プロローグ
ここは誰わたしはどこ、いや違ったここはどこ私は誰。
こんな芝居がかった科白を言う機会に恵まれるなどとは思わなかった。私は至って平平凡凡な両親から生まれた、至って平平凡凡なJKだったからである。しかし芝居がかった科白を言う機会に恵まれたのである、この機会にあの科白を口にして何が悪いのだ。
ここはどこ、私は誰、と。
―――と、そんなあからさまな現実逃避をしている場合ではない。そんなことはわかっている。だがどうしてこれで平静でいられようか?
いわく異世界転生、とかいうやつなのだろう。これは。この小さな手、そして鏡に映るまるで見覚えのない少女の姿。パッと見、5,6歳というところだろう。栗毛色の髪にサファイヤの瞳。前世から見れば幾分かはましになった容姿だが転生したら超絶美少女でした~! なんていうことはなかった。
まあ、赤ん坊として生まれなかったことに―――もしくは赤ん坊の時に記憶がなかったことに感謝すべきだろう。赤ん坊に生まれて数々の羞恥プレイとか耐えられない。5,6歳ならある程度身の周りのことはできる年頃だろう。よっぽど甘やかされて育てられなければ。
というわけで、いとも簡単に転生という事実を受け入れてしまった私は―――いや、もちろん冷静なふりして本当は大混乱ではあるのだが―――状況観察を始めることにした。
さて、私が転がっているふわふわのベッドは天蓋付きの豪華なもの。これだけでも私がいいところのお嬢さんだとわかる。こんなに広いベッドに小さい子供を一人で寝かせておくほどなのだからよほど財力に余裕があるのか、それともただの見栄っ張りなだけなのか。
次に窓が目に入った。窓から燦々と太陽の光が降り注いでくる。
新緑の若葉。ということは今は初夏ということだ。
それにしてもまあ、転生などとんでもないことが起きてしまったものだ。朧気な記憶だが、私は交通事故にあった。東京ビッ◯サイトの、某イベントの帰りに。と言うと私がオタクであることがバレるがまあ仕方ない。
ともあれ、今目の前に広がるのは現実なのだから受け入れるしかない。ほっぺたをつねってみる。ほら、痛い。現実だ。
さて、ではこの身体の記憶はどこまであるのか。はぁ、と息を吐くと共に頭の中に大量の情報が溢れた。
私はエルナ・カステル、カステル侯爵家の養女だ。養父母である侯爵夫妻と侯爵夫妻の一人娘で私の義姉であるフリーデ・カステル。
記憶の中にある義姉フリーデの姿はとても麗しかった。けぶるようなまつげ、澄んだトパーズの瞳、抜けるように白い肌、薄桃色に色づいた唇、そしてふわりと優雅なウェーブを描く金髪。記憶の中だけでこれだけ麗しいのだから現実はどれほど麗しいことやら。まさしく儚げな美女といった雰囲気だ。
侯爵夫妻はぼんやりとした記憶しかなかった。辛うじて侯爵の白髪交じりの黒髪と夫人の金髪が見て取れただけだった。
で、普段関わっているのがこの方々と料理長とメイドのクラーラだけ。どんだけ交友関係狭いのよエルナ・カステル。
「お嬢様、ご朝食の用意が整いました! 」
この声はクラーラの声らしい。はあ、と溜息が洩れる。
「ここで生きてくのね……。」
寝間着から普段着に着替えてダイニングに行くと、そこにはフリーデ・カステルがいた。ふわりとウェーブがかった金髪が揺れ、白皙の美貌が顕になる。はい、記憶の中よりも格段に美しいです。優雅な仕草で髪をかきあげて彼女は微笑んだ。
「おはよう、エルナ。」
「……おはようございます、お義姉さま。」
人形かと見まごうほどに美しい我が義姉殿の天女の微笑みに圧倒されつつクラーラがひいてくれた椅子に座る。
テーブルの上に並べられた料理はとてもこの小さい身体におさまるとは思えないほど豪勢だ。貴族っていつもこんなたくさんの料理を食べているのだろうか。
「クラーラ、今日はもっとエルナを着飾らせてと言ったじゃない。」
「申し訳ございません。料理がお召し物にはねてしまってはいけないと思いまして……。」
うん、これくらいの年頃の子供って料理こぼすよね。せっかく綺麗なドレス着てたりしても台無しにするよね。どうしてお義姉さまが私を着飾らせたいのかはわからないけどクラーラ、あなたの判断は正しいです。
「……そうね……。」
物憂げに考えごとに沈む姿も素敵です、お義姉さま。そんなこと考えちゃうあたり私はだいぶ混乱しているんだろうな……。
「仕方がないわ。エルナ、誕生日おめでとう! 」
「……えっ? 」
「あら、気づいていなかったかしら。今日はあなたの6歳の誕生日よ。」
「……え。」
そうだったんですか。知りませんでした。そして私は6歳だったのですね。
「6歳の誕生日にはね、女の子は可愛いドレスを着て神殿に行くのよ。」
お義姉さま、笑顔が眩しいです。
「だからエルナも可愛く着飾って神殿に行きましょうね。お父様もお母様もエルナのドレスを選ぶのに忙しいのよ。私も一緒に行こうかしら。」
「フリーデお嬢様はお屋敷でお休みになっていてください。旦那様と奥様からもそう仰せつかっております。」
クラーラが厳しい声でお義姉さまを止めた。……どうしてだろう。どうしてこんなにぴしゃりと止めるんだろう。もっと優しい言い方をしてもいいのに。
「どうして? 」
お義姉さまが不満そうに唇を尖らせる。うん、普通の反応はそれだ。
「まだ体調が回復されてから二日も経っておりません。それなのに神殿に行かれたらまた体調を崩されてしまいます。お嬢様はただでさえお身体が弱いのですから。」
「……わかったわ。」
ぎゅっとお義姉さまが手を握りしめた。彼女は確か私より4つ年上、ということはまだ10歳だ。こんなに幼いのに外出を制限されるなんて辛いだろう。
「私はいけないけど楽しんできてね、エルナ。」
頭を撫でられる。
……可愛いだけじゃなくて、なんていい子なんだろうか、この子は。
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