敬と寅之助、オズワルドとファーガス、そして彼の部下数名である。

 明らかに遠い者は直ぐに見る事を諦めるが、一部の者は自分もと首を伸ばしていた。

「慌てなくとも、坑道の地図は後で写しを配ろう。問題は、いかにこの第三廃坑を攻め落とし占拠するかだが……」

「部隊を三つに分けるべきですな」

 第三廃坑の図面を見ながら、ファーガスが言った。

 出入り口は元からあるものが一つ。

 坑道は多少の枝分かれがある事はあるのだが、基本的に二本。

 片方には原石を宝石に研磨、カッティングする工場があり、もう片方には宝石を精霊石へと変える研究所がある。

 わざわざ部屋を分けたのは、利便性を排してでも研磨職人や細工師に余計な情報を与えない為だろう。

「一つは出入り口の封鎖班。証人となる職人や研究者を逃がさず、外から新たに来た者を捕縛。残り二つは突入班。片方は宝石工場、もう片方は研究所へ」

「しかし、これは戦力配分が難しいな。職人たちへ向かう班はまだしも、研究所にはジュエルモンスターが。封鎖班には領主から兵が派遣される恐れがある」

「人数という意味では、封鎖班を一番多くする。突入班は人員の捕縛よりも、証拠品の確保を優先し、証人は最悪封鎖班に任せてしまっても良い。そして純粋な戦力という意味では研究所への突入班を少数精鋭に」

「ジュエルモンスターが解き放たれた時の為か」

 オズワルドの言葉により詳細を語るファーガスの言葉の間をぬい、仁志が呟いた。

「それなら我を連れて行け。お主らには広範囲の精霊の力を防ぐ手立てはあるまい。仮に潜在魔術とやらで防げても消耗が大きかろう」

「ならばアディ殿はわしが預か」

「いや、オズワルド。お前には、別にやって欲しい事がある」

 忠敬が首からさげるアディへと手を伸ばそうとしたオズワルドを、ファーガスが止める。

「我々、特に私や部下たちは盗賊の汚名を着させられている。例え第三廃坑の占拠が成功しても、盗賊の一言で全てを闇に葬られてはかなわん。お前にはサクラを演じてもらう」

「なに、このわしに突入部隊から外れろというのか?」

「その通りだ。お前も小春殿と共に昨日ノーグマンへ赴いただろう。私が盗賊の汚名を着せられた事に懐疑的な冒険者を引き連れ、頃合を見計らって現場に駆けつけて欲しい」

 領主が襲撃を知った場合、正規の兵士を引き連れてくる事はまずない。

 第三廃坑は秘密の塊であり、それを不特定多数に知られてしまえば隠し通す事など不可能だ。

 仮に盗賊の襲撃ではなく、盗賊のアジトになっていたと事実を捻じ曲げても、鉱山の管理者は領主であり、責任問題となる。

 秘密と責任、この両方を守ろうとした場合、領主は私兵を使って内々に処理するしかないだろう。

 ファーガスとて、私的な兵士、言わばごろつきのような連中に部下達が負けるとはおもってはいない。

 だが失敗は許されない以上、保険を用意しておくに越した事はない。

 もしもの時の予備戦力、領主が全てを闇に葬り去ろうとした時に真実を広める為の伝聞役として冒険者は最適なのだ。

 あの領主の事であれば、間違いなく冒険者ごと秘密を闇に葬り去ろうとして反発を買ってくれる事だろう。

「我としても、今後は忠敬以外の首に掛けられるつもりはない。戯れに名乗り始めた守護精霊の名だが、嘘を言ったつもりはない」

「待て待て、となると忠敬が向かい、自然と寅之助が向かう。アディ殿が守護するというなら忠敬の腕前には目を瞑り、寅之助の実力は言うまでもない。だが二人だけでは、指揮する人間が」

