4-9 明暗を分ける刹那と思考停止
一方、助けを呼ぼうと少しずつ重くなっていく重力と闘いながら洞窟を無策に飛び回っていたレガナは、遂に疲れから地面へと墜落して倒れ込んでしまっていた。
「う、うぅ〜……なんでこんな急に飛べなくなるのぉ?この世界に来てからおかしいってぇ〜……」
この世界『ストレンジフィールド』は、不思議なことに地面に触れていない物体に対して、接地させようとするかのようにだんだんと重力が強くなっていく性質がある。
それは浮いている物体の質量に比例して重力が強くなっていく時間も早くなっていくため、レガナの様な小柄なフェアリーなら一時間までなら安全に着地できる程度まで飛ぶ事が出来るが、それでも常に飛ぶのが当たり前だった彼女にとっては、歩く事が当たり前の種族では想像つかないほどの負担が掛かっていた。
……実はこの性質はレガナが解明者研修の際にゼノルから聞かされていたことなのだが、飛べなくなることがトラウマと化したあの出来事の記憶を刺激してしまい、無意識に記憶をカットしていたのだ。
「ちょっとそこでひとやすみ……むう〜……もう!なんであーしがこんな目に遭わないといけないの!?」
自分でついてくると言っておきながら、次々と降りかかる厄介事に疲弊して、思わず声を張り上げ不条理を叫ぶ。
……ピチャッ……
すると、そんなレガナの背後から何の前触れもなく水の滴る音が聞こえ、彼女が何気なく振り向いた。
「…………ふぇ?」
訳もわからずレガナが上を見ると、そこには……
「グルルル……」
レガナの真上には、洞窟の仄暗さに紛れることができる薄い黒い毛皮に覆われた、3mはあるだろう巨大な獣がレガナを見下ろしながら涎を垂らしていた。先ほどみえりを幻覚で誘惑したグロブスタ、『ガノザール』だ。
「え……?ふえっ!!?」
驚きつつも、レガナは咄嗟に恐ろしい速度で場を離れて素早く飛び退く。と同時に、レガナの叫び声に反応する様に彼女の居た場所には獣の爪が深々と刺さっていた。
「どぉうぇぇぇ!?」
突き刺さる爪を見て、奇妙で間抜けな悲鳴をレガナはあげるとそのまま一目散に逃げ出す。洞窟をがむしゃらに飛ぶ彼女の背後からは獣の荒い息遣いが常に聞こえてきて、彼女に少しでも止まれば死が待つことを知らせていた。
「うぎゃああああ!!誰か助けてぇぇぇぇ!!!」
………………
「ぜぇ……はぁ……お、お〜い、レガナぁ〜……」
メンバー全員が危機的状況とはつゆ知らず、ミエリは未だにレガナを探して洞窟内を不用心に彷徨っていた。
「つ、疲れた……何もいないよね?ちょっとここで休もう……」
辺りを見回しさっくり様子を確認してから、ミエリは壁側に座り込む。
側からみれば迂闊な行動だが、まだまだ素人のミエリにはそういった事は理解できていなかった。
「はぁ〜……なんか色々ダメダメだなぁ、わたし」
この洞窟に入ってからというもの、仲間からは注意されパーティとは分断されと良いことが全く無く、それはミエリを意気消沈させるには十分なトラブルだった。
「うぅ、わたしは今どこにいるんだろ……適当に走りすぎてもう自分の位置もわからない」
そう言いながらミエリは改めて洞窟全体を眺める。最初は綺麗な洞窟だと思っていた彼女だが、迷路の様に広がって紫色に光り、自然物の割れ目から人工物が顔を覗かせる不気味な岩肌は、この洞窟が入った者を惑わせて内部に蔓延る邪悪なもの達へと導く危険なダンジョンという事を伝える警告なのだと、洞窟の恐怖を知ったミエリはそう感じ始めていた。
「早くレガナを見つけてみんなと合流しなきゃ、その為にもうかうかしてられない」
頬を叩き自分を奮い立たせながらミエリは跳ねる様に立ち上がる。その時、遠くで何かの破壊音と共に女性と思われる叫び声が洞窟内をこだましてミエリの耳に入ってきた。
「……ッ!?誰かが襲われてる!?早く助けなきゃ!」
そう言って声のする方へと走り、T字に分かれた道を声のする左へと曲がった。すると……
「ッ!?ウソ……!?」
……ミエリは視界の中に立っていたソレと目が合い、時間が止まったかの様に硬直する。それは、このダンジョンに入ったばかりのパーティを襲撃して分断の原因を作った影のグロブスタだった。
恐怖心と先ほどまでのクイックな動きとは正反対の全く微動だにせず直立するグロブスタの姿に混乱したミエリはしばらくの間その姿を見つめる事しか出来ず、ミエリの体感で長い時間が流れる。
"見つけた"
「え……?」
(あら……これは……)
"やっと独りになったな、ハスハマ ミエリ……"
ミエリの頭の中に声が響く、一つは聞き馴染みのある『グリザイユの貴婦人』の"声"、そしてもう一つは全く聞いたことのない女性の声だった。
しかし、その声が目の前の怪物が発しているものだと直感でミエリには分かった。そしてだからこそ、何故有無を言わさず襲いかかってきた怪物が急に話し始めたのか、何故夢や死後にしか話しかけこなかったら貴婦人がこのタイミングで普通に喋っているのか、その疑問がミエリの脳内を支配して一瞬の隙を生み出してしまった。
「ふぇ……?何か頭に……アギッ!?」
突如、頭を何かに掴まれる感覚とそれに付随したちょっとした重量感が思考を停止していたミエリを覚醒させる。が、次の瞬間にはそこから何かが頭の一部を砕き、そこから頭の中……もっと的確に言うならば自分の全てを吸い出される感覚がミエリを襲い、彼女は悲鳴をあげて自分の頭に絡みつく何かを振り解こうとする。
"いけないっ"
影の怪物は素早くミエリに近づこうとしたが、それを何かが遮る。
怪物の目の前には複数のスライムや寄生生物と、それを従える様に一体の夢魔が立ちはだかる。
夢魔と言っても、近代の創作物にありがちな美男美女の風貌ではなく、ヨハン・ハインリヒ・フュースリー作の『夢魔』に描かれている様な、毛むくじゃらで厳つい顔をした正に"怪物"であった。
ただ、『夢魔』に描かれている様な小人ではなく、体長3mはありそうな巨大な体躯をしており、それがリビドースライムやミエリを襲っている生物と同じ種類のブレインテイカーを従えて怪物を対峙している。
おそらくこの夢魔が小さな怪物達に不意打ちや各個撃破の指示を与えているのだろう、夢魔の指示で襲いかかる原生生物達と影の怪物は交戦状態に入った。
「がばぎ!?あのぼふぁ!」
その間にもミエリは、脳を吸い取られて言葉になっていない叫びを上げ、最後には白目を剥いたまま待機状態の操り人形の様に、力無くその場に立ち尽くすだけとなってしまった。
(……ここを縄張りにしている迷い子に無粋な邪魔をされてしまったけれど……これは、面白い事になりそうね……)
そう言ってクスクスと笑うと、『グリザイユの貴婦人』はミエリの夢の中へと溶け込んでいった。




