思い出は鮮明に
『うん、そう。だから母さんには少しだけ帰るの遅れるって伝えてくれる?』
『ん、わかった。サヤ姉が迷惑かけてごめんね? シェラメア様にはちゃんと伝えておく』
『あはは、迷惑って程じゃないよ。珍し過ぎる姿に驚きはしたけどね。とにかくそういう事だから、あとよろしく、カザネ』
『ん』
足元も覚束ないサヤを抱えたまま家の中へ入り、大部屋に配置されたソファーに座らせた後、帰りが遅れる事を思考伝達にてカザネに伝えた。
いつからかカザネは母さん専属になってるらしいから、こうして伝えておけば無駄に心配させる事もない。
サヤの所に居るというのも効果は大きいと思う。
……あれ以来、母さんは酷く心配性になっちゃったからなぁ。
「さて、と」
「にぇへへ〜、へんなそら〜」
「空じゃなくて天井だよサヤ。お水持って来るからおとなしくしててよ」
「はぁ〜い」
とは言ったものの、この家に普通のお水なんてあるのだろうか。相変わらず散らかし放題。どこを見てもお酒のボトルと薬品の瓶だらけで、パッと見お水があるようには思えない。
流石にキッチンの方に行けばあるかな。
などと淡い期待を抱いて覗いてみたけど、こっちはこっちで酷い有様だった。
本人の尊厳を守る為にも何がとは言わない。でも、もし将来サヤと結婚する人が居たら大変だろうな〜。1日で出て行っちゃいそう。
「ここにお水あったとしても綺麗じゃなさそう。変な虫とか湧いてたり……うわ、気持ち悪」
想像するんじゃなかった。実験に夢中になるのもいいけど、もう少し身の回りの清掃くらいしようよサヤ。見事な汚家で私もドン引きだよ。
母さんに報告すれば改めてくれるかな。
「あ、そういえば家の裏手に井戸があったっけ」
私がまだずっと幼かった頃に、一度だけ見た覚えがある。あの頃はサヤの家もここまで酷くはなかったな。
肝心の井戸が昔のままの綺麗な状態じゃなかったら、最悪お水は外で調達してこないとだ。
「サヤ〜、綺麗なコップとかある〜?」
「はぁーい! こりぇはきれーれす!」
「それ酒瓶じゃん……はぁ、もういいよ。適当なやつ見つけて使うから」
早いとこ酔いから覚めてもらわなきゃ。でないと、ここに来た本当の目的が果たせない。
キッチンの中を見渡し、比較的綺麗なコップを手早く見つけた私は、それを手に取り裏口の扉に手をかけた。
「あっ……」
扉を開けようとして、思わず止まる。
視線は近くに置かれた棚の上に釘付けになり、しばらくボーッと立ち尽くしてしまった。
他は形容し難い汚さなのに、その棚だけは不思議と綺麗なまま。どうしてだろうと思ったのは数瞬で、棚の上に置かれていた物を見て納得した。
それは、編み込まれた白と紅の2本の紐。
アクセサリーにしては簡素な作りのそれは、ある日母さんがこの街に住む全ての人に配った物だ。
もちろん私も持っているし、今だって髪飾りの一つとして使っている。
これに込められた想いを知らない人はこの街に存在しない。忘れない為に、繋ぐ為に、母さんは気の遠くなる時間をかけてこれを作っていた。
家がこんな状態になっていても、サヤは大事にしてくれているんだな。
「……お兄ちゃん」
ポツリと呟いて、私は今度こそ裏口を開いて外へ出た。
――……。
「ご迷惑をおかけしました、死んで侘びます」
「ストォォォォォップ!!!」
幸いな事に井戸の水は綺麗なままだった。
ホッと安堵して水を汲み上げ、それをコップの中に注いでサヤの元へと戻った私は、問答無用で水を飲ませた。
サヤが酔うくらいの強い酒を、ただ水を飲んだ程度でどうにかできるとは思っていなかったんだけど、水を飲んで僅か数分で変化は起きた。
焦点の定まっていなかった視線はみるみるうちに正常さを取り戻し、顔の赤みも嘘のように引いていき、へらへらと緩んでいた表情が蒼白に変わる頃、何を思ったのかサヤは果物ナイフで自分の喉を掻き切ろうとするからさぁ大変。
本気で焦った。思わず羽交い締めにしちゃったけど許してほしい。
