出口を探して三千里
新しい世界で私はアシェル・バルボリーニという名前で過ごしている。日本人で日本語を喋り、平仮名漢字片仮名を使った民族であった私には横文字の名前は初めてだった。
しかし、驚いたことにここの世界の人物たちが話す言葉全て日本語のように聞こえたりするものだから、少し不気味だった。
文字も文化も違うのに話が通じる、初見の文字で前の世界では見たことすらないような文字をかける事、意識をこの世界に置いたばかりなのに話すモノ、見るモノ全てが知っているという事実に言いようのない恐怖と吐き気が襲ってきたけど、結局ここはパラレルなんだと無理やり現実逃避を繰り返していたら、そんな違和感すら感じなくなった。
自分のスルースキルと怠惰な性格にこれほど感謝したことはない、いや本気で。本気と書いてマジとは読まずにホンキと読む程度には本気で。
折角だからその現実逃避と一緒に前世の記憶も頭の片隅に置いておこうと思う。この世界では必要のないものだし、結局この記憶を大事にしてくれるのは自分だけなのだから。
そう言う風にアシェルとして生きて数年、私は令息令嬢が通うことを必須とされている学園に入学する歳まで成長していた。その間に突然変わった性格をした私に従者が悲鳴をあげたり、屋敷のものが悲鳴をあげたり、弟に悲鳴をあげられたり、両親に唖然とされたのちに悲鳴をあげられたりしたわけだけど。あれ、なんか悲鳴あげられすぎでは?まあ、いいか。突っ込むのも面倒だし。
以前までのわたしはそれはそれはお貴族のご令嬢らしく我儘し放題だったりしたらしい。知らんそんなもの。むしろその我儘が無くなったのなら泣いて喜べよ、と零せば誰よりも早く私に慣れてくれた従者が「突然怠け者になられたら誰だって困惑しますよ…。」と言ってきたのでその脇腹に手拳をいれて黙らせておいた。なんか「痛い痛いです、ごめんなさい!」「見た目と中身が違いすぎる…、こんなギャップいりませんよ…!」とかなんとか泣いていたけど。
アシェルはそれはもう美少女だった。マジで。透き通る水色のふんわりとした髪に黄金に輝く大きな瞳。手足はスラリと細く黙っていれば儚い系美女といったところだろう。まあそうだったとして私には関係ないが。私が美人だろうと儚く見えるだろうとそれは外見の話。私の一部。中身が自分でも自覚しているほど不一致なのは致し方ない。やる事はちゃんとやっているし、夜会ではきちんと貴族としての仮面を被っているのだから文句はないだろう、とは私の持論である。
「ところでセレン、今日は私まだ何か用事はあったかしら?」
「えっと、…いえ、本日のご予定は全て滞りなく済まされておいでです。」
「まあそうよね。必要のないものはやらず、やらなければならないものは手短に完璧に、文句なんて一切耳に入れない。がモットーの私よ?午前中に終わらす事は当たり前ね。」
「そんな威張る事ではありませんが…、」
「なに?」
「ふお!な、何も言ってません!」
従者であるセレンは何かと文句を垂れるのに、すぐ謝るからヘタレの称号を昔与えたら首を傾げていた。その時ヘタレなどの若者言葉、又は流行言葉はこの世界で通用しない事が分かったのだから、以後気をつけている。まあ理由を教えなかったら涙目で耳を真っ赤にしてなんかブツブツ言っていたけど、声が小さくて聞こえなかったから聞き返すのも面倒で尋ねていない。小声で言っていたのだから重要ではないでしょうし。
まず私がこの世界に来た事で始めた事は家族との関係修復と婚約者との仲を良好にすること。
なーんて、そんなこと私がするわけないよね。無理無理、だっるい。やるわけないじゃない。なんでわざわざそんなことしなきゃなんないの?私が怠惰だと自称している性格をなしにしたってやるわけない。だって将来的に裏切られる可能性が少しでもある人物になぜ好き好んで近づかなければならない?それこそ、私の中では『不必要な事』だわ。
何度も言うようだけどわたしは怠惰を具現化したような人間!そんな私がこれ以上の苦行は御免被るわ。フラグ回避するのよ!とか私はそんな事しないわ信じて!とか自分のスキルを上げて第二の人生のために備えるのよ!とか。はいはい、お疲れ様って感じ。どこのヒロインですか?ってね。
それを私にさせようなんて、無理無理。所詮私はそこらへんにいた女子高校生、JKよ。モブ上等。ほら、モブがそんなことしたらでしゃばるなって話でしょ?そもそも役名あってもやらないけどね。だって必要なくない?
