声優 御堂刹那の副業 聖夜が終わるまで
「お願いします、もう少し、もう少しだけでいいんです……
この子と一緒にいさせてください……」
満里奈がつぶらな瞳で自分を見詰めている。このままずっとこの子と一緒にいたい。だが、それがゆるされないことを克也も解っていた。
「今日はクリスマスイブです。あの時できなかったことを、してあげたいんです……
お願いします……せめて今日が終わるまで……」
隣にいる若い女性は黙ってうなずいてくれた。
克也は単身赴任で京都にいた。娘の満里奈も幼いので転勤は避けたかったのだが、三年間我慢すれば、東京本社で係長のポストが約束される。マンションのローンも数十年は続き、満里奈の養育費もかかる。そして出来ることなら子供がもう一人欲しい。だから彼は単身赴任を決意した。
妻の育恵と満里奈には寂しい思いをさせることになるし、自分だって同じ気持ちだ。だから、連休が取れれば頻繁に家族のもとへ帰ろうと考えていた。ところが想像以上に仕事は忙しく、休みを思うように取れなかったのだ。
それでも、いやそれだからこそ、克也はクリスマスイブだけは無理を言って休みを取り、東京に帰省した。イブは満里奈の誕生日でもあるからだ。クリスマスと誕生日、二つのプレゼントを持って娘に会うのが克也の最大の楽しみになった。
去年もプレゼントを手に克也は東京へ戻った。育恵から満里奈の欲しがっているオモチャをリサーチしておき、早めに通販で確保しておく。忙しくて中々買いに行けない上に、クリスマス直前になると人気のオモチャは入手困難になることを経験上学んでいたからだ。直接満里奈に手渡したいため、オモチャは京都に配送してもらい、わざわざ持って東京に向かう。
昨年も駅まで満里奈と育恵が迎えに来てくれた。満里奈にプレゼントを渡し、
「開けるのはおうちに帰ってからだよ」
と、微笑みながら言った。
「うん!」
満面の笑みを浮かべて娘がうなずく、最高に幸せな瞬間だった。そう、あの瞬間、克也は人生で最高の幸せを感じていた、この幸せがずっと続けばいいのにと願いながら。この幸せは長くは続かない、三日後には京都に戻らなければならなかった。
三日しか続かない幸せ。ただでさえ短いのに、実際はもっと短く、そしてこれが最期になってしまった。
駅から出て間もなく、暴走したクルマが克也たち家族に突っ込んできたのだ。
それからどうなったのか、克也は覚えていない。ただ、満里奈と育恵を失ったのは確かだ。もう、仕事をする気力もなかった、働く理由を失ったからだ。
だが、今、眼の前に満里奈がいる、それだけで充分だ。彼女が何者であれ関係ない、例え一緒にいることが禁じられていても、このままずっと一緒に……
「あの人は、ここにいるんですか?」
声に振り返ると、そこには育恵の姿があった。
育恵……君まで……
「はい、克也さんが、今、あなたの名前を呼びました」
もう一人、女性の声がした。育恵は彼女が示した場所に顔を向ける。それは克也が立っている場所だ。
「パパ、帰ってきたのね、お帰りなさい……」
育恵……?
「わたしと満里奈のことが心配だったんでしょう? でも、だいじょうぶ、何とかやっているわ」
そうか、亡くなったのは……
「そうです、あなたは満里奈ちゃんと育恵さんをかばって重傷を負いました」
克也はやっと理解した、働く気力がなくなったのではなく、自分が働けない状態になっていたのだ。それにまったく気が付かなかった。
でも、よかった……満里奈も育恵も無事で……
二人がいなくなることは自分がいなくなることより辛い。
「克也さんは、ご自分のことを理解しました。そして育恵さんと満里奈ちゃんの無事を喜んでくれています」
その言葉を聞いた途端、育恵は両手で口を覆い嗚咽を漏らした。
「ありがとう、刹那さん」
刹那と呼ばれた女性は首を振り、「あたしは視えることを伝えているだけですから」と応えた。
「満里奈、こっちに来て」
育恵が呼ぶと、満里奈がオモチャを置いて駆け寄ってきた。
「ねぇ、ここにパパがいるんだって」
育恵は刹那に教えられた空間を満里奈に示した。
「パパ、いるの?」
あどけない声で娘が問い返す。
「うん、いるよ。目には見えないけど、ちゃんといて満里奈とママを見守ってくれているの」
「パパ、アタシ、きょう、たんじょうびだよ。ろくさいになったんだよ」
無邪気な笑顔を向ける。
六歳……? 去年は三歳だったはず……
「あなたは去年も一昨年も、この時期になると帰ってきていたんです。その度に、蛍光灯が点滅したり、しまっていた物がテーブルに出ていたり、不可思議なことが起こっていました。
だから、今年はあたしが呼ばれたんです」
あなたは霊能者……?
「と言うか、副業で拝み屋もどきをしている声優です」
克也は生前、タレント会社に勤めており、育恵もアイドルをしていた。その繋がりで刹那を呼んだのだろう。
おれを祓うのか……?
刹那は首を左右に振った。
「あたしは呪術は使えません。霊を視て話を聞き、話しかけることしか出来ないんです。
だから、克也さんに伝えるために来ました。もう、あなたは生きてはいないという事と、この世に留まるべきではないという事を」
すでにこの世のものではなくなっている以上、現世に留まるべきではない。その理屈は解るが、それでも。
お願いします、もう少し、もう少しだけでいいんです……
この子と一緒にいさせてください……
麻里愛がつぶらな瞳で自分を見詰めている。このままずっとこの子と一緒にいたい。だが、それがゆるされないことを克也も解っていた。
今日はクリスマスイブです……
あの時できなかったことを、してあげたいんです……
お願いします……せめて今日が終わるまで……
刹那は黙ってうなずいてくれた。
「パパ、もういなくなっちゃったの?」
翌日、満里奈が育恵に尋ねた。
「うん、天国に行ったんだよ」
日付が変わる頃、克也の霊は姿を消したと御堂刹那は言った。決して怨みや憎しみからではなく、彼は純粋に満里奈と育恵を心配してこの世に留まっていたのだ。彼は自分の死を自覚すると、イブの間だけは満里奈といさせてくれと頼んだという。そして彼は約束通り姿を消した。それが成仏なのかどうかは、刹那にも判らないらしい。でも育恵は、克也が天国に旅立ったと信じている。
「でもね、パパは天国からいつでも満里奈とママを見守ってくれてるの」
満里奈は少し寂しげに、コクンとうなずいた。
これで良かったのだ、改めて育恵は思った。ブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故に遭い、克也は命を失った。だが、育恵と満里奈は彼に突き飛ばされ、軽傷で済んだ。
そして一昨年と去年、クリスマスが近づくにつれ不可解な事が起こり始めた。そこで以前所属していたタレント事務所に相談したのだ。社長の姪に霊感があり、副業として拝み屋をしていると聞いていた。
育恵の予想通り克也の霊はこの家にいた。しかし、彼は何か言いたいことがあるわけではなく、ただ娘と一緒に過ごしたかったのだ。家族を愛する克也らしいと思った。しかし、いつまでも彼を留めておくことは出来ない。自分と満里奈も前に進まなければ。
「ママ、だいじょーぶ?」
不安げに満里奈が見上げている。
「うん、平気。心配かけてごめんね」
育恵は満里奈を抱きしめた。そうだ、克也は天国から見守っていてくれる。自分たちの人生はまだまだ続く。
でも、今日はまだクリスマスだ。もう少しだけ愛する人との思い出に浸っていよう。
-finー