「うぅぅぅぅぅ〜! レティシア様に対して何て無礼な真似を! 私のバカ! ゴミクズ! 痴女!」
「あ、あははは……どうどうサヤ、落ち着いて。私は気にしてないからさ」
「私が気にしますぅ〜!!」
困ったなぁ。覚めたら覚めたで面倒な事になっちゃったよ。
「というかサヤ、ホントにもう酔ってない? 水飲ませただけだよ?」
「うぅ、私、元々お酒抜けるのが異常に早い体質なので、どんなに強いお酒飲んでもお水を飲んだら即座に覚めちゃうんですよぉ」
「あー、胃の中でお酒が薄まってって感じ?」
「仰る通りです……」
それはそれで便利と言うべきか難儀と言うべきか。
でもそっか、サヤは別にお酒に強い訳じゃなくて分解するのが人より異常に早いってだけなのかも。だから継続的にお酒を飲んでないと酔えないのかな。
「その体質のせいで酔い潰れとは無縁だったから、自分が酔い潰れるくらいの強いお酒を自作したと」
「正確に言えば、酔わないとやってられない程度には実験が滞っていまして……はい、すみません、軽率でした」
わー、あの飄々としてるサヤが目に見えてしょんぼりしてる。お酒が完全に切れたらこんな感じになるんだなぁ、意外。
これは記憶に刻んでおこう。役に立つかどうかは置いといて。
「で、でも何気に凄いよね。あのサヤが酔い潰れちゃうお酒を自作するなんてさ。どうすればそんなに強いの作れるの?」
「え〜っと、まずワーウルフのおしっ――」
「あ、ごめん、やっぱりいいや」
初っ端から凄い言葉が飛び出しそうになってた。でも何であんなに酷い匂いなのか納得。聞かなきゃよかったよ。
「うぅぅ〜、そうですよね。私が作るお酒なんて興味ないですよね……」
「え、いや、別にそういうわけじゃないけど」
「ううぅぅぅぅぅ……!」
ああああ! 調子狂う! いつもと違い過ぎるよサヤ! 完全に別人じゃん! まるで正反対な性格になってるよ!
えぇいこうなったら!
「ごめんねサヤっ!」
「ふえ? おぼぼぼぼぼっ!!?」
酔い覚まししたばっかりだけど、何となくこのサヤはあんまり好きじゃない。ので、手近にあった普通のお酒の瓶を引っ掴み、栓を開けて躊躇なくサヤの口へ突っ込んだ。
ラッパ飲みって言うんだっけ? いつだったかサヤ以外はしないようにって母さんも言ってたし、たぶんサヤなら大丈夫なはず!
こんな飲ませ方、普通なら吐き戻しても不思議ではないけど、流石サヤと言うべきか。吐き戻すどころかゴクリゴクリと気持ちのいい音を鳴らしながら飲み込んでいく。
そうして瓶の中身が空っぽになった頃、不幸のどん底に居るような表情をしていたサヤの様子が一変。
頬にほんのりと赤みが戻り、目つきもいつもの悪戯っぽい物へと変わっていき……。
「んもぅ〜、レティシア様ったら強引なんですから〜。でもぉ、ご馳走様です♪」
「はぁぁ……よかった、いつものサヤだ」
すっかり元通りだった。
一安心。やっぱりサヤはこうでないと。
正直酔い潰れてる時とお酒が切れた時のサヤって面倒くさ――個性的過ぎて私の手には負えないよ。
「あら? やぁんもう♪ 私の服をはだけさせるなんて、もしかしてレティシア様はそっちの気があるのかしらぁ?」
「残念ながら私が見つけた時にはその状態だったよ。もし他の人に見られてらどうする気だったの? 下着くらい付けなってば」
「うふふ〜、それが男だったら消し飛ばすだけですからぁ〜」
うわ、予想通り。むしろもっと酷かった。
「ところでぇ、今日はどんなご用向きですか〜?」
「いつものやつ。今日は差し入れも持ってきたよ。はい、グリアーノ印のお肉セット」
「まぁまぁ! お酒のアテには最高じゃないですかぁ〜! ありがとうございますレティシア様♪
お礼は何にすればいいでしょうかぁ?」
「むしろこれは私からのお礼だよ。サヤにはいつも貰ってばかりだから、たまにはね」
「あらあらまぁまぁ♪ 本当にシェラメア様譲りの優しさですわ〜♪」
母さん譲りというか常識じゃないかな?
