二話
言葉一つ一つには、魔法の力が秘められている。
痛いの痛いの飛んでいけ。
『ほら、少しだけど痛みが飛んでいった気がするでしょう?』
僕が小さい頃、必ず寝る前に母から何度も聞かされた。
言葉の力は時に恐ろしい。言葉は呪いである。
だから、人を傷つける言葉を決して口に出してはいけない。
それは必ず自分にも返ってくる。
これは父に言われた。
僕は覚えていないけれど、物心つく前から聞かされていたとか。
だから彼女が魔法使いの話をしたとき、すんなり信じることが出来たのかもしれない。
今思うと不思議だった。何故、両親は僕にそんなことを話したのかと。ただの人間の僕に魔法は使えない、それは親も同じはずなのに。
だが、中学三年生の“あの日”、僕は人ではなくなった。
その時、親が僕に話してくれた言葉の意味を理解することができた。
「悠、入るよ」
コンコンと二回ノックをし、扉を開ける。
「.......」
「おはよう。調子はどうかな?」
「.......」
「今日はいつもより顔色がいいみたいだね」
コクっと彼女は頷く。どうやら、当たったみたいだ。
これが僕と彼女のいつもの会話。
「.......」
彼女は窓のほうを指差した。
「あぁ、窓を開けてほしいんだね。今日は、朝から風が気持ち良かったよ」
軽い雑談をしながら、窓を開ける。
強い風が吹き、彼女の髪が靡く。お尻まで伸びた黒髪。まるで本物の人形みたいに美しい。
「髪をといてあげるね。起き上がれるかな?」
「.......」
ゆっくりと身体を起こす彼女。僕は彼女の髪を櫛で優しくとく。
あたりはシンと静まる。当然だ、僕が話していないのだから。
春から、彼女の声を聞いていない。
半年も経っていないはずなのに、もう何年も聞いていないような、そんな錯覚に陥る。
次はいつ彼女の声を聞けるのだろう?
次に会った時は少しでもいいから、声が出るといいな。病室に入る前に少しの期待をする。
無駄じゃない。だって、言葉には魔法の力が宿ってるから。
彼女が声を失っても、今でも僕の思い出には彼女の声が残ってる。優しくて一度彼女の声を聞いたら、虜になってしまいそう。
僕は、とっくに彼女に恋をしているけれど。でも、他の人が彼女のことを好きになるのは幼なじみの僕としては複雑な気持ち。
もし、彼女が誰かを好きだと言ったら、それは僕の気持ちがどうであれ応援しなくてはならない。
だって、僕は彼女のために出来ることはなんでも協力すると決めたから。
「.......」
「悠、大丈夫。迷惑なんかじゃないよ」
「.......」
それなら良かった。彼女がそう言った気がした。
僕がしばらく黙り込んだから、彼女は不安になったんだろう。
「.......」
「この生活は、そうだね.......悪い魔法使いを見つけないと。でも解決策が.......ごめんね、悠」
病院暮らしはいつまですればいい?彼女の目は力強く訴えていた。
「.......」
羅鎖宮は、私の言ってることを信じるの?僕の服をクイクイと引っ張る。
「それは君が.......」
君のことが好きだから。それは言えない。
今の彼女に好きと言うのは返って重りになる。
これが言葉は呪いということなんだね、父さん。
「君が僕には嘘をつかないことを知ってるから、かな」
「.......!」
彼女がちょっぴり嬉しそう。僕も思わず口角が上がってしまう。
声を失えば、手話なり、紙に文字を書くという方法もある。でも、彼女はそれを望まない。
それをすれば、今度こそ本当に話せなくなってしまいそうだからと言っていた。
ということは、喋れなくなってしまった原因は恐らく、いや確実にストレスだろう。
楽しいことをしたり、見たり聞いたりすることで、何かの拍子に声が戻る可能性だってある。僕はその希望にかけている。
彼女は籠の鳥だ。
病院という籠の中に入れられ、翼があるのに飛ぶことを許されない鳥。
学校に行きたいと呟いていたのも、もう過去のこと。今は自分のことさえ、ほとんど話さなくなった。
そんな時に思うのは、どうして悪い魔法使いは彼女に呪いをかけたのだろうということ。
代わりに僕がなれば、彼女は.......今も笑ってくれていただろうか。
このままじゃ駄目だ。何も進展がない。
彼女はいつ命を落とすかわからない。悪い魔法使いの気分次第では、死ぬのが今日かもしれないし、明日かもしれない。
彼女には生きてほしい。強く願う。
「悠、聞いてほしいことがあるんだ」
「?」
「僕と旅をしませんか?」
それは素直に好きと言えない僕なりのプロポーズ。
彼女には色んなものを見てほしい。彼女に病院という籠は狭すぎる。
「.......」
彼女は僕の発言を聞いてポカンする。
当たり前だ、もし僕が逆の立場でも彼女と同じような表情になる。
「.......」
彼女は僕の手をゆっくりと握った。これは「いいよ」の合図。
「悠、ありがとう。じゃあ、今から行こうか」
「!?」
「うん、驚くと思ったよ。でも嘘じゃないよ?」
いつぶりだろう、彼女が驚く顔を見せたのは。
僕は、彼女以外なにもいらない。もちろん、親は大切だけど両親はわかってくれる。
『羅鎖宮。悠ちゃんを大事にしてあげるのよ』
『悠ちゃんは、羅鎖宮の未来の花嫁候補かもな、ははっ』
大事にしてるよ、母さん。
彼女には内緒だけど、僕だけのお嫁さんになれたらいいなって実は密かに思ってるんだよ、父さん。
死ぬ前に思い出を作るのが酷だと、まわりは言うかもしれない。だけど旅をすることで、感情や声が戻り、もしかしたら病にだって打ち勝つことが出来るかもしれない。
今まで決断が付かずにいたけど、こんな場所にいつまでも彼女を置いてはいけない。
「.......」
「はる.......」
一瞬、彼女が涙を流したように見えた。それは悲しくて泣いてるんじゃない。きっと、病院から解放される嬉しさから来たものだと僕は思った。
これは、彼女を幸せにするための途方もない旅の始まり。