東郷の潜入
「さぁ仕事仕事」
東郷が鼻歌を歌いながらトイレの個室から出る。
彼の格好は作戦室にいた時とはうって変わり、背広姿であった。
警備用のけん棒が腰に備え付けられていた。
「しーちゃん達はちゃんとできるかな」
心配そうな顔で手洗い場所でハンカチを口に咥えながらゴモゴモと独り言を言う。
ちょうどその時だった、同じ背広姿の男2人がこちらに来た。
「お前新人か? 」
右にいる細身の男が東郷に話しかけた。
「はい、先日からです」
突然の声掛けに驚きながらも、しっかりとした口調で返答した。
「そうか……なぁこんなやついたか? 」
細身は右手側にいるガタイの良い大男に尋ねた。
「いたような……いないような………」
指で頭を掻きながら大男らしからぬ振る舞いであった。
「名前は? 」
細身は新人の顔をじっくりに見ながら質問する。
「自分は菅原と申します」
背筋を伸ばしながら、はっきりと言う。
「やっぱり聞き覚えないな」
「すみません、黒沼さん、自分影薄いもので……」
細身は目を丸くし、刹那に笑顔に変わった。
「おぉ、よろしくな」
「ちょっと、名前覚えられてるからって調子にのらないの」
大男が細身の肩に大きな手を置き、呆れ顔で嘲る。
細身は顔を赤くしながら、その手を振りほどいた。
「うるせぇな……まぁいい、何かわからないことあればすぐに俺を頼ってくれ」
細身は手を胸に強くあて、堂々としていた。
人柄はいいのだろうが、くせがあるようだ。
東郷は細身の態度に困惑しながらも、ほくそ笑みながらトイレを後にした。
「あぶね……」
少し経ってから東郷は吐き捨てるように呟く。
もちろん彼はいつくもの修羅場をくぐり抜けてきた猛者であるから、致命的なものではない。
「ちゃんと胸に名前書いてあってよかった……」
細かいところまで瞬時に観察し、行動に移せる彼だからこそこの危険な潜入が可能なのだ。
そう言う彼の胸には菅原と書かれた刺繍が施されていた。
この刺繍は警備隊の入隊時に個人に特殊な刺繍で施され、外部の者が容易には複製できない代物であった。
「まだ、バレてないよな……」
彼は博物館の窓を一つ開け、外を見た。
夜空ではなく、近くにある茂みである。
彼の視界に茂みから少しだけでた肌色が見えた。
「一応被せとくか」
東郷は窓を乗り越え、茂みへと歩みを進めた。
茂みをよく覗くと、半裸状態の男が横たわっていた。
東郷は何も言わずに、少しだけ見えた足に土を被せていった。
「おい、お前そこで何してる! 」
眩しいライトが東郷の顔を照らす。
これには流石の彼も焦り顔で言い訳の一つや二つ考えていた。
「おい、何をしてるって聞いてるんだ。答え次第ではすぐに通報するぞ」
ライトの男が鬼の形相で怒鳴りつけていた。
「猫です」
何事もなかったかのように報告した。
「猫? 」
ライトの男はしかめ面から困惑した表情へと移り変わった。
「はい、猫がこの窓から侵入してきたのそれを追い払っていまして……」
もっともらしいことを言ってそうな顔である東郷はまさにポーカーフェイスの持ち主。
しかしライトの男は逆に東郷の発言に不信感をいだいたのか怪訝そうな顔で歩み寄っていった。
東郷はかなり由々しき事態なのは表情を見れば一目瞭然であった。
「おい、ギル様から集合要請だ。かなりやばいらしい」
奥の方から新たにきた黒服の男が血相をかいて息を切らしていた。
「どうした? 」
「参加者の女が暴れていて……オークション会場だ」
息の上がった彼は言葉に詰まりながらも、的確に情報を伝えた。
「そうか、わかったすぐに行く」
ライトの男は東郷の後数歩で止まっており、急いで黒服の仲間の後を追って行った。
「本当に危なかったなぁ……」
刹那に静かになり、ほっと一息をつく東郷の額には冷や汗出ていた。
「にしても女が暴れているって……まさかしーちゃん? 」
彼の脳裏には嫌な予感と長年の勘が渦巻いていた。
茂みの半裸の男を完全に隠し終え、立ち上がろうとした時、無線機に通信が入った。
「四条が捕まった」
最上の冷たい声だった。