「私が指揮官として参りましょう。忠敬は私の子であり、寅之助は私の家臣。それに子や家臣だけを危険にさらすような恥知らずにはなりたくありませんしな」

 仁志の発言を最後に、オズワルドがついに折れた。

 裏方役の重要さを理解しながら、やはりそこは元冒険者らしく派手な立ち位置にいたかったのだろう。

 以前アディが暴れた時は立派に冒険者を纏め上げていたのに、他に適任者が居る場合はその限りではないようだ。

 だがサクラの役目は、オズワルド以上の適任は居ない。

 人を指揮する事も出来れば、盗賊に成り下がった旧友ファーガスを討ち取りに現れ、真実を知って助太刀するという演目の下地があるのだから。

「オズワルド殿には済まぬが、殿と戦場をご一緒出来る日がこようとは、侍冥利に尽きる出ござる。若も、殿の戦人ぶりを……若?」

「…………え、あ。なんでしょうか寅之助さん」

 妙に物静かな忠敬を見て、寅之助はそういえばと思い出す。

 仕方のない事とはいえ、オズワルドに腕前の不安を指摘されても静かであった。

 いや、物分りの良い忠敬といえど静か過ぎる。

 最近はようやく侍として生きる事に目覚め始めたというのに、不可解と言っても良い。

「若、もしや体調でッ!」

「寅之助、会議中だ。私語は慎め」

 忠敬を心配し、尋ねようとした寅之助の頭が物でもぶつけられたように跳ね上がる。

「いつの間に指弾を。はっ、も……申し訳ありません、殿」

 寅之助の額を撃った何かは、握りこんだ拳の親指を寅之助に向けている仁志が放ったものであった。

 指弾とは言っても、小銭や石ころを指で弾いて飛ばすアレではない。

 潜在魔術によって操った気の塊を弾いて飛ばす、立派な魔術である。

「寅之助の額を軽々と打ち抜くとは、仁志殿の実力にも問題はないようですな。では研究所への突入部隊は稲葉家の方々に担っていただくとしましょうか」

「となると封鎖部隊はファーガスお主が指揮を執るか?」

「内と外、両方から現れる敵に臨機応変に対処せねばならんからな。大人数を指揮する以上、部下と指揮者の信頼は不可欠。私しかおるまい」

 あと決めるべきは、封鎖部隊と職人側へ向かう捕縛部隊の人数わけである。

「仁志殿、こちら側の人員の配分は一任させて貰っても構いませんかな?」

「ええ、ここまで来たら行動の主導権はそちらにあります。細やかな事を口出しするつもりはありません。あとこの場で決めるべきは、決行の時刻」

「本来は夜襲が望ましいですが、証人を捕らえるという意味では彼らがいる時間帯でなければなりません。かといって、あまり悠長な事をしていては強襲前に発覚される恐れがあります」

「ならば、今日の深夜にここを発ちノーグマンへ入るとしましょう。オズワルド殿を除き、我々は鉱山の手頃な場所で夜を明かし、鉱夫の仕事始めの頃を見計らい行動を開始という事にしましょう」

「わしは一足早く、ノーグマンへ向かうぞ。幾人か、冒険者を見繕わなければならんからな」

 決めるべき事は大半決まり、後の細やかな事は全員そろって決める必要はない。

 同じ屋根の下にいるのだから、必要事項の連絡があれば何時でも連絡を取り合える。

「ファーガス殿、地図はひとまずお預けいたします」

「かたじけない。しかとお預かりします」

「事の詳細が決まりましたら、また後で」

 仁志は原石の発掘量改竄の資料を懐に収め、廃坑の地図はファーガスへと進呈した。

 彼はまだ部下の分配が残っている為、必要だからだ。

 規律が良いのか、行動の地図が気になっていたのか、即座にファーガスの部下は彼のもとへと集まってくる。

 あとついでに地図の複写を頼み、筆と紙は後で届けさせる事を告げた。

「寅之助、薫子へと伝言を頼む。急ぎノーグマンへと向かうファーガス殿の分の弁当を。その後で、夜に出立する全員分をと。小春があの状態では、今のうちに支度を始めねばなるまい」