まぁ、この街の人達は私がする事には大体好意的だから、何言っても意味無いのかもだけど。
「これは〜、いつもより張り切って注入しないとですねぇ〜♪」
「張り切ってって、込められる魔力には限界があるんでしょ? これ」
服の中に手を突っ込んで、首から下げていたペンダントを徐に取り出して見せる。
極細い鎖の先に付けられた小さな小瓶の中には、綺麗な朱色をした少量の液体が入っており、中で静かに揺れていた。
私が今日ここに来た本当の理由はこれだ。
中で揺れている液体は、サヤの魔力が液体化したもの。私は定期的にサヤの元を訪れては、この瓶の中に魔力を注いでもらっているのだ。
理由はまぁ、本当に個人的なものでさ。
ちなみに、このペンダントは魔導具の一つである。私にとっては、無くてはならない大切な物だ。
「あら、減り方がいつもより……今回は随分早かったですねぇ」
「あー、それはその……最近、ドラゴンの姿に戻ってなくてさ」
「理由をお聞きしても?」
「ん〜、その、たまたまなのかもだけどね。
よく見るんだ、お兄ちゃんの夢。だから最近は、出来るだけ人の姿で眠るようにしてるの」
「……ふふ。そうですか」
ちょっと気恥ずかしいから、多くを聞こうとしないサヤには感謝だね。
「昔からですが、レティシア様は本当にお兄様が大好きなのですねぇ」
「……そうだね。うん……大好きだし、愛してるよ。今でもずっと」
「そのぉ、レティシア様は覚えておられるのですか? お兄様の事を」
そう聞いてくるサヤの顔は不安気だった。私を気遣っているような、そんな表情。
あぁ、その顔は嫌いだ。サヤだけじゃない。相手が誰でも、その顔を向けられる時が私はこの上なく嫌いだ。
だからといって皆を嫌いはしない。純粋に私を心配してくれているだけなのだから、それに目くじらを立てるのはお門違いだと思う。
「それは、思い出って意味?」
「ですねぇ〜」
「なら、当然だね。忘れた事なんか一度だって無いよ」
思い出も、その姿も、温もりも。私を優しく撫でてくれた手の感触も。
私は生まれたその瞬間から全てを覚えている。
そう、覚えてる。お兄ちゃんの事だけじゃない。今までの事全てが頭の中に刻まれている。
憎くて憎くて仕方のない外道の顔も、名前も、何をしたのかも。私は全てを記憶している。
「……ツラくは、ありませんか?」
「どうして?」
「お言葉ですが、お兄様はもう居られません。記憶に縛られているのではないかと、私としては少々心配で」
「あはは、まぁ確かにね。嫌な事を思い出したりもするし、ツラくないって言ったら嘘になっちゃうかな。
でも、それを補って余りある程、私にとって大事な記憶で、思い出なんだ。だから何があっても忘れない」
と言うより、たとえ忘れたくても忘れられない。私には、生まれつきそういうスキルがあるから。
完全記憶。
一度見た光景、体験した出来事、あらゆる事象を記憶し、刻み続ける。母さんでさえ気付かなかった、私の固有スキル。
生まれたその瞬間から、私の記憶は始まっていた。
あの時、殻を破って初めて見たお兄ちゃんの姿。その時に抱いた気持ち、感情、今ならそれが何なのか理解できる。
たぶん、こんな事を誰かに話しても、生まれたばかりの赤ん坊にそんな感情が芽生えるわけないって一蹴されるだろう。
でも、不思議と分かっちゃったんだ。理屈じゃないというか、直感というか、運命というか……正確な言葉は私にも分からない。
それでもあの時私は、確かに恋に落ちた。
「それに、私だけでもちゃんと覚えてないと、いつか再会した時にお兄ちゃんがかわいそうだしね」
「再会……? あのぉ、レティシア様。申し上げにくいのですがぁ」
「分かってる。お兄ちゃんはもう死んでるって言いたいんでしょ?」
そう聞くとサヤが顔を伏せた。
皆同じだ。皆、お兄ちゃんが死んだと思ってる。母さんですらそれを疑わない。
でも私は違う。だって、私は見た。覚えてる。
連れ去られるあの瞬間、お兄ちゃんの目は諦めていなかった。生きようとする意思が込められていた。
どれだけ打ちのめされようとも私達を守ろうとしてくれたお兄ちゃんが、簡単に生きる事を諦める訳ない。
皆が諦めたって、私だけはお兄ちゃんの死を否定し続ける。
そしていつか……呼んでもらうんだ。私の名前を。
「生きてるよ、絶対」
「レティシア様……」
「さっ! しんみりした話はおしまい!
お酒とお肉を楽しみながらでいいから、魔力注入よろしくねっ」
皆は知らない。こう見えて私は一途だって事を。
生まれたばかりで恋に落ちて、その相手が実の兄という変わり者だけどね。
目指せ書籍化!
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