久留主研究所
4/4 16時に前話『守護庁』を追記しました。
以前に読んで下さった方、申し訳ありませんがもう一度お読みください。
朔也が窓の外を見ると青海湖を過ぎて随分山中に入ってきたことに気づいた。遠くに白い四角い建物が見えてきた。『国立法人 久留主研究所』という標識が小さく書いてある。
「ここでバイタルデータを取らせてもらうわ……あと主任に余計なことを尋ねないこと。いいわね?」
朔也は何のことかわからないまま、野沢の言葉にとりあえず頷いておいた。
野沢が首から下げたIDをセンサーに当てると青いランプが点き、スピーカーから女性の声がした。
「こんにちは。野沢魔法保健課課長、本日のご用件は?」
「新規の感染者のバイタルチェックです」
「認証しました。どうぞお入りください」
野沢が中に入り、坂上も同様にIDをセンサーに当てた。
「真山君もさっきのカードを当ててから入ってね」
坂上が朔也を振り返って言った。朔也もカードを当てて二人の後を追った。野沢は研究室の一室をノックした。
「今井先生、新規の感染者です」
「どうぞぉ」
間延びした女性の声が室内から聞こえた。
「失礼します。こちらが真山朔也君、十五歳。真山君、こちらが今井主任研究員です」
朔也はうつむいて入室し、軽く頭を下げてから今井を見た。今井は眼鏡に大きな瞳の長い髪をひっつめにした女性だった。だがそんなことより朔也が驚かされたのはその巨体さ故にだった。シーツ二枚分あるのではないかというような白衣を着て、その下から派手な紫とピンクのワンピースが見え隠れしている。
「ああ、貴方が新しい保因者ねぇ。今井です、どうもぉ」
「よろしくお願いします……あの保因者って?」
そう咄嗟に言葉が出てしまった瞬間、野沢が咎めるような視線を朔也に送り、坂上が小さくため息をついた。
「ほぉう、なかなか見どころがある子ね、真山君。私は常々政府や関係者に主張しているんだけど、『感染者』って言い方は差別的だと。しかももう既に症状が治癒しているにも関わらずそう呼ぶのは間違っていると。それに魔法症候群にウィルスも細菌も関与していない――現時点での研究の結果だけど――にも関わらずその呼称だけが定着してしまっているのはおかしいとそう私は説いているわけですよぉ。どうせ魔法症候群だと決定づけられるのは症状が治まった後でしかないわけだし。感染者からの感染ルートは判明した試しはないし。それよりもある種の要素――これもまだ分かっていないのだけれど――の方が大きくこの病に影響をきたしていると私は考えますねぇ」
今井は立て板に水のように持論をぶちまけた。魔法症候群についてほとんど素人同然の朔也は目を白黒させた。
「でも、もう御子神学園に入学する貴方に保因者も魔法使いの呼び名も相応しくないわね。貴方は輝石の聖銃士になるんだから」
「きせきの……せいじゅうし?」
朔也はぼんやりと単語を繰り返した。そうよぉと今井は楽しそうに巨体を揺らした。
「これから貴方はそう呼ばれることになるの。それは……」
「今井先生、バイタルチェックの方をお願いします」
野沢が今井が一呼吸置いたタイミングを逃さず、そう言った。
「あら、そうだった。ここに座って胸の音と口の中を見させてもらいますねぇ」
今井はぶくっとした白い手で聴診器を当て、朔也の喉を調べた。
「やっぱり初期段階の風邪様症状は完治してますねぇ。体温も三十六度三分、血圧百二十五の七十八、心拍数百三……おや、ちょっと緊張しているね。酸素濃度は百。健康体ですねぇ」
朔也は計られていない様々なデータに驚いた。それから左手につけた黒い携帯端末に目をやった。
「そう、その携帯端末はバイタルサインを逐次こちらに送ってくれている優れものなのだよぉ。壊したりしないでねぇ。開発大変だったんだからぁ」
今井は朔也の視線に気づいたようにそう付け加えた。
「それじゃあ、この後は血液と検尿と遺伝子検査と視力、聴力検査。身体測定、体力測定もかなぁ」
大崎さんと奥に今井が声をかけた。ナース服を着た女性が入ってきた。今井の横に並ぶと大崎と呼ばれた看護師はとてもと華奢に見えた。朔也は大崎に連れられて検査室へと向かった。採血など医療的な検査が一通り終わると小さな体育館に連れられて体力測定が始まった。握力、立ち幅跳び、反復横跳び、上体起こし、長座体前屈、垂直飛び、ソフトボール投げ、シャトルランなどほとんど休みなくやらされた。しかし、朔也は以前と違ってあまり疲労していないことに驚いた。
一通りの検査を受けたところで、最後にまた今井のいる部屋に呼ばれた。
「検査の結果は――遺伝子検査以外だけど――異常なしだねぇ。ちなみに体力測定はギリギリ平均レベル。あ、そういえば、君のお父さんの真山拓郎って昔、聖銃士だった?」
「はい。今日初めて知りましたけど」
おっほーと今井は目を輝かせて朔也を見た。
「真山君――お父さんの方ね――とは同期生だったんだよ。じゃあお母さんの世津子さんってもしかして旧姓は青木さん?」
そうですと朔也が答えると、今井はまた奇声を上げた。
「あの二人やっぱり結婚したんだ! そうなるとやっぱり遺伝的な要素も考慮しなきゃだめだよねぇ。でも、もう三十年も前のサンプルなんて残ってないしなぁ。非常に残念だよぉ」
今井はその巨体通りの重たい溜息をついた。
「あの……今井先生は同期生ってことは先生も聖銃士だったんですか?」
そうだよぉと今井はくるりとPCから朔也に向き直った。
「ユニットは違ったけどね。それに私は特別枠だったし。あの頃は良かったなぁ。疲れても治癒呪文を使えばいくらでも研究できたし。いくら食べても太らなかったし」
朔也は今井が両親とほぼ同世代で同期という事実以上に痩せていたということに驚いた。
「さて、今井先生。検査が終わったなら真山君を学園に連れていってもよろしいでしょうか?」
またしても滑り込ませるように野沢が今井に尋ねた。
「ああ、うん。いいよぉ。それじゃあ、良い学園生活を、真山君。またおいでね」
今井はにっこり笑って朔也たちに手を振り、三人は一礼して部屋から出た。
お読みいただきありがとうございます。
次回『御子神学園』をどうぞよろしくお願いいたします。