「そうでござるな。俺たちのような無頼漢では手伝おうにもかえって邪魔でしょう」

「寅之助、わしはあの握り飯という奴で構わんと薫子殿に伝えてくれ。初めて喰らったが、あれは良いものだ。手軽に喰える上に、腹持ちが良いときた」

「それが握り飯の良いところでござる。あい、分かった」

 空気が張り詰めていたお座敷の中が、活気付いてくる。

 ただその中で一人、周りから取り残されたように、自ら距離を置くような態度の者がいた。

 会議の間もずっと考え事をするように黙りこくっていた忠敬である。

 一人立ち上がり、そっとお座敷を抜けて何処かへと歩き去っていった。

 そんな姿を目にした仁志は、その後を追いかけていく。

 そもそも、忠敬の様子が変な事に気づいた寅之助を指弾で止めたもの、台所へと向かわせたのもその為であった。

 今の忠敬の悩みを聞き届け、受け止めるのは寅之助には不可能なのだから。







 小春の部屋の扉の前に立ち、ノックの為に腕を持ち上げてはおろす。

 何度その動作を繰り返した事か、結局扉を打ち鳴らす事もなく、忠敬は諦めたようにきびすを返した。

 うなされているかもしれない小春のそばにいてやりたい。

 だが再びその顔を見てしまったら、この世界に残りたいと言った胸に立てた言葉が折れそうな気がしてならなかった。

 前言撤回、二言を行ってしまいそうで、逃げるように自分の部屋に駆け込んだ。

「忠敬、一体どうしたというのだ。そんな顔をするな。何故か我までもやもやとする。あまり良いものではない」

「すみません、アディさん。今はとても……一時的にでも他の誰かに」

「言ったはずだ。我はもう、お主以外の誰かの首にかかるつもりはないと。だがそれでも嫌というならば、我を捨てよ」

 普段ならばありがたいと思える言葉が、今の忠敬には重すぎた。

 首に掛けた鎖が、そのまま首を切断してしまうかのように感じてしまう程に。

 アディを繋ぐ鎖へと、徐々に伸び始めた忠敬の手は、ノックの音に止められた。

「忠敬、入るぞ」

「あ、どうぞ。父さん」

 反射的に放った言葉は拒絶ではなく、救いを求める声であった。

「む、良い所にきた仁志。どうも先ほどから」

「アディさん……なんでもないですから、父さん」

 手の平でアディの宿る宝石を包み声を遮り、求めたものを拒否する言葉を吐いてしまう。

 自分から部屋に入って良いと声をかけておきながらと、こみ上げるものがあった。

 意地、情けなさ、後悔、不安、各種の感情が入り混じり、乱れた心が忠敬を振り回す。

 心を抑えようとすれば声が漏れそうになり、声を抑えれば瞳から涙が零れそうになる。

 理解が追いつかず、今時分が何を悩み、何の為に歯を食いしばっているのかさえ分からなくなってしまった。

 そんな忠敬の頭を無言で撫で付けた仁志は、胡坐をかいて座り、自らの膝の上に忠敬を座らせた。

「今お前が感じているのは、家臣を持つ事の責任だ」

 その言葉を聞いて、いつの間にか涙を流していた忠敬は仁志の顔を見上げる。

 力強くも優しい手の平が頭を撫でてくれてはいるが、仁志の表情は厳しさがこめられていた。

「でも、寅之助さんも小春さんも僕の家臣じゃありません。稲葉家当主の、父さんの家臣です」

 この言葉は逃げなのではと思いながらも、口に出してしまった。

「確かに寅之助は私の家臣だ。寅之助自身も私や稲葉という家名に忠誠を誓っている。それは間違いない。だが、小春は違う。あの子は、私でも稲葉家でもない。忠敬自身に忠誠を誓い、その身を捧げている」

