巡り合わせ
太陽光が降り注ぎ、青々とした森の中をひた歩く。背中には木の実や山菜が詰まったカゴ。それを背負い直し、前を歩く我が娘に苦笑を溢した。
上機嫌に尻尾を振っている様はいつ見ても愛らしく、聞こえてくる歌声は微笑ましさを感じさせる。
3日に1度の食料調達。いつも以上の成果に娘の声は弾んでいた。
「トマトトマット〜♪ あまーくて、ちょっぴり酸っぱいトマトマト〜♪
真っ赤な色は食べ頃で〜♪ まだまだ早いぞ青トマト〜♪」
「はっはっはっ、上手い上手い」
「ホント⁉ 歌い手になれるかな⁉」
「んー、それはなんとも言えない」
「え〜。声には自信あるのに」
「まだまだ一族きっての歌い手であるレナイエには遠く及ばない。要練習だな、コア」
「はぁい……。ふふ〜♪ ニャーニャー猫ちゃんニャニャーン♪」
不満気な表情を浮かばせたのは一瞬。コアは直ぐに人懐こい笑みを浮かべて、また違う歌を歌い始める。
確かに我が娘ながら綺麗な声をしている。この歳でこれなら、将来はさぞ美しい歌声を披露してくれる事だろう……が、如何せんオリジナルの歌の癖が強過ぎるのが難点だな。
幼い故の歌詞やメロディと割り切れば聞けなくはないものの、このままで歌い手になれるかと聞かれれば微妙と言わざるを得ない。
落ち込むから決して口には出さないがな。
「ん?」
「ら〜ら〜♪ ……? どしたの? お父さん」
コアの歌声に耳を傾けながら、さて帰ろうと足を踏み出そうとしたその時、不意に私の嗅覚が何かを捉えた。
「コア、来なさい」
「わぷっ……お、お父さん?」
直ぐにコアの元へ駆け寄り抱き寄せて、スンスンと辺りの匂いを嗅ぐ。
早急にこの匂いの出処を確かめなければならない。草木と土の香りに紛れて漂っているのは、間違いなく血の匂いだ。
正直、森の中で血の匂いがするのは特別珍しい事じゃない。肉食動物が草食動物を狩って食べている光景などザラだからな。
しかし、この匂いは違う。長年この森で生きてきて初めて嗅ぐものだ。
我々獣人のものでも、まして人間でもない。何処からか迷い込んだ魔獣でも野垂れ死んでいるのか。
どちらにせよ突き止めなければ。何者であれ放置して集落に被害が出ては事だ。
「お父さんの傍を離れるんじゃない。分かったか?」
「う、うん。ねぇ、何か居るの?」
不安そうに見上げてくるコアを一撫でして落ち着かせる。獣人としてまだ幼いから、血の匂いには気付いていないらしい。
「さて、な。悪いものでないといいんだが。こっちか」
努めて慎重に歩みを進めていく。何が居ても気付かれないように体勢は低く、極力気配と足音を消しての移動。
見様見真似でコアも慎重に移動してくれている。本能で分かっているのか? 賢い子だ。
そうしてしばらく移動していると、血に混ざって別の匂いが鼻を刺激した。
「スンスン。レッドベリーの匂いだっ」
甘い匂いに私より早く反応したコアが目を輝かせる。千切れんばかりにブンブンと左右に揺れる尻尾を見て、つい微笑ましくなりそうになる気持ちを押し殺し、軽くコアの額を叩いた。
「あたっ」
「静かに」
「ご、ごめんなさぃ……」
何かが向かって来ている様子も無し。少々過剰なくらいの警戒がちょうどいいのだ。
しかし妙だな。コアが言うように、この匂いはレッドベリーのもので間違いない。獣人にとっても貴重な果実だ。
だがこの時期にレッドベリーがここまで甘い匂いを発する事はない。そもそも、もっと寒くなってからでなければ、実を付ける事さえしない筈。
ならば何故?
