九話
「悠。歩きっぱなしで疲れたでしょ? 病室でも立っていたし。もうすぐ夜になる。風邪引くといけないから宿に行こう。片桐さんがね、僕たちのためにって貸してくれたんだ」
「……」
彼女はベンチからゆっくりと立ち上がる。
誰もいない公園で一人、彼女は空を見上げていた。
僕には何故、彼女と同じ景色を見ることが出来ないんだろう。 今はそれが歯がゆくて、とても悔しい。
「悠、心配だから手を繋いでもいいかな?」
「……」
僕が手を差し出すと握り返してくれる。けれど、口を開いてはくれない。
さっきのことを怒っている様子で、彼女の目を見てもすぐに逸らされてしまう。どうやら僕は嫌われてしまったらしい。
「ごめんね、悠。片桐さんにああいったけど、悠が世界で一番綺麗だって思ってるよ。片桐さんに先に言った手前、こんなこと言っても信じてもらえるかわからないけど……」
「……」
もう一度、言って?
彼女は僕の顔を見て、立ち止まる。
僕もその場で足を止め、口を開いた。
「……世界中の誰よりも君が一番綺麗だよ、悠」
彼女には僕が恥ずかしいって気持ちが伝わってないのかな?
最初は、ふと口から思ってることが出てしまった。でも、二回目は自覚しながらのセリフ。
我ながらキザっぽい。でも、彼女からの可愛いオネダリを僕が断ることはない。
今の行動が計算されているものだとしたら彼女はあざといし、もし天然によるものだったとしたら、さらにたちが悪い。
どちらの彼女も当然僕は好きだけど、彼女は付き合ってもない僕に言われて嬉しいんだろうか。王子様みたいな言葉は王子様みたいにカッコいい人のために存在するものなのに。
「……」
羅鎖宮、行こう。宿はどっちなの?
「ちょ……悠? 焦らなくても宿は逃げないよ」
「……」
そんなの、わかってる。
「悠、もしかしてだけど照れてる? って、僕に言われてもどうも思わないよね、はは。……! は、悠、痛いよ」
「……」
羅鎖宮が怒らせるのが悪い。
「ご、ごめんって」
足を何度も踏まれた。
さっきの〝 馬鹿 〟って言葉とは違って、僕の心は痛くならない。多分それは彼女が照れ隠しで僕に当たっているから。
図星を突かれて、どうしていいか、どんな態度が正解なのか、彼女はよくわからないんだ。今まで僕に女の影すらなかったから。
彼女以外に興味もなければ、関わりたいとも思わなかった。そんな僕がだ。片桐さんにあんなことを言ったから……。
「……」
試練のことなんだけど……。彼女が別の話題を振る。
「う、うん?」
「……」
片桐さんを幸せに、未来に進めることが私たちの試練だよね。
「そう、だね。僕も同じことを思ってた」
むしろ、それ以外と言われると検討もつかない。
「……」
あのね、いいことを思いついたの。
「悠、それは危険なことじゃないの?」
「……」
危険と言われたらそうだけど。でも、きっと成功すれば今まで月に飲み込まれた人も帰ってくると思う。
「まさか、そんなことって」
そんな方法があるのか? ありえない。
彼女は絶対の自信があるわけではない。これは成功するかわからない、と言わんばかりに僕に相談する。
「……」
でもね、それは今じゃ出来ない。あと、羅鎖宮に話すのもまだ先。
「悠が僕に隠し事をするの?」
「……」
怒らせた罰。私、完全に羅鎖宮のことを許したわけじゃない。
「えぇ……まだ許してもらえてないの? ちなみに、なにをすれば許してくれるの?」
「……」
協力してくれたらいい。ただ、そのためにはこの世界にいる人間が全ていなくならないことには実行できない。
「悠ってやっぱり凄いね」
「……」
急にどうしたの? キョトンとして首を傾げる彼女。
「だって、僕にはどうしたら片桐さんを救えるのかわからないから。今の僕に出来るのは少しでも片桐さんの心が不安定にならないように話を聞いてあげることくらいで……。僕が思いつくのは、それこそ片桐さんの大事な人を甦らせるしか……」
「……」
人間を生き返らせること、羅鎖宮には出来るの?
