奥底に眠る闇
――……
帰路の途中、少しだけ眠気を感じてあくびを一つ。
「くぁ……はふ。長居し過ぎちゃったし、流石に母さんでも怒るかなぁ」
サヤに魔力補充をしてもらい、居心地の良さからついつい会話に花を咲かせてしまったら、気付けば外は真っ暗だった。
予定より大幅に帰るのが遅れてしまっている。カザネに事情説明はしているとはいえ、母さんの雷は免れないかもしれない。……まぁ、怒るって言っても優しく諭す感じなんだけどね、母さんは。
「あっ、レティシア様ー!」
「ん? あ、やっほー」
屋根伝いに走っているせいもあり、夜でも人目に付く。たまたま親子連れの人達に見つかってしまい、走りながら手を振り返しておいた。
ふー、もう少し慎重に走ろう。普通の人達ならともかく、この時間にルドルフに見つかりでもしたら大変だ。
大通りは避けて人気の少ない道の上を駆けて行けば、程なくして私の家が見えてきた。
パッと見じゃ神殿かと見間違う我が家。でも仕方ないよね、住んでるのはドラゴンなんだし。出入り口も人間用のとは別に、母さんでも通れるものが用意してある。
厳密に言えば地上に見えてる部分が人間用の居住スペース、地下が私達ドラゴン用と分けられてるんだよね。
身体創造を使える私と母さんはともかく、ディーヴァ達を上で過ごさせる訳にはいかないもん。いくら神殿並に広くても、うちのヤンチャ坊主達の前じゃねぇ……特にダリウスとヒューリィが暴れたらひとたまりもない。
もう少し落ち着きってものを覚えてほしいかな。……いや、私が落ち着き過ぎてるだけかも? まだ生まれて8年なんだし、ヤンチャなのは普通か。
「ふふ、そういえばお兄ちゃんも、あの子達が喧嘩してたら手を焼いてたっけ」
母さんよりも早く止めに入って、そんなお兄ちゃんの背中を私が泣きながら追いかける。お決まりの展開だった。
いやぁ、本当にあの頃は四六時中お兄ちゃんに引っ付いてないと落ち着けなかったからなぁ。今でもそれは変わらないけど、昔ほど酷くはない、うん。私って独占欲強いのかも。
「よっと、ただいま〜……あれ?」
自宅に到着。そっと入り口を開けて中を覗き込み、私は首を傾げた。
てっきり母さんが待ち構えてるものだと思ってたのに、玄関と言う名の大広間には人っ子一人居ない。拍子抜けだ。
正確にはトマスの使い魔が一匹。柱の隅に座っていた白い毛並みのサウザンドウルフが、私の存在に気付いて尻尾を振っていた。名前はワン吉、私命名、ふふん。
名前の通り1000年生きる伝説上の狼。禁忌種と呼ばれる魔獣の一体らしいけど、ここじゃ我が家の番犬である。
そんな伝説の存在をポンと番犬に添えるトマスって、普通に凄いよね。でも使い方間違ってると思うのは私だけかな?
