4、俺には所詮才能なんてないのである
カナ先輩に教えてもらった二つの変則将棋には、あの将棋ならではの定跡が存在する。
例えば一つ目のやつ(後でカナ先輩から安南将棋という名前のものだと聞いた)。
あれはいかにして強い駒を生成していくかにある。この言い方だと何を言ってるんだこいつ、なのでもう少し詳しく説明させてもらおう。
あれを初めてプレイした誰もが、飛車の前の歩、角の前の歩は強いなと気づいたはずである。それもそのはずで、その位置にその歩があることで、本来はただの歩が大駒という最強の駒に突如として変わるからである。
そして、そのことはあの初めの形だけに言えることではない。できるだけ大駒の前には何か駒を置いておく。そうするだけで盤面に計二つの大駒が生成されるのだから弱いわけがない。
逆もまたしかり。本来大駒であるものはできるだけそのままの大駒の動きでいさせたい。もちろん、あのときのように角が桂馬の動きになって得をすることもあるかもしれないが、基本はやっぱり大駒の動きのほうが強い。
だからこそ、大駒の真下には別の駒がない状態を心がける。特に歩なんかだと最悪といってよい。
ついでだから二つ目のトランプ将棋についても俺なりに考えた定跡を紹介しておこう。
あれはやはり指したい手を相手が指しにくいというところにある。
正直、あのときカナ先輩が見せた強引な角成りは、成立はしている手だし何ら問題はないが、いい手とはいいがたい。序盤からあそこまでの大勝負に出る必要はないだろうということだ。
しかし、もっとリスクがない似た手なら十分ありえる。例えば相手の飛車の目の前に歩を打つ。普通ならただで取られるし、飛車という動きの大きい駒なので高確率で逃げられるかもしれない。しかし、損するのは歩だけ。得をすれば一気に飛車得になるのだ。このようなローリスクハイリターンなら構わないということだ。
と、ここまで紹介してきたように定跡があるのだ。そう、そしてこのような定跡を研究してきた俺は今度こそあの二人に勝てるのではと意気込んで放課後になったわけだが。
「クソっ、また負けか 」
「これで通算私の7連勝。やっぱり私安南将棋のスペシャリストかもしれない! 」
見事に理香に二連敗した。ちなみに、理香との前にカナ先輩ともトランプ将棋を二回やり同じく両方負け。
俺の考えてきた定跡はあまり意味をなさなかったわけである。正確に言うと、確かにその定跡は間違ってはいなかったが、それだけでは大差は埋められなかったということだ。
「で、今日は一段と意気込んでボクたちに勝負を挑んできた巧くんだったけれど、何かあったのかな? それにしてはそこまで変化も見られなかったね 」
他人からまで、「変化も見られなかった」と言われてはさらに傷口がえぐられる。そうもあっさり俺の努力をなかったかのようにしなくても。
「その、安南将棋もトランプ将棋も俺なりのコツが掴めたかなって思ったんですけどね、ハハ 」
「へぇー具体的には? 」
「えぇーっと…… 」
カナ先輩にそう聞かれたので俺の考えてきたそれぞれに対する定跡を説明した。
「なるほどね。確かにそのことは間違ってないけど…… 」
「けど、何ですか? 」
「い、いやーまぁ…… 」
カナ先輩はなにやら言いよどんだので追及してみたが、どうやら俺が聞いてはバツが悪いことだったらしい。
カナ先輩は目をそらし、いかにも別の話題に言ってくれないかなとでも言いたげな様子だ。
「んんーっ、でも今タッくんが言ってたことって私初めて指したときに分かってたことだけどね。トランプ将棋でも私は見ているだけだったけど、そういう手が有効なんだろうなって思って実際カナちゃん先輩も多用してたよね? 」
「ちょ、ちょっと理香ちゃんは、どうしてボクが言おうとしてたけど止めたことをそう簡単に言っちゃうかな! 確かにボクもそのぐらい、ボクもしてたんだからもっと早くに気づいてたと思ってたよ? でも、こうも自信満々に今日挑んできたことを考えたら巧くんを傷つけちゃうじゃないか 」
「あ、そうだね。じゃあ今のは嘘だから安心してね、タッくん 」
下手な誤魔化しにもほどがある。
ここまでえぐられては、俺のメンタルも限界だ。今すぐにでも泣き出しながらお外を走ってきたい。
「そ、それにしてもさぁ、タッくんって頭はいいんだしこういう発想のゲームは強そうなのにね。勝てなくて困ってるタッくんにいいアドバイスとかないのかな? カナちゃん先輩にならもっと的確なコツとか知ってるんじゃない? 」
「うーん、あまりないかな 」
「えぇ~~何とかしてタッくんを勝たせてあげたいよ 」
「それなら、いい方法を知ってる。理香ちゃんがわざと負ければいいんだよ 」
「なるほどですね! 」
「いや、納得するなし 」
終いには、あの幼馴染にも心配されるほどの残念極まりない俺ではあるが、そうはいっても、勝ちたい。いや、勝てるまでは言わなくとももう少しいい勝負をしたいのは変わりない。
それが、カナ先輩曰くアドバイスがない、というのならもはや打つ手なし。俺の実力がなかっただけである。
「やっぱり俺は将棋だけをしていろという将棋の神様からのお告げなんですかね? こんな遊びをやってるぐらいなら定跡書をもっと読みふけったほうがいいらしい 」
「それは違うんだよ、巧くん 」
「いや、でも、将棋を強くなりたいなら定跡書を読んでいるほうがよっぽどいいでしょう。それともこんな遊びをやっていれば、それで実際の将棋の棋力が上がるとでも言うんですか? 」