「どうしてですか? 僕はいつも小春さんに何かをしてもらうばか、り……でもなく、たまにはしてあげますけど……基本はしてもらうばかりです」

「理由は、何時か小春自身から聞きなさい。私が勝手に語って良い事ではない」

 それでは何を語りに、忠敬の部屋までやってきたのだろうか。

 家臣を持つ責任を全うしろと叱咤しに、それともその程度で情けないと単純に叱りに。

 忠敬が怯えるように縮こまらなかったのは、頭を撫で付けてくれる仁志の手のおかげであった。

 口にする言葉以上に、今仁志が向けてくれている感情を教えてくれる。

 ただ今は聞こうと、仁志がわざわざ足を運んでくれた意味を知ろうと少しだけ背を伸ばす。

「家臣は何故、主君に付き従うか。考えた事はあるか?」

「いえ、ありません」

「金や名誉、充足感。仲間意識や絆、共通の目的。理由は様々だ。無償の奉仕などこの世にはない。時折、主君の満足な顔とのたまう者もいるが、笑顔が対価だという事に過ぎない」

「それは少し、寂しい考えだと思います。僕は主従でありながら、互いを無類の存在として大切にあう事も悪い事ではないと思います」

「人の世はまことに面倒な事よのう。楽しく戯れる事さえ……うむ、忠敬や小春に対し、我はそれだけかのう」

 忠敬やアディの言葉に対して何かを指摘したり修正したりする事なく、仁志は続けた。

「寅之助や小春も例外ではない。特に寅之助は分かりやすい。侍が侍として生きるには、仕えるべき相手、主君が必要だ。共に戦を行える主君を寅之助は求めている」

「確かに、先ほど寅之助さんは父さんと共に戦える事に喜んでいました。それと同時に、家臣として主君の為に働く事が当然だと思っています」

「陽野家の中でもあやつはかなり特別な部類、昔気質の人間だ。そういう風に育てられた事もあるが、あいつは強い。そんな今の自分を受け入れ、望んでいる」

 確かに今のままでも十分侍らしいのに、より侍らしく生きようとしている。

 しかもその方針がブレる事はなく、こちらの世界には稲葉の家の中で一番馴染んでいた。

 そこまで考えた時、ふと気になる事に思い当たった。

 先ほど仁志は、小春は忠敬に忠誠を誓っていると言ったが、何を求めての事だろうかと。

「何を求めていると思う?」

 まさに今考えていた事と同じ質問をされ、戸惑う。

「え、あ……」

「一つ父の昔を話してやろう。お前に昔を語るのは、初めての事であったか?」

「聞いた事はないです」

 仁志は物静かな方なので、べらべらと余計な事は話さない。

 先ほどの会議や今こうして多弁になっているのは、それが必要だからだ。

 だから忠敬は仁志の若い頃の事など全く知らないし、同じく薫子の事も知らないが、そっちはいいやと放棄する。

「まだ私が歳若い頃、二十歳の頃だ。私は私の父、お前の祖父から稲葉家の過去を聞いて育ち、野心に燃えていた。自分が必ず稲葉家を復興し、成り上がってやると」

「野心? 父さんがですか?」

「野心と言われるとあの領主のような愚物を思い描くが、お主がの。人は瞬く間に変わってしまうものだのう」

 目の前の仁志が野心に燃える様など、想像もつかなかった。

 今は再び稲葉家を盛り立てようとしているが、野心と言われると少し疑問に思ってしまう。

「言ったであろう、若い頃と。父にも血気盛んで落ち着きのない頃ぐらいあった。そしてそんな私の隣には、親友がいた。私の野心を聞き、賛同し、共に稲葉家を盛り立てると約束した」

 菊千代、その名前がふと忠敬の脳裏によみがえる。

「陽野家から稲葉家へとやってきた男だった、菊千代は……」

 やはりと思った忠敬の目の前で、仁志は懐かしむような光と共に後悔の光を瞳に宿らせていた。

 忠敬にはそこまで明確に読み取る事は出来なかったが、薫子に諭される仁志を見ている。

 これから仁志が話す事は、仁志にとって大切でありながら身を切るような痛みを伴う話なのだろうと漏らさぬように聞き入る。

「歳も私と変わらず、稲葉家にやってきてそう時も経たぬ間に両家の間柄を越えて親友となった。私が野心を打ち明けたのも菊千代が最初。その時、当時の稲葉家の当主であった父ではなく、私に刀を捧げようとまで言ってくれた。もちろん、影でだが」

