東アジア排斥運動の拡大
ベルリン食人事件以降、神聖ローマ帝国では東アジア人に対する暴力が深刻化していた。はじめは、東アジア人旅行者への嫌がらせや、帝国に進出している東アジア系企業への不買運動などに治まっていたが、次第に東アジア人をリンチし、殺害するほどにまで暴力がエスカレートしていき、ついには、在ベルリン日本大使館や韓国大使館、中国大使館への放火や投石へと発展し、大使館職員に死傷者が出る事態となった。このような状況を、治安当局は取り締まるどころか、一部地域では治安当局が積極的に東アジア人差別をする程であった。東アジア諸国は、神聖ローマ帝国外務省へ抗議をしたものの、もはや外務省ではどうしようもできない状態となっていたのだ。
神聖ローマ帝国政府が何も対策をしないことに痺れを切らした東アジア諸国は、神聖ローマ帝国への渡航中止勧告をだし、もはや国際条約に守られていない大使館を閉鎖するに至った。傍目から見ても、神聖ローマ帝国と東アジア諸国との対立は明らかだった。
大使館が閉鎖なされても、神聖ローマ帝国は態度を改めようとしなかったが、暴徒達の主要な攻撃目標である東アジア人と大使館が国内からほぼ完全に消えたことで、これまでの暴力的な事件は減少していったようだった。しかしながら、東アジア人に対する憎悪は消えず、国内のターゲットが無くなったとしても、他の形でその憎悪が爆発するかもしれなかった。