プロローグ
春風が吹く新月の夜。都会の灯りが星の輝きを消して空を真っ黒に塗り潰している。その中心にそびえ建つ一際高い塔の天辺に人影があった。背格好からして少年のようだが、その表情はどこか老人を思わせる。紺色の軍服に身を包み、袖は着物のように長く風にはためいている。真っ白な髪と左目だけが銀色だった。少年はしばらく黙って、ネオンの輝きに満ちた摩天楼を見下ろしていた。その銀色の瞳には複雑な感情が渦巻いている。そしてほんの少しの高揚感が少年の頬に紅を差していた。
「聴け、我が子らよ。目覚めの時は来た」
闇の中で少年は大きく息を吸い、両手を開いて天を仰いだ。
その頭上には少年を守るように一匹の巨大な生物が飛んでいた。それはまさしく竜であった。五本のかぎ爪を持ち、美しい純白の鱗に覆われている。白竜は少年の周囲をぐるりと旋回すると虚空へと飛び去っていった。そして、少年は歌い始めた。その声をより遠くへと響かせようと竜もさえずり始めた。
ああ、この歌が君に届くだろうか。
奇跡は、いつだって誰にでも起こる。
私はそんな歌を信じない。
神がこの世にいるはずなんてない。
君はきっと言うだろう。
どんな逆境にも打ち勝つのだと。
最期の一瞬まで自分の力を振り絞れ。
全てを試される瞬間が来た。
何もかも失った今、私は何を歌うのだろう。
諦めてしまえば楽になれる。
私は今絶望の淵にいる。
新たなる世界の守護者よ、祈れ。
少年は夜が明けるまで歌い続け、竜が戻ってくるとそれにすがるようにその場に崩れ落ちた。
「俺が出来るのはここまでだ。どうか、一人でも多くの子に届いて……」
しゃがれた声で少年は呟き、そのまま意識を失った。
こうして、最後の竜の歌が終わった。
これが人と竜と蛟にまつわる物語の終わりの始まりであった。
お読みいただきありがとうございました。
次回『退屈で貴重な一日』をよろしくお願いします。