頭の中でグルグルと思考を繰り返しながら血の匂いを辿り続け、やがて辿り着いたのは太陽光が降り注ぐ拓けた空間。
その中央に群生していたのはレッドベリーに他ならず、我が目を疑った。
先も言ったように、この時期にレッドベリーが実を付ける事はあり得ない。にも関わらず、今私の目の前には、辺り一面を覆い尽くす程の熟したレッドベリーがある。
その名の通り真っ赤に熟れた果実。コアでなくとも私でさえ思わず涎が垂れそうになる程、食べ頃だった。
「わあー! こんなにレッドベリーがあるの初めて見た! ねーねーお父さん! これも持って帰ろうよ!」
「あ、あぁ……」
あまりの光景に大声を上げるコアを叱りつけるのさえ忘れてしまう。
どうなっている? この辺りは確かに毎年レッドベリーが実を付けるが、ここまで群生しているなんてあり得ない事だ。そもそも何故、実を付けている? 時期には数ヶ月以上早いのに。
「(突然変異というやつ、か?)」
可能性としては低い。しかしゼロではない。確実に何かしらの要因が重なってこのような異常現象を起こしているのは明白。
「(ん? これは……)」
つい目の前のレッドベリーに気を取られて忘れていた。甘い匂いの中に隠れた血の匂いの出処は、間違いなくレッドベリーが群生しているこの場所からだ。
幸いにもコアは発生源から離れた位置でレッドベリーを摘んでいる。危険は及ばない筈。今のうちに調べてみよう。
「ミーちゃんとトーくんと、レナイエお姉ちゃんの分も取って〜。あ、ボクの夜食にも取っとかないと〜、にへへ〜」
「聞こえてるぞコア。去年寝る前にレッドベリーを食べ過ぎて、おねしょをしたのをもう忘れたのか?」
「うあぁ!? お、お父さん地獄耳!」
「いやかなり大きかったぞ声。とにかく、自分の分は少しだけにしておきなさい」
「はぁい……」
レッドベリーは果実の中でも相当に水分量が多い。子供が食べ過ぎて朝起きたら大惨事、なんて事は集落内でも日常茶飯事だ。むしろ体験していない一家は居ないのではないだろうか?
「まぁ場所覚えたし、今度また取りに来よ〜っと」
「何か言ったか?」
「なんにも〜!」
……? まぁいい。
採集に戻ったコアを見届けて、私も私で調査に戻る。血の匂いはちょうど真ん中付近から。
そう、ちょうどこの辺り……に……。
「……」
レッドベリーの葉を掻き分けて、その中に横たわる存在を見て言葉を失った。思考停止、と言った方がいいだろうか。
見間違いか? 見える角度によってそう見えているだけかもしれない。そう思って目を擦り、角度を変えて見てみても、やはり結果は変わらない。
そこには、あり得ない存在が居た。
死んでいる、のか? 体中に付着している血は乾いていない……つまり、ごく最近深手を負ったという事。
いつ? いや、そもそもこんな存在が我々の直ぐ近くに生息している事自体あり得ない。私が子供の頃からずっと、この森の生態系は変わっていないのだ。
居ないはず。居てたまるか。何故ならこれは――。
「お父さん? どうしたの……ぇ、なに、これ?」
「っ、コア……これは――」
「大変っ!」
まだ幼いコアには刺激が強い筈と直ぐに視界を遮ろうとしたのだが、両手いっぱいに抱えたレッドベリーを投げ出して、止める間もなくコアはそれに駆け寄った。
「お父さん! この子怪我してるよ! 手当てしなきゃ!」
力無く倒れているそれを抱き上げて、悲痛な面持ちで私を見上げてくる。
「分かってる……コア、それを置きなさい」
「な、なんで?」
「既に死んでいるだろう。どう見たって致命的なダメージを受けている」
大きさからしてまだ赤ん坊。どんな目に合ったのかは知らないが、この状態で生きているものか。
死んでいる者に手当てをしても意味はない。
それよりも、この事を族長に報告する必要がある。私だけで対処するには、これの存在はあまりに大きい。
「行くぞコア。早く帰って報せ……何してる?」
「お父さん静かにっ」
「え、あぁ」
この場を離れようと立ち上がるも、コアは血で髪が汚れてしまうのも気にする事なく、自分の耳をそれの胸にあてがっていた。
無駄だと言っても聞かないのだろうな。誰に似てしまったのか、コアは頑固な部分がある。
まぁ自分で確かめれば諦めも付くというもの。私は黙っておとなしく待っていよう。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……はぁ。コア、もういいだろう?」
「……」
「コアっ」
「聞こえる」
小さく呟かれた一言に思わず瞠目する。
聞こえる? 何が? まさか、鼓動が聞こえるとでも? ありえない。如何に生命力が強いと言っても所詮は赤ん坊だ。生きている筈が――。
「聞こえるよ! ほんの少しだけど聞こえる!」
「……だとしてもだコア、それは」
「お父さん! まだ生きてるんだよ⁉ こんなに小さいのに必死で頑張ってる! このまま何もしなかったらホントに死んじゃう!」
生きている……だからどうした? 助けろと? 生かしておいても災いの元じゃないか。
ああ、そうだ、仮にこのまま放置を選択したところで生き永らえられでもしたら、後々私達の障害となり得る。
助ける? 論外だ。放置する? 不安の種が残る。つまりどちらを選んでも百害あって一利なし。
ならば私が取るべき行動は、この場でとどめを刺す事。
「助けてくれないなら、お父さんなんか大嫌いになるから!!」
「頼むそれだけはやめてくれ!?」
娘の言葉の前では私の覚悟など紙切れに等しいと学んだ瞬間だった。
今にも踏み出さんとしていた私の心は簡単に砕け散り、無様にも娘に土下座する始末。
見捨てる代償に私まで娘に見捨てられるなどと、そんな事が許されてなるものか! 嫌われるくらいなら集落中に害を振りまいてやる! 全力で! それくらい嫌だ!
