愛を求める宇宙に関する一考察
「ここ!拍動をフーリエ変換で代数系にしたんだ。ここだけで論文書けるよ!」
「馬鹿ね、これじゃ一般性がないじゃない。だいたい拍動の積分化なんて世界中でやり尽くされてるわよ」
「あーほんとだ!流石アリア、霊理志望なだけあるなー!」
「あなたは出来る側の人間なんだから手を動かしてりゃいいの。腕のない領域に私の術式を預けたくないわ」
「精進しますっ!」
パン、と手を叩いで頭を下げる彼のジェスチャーもすっかり見慣れてしまった。タケルとももう4年目。東方のハイセンス蛮族くらいにしか思ってなかったのに、あるときを境に我流を捨てて自分の術式の記述を始めた。タケルが霊理学、私が記述魔法科学に興味を持ったとき、ちょうど出会った。
王都までの街道を駆ける馬車の中、ワインとウォッカを3本空けた私たちはどちらからともなく喋り始める。話はどうしようもなく、級友から教授に至るまで津々浦々の知り合いのゴシップ、悪口、実習先批判に始まり、自己嫌悪のパートに入る。寝る直前の悪あがきだ。
「ねえタケル」
「ん?なに?」
「魔術のセンスがない奴がこの業界で足掻いてるのって、無様?」
「うん。無様。とっても邪魔。君たち天才が世界と魔術を数式で繋ぐから魔法がこの世から消えないんだ」
「あはっ。魔法が消えたらいいって思ってる?」
「思ってるよ。物理学の一部になる前に、錬金術みたいなただの思い出になってほしい」
「えー、いいじゃない。物理も、魔法も、社会を豊かにして人を幸せにするものじゃない」
「良くないよ。魔法はエネルギーの出所が未だに分かってない。毎日郵便箱にお金が入った封筒が入れられているとして、君はそのお金を使うの?」
「……使うなあ」
「そうか、頭がおかしいことは分かったよ」
「あいにくブルジョワ様と違って貧乏なもんで」
「アリアは伯爵家だろ、大学で出会ってなければ様付けで呼ぶような家柄じゃないか」
「貧乏だよ、うちは。代々学者家系だからね、しかもゴリゴリの基礎研究。そりゃ儲かりませんわ」
「本題に戻ろう」
「この話本題とかあるの?」
「あるよ」
「なんだっけ」
「魔法のエネルギーの出所問題だよ」
「…ああ、お酒飲んでるときにする話?」
「アルコールが入ってないアリアと話すのは疲れるんだよ。お互い様だろ」
「でさ、魂の昇華のときに今まで得たエントロピーが発散してるからプラマイゼロ、って理論がまかり通ってるけどさ、あれは直観的に考えても熱力学的に考えてもおかしい」
「それなあ、ローザンは『その疑問は学生の通過儀礼』とか言ってはぐらかしてたけどね」
「魔法は多分さ、宇宙のエントロピーを増大させているんだと思う」
「抽象的すぎ!そんなこと言ったらキリないじゃん!息するのだって宇宙からしてみればエントロピー増大反応だよ!?」
「奪い方が独特なんだよね、多分。時空とか関係なくエネルギー準位が高いところから魂に持ってくる感じ」
「宇宙に空いた穴?」
「そうそう!」
「証明しようがないじゃん。そんなの。考えるだけ無駄よ」
「そうかなあ」
「アリア」
声をかけられると同時に、タケルの腕が私の背中に回った。10秒に満たない抱擁。お互いの首筋が触れ合う。腕を放し、タケルは私の額に手を当てる。
「0.5℃、体温上がったね」
「あんたそれ他の女や男にやったらマジで通報案件だから気をつけなさいよ!?」
「ごめん。レディにすることじゃなかったね」
「そういう空気やめよ?ね?」
この流れはダメなやつだ。サークルで何回も失敗してる。
「ダメ、キスする」
ちゃんと断らないとダメだ。将来の仕事相手、横の繋がり、家の事情云々…
——精一杯言い訳を考えた。けど私の肌に触れたのは唇ではなかった。タケルは赤くなった指を見せる。
「計温術式、この色味だとだいたい7度2分かなあ…もう軽い風邪じゃない?」
「殺す」
「あはっ、ごめんよ」
「次やったら一生私の基礎体温計測係な」
「そういう下ネタはちょっと…」
「あんたがやってるのはそういうことなんだよ、あと基礎体温測ることをエロいことみたいに言うな」
