開戦
ある早朝、エルンスト首相は国防省からの急な知らせで叩き起こされた。
「首相、極東から数発の長距離飛翔弾の発射が検知されました。至急首相官邸地下の核シェルターまでお越し下さい。」
核シェルター内では、国防省の担当官らがひっきりなしに電話で指示を出していた。そして、核兵器担当官が首相にこう告げた。
「首相、発射された飛翔弾はあと8分ほどで本土に到達します。我々はサイロと潜水艦搭載飛翔弾で合わせて700発の核弾頭を極東に投射可能です。首相の指示があれば今すぐに前段発射可能です。」そうして、核兵器発射指示専用の通信機器を首相に手渡した。
首相は、躊躇うこと無く核兵器の発射を指示した。先制核攻撃なのに数発しか発射されないのは奇妙であったが、首相にとって重要なことは、自国が被害を受ける前に敵国へ損害を与えることであり、敵が彼が憎む東アジア人であるならなおさらであった。
神聖ローマ帝国が発射した核搭載飛翔弾は、一部が撃墜されながらも、東アジア諸国へ着弾し、甚大な被害を与えた。その一方で、神聖ローマ帝国が飛翔弾を発射させた直後に、中国と日本も神聖ローマ帝国への核攻撃を行った。数時間後、神聖ローマ帝国のほぼ全土が焦土と化した。中国は、沿岸都市の多くが被爆し、軍港も殆どが機能不全に陥った。また、核サイロの多くも破壊されたが、内陸には無事な都市も多く残っていた。日本は、防空機構が働いたことで、武蔵と筑前の二都市が破壊された他は被害が出なかった。
これだけでは、神聖ローマ帝国の敗北と、東アジア諸国の勝利となるはずだったが、核攻撃後、東アジア諸国にロシア帝国とムガル帝国が神聖ローマ帝国との同盟を理由に宣戦布告した。この核攻撃は第二次世界大戦の始まりに過ぎなかった。また、後の調査で、神聖ローマ帝国が先制核攻撃と認識した飛翔弾は実際には発射されていないことが分かった。この飛翔弾は、神聖ローマ帝国の防空機構の欠陥が見せた幻想だったのだ。しかし、折からの緊張状態と東アジア人に対する偏見により、神聖ローマ帝国には冷静な判断を下せる者はおらず、この幻想に対して報復核攻撃を行ったのだ。
全土が核攻撃を受けた神聖ローマ帝国だったが、シェルターに避難していた等で生き延びた者も居た。工程ヴィルヘルム4世やエルンスト首相などの政府上層部も一部が生き延び、放射性降下物が落ち着いた後、救援に来たイングランド王国軍やスカンジナビア王国軍、ロシア帝国軍に救出された。これらの生き残りは、ロシア帝国内において臨時政府を結成し、核攻撃を生き残った対外派遣軍や潜水艦を再編成して臨時軍を組織した。そして、彼らは、神聖ローマ帝国を滅ぼした東アジア人に対する復讐心を抱きながら、ロシア軍の補助として第二次世界大戦を戦うのである。