 今で言うならば、寅之助が影で忠敬に刀を捧げると言う事だろう。

 想像してみようとしたが、寅之助が相手ではその光景が全く浮かばなかった。

「当時はバブル景気の時代。チャンスなどという言葉は何処にでも転がっていた。私は菊千代と共に駆けずり回って金を手に入れた。方法は詳しく聞くな、危険な、それこそ違法すれすれの事も平気でやった。金の為に人に手を挙げることもしばしば。時代が時代だ。誰もがやっていたと言うのは言い訳か」

 聞きたくないと思った。

 穏やかで優しく、古き良き父を体現したかのような仁志にそんな頃があったとは。

 大好きだった父の姿が、幻想として崩れる。

 よりにもよって仁志自身の手によって。

 もっと格好良く、バブル時代を駆け抜けたと思っていたのに、幻滅の二文字が目の前をよぎった。

「忠敬、聞け。聞くべきだ。我には分からぬ事も多いが、仁志は阿呆ではない。お主の為に、自らの過去の恥部をさらけ出そうとしておる。出来るか、お主にそれが出来るか?」

 耳を塞ぎ嫌だ嫌だと首を振る忠敬へと、アディが叱咤の言葉を向ける。

 そこで忠敬の心を解きほぐしたのは、仁志の手の平であった。

 己の過去の恥部を無理に否定せず、撫で付ける手の平の温かさをただ与える事で、全てが幻想ではないと教える。

 ゆっくりとだが耳を塞いでいて手が剥がれ落ち、恐る恐る忠敬は仁志を見上げた。

「辛いかも知れぬが、聞きなさい。私はお前に、同じ過ちを犯して欲しくはない。それだけなのだ」

「過ち、貪欲に金を手に入れた事ですか?」

「金の為に、あらゆる手を行使した事を私は恥じてなどいない。そうではないのだ……私と菊千代は、かき集めた金で小さな会社を興した」

 仁志の過去が再びつむがれる。

「がむしゃらに働いた。菊千代とならばどんな困難も乗り越えられると思った。事実、チャンスばかりではなく、金の匂いにハイエナのように群がる者だっていた。その度に菊千代と共に蹴散らし、より会社を大きく、金を手に入れた。この家もその時に購入したものだ」

 つい先ほどまで聞きたくないと耳を塞いでおきながら、忠敬は現金にも凄いと思ってしまった。

 この家は昔から、受け継がれてきたものだと思っていたのだ。

 だが直ぐにハッと我に返り、仁志に複雑に感情がからまった表情を向けた。

「順風満帆、稲葉家の再興を成し遂げた気に既になっていた。武家屋敷を購入し、武具の類、家紋入りの着物などをそろえ、後はないかと指折り数えていた頃に、私は菊千代に裏切られた」

「え? だって二人は親友だって、共に稲葉家を……」

「役員会議では満場一致で社長の座を引き摺り下ろされ、菊千代がその座についた。何が起こったのか理解できなかった。我に返った時には菊千代に殴りかかろうとして、直ぐに取り押さえられた。そして告げられた。もうお前にはついていけないと」

「酷いのう。地位とやらに目が眩み、裏切ったか」

 アディの言葉を否定も肯定もせず、仁志は先を続けた。

「私は当然、荒れた。その手に残った財産を食いつぶし、稲葉の名を今度は貶めるような行為を続けた。その頃にはもう稲葉の名よりも、菊千代の存在の方が大きくなっていたのだろう。喧嘩に豪遊、女遊びと野心を抱いていた頃とは別の意味で色々とした」