「じゃあ次は同意取るね、アリア、小指出して」
「不審すぎるからヤダ」
じゃあはい、と差し出されたタケルの小指に思わず自分のを絡めてしまう。きっとこの動作は握手やハグと同じくらい、遺伝子に刻み込まれたことなんだと思う。
「もし変な感じしたら言ってね」
暖かさが伝わってくる。温熱術式だ。基礎中の基礎、触媒を使わないでも大抵の魔術師は使いこなせる。
「あったかい?」
「うん」
「もしこうやってさ、体重50キロの水と油の塊の温度をコンマ数ケルビン上げるだけの術式に、太陽1個のエネルギーが使われてたらどう?宇宙の穴ヤバいって思わない?」
「何個か言いたいことがある、まず女をモノ扱いするな」
「反論のしようがないね」
「そして体温が上がったのは私のグリコーゲンが分解されたからであってあんたの体温を分けあったわけじゃない」
「そうかもしれないね、あとは?」
「……太陽1個分のエネルギーを使ってでも暖めたい相手がいるのは、素敵なことだと思う」
「自分たちの太陽が何万光年も離れた星のカップルに消費されたとしても?」
「素敵だよ。それが愛でしょ」
「エゴだね、世界は愛に溢れてると思ってるクチ?」
「ゼロに近いと思うよ。だからあらゆるものを犠牲にして得ようとするのよ」
「魂が別の宇宙だとしてさ、この世界に愛を与えてほかのあらゆるものを奪ってるんだとしたらどう?」
「それはただの単純拡散。魂にエネルギーがなくて、世界に愛がなかっただけでしょ。悪意も正義もない現象に興味なんかないわ。繋がってる時点で同じ孤立系だし」
「アリアはほんと賢いな、好きになっちゃいそう」
「ダメだって。子供のIQ180以上は譲れないの」
「バカみたいな基準でフラれるのは辛いね」
「他にもあるわよ。タケルは全部アウト」
本当は真逆だ。自分より幼い知性といい関係を築く自信がない。子供も、同期の魔術師たちも、怖くて仕方がない。無茶で無謀で、でも綺麗だ。
「アリア、僕を袖にした償いに一つ約束してほしいんだ」
「なんで振った側にペナルティが降りるのよ!」
「いいから、聞くだけ聞いて」
「なに?どうせくだらないことでしょ」
「かもね」
「もしアリアが30歳になっても——」
この流れはダメだPart2。結婚の予約を迫られる。この失敗は一夜の過ちより百倍将来に禍根を残す。婚約など、直前でなければ意味がないのだ。乙女に限らず、誰の心も秋の空だ。
「結婚とかはなしだからね!?ちなみに30歳婚約はもう3人いるんでっ!」
「違うよ。アリア意外とモテるんだね。男って顔さえよければなんでもいいんだ」
「一昔前のいじめっ子JCみたいなこと言うのやめな?」
「結婚じゃないんだけどさ、もし独身だったら、魔法から離れてほしい」
「ハァ!?なにそれ!」
「君は人類で一番頭がいい。だから松明を持って、みんなを導いてあげなきゃいけない。君が歩く道が人類が辿る道だ」
「過大評価だよ。一回研究室来てみ、キセノフ教授にバチボコにやられてる私が見れるよ」
「キセノフは目が良くて、記憶力がいいだけだ。霊理学に向いていた彼が寝食を忘れて50年間向き合ったから彼は世界のトップに立ってる。だけど一輪車に乗らせたらそこらの小学生にも劣るだろうね」
「私には霊理の才能がないっていうの?いい根性してるじゃない」
「あるよ。君は多分、何をやってもトップに立てる。君はキセノフを『出来る先輩』くらいにしか思ってないんだろうけど、僕たちからしてみればキセノフはまさに巨人だ、舌戦で勝てるなんて同期の誰も思ってないだろうな。才能の無駄遣いを批判することはしたくないけど、アリアはそんなレベルじゃないんだ」
「キセノフ教授が巨人ねえ…その感覚は分からなかったわ」
「彼が霊理の事実上のトップだ。あと7年で逆転できる手応えはあるだろう?」
「ふーん…じゃあまあとりあえず霊理で30までに頂点取ってから考えるわ」
「いいね」
「じゃあアレやって。さっきの」
「はい」
彼が差し出した小指を受け取る。