「よーしよし、いい子にしてた〜? ワン吉〜」
「わふっ」
「そっかそっか〜」
ワン吉の前にしゃがみ込んで両頬をモフモフしてあげる。このモチフワ感触がたまらないんだよね。私達ドラゴンには無い特徴でちょっとだけ羨ましい。
「ね、母さんは? もしかしてまだ仕事中?」
「わんっ、わんっ」
「下? もしかして地下かな」
狼と侮るなかれ。ワン吉の頭の良さはみんなが知っている。
私が母さんの居場所を聞いてみると、しきりに前脚で床を叩く仕草。これは仕事が終わって地下の部屋に居ると伝えたいのだろう。
「ありがと〜ワン吉。あとでおやつあげるね」
「わんっ!」
ふふふ、嬉しそうに尻尾を振っちゃって、愛い愛い。
ワン吉とのスキンシップもそこそこに、大広間の横にある大きな通路へと向かう。ここを下っていけばドラゴン用の居住スペースに到着だ。
本当ならこのまま上にある私の部屋に帰りたいところだけど、一応は口頭で帰ってきた事を伝えないとね。本当に母さんは心配症だから。
「〜♪」
人の姿のままだと到着まで数分はかかる。そのあいだはとっても暇なので、昔母さんがよく歌っていた鼻歌を口ずさみながら歩みを進めていった。
通路にはほとんど灯りがない。まさしく夜目が効くドラゴン用の通路だ。万が一侵入者が来た場合、暗闇の方が私達の方に分があるって事でこうなったんだよね。って、全部ルドルフの受け売りだけど。
「〜♪ ⋯⋯ん?」
何を考えるでもなく歩き続けていると、ふと前から誰かが歩いてくる気配がした。母さんか、或いはカザネか。
そんな私の予想は見事に外れて、暗闇の中から姿を現したのは、まったく知らない人物。
水色の髪に私とよく似た蒼い瞳。随分とラフな格好をしている女性だ。柔和な笑みを浮かべてはいるものの、どこか近寄り難い印象を受ける。
お客さん、かな? とりあえず会釈だけして通り過ぎよう。
「やぁ、こんばんは」
「えっ」
「ていっ」
「っっっ!!?」
すれ違う瞬間、不意に話しかけられたと思ったら、目の前に迫る女性の頭。咄嗟に飛び退き、そのまま壁を蹴って大きく距離を取った。
手段はともかく攻撃してきた……って事は、お客さんでも何でもない! 敵だ! こんな簡単に侵入を許すなんて、みんなは何してるの!?
「来て、イヴトラール」
自分の内から竜剣イヴトラールを取り出し構える。同時に自身を強化するスキルを複数発動、念の為に周囲へ魔法によるトラップも張り巡らせた。
大丈夫、これで優位に立った。暗闇も私に味方しているこの状況で、負けは無い。だけど慢心はご法度だ。
「うわーお、今の一瞬で強化スキル3つ、自動起爆型の拘束魔法トラップまで。しかも本人は最大限の警戒且つ、何よりアタシ様の挨拶を躱してみせた……ちっちゃいのに凄いね君。
10000点中の9000点ってところだぁ。拘束じゃなくて攻撃用の魔法トラップを使っていたら、文句無しの満点だったよ」
嘘っ!? スキルを発動した事までバレてるし、魔法トラップの種類まで……! どっちも完全に死角に居る状態で発動したのに、なんでバレてるの!?
「にゅっふっふ〜。流石子供とはいえ聖皇竜ってやつ? かなりの天才か、はたまた努力故の賜物か。どちらにしても最高にイイね」
「貴女は何者? ここで何してるの?」
「当ててごらんよ」
「茶化さないで。答えないなら斬る」
「おー、この問答無用感、小さい頃のメアちゃんそっくり」
「答えて!」
何なのこの人。目の前には強化済みの私、周りはトラップだらけ。明らかに不利な状況なのに、まったく動揺してない。
「剣先が震えてるよ。もしかして誰かを本気で斬ろうとするのは初めてかな?」
「っ!」
見破られてる。というか、この暗闇で剣先まで見えてるの? だとしたら、高確率で視力強化系のスキルを使ってると考えた方がいいかもしれない。
今まで私が戦ってきた相手は主にルドルフだ。だから本気の斬り合いなんてした事がない。
獣相手ならともかく、こうして意思疎通のできる人に剣を向けるのがこんなにも怖いなんて思いもしなかった。
