八話
「悠! やっと、見つけた……」
僕は彼女の姿を見るなり駆け寄った。全力であちらこちらを探したため、呼吸が苦しい。
元々インドアの僕には限界だったのかもしれない。でも、多少の無理をしてでも彼女を見つけられたのは不幸中の幸いだ。
この世界はどういうわけか、携帯が使えない。だが、車がほとんど走っていなかったり、壊れかけの病院があったり、僕には見えないが、黒い月が空に浮かんでいるとするならば、僕たちがいた世界のモノがここで使用出来ないのは何ら不思議はない。
「……」
彼女は僕の声に反応して、こっちを見るが、すぐにフイっとそっぽを向いてしまう。
僕は思い出していた。病室を出る前に片桐さんが言っていた言葉を。
『貴方たち、泊まる宿がないでしょう? もし良かったら、私の家を使って。鍵はここにあるから。何日でも泊まっていって。食料も沢山あるから、料理するなり好きにしていいわ』
『それは、こっちとしては助かるけど……片桐さんの家ってことは誰かいたりしないの? 例えば君の両親とか』
『……いないわ。元々、彼と住む家だったから。両親の家は別にあるの。だから心配しないで。あ、家までの道のりがわからないわよね? 待って、今すぐ書くから』
そう言うと片桐さんは引き出しから一冊のノートを出し、それをベリッ!と破ると、サラサラと地図を書き出した。
彼女の筆跡とよく似ている。達筆で力強い。文字一つ一つがまるで生きているようだ。
宿については深く触れないほうが身のためかもしれないな。片桐さんがせっかく家を貸してくれると言っているのだから、ここは素直にその厚意に甘えるのが得策だろう。
『書けた。はい、これ。家までの地図を書いたメモ』
短時間で書いたとは思えないほどわかりやすい地図だ。片桐さんから鍵と一緒に手渡されたので、僕はそれを受け取った。
『ありがとう、片桐さん。でも、どうしてここまでしてくれるの? 違う世界から来たって話も嘘かもしれないのに……』
『そうかもしれないわね。でも、貴方と悠ちゃんは私を騙してるようには見えない。確証はなにもないけど、こんな私に優しく接してくれるんだもの。助ける理由としては、それだけで十分でしょ?』
『片桐さん、君は……』
『なに?』
『ううん、なんでもない』
言いかけてやめた言葉。
君は何故、呪いの少女になってしまったのか。
好きでなったわけじゃない、自ら望んだわけじゃない、会話をしてる最中、片桐さんから伝わってきた感情。
不安定な状態になってしまった今の片桐さんには安易に聞ける質問じゃない。
『月に飲み込む人間を私は選べない。いつも無造作なの。不安定になったら発動するって言っていたのは、不安定な気持ちが強いほど吸い込まれる人数は多いの。だから、出来るだけ普通でいようって思うの。でも、彼が死んでしまって生きる気力を失った。何度も彼のいる世界に行こうとした。でも、駄目だった。本当は嫌なの! これ以上、他人を巻き込むのは』
片桐さんにとっての大事な人。予想はしていたけど、やっぱり……。なにか言わないといけないとわかっているのに言葉が出ない。
きっと、悠が隣にいないせいだ。僕は一人だと臆病だから。
僕だって彼女を失うことは怖い。もし、仮に……なんてことを考えるだけで心が壊れてしまいそうになる。苦しくて、痛くて、生きるのも億劫。
片桐さんはそんな日々を過ごしている。自分でも気付かない内に呪いの少女になり、今まで生きてきた。それがどんなに辛くて孤独だったか。
『私情を持ち込んでしまってごめんなさい。あ、悠ちゃんが怒った理由だけど知りたい?』
『し、知りたい!』
重たくて、暗い色だった。なのに、それを明るい空気にガラリと変えたのは片桐さんのほうだった。
彼女のことは僕が一番知っていると思ってたのにな。
片桐さんは私は知ってるのよ?といった意地悪そうな笑みを浮かべていた。
『あれは多分だけどね。私にヤキモチを妬いたの』
『やきもち?』
『そ。伝えたいことは以上。貴方は早く悠ちゃんを探す。わかった?』
『あ、うん』
突然、バッサリと会話を切られてしまった。手短にと提案したのは僕のほうだけど、こうもいきなり終わるのは予想外だ。
『片桐さん、色々とありがとう。今日はこれで失礼するけど、君が迷惑じゃないなら明日も来ていいかな?』
『す、好きにすれば……?』
てっきり、「もう来ないで!」と拒絶され、病室出禁として名前が上がると思っていた。
頬をポリポリかいて照れている片桐さんを見て、少しは心を開いてくれたのかな? と感じた。
『ありがとう。じゃあ、また明日。僕は悠を探してくるよ』
『えぇ、また明日』
僕は片桐さんに手を振り、病室を出た。片桐さんも同じように手を振り返してくれた。
片桐さんは今日も月の力で人を飲み込んでしまうのだろうか。不安を抱えながら、僕は走り出した。
片桐さんのことを少しだけ知った今では、片桐さんがとても儚げな人に見えた。
それと同時に、これ以上、片桐さんが悲しむ姿は見たくなかった。
僕は一瞬だけ立ち止まり、空を見上げた。
どうか、人を飲み込むのはやめてくださいと、彼女たちが見えると言った黒い月に僕は願った。