「それはね、神の領域だから無理だよ。それに、神様は一度死んだ命をそのまま地上に落とすことはしない。天に還った時点でその人の役目は終えてるからね。人間界は修行の場所。だから、お仕事が終わったらお疲れ様って天国に行くんだ。まぁ、全員が神様の元に帰れるわけじゃないけどね」
「……」
彼女は真剣に僕の話を聞いてくれた。話し終えたあと、しばらくの沈黙が続いた。
「あ、ごめん。説教じみたっていうか、こんな難しい話を聞きたいわけじゃなかったよね」
「……」
私は……死んだあと、天国に行けるかな?
「死なせない。僕が絶対に」
「……!」
そういう意味で言ったんじゃない。呪いとか関係なく、仮に死んだ後の話。
「それはあまり想像したくないな」
死はいずれ訪れる。それは明日かもしれないし、一秒後かもしれない。自分がいつ死ぬかなんて誰にもわからない。
そんな中、彼女は自身の命を悪い魔法使いに握られている。
彼女が僕の前から消えること、それは考えるだけでも辛くて、悲しい。笑ってほしい。せめて、死ぬ瞬間までに。
「悠は神様に愛されてると思うよ」
「……」
「なんでと言われると答えづらいけど、こんなに可愛い悠が神様に愛されてないなんて、それこそありえないことだから」
僕が神様だったら彼女を今よりも大事にする。きっと神様だってそう思うに違いない。
こんなに可愛いお姫様を天国から手放し、地上へ落としたのは修行のためだとわかってる。
でもね、僕と出逢わせるためだと思うと神様の存在をちょっとだけど信じちゃうかも。
「……」
羅鎖宮って、たまに変なこと言うよね。
「え!? ごめ……神様と僕は違う存在だってわかってるのに、僕……は、悠?」
「……」
いいの。励まそうとしてるの、わかるから。
「そんなつもりはなかったんだけどな」
「……」
羅鎖宮にクイズ。
「へ? く、クイズ?」
「……」
そう。今の私は怒ってるでしょうか?
〝 はい 〟か、〝 いいえ 〟で答えてみて。
「う、う〜ん。は、はい、かな?」
「……」
羅鎖宮って、やっぱり鈍感。
「え、それって怒ってないってこと? でも、さっきはまだ僕のことを許してないって」
不正解だった? ということは、〝 はい 〟が正解? つまりそれは彼女の機嫌は直ってるってことなのかな。
「……」
羅鎖宮。試練、頑張ろうね。
「もちろんだよ。悠の呪いが解けるなら僕はどんな事でもする」
全ての試練をクリアするまで、旅が終わるまで、僕は魔法を使えることはできるだろうか。
不安は拭えない。いつだって、それはつきまとう。彼女には心配をかけるから、本当のことは話せない。本当のことを言えば、彼女はきっと……旅をやめると言い出すから。
「……」
宿に案内して? こっちで合ってる?
「悠、走ったら危険だから出来るだけ歩いてね」
「……」
うん、わかった。
彼女は僕の手を離さない。ギュッと強く握られる。思わずドキッとしてしまった。
勘違いさせる彼女の行動は僕にとっては毒。
いきなりクイズを出してくるお茶目な彼女も可愛いかった。病室では一度だってしたことはないのに。
それだけ病室が、彼女の両親が、彼女の心を縛っていたということなのだろうか。
さっき、あえて聞かなかったこと。
彼女が危険を冒してまで提案した一つの作戦。この世界の人間がいなくならないと出来ないこととは一体なんだというのか。
無茶なことをしても、彼女は試練を乗り越えようとしている。それとも、片桐さんを救おうとしているのか。彼女は優しい。だから、後者の考えだと僕は思った。
でも、どうか、死なないで。僕の前から消えてしまわないで……。