この見るからに美しい顔に普通ではない優れた頭脳。前世の記憶も相まってそこらへんの馬鹿どもとは思考回路が違う。そもそも私はこの世界の人間ではないの。だからこの国のためとか家族のためとかわたしのためとか…ないない。失笑モンだわ。
そりゃあ痛いのも死ぬのも嫌だけど。ドMになったつもりなんか全くないけれど、この身体はそもそも私のものではないし、この子がどうなろうと知ったこっちゃないわ。こんな可哀想な人生を歩んだこの子のために頑張ろうとか幸せになろうとか、どこの能無しデスカ?
私の人生は終わったの。私の世界はここではないの。この場所ですることなんて精々時の流れに身を任せてゆらゆらするのみ。
怠惰な人間は一番優秀な人間だと、誰かが言っていた。省エネ思考だから自分の能力の限度を知っているし、可能不可能の線引きをきっちりしている。必要な事は楽に手短に。そもそも、
「『怠惰』ってさあ、二つ意味があると思うのよね。」
「え、如何なさいましたか。アシェルお嬢様?」
「まあまあ、聞いてなさい。一つは省エネで最低限の行動で皆が納得するものを作って終わらせるタイプ、もう一つはそもそも面倒だから何もしなくてもいいじゃないってタイプね。」
私が指を立てて一つずつ提示したものにさっきまでやっていた事を止めて考えるセレンは本当に従者気質よね、ヘタレだけど。
「ああ、確かに。…お嬢様は前者ですね。」
「そうなのよ、私は常に前者であろうとしているわ。後者なんてただの甘ったれ。そんなのとは同じ人間と名乗って欲しくないわ。」
「そ、そんな…それは言い過ぎでは…。」
「じゃあ自立していない大人みて親が『この人みたいになっちゃダメよ』って反面教師に勧めてくるのは違うって言うの?あれも相当な暴言だわ。」
「そ、それもそうですが。お嬢様は侯爵家のご令嬢ですので口が悪いのは…。」
「わかってるわよ、だからセレン以外には誰にも言ってないし。」
そもそも話す友人なんてこの世界で作ってないのだから。学園では変わり者令嬢って言われているようだし?だから従者にしか言ってないわよ。
そういった私に困惑したように眉を下げたセレン。彼にはもうとっくの昔に私が以前のアシェルではないことを話している。誰よりもアシェルの側にいた彼には疑われるだろうことは分かっていたのだから早々に言った。まあ最初は悲鳴あげながら医者を呼ぼうとするから頭引っ叩いて水飲ませたけれど。
「そもそも変わり者令嬢って呼ばれてるのは何もそれだけの理由じゃ…。」
「なに?」
「お嬢様は自覚ないようですが、そこまで周りに無関心でいらっしゃるので周りが邪推してしまうのですよ。」
「?そういえば、私最近イジメしてるみたいなんだけど、誰にしてるのか知ってる?」
「いや、それは婚約しゃ…」
「まあなんでもいいんだけど、もう学園も卒業するし。」
「聞いてきたなら最後まで喋らせてもらっていいですか…?ってもう聞いてない…。」
まあ取り敢えず、この波風立てない人生をこれからもこれまでも送るのよ。最高だと思うのよね。
だから、さっさと帰っていいかな。
「おっまえ…!」
「自分が何をしたのかわかっているのか!」
「ファシェルにしたこと、なかった事にするつもりはないぞ!」
「で、殿下…!わたし…!」
「大丈夫だ、ファシェル。俺がこの悪党を地獄に葬ってやる!もうお前が憂う事はないぞ。」
学園の卒業式のあとに開催される王家主催のパーティーに訪れた。なんか招待状に必ず来ることを強く押されていたから、まあいいかと思ってきたのに、なにこの面倒臭い状況。
会場に入った途端、厳つい多分同級生だと思われる令息に両側から腕を拘束されてホールの真ん中に引きずれれて連れられた。私をエスコートしていたセレンは他の生徒に拘束されてホールの端に押さえつけられていた。
「お、お嬢様…!!!」
遠くからセレンの抵抗する音と私を心配してあげる悲痛な叫び声が聞こえたから振り向こうにも、両腕を押さえつけられて膝を床につかされている状況で振り向くことは出来なかった。
痛いっつうの、なにこいつら。令嬢である私に礼儀もなにもないわね。
ホールの真ん中は半径十メートルほど人の空間ができており、その中にいるのは私と私を拘束するもの。あとさっきから前で煩いのが数名のみ。他の招待客やらは突然起こった出来事に戸惑っている様子だった。
「おい、聞いているのか!」
前の煩い男の声に反応してか、拘束して来る男たちの力が強まる。痛いっつうの。あー、これ痕残るわ。て言うか、さっきからなに言ってんのこの煩いの。ふぁしぇるってだれよ、なんか見たことあるような男の腕にもたれ掛かってる女のこと?どっかで会ったかしら。学園の生徒だっけ。