「むぅぅ〜、だったら助けてあげてよ」
「う、うむ……しかし分かっているのか? コア。それは――」
「ドラゴンでしょ。分かってるよそのくらい」
「えっ⁉」
驚いた。まさか、最初から分かっていて救おうと?
「ドラゴンが危ない存在なのは分かってる。でも、でもさ! どんな種族だって赤ちゃんには何の罪も無いでしょ!?
危ないからって見捨てるなんてボクには出来ないよ! そんなの絶対おかしい!」
なんて力強い目をするんだ我が娘は。未だ10にも満たない子供が、真っ向から父親に向かって間違っていると言い放っている。
いつの間にこんなにも立派になったのだろう。
ああ、そうだな。私とした事が、種そのものとしてしか見ていなかった。コアの言う通り、このドラゴンの子が何をした?
思わぬ娘の成長に目頭が熱くなる思いだ。
「……」
「むーっ!」
「大丈夫、何も酷い事はしない。だからそう怖い顔をしないでくれ」
歩み寄ろうとする私に厳しい目を向けてくるコアにちょっとだけ傷付きながら、私は腰に下げていた革ポーチの中から非常時用に常備しているポーションを取り出した。
「コア、支えていなさい」
「う、うん」
「……なるほど。血濡れで酷い状態だが目立った外傷自体は特に無し。強いて言うなら胸の辺りが少し腫れている程度。
骨折、か? しかし相当量の吐血をしているのは何故だ? 折れた骨が突き刺さっている? どこか内臓をやられていると考えるのが自然か」
まいったな、目に見える怪我ならばポーションを傷口にかけるだけの簡単な治療で済むが、内臓をやられているとなるとな……。
「さて、この状態で飲んでくれるかどうか」
「口、開けよっか?」
「いや、私がやろう。コアはとにかく支える事に専念していなさい」
「うんっ。よしよし、大丈夫だよ〜、良い子だから飲んでね〜」
優しく語りかける姿はまるで母親だな。
ん? 母親? そもそも何故幼竜だけがここに居たんだ? 肝心の親ドラゴンは何処に――……いや、とにかく今は治療に集中だ。
ポーションの蓋を取り、ゆっくりと幼竜の口を開けていく。赤ん坊とは思えない鋭く尖った牙が私を出迎えてくれた。
間違っても噛まれないように慎重に慎重を重ねてポーションを傾けて、少しずつ口の中へ注いでいく。
これだけ衰弱していては、物を飲み込む力すら残っていない可能性は十分考えられる。吐き出されれば現状では打つ手無しとなってしまうが、そんな私の心配は杞憂に終わった。
ごく僅かに幼竜の喉が動くのが見えた。
続けて聞こえてきたのは、苦しそうにしながらもコクリコクリと小さくポーションを嚥下していく音。
「飲んだ! お父さん飲んだよ!」
「ああ」
「これで大丈夫?」
「いや、安心は出来ない。このポーションも決して質が良い訳ではないからな。内臓の損傷具合によっては治らない可能性の方が高いだろう」
「そんなっ……!」
「治らないとは言ってないぞ? あとは、この子の頑張り次第だ」
自然回復を待つ他無い。これで治らなければ仮に集落に連れ帰っても意味は無い。私達の治療技術はお世辞にも進んでいるとは言えないからな。
治療魔法を使える魔術師でも居てくれれば話は変わってくるが、基本的に魔力を持たない獣人は魔法の類を使えない。どれだけかわいそうでも、これでダメなら諦める以外の選択肢は無いのだ。
「お父さん、この子連れて帰るから。看病はボクがする」
「ダメだ、と言っても聞かないんだろう?」
「とーぜんっ。もしダメって言ったら家出してここで看病するからね」
「分かった、やめてくれ」
行動力お化けのコアは必ず実行する。娘の居ない家で一人寂しく孤独に過ごせと? 拷問じゃないか。
はぁ、やれやれ。赤ん坊を見て母性本能を刺激されでもしたのか? 随分と気に入ってしまったらしいな……これはどれだけ諭しても聞かないパターンだ。本当に頑固な子だよまったく。
「族長達に何と説明するべきか……」
「みんなに秘密じゃダメなの?」
「それではバレた時に言い訳できなくなるだろう。正直に話したとしても、下手をすれば集落を危険に晒したとして追放処分を食らう」
「え゛っ」
「ん? やはりやめておくか?」
「いーやっ! 連れて帰る!」
「ドラゴンを招き入れたとして肩身の狭い思いをする事になってもか?」
「この子を見捨てるより何倍もマシだもん!」
「だがなコア――」
「ボクがお父さんを見捨てたっていいんだよ?」
「ハイゴメンナサイ」
それを言われたら何も言えないじゃないか。
「はぁぁぁぁぁ……娘がやるからには全力を尽くそう。ただし、皆の説得はコアも手伝ってくれよ?」
「うんっ! お父さん大好き!」
「あぁ。私も大好きだよ」
本当に、私って単純。