「どうして、菊千代さんは父さんを裏切ったんですか? ついていけないって、そう思っていたのなら侍として家臣として主君を諌めるべきではないですか」

「忠敬、お前は賢いな。そう、私も冷静に考え、菊千代ならそうするはずだと気づくべきだった。私は菊千代の刀を捧げるという言葉を真には理解してはいなかったのだ」

 予感を感じた忠敬は、別の意味で先を聞きたくないと思った。

「数年後、私は菊千代の死を知った。それも泥酔したまま眠り込んだ公園のゴミ箱から零れ落ちた新聞から。会社も倒産しており、慌てて陽野家に連絡を入れれば謝罪の言葉ばかり。怒鳴り散らして尋ねれば、自殺だそうだ。遺書には全ての真実が記述されていた」

 ここへ来て、初めて仁志の声に震えが混じっていた。

 父としての最後のプライドか、態度は毅然と、涙など影も形もなかったが。

「菊千代はバブルの崩壊を予見していたのだ。だから私を裏切った振りをして、会社との縁を切らせた。私ばかりか一族からも破門を言い渡され、簒奪の汚名を背負う覚悟で……」

 アディは先ほど仁志の話を過去の恥部と言ったが、忠敬には違うものだと思えた。

 過去の恥部などではない、これは戒め。

 その日からずっと仁志が後悔と共に胸に秘め続けている、戒めなのだと。

「遺書の最後に記されていた。主君の為とはいえ裏切りを行い、共にいる事はもはや叶わず。共に稲葉家を復興すると言う誓いを果たせず、先立つ事をお許しくださいと」

「父さんは、菊千代さんが本当に求めていたものが何か理解していなかったんですね。稲葉家の復興ではなく、ただ親友と共に歩いて生きたかった」

「そうだ。忠敬、お前もまた理解してはいない。家臣の忠義の重さに泣き言を漏らす前に、家臣が求めるものを理解しなさい。家臣に何を持って報いるのか分からぬから、あれもこれもと考えてしまい重いとも感じるのだ」

「結論は単純だが、実体験を耳にすれば重みが違うのう」

 忠敬は、仁志の膝の上から立ち上がり、振り返った。

 そして笑う、満面の笑みで。

「父さんの話、聞けてよかったです。今はまだ小春さんが求めるものが分かりませんけれど、ちゃんと考えてみます」

「ノーグマンへは深夜に経つ。昼に仮眠は必要だが、いま少し時間はある。存分に悩み、考えなさい。私のようにならないように」

 一度しっかりと頷き、ハッと気づいて今度は首を横に振る。

「同じ過ちは繰り返しません。けれど、やっぱり僕は父さんが大好きです。だから、何時かは父さんのようになりたいと思います」

「そうか……頑張りなさい」

「はい!」

「おお、ようやく元気が出てきたか。やるのう、仁志。守護精霊として負けてはおられん」

 部屋を飛び出した忠敬の行き先は、考えるまでもない。

 アディの言う通り元気を取り戻した忠敬を、穏やかなまなざしで見送った仁志は窓から外を見上げる。

 迷いの森の木々に覆われた空は緑に染まり、僅かな隙間から木漏れ日が落ちていた。

 世界は変わってしまったが、稲葉家の血と意志はこの世界にて芽吹こうとしている。

 いや、これから稲葉家の仁志や忠敬、薫子、陽野家の寅之助と美濃家の小春で芽吹かせる。

 二十年前に完成したとおもった再興は、まだまだ再興の地盤を得た程度。

 本番はここからだと、異なる世界の異なる空を見上げながら仁志は菊千代に向けて誓った。

ども、えなりんです。

ついに十話目ですな。


今回は、襲撃の立案と現稲葉家の当主である仁志の過去です。

特に後者は、書かなければいけない事でした。

仁志も稲葉家の人間ですからね。

バブル期の人間というありきたりな内容になってしまったのは、ちょいアレですが。

と言うか、書かなければいけないことが多いです。

仁志と薫子の出会いから、小春が忠敬を心酔する事になった経緯。

あと寅之助が今の性格になってしまった理由等。


まだまだ先は長いですが、お付き合いください。

それでは、感想や指摘等あればお願いします。

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