「それなんだよ。ボクは確かにこのゲームを余興として君達には勧めたけど、ボクなりにもう一つ狙いもあるんだよ? ボクの狙い通りならこういうのをするのも、今君が棋力が伸びなくてつまずいているのを解消する手助けになると思うんだ 」
そんなバカな話があるわけがない。あれらの将棋はまるで、実際の将棋とは別物で、ちゃんとした定跡もなければ感覚も違う。そんな異質なものがどうして手助けになるというだろうか。むしろ、ちゃんと将棋を指す回数が減って、感覚も狂わされ棋力の低下さえ見込まれる。
「じゃあ、問おう。巧くんの弱点は何だと思う? 」
カナ先輩にそう尋ねられたので考えてみる。
正直、大した答えは浮かばない。今、俺が勝てないのはただただ実力が足りていないだけで、それは定跡をもっと丁寧に覚えて実戦をこなすのみだと思う。
だから、もし俺の弱点を無理矢理上げるなら、実力である。
「はーい、私が答えてもいいかな、カナちゃん先輩 」
「おっ、理香ちゃんいいねぇ 」
「うーん、はっきり言葉にするのは難しいけど……何ていうか、もっと考えたらいいのにというか……」
「いや、考えてるだろ。実力が足りないから、強い人より読みが浅いかもしれんが、少なくともそれなりには考えてやってる 」
「そうじゃなくってね……その、なんていうか……そうっ! 型にはまりきってるんだよ 」
「型にはまりきってる? 」
指摘されてもピンとこない。序盤の定跡はまさしく型なんだからはまっていて問題無い。中盤以降は……どうだろう? そもそもだが、中盤以降に型なんてあるのだろうか。分岐が多い将棋において中盤で同一局面になることなんてないのだから決まりきった手なんてない。
「まったくもって理香ちゃんの言うとおりなんだけど、本人が分かっていないみたいだからボクがもう少し説明を付け加えよう。
つまりは、柔軟な考えができない。目先に見える損得にとらわれすぎる。だからこそ、多少の駒の損があってもよくなるような手は指せないんだ。駒や手数の損得は存在して、それは初心者のうちは特に重要視しなくちゃいけないし、無論上級者になってもそれは変わらないんだけど、それでも、将棋もそこまで単純じゃない。時にはそんな駒などの損得から逸脱した手が好手となり、結果的な得を生み出す。
ボクが考えるにまず巧くんに足りないのはその型から抜け出すことなんだ。将棋は定跡という型も存在するが、日々新しい戦法は登場する。それだけ自由な競技でもある。それを理解し、指せるようになっていくのが級位者と段位者の壁だと考える 」
なるほど。言われてみればまったく理解できないというわけではない。
プロの将棋を見ていたら何だこれはという手は存在するが、解説の人から説明されれば納得させられる。プロに限らず、アマチュアの俺より強い人の将棋を見ていても、角と銀の交換を自ら仕掛けていることは多い。角と銀では通常角のほうが価値が高いとされ、駒損だからあまりいい手とは思えなかったが、不思議と形勢はよくなっていくことも多々ある。
「じゃあ、駒の損得をあまり気にしないようにしろ、ということですか? 」
「うーん、それも違うかな。さっきも言ったように、上級者でも駒の損得は大事な概念だ。だけど、たまに例外もあるから全てが駒の損得で決まるのではないと理解しろってことかな。
それに、駒の損得だけを例に出したけどようするにボクは自由な発想も大事だということを言いたかったんだ。自分にとってパッと見えた手が最善とは限らない。当たり前のように次はこの一手しかないと思っていても、実は伏兵が潜んでいることもある。序盤ですら、相手の陣形をみて、もしかしたら速攻で攻めていったらいいケースだってあるし、相手の陣形によっていつもとは違う囲いのほうが有効なことも多い。
定跡定跡と勉強するのもいいことだけどそれだけが将棋ではないってことかな 」
俺の将棋の価値観が大きく覆されそうだった。悔しいといえば悔しいが反論する術はなく、カナ先輩のそれはひどく正論だとさえ思う。
ずっと伸び悩んでいたから余計に信じざるを得なかった。もしかしたら、とりあえず将棋の勉強をするということで、ちゃんとやっているという安心感が欲しかったのかもしれない。
いや、でも、それでも、まだ分からないのである。どうすればその価値観を学べるのかを。分からないからこうして定跡書を手にとるしかないのである。
「さて、そこで将棋のゲームの話に繋がるんだ。
巧くんにこのまま将棋を指させて果たしてそのことを身につけられるのかと自問自答したときに、ふと名案が浮かんだんだ。将棋のゲームによって柔軟な発想が身につくんじゃないかということだよ。普通の将棋じゃあどうしても同じように指しちゃうけど、この将棋なら無理にでも柔軟に考えなくちゃいけないからね。
どうだい? これでボクが巧くんに将棋ゲームを勧めた理由が分かったんじゃないかな 」
うん、分かったような分からないような。論理的なようでちょっと違うんじゃないか、とも思わなくもないが。
まぁ、ここは乗せられておこうじゃないか。というより、前途したように今改善する方法がないんだからやるしかない。
「分かりました。ここはカナ先輩のいうことを信じて、これからも将棋のゲームを教えてください 」
「うん、それはみんなにとってとてもいいことだよ 」
「ところで、一つ質問いいですか? 」
「うん? 何かな? 」
「今のどこまで本当のことでした? 」
「失礼だな~。ボクが巧くんの伸びないのを心配して、いい策がないかを考えていたところまでは本当だよ 」
やっぱり、カナ先輩は頼れる先輩だった。