剣こそ使っていなかったけど、私達を守ろうとしていたお兄ちゃんもこんな気持ちだったのかな。
傷付けるのが怖い。ルドルフに笑われちゃいそうだ。
「ふぅん? その剣、聖皇竜の素材を使ってるね。込められてる魔力も膨大……いや、これは研ぎ澄まされてると言った方がいいのかも。ホントに親バカだなぁ」
「いいから答えて! 貴女は何者で、目的はなに!?」
「仮にアタシ様が悪者だった場合、その質問は意味を為さないよ。
そういうのはね、相手を完膚無きまでに叩きのめした後で、コイツには勝てないと思わせた状態じゃなきゃ」
余計なお世話だと言い放つ前に、女がパチンと指を鳴らす。瞬間、私自身にかけていたスキルによる身体強化が霧散した。
「何をしたの!?」
「ちっちっちっ、だーかーらー……そういう質問はアタシ様を倒してからにしなきゃ。
尤も? 君ごとき無力なドラゴンにそれが出来るならの話だけどね? ほら、這いつくばりなよガキ」
「がっっ!!!?」
女の口元がニンマリと三日月に変わり、徐に私を人差し指で指差す。その指をほんの少し下に向けた途端、私の体は床に縫い付けられた。
何かとんでもなく重い物が上に乗っている感覚。体中が軋み、指を動かす事すら叶わない。
視線を彷徨わせて肩越しに上を見てみても、私の背中には何も無い。
でも確かに感じるのは、むせ返りそうになる程の濃い魔力。これは魔法だ。私はもちろん、あのサヤが可愛く思えてくるくらい高密度で、圧倒的な魔力。
しかも何より恐ろしいのは、魔法を唱えなかった事実。
本来なら魔法の名を口に出して唱えなければならないのに、この女は一言も発する事なく発動してみせた。
それがどれだけ常識外れなのか、引き篭もっていた時期に魔本を読み漁っていた私には理解できる。
「ぅっ……ぐっ……!」
「がんじょ〜う。人間なら内臓ぶちまけてぺしゃんこなのに。
イイね、ホントにイイよ君。将来は間違いなくルミリスを背負うに相応しい王になれるさ」
「うぅっ、ううぅぅぅぅぅぅ……!!」
どれだけ力を込めてもビクともしない。スキルを発動し直しても結果は同じだった。軽くなるどころか重みは更に増していくばかりだ。
だんだんと意識が遠退いていくのを感じた。感覚が無くなっていく。
……待ってよ。もしかして死ぬの? こんな簡単に?
「って、これ以上いじめたら流石にマズイか。起きたメアちゃんがアタシ様を殺しに戦争吹っかけて来ちゃいそうだし」
女が何かを言ってるけど、聞き取れない。
お願い、やめて。まだ私は死ねないんだ。まだ何もしてない、成し遂げてない。
ずっと私を支えてくれた人達への恩返しも終わってない。まだ母さんやサヤに教わる事が山程ある。
何よりもっ、お兄ちゃんを連れ戻すまで私は……死ねない!
ふざけるな、ふざけるなっ、ふざけるなっ!!! 死んでたまるか! 私には、私の全てを投げ捨ててでも叶えたい夢があるんだ! こんな訳も分からず殺される? そんなのお断りだ!
私の邪魔をしようっていうなら、コイツもあのアカネやコンと同じ憎むべき敵。
憎くて憎くて、その身その魂すら呪ってやりたくなる程の――!
「はっ!? ちょいちょい待ってよ、この魔力……まさか」
体が軽くなる。女が魔力を弱めた訳じゃない。
私の内から溢れ出てくる魔力が、魔法の力を押し返そうとしてる。でもこれは、感じた事のない魔力だ。
いつも私が使っているものじゃない、何か別の……ドス黒い何か。
「うっそでしょメアちゃん。もしかして君、とんでもない相手と契りを交わしたんじゃ――おっと!?」
軽くなった体を支えながら何とか膝立ちまで持ち直した時、不意に女が驚いた表情を浮かべて振り向き、天井へ手を掲げた。
キンっと鳴り響く金属音。掲げた手の甲には鱗のような物が浮かび上がり、そこで受け止めていたのはギラリと光る一筋の白刃。
奇襲。頭上から女へ斬りかかっている存在に気付き、私もまた驚きに目を丸くした。
「シ、キ……?」
「ご無事ですかレティシア様っ!」
聞き馴染みのある声。カザネ直属の部下である、シキ・コウジュンの姿がそこにはあった。