「私はさ」
「ん?」
「これ出来ないんだわ。多分。一生」
「かもね」
「手を繋ぐ人ができてもさ、これ、やりたくてもできないんだよね」
「かもねえ、そんな大事なこと?」
「愛を伝える方法って限られてるんだよ」
「普通に手を繋げばいいじゃん。伝わるよ」
「違う。太陽1個分の話がしたいんだよ」
「愛を囁いているように受け取られたの!?」
「かもね」
「真似すんな!」
「でもまあ、魔法ってそういうとこあるんだよ。ノーマジにとっては綺麗で繊細で、リアリスティックでエモーショナル。そういうのに憧れるのはね、この世界にノーマジとして生まれた以上もうどうしようもないんだ」
「つらい?」
「…正直、嫉妬はする」
「まあ、安直な解決法があるけど聞きます?」
「…うん」
「最初に『魔法が使えなくてよかった』ってつけるんだ。『魔法が使えなくてよかった、君に愛を伝えるために太陽1個を犠牲にしてしまうところだった』ってね」
「なにそれくっさ!笑われるでしょ!」
「いいと思うんだけどな、じゃあさ」
誰しもが人生を決定的に変える言葉に出会うらしい。私の場合その多くは数式だったが、今日は純粋な言葉だった。
「アリアがこのセリフを笑われない事実にしなよ」
「…ありかもしれない」
「巨視霊理、ノーマジが強い分野で、それだけに魔法を終わらせうる力がある」
「あんたほんと魔法嫌いよね」
「宇宙の穴だと思ってる狂信者だからね。だけどそれは科学的に実証されなきゃ意味がない」
マクロ的な視点から魔法を観察する巨視霊理は以前は形態学だったが、今日では術理と物理が融合したエネルギー理論的学問になりつつある。
「魂魄の結晶化…サミダライズ…」
「アリア、領域業界の闇をちょっとだけ教えてあげる。ガチのオフレコね、絶対裏取ったりしちゃダメだよ」
「うん、なに?」
「魂魄麻酔用の呪詛、剥き身の魂魄にどれくらい効くと思う?」
「そりゃ肉体の防御がないんだから100%近く…」
「ハズレ、0.1%も効いてない。だいたい0.07〜0.09%くらい。だから安定した鎮魂には人を呪い殺すときの2000倍の出力が必要になる。分離術式は何人がかりでもいいけど鎮魂は1人じゃないとダメだ」
「嘘でしょ…?」
「残りのエネルギーはどこに行くと思う?」
「柩に吸収される…?」
「ハズレ、アリアがクイズで2回連続カスリもしなかったのこれが初めてじゃない?」
「柩の安定した霊的環境下で機械触媒を使って呪詛を集中させるんだ。柩に漏れるのはほんのわずか、他は全て魂魄が吸い込む」
「魂魄が宇宙って、そういう…?」
「ここからが怖いところなんだけど、2000倍の出力を食い尽くす魂が、もしより濃いエネルギー体を見つけたらどうなると思う?」
「領域の殉職率が極端に高いの…まさか…」
「おかしいよね、安全圏から霊力を流し込むだけの領域呪術師の殉職率が魔術師全体の8倍。しかも死者は中堅からベテランに集中している」
「でもさ、いくらなんでも8倍っておかしくない?天才は早世ってだけの話じゃない?」
「かもしれないね。じゃあなんでこんなに数字が伸びたんだと思う?」
「喰われるから…」
「半分当たりで半分ハズレ、流石のアリアもお酒には勝てないかー。ヒントは魂魄が狙う相手です」
「柩が…喰われるから…?」
「お見事、柩担当の魔術師が喰われたところ見たことある?」
「…ないよ」
「柩が膨張して、柩が膨らむ界面を魂魄の界面が通り越していくんだ。そして柩を飲み込んだらどんどん小さくなって消滅。領域を10人も食ったらお腹いっぱいってことなのかな」
「…やだ…怖い」
「この話で一番怖いのはあれだね、柩担当を新人複数人にやらせてたことかな。柩は領域の基本業務だから新人でも大丈夫、みたいな考え方だったのかもしれない」
「…なんでそんな話するの」
「この業界は腐ってるって言いたかっただけ。他意はないよ。ねえアリア」
「なに」
「怖いの分かったから離れよ?襲うよ?」
「やだ…ねえそうだあれやってよ」
「太陽1個使っちゃうから、ダメ」