ボウガン男はニート女に、告ぐ。
早朝、玄関にボウガンを仕掛ける。
一定のラインに足を踏み入れた瞬間に透明なワイヤーが引かれて、シューズラックの死角からびゅん