ベルリン食人事件
ベルリン中を恐怖に陥れるニュースが流れた。
ベルリンに留学中の日本人学生が、同級生の女性を自宅で殺害し、あろうことかその遺体を調理して食べたのだ。この学生は、当然逮捕されたが、かつて脳炎を患っていたと誤解され、心神喪失状態と判断されて不起訴となり、日本へと帰国した。全ベルリン市民、いや全神聖ローマ帝国民が、猟奇的な犯行と不起訴の判断に驚き、憤怒した。さらに、日本国内の精神科の診断で、犯人の学生は実際は精神疾患を患っておらず、心神喪失状態は誤診だったと判明したことで、神聖ローマ帝国民は犯人は不当に罰から逃れたと感じ、更に怒りをあおったのである。
この機会を、東アジア人嫌いのエルンスト首相、そしてヴィルヘルム4世は見逃さなかった。エルンスト首相は、「東アジア人はキリスト教精神を持たないどころか、人としての道徳も持たない、人間以下の存在である。」と発言した。また、ヴィルヘルム4世も、皇帝としての立場からはかなり不適切な発言ではあるが、「もはや、東アジア人は人として扱えない。奴らは人の言葉を操るものの、人の心は持たない、言ってしまえば、黄色い食人悪魔のような者である。」と公言したのだ。
この事件と、極右派による扇動により、神聖ローマ帝国民は、日本人をはじめとする東アジア人は人食い人種であると感じるようになり、神聖ローマ帝国内での東アジア人に対する暴力事件はみるみるうちに増えていった。日本大使をはじめ、東アジア諸国の大使館職員は、なんとかこの騒ぎを抑えようとしたものの、彼らの言葉に耳を傾ける者はもはや神聖ローマ帝国には存在しなかった。
この事件は十分猟奇的で衝撃的なものだったが、この事件1つでここまでの騒ぎになったのには、元々、神聖ローマ帝国民の間に、東アジア人に対する恐怖感と差別意識があったためだ。先の大戦では、東アジア諸国は神聖ローマ帝国の東アジア植民地を攻撃して奪還した。大戦後も、東アジア諸国は経済成長を続け、神聖ローマ帝国の製造業を脅かし、さらに、神聖ローマ帝国へ届く長距離攻撃兵器を生産し続けているのだ。神聖ローマ帝国に限らず、東アジア脅威論、いわゆる黄禍論はヨーロッパ(先の大戦で東アジア諸国と敵対したイギリス・神聖ローマ帝国・ロシア)において広まっていたが、神聖ローマ帝国では一段とそれが強かったのだ。
この食人事件の元ネタはパリ人肉事件です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E4%BA%BA%E8%82%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6