あー、やばい眠たくなってきた。そもそもこのパーティー、開催される時間が遅いのよね。準備にも普段以上にかかったし何度寝そうになったか。腕は痛いけどそれより眠い。
「っ舐めているのか!?口も開かぬとはとんだ馬鹿だな!弁解もないのか!」
欠伸をした私に逆上したのかまた目の前の男が怒鳴ってきた。
そもそも拘束されれいる状況で喋れとか、あんたが馬鹿ですかって。もっと扱いちゃんとしなさいよ、一応侯爵令嬢なんだけど、そこらより立場上なんだけど?まあ、そんなことより、
「喋るの怠いし、面倒臭いのよね…。」
「は?」
「はいはい、私がしたと言う証拠があるのならそうなんじゃないですか?別にどっちでもいいわよ、もう。そのしぇふぁる?って子がどんな子か知らないけど、興味もないし知る必要もないわ。そもそも私が誰かのために何かするとか、やるわけないわ。面倒だし。あと眠い。」
「は?」
「ちょ、お嬢様…!」
「セレンそろそろ終わった?早く陛下方に挨拶してここ出たいんだけど。」
「拘束は解きましたけど…!」
「あら、ヘタレなのに優秀ね。」
「だからヘタレって何ですか!?」
私がセレンに呼びかけるのと同時に私を拘束していたものがなくなり、身体が自由になった。ふーっとため息吐きながら固まっていた腕をほぐすように回せば隣で息を乱していたセレンがなんか小言言って来るけど聞いてない。
さて、と。取り敢えず見回したところまだ陛下たちはいらっしゃっていないみたいだから今のうちに出ようかしら。だめ?弟もいるし、フォローはしてくれるでしょう。
「あー…ねっむい。セレン、先に馬車の準備よろしく。」
「いいんでしょうか…?この状況で…」
「いいわよ、ほら。」
「はい…。」
「待ちなさいよ!!」
「ねむー…、あれセレン何処から出ていった?出口分かんないんだけど…。」
「待ちなさいっていってるでしょう!!!」
なんか目の前のピンク女が煩い。だれだっけ。
「…だれ。何で命令されてんの…?めんど…。」
「っな!ファシェルよ!ここのヒロイン様だっつうの!なに悪役令嬢が仕事放棄してんのよ!私の世界なんだから私のために動きなさいよ!ハッピーエンドまであともうちょっとなのに!!」
「なんで私が…。」
て言うかこのピンク女さっきと性格違くない?あれだよね、さっき泣いてた女だよね?
「え?」
「だいったいねえ!シナリオ通りに動いてくれないから手間掛かったんだけど!一番簡単な殿下ルートが一番難しかったんだけど!!それになんなのその態度!」
「あ、出口ってあれ?人多くて見えなかったわー。」
「待ちなさいっていってるでしょー!!!!」
なんか吠えながらピンク女が突進してきたのを取り敢えず横にずれる事で躱す。なにこの女、イノシシかよ。そのまま衝撃を自分で抑えられなかったのか、ピンク女が転けた。
「っファシェル!おい貴様!!!」
「えー、私のせい?」
さっきからなんか煩かった男、どっかで見覚えあるんだけど思い出せないヤツがこれまた突進してきた。イノシシ夫婦か、お似合いだわ。
取り敢えず伸ばしてきた手を払いのけてそのまま首元を掴んでさっきまで私を拘束していて、セレンによって積まれていた男たちの上に乗せるように投げ飛ばした。おっも。
「っぐ!!」
ナイス私―、ジャストミーーーート。前世で柔道してて良かったわ。これぞ御都合主義ってか?前の私サボらずグッジョブ。
周りは結構身長は高い方なのに手足が細い私が、恐らく一般よりデカい男を投げ飛ばしたことに唖然となっていた。さっきは突然で眠かったから拘束されたけどこれくらいなら出来るわよ、見縊んな。今も眠いけど。
「こ、この状況はなんなのだ…?」
「あ、陛下。本日はお招きいただきありがとうございます。」
「ああ…?」
「御前失礼いたします、私バルボリーニ侯爵が長女、アシェルと申します。本日はここでお暇させていただきたく。」
「ああ…?」
「では失礼いたします。」
やっと終わった。早く馬車の乗んなきゃ。眠い。
そうして騒動の当事者の一人であったアシェル令嬢はホールからいなくなった。残されたのはなぜか山積みになっている男たちの上にいる伸びたままの王子と、その周りで唖然としたままの最近何かと話題になっていた令息令嬢たち。そして周りで傍観していた貴族たちだった。
途中からこれを見た陛下はなにが起こっているのか全くわからないため、取り敢えず腹心で、今まだこの会場内にいない侯爵で宰相をしている者を呼び出し、調査してもらおうとしていた。
誰もが時間が止まっているかのように動きを止める中、一人の黒髮の令嬢が慌てて扉から出ていった。そしてその扉が閉まる音が、シーンとしている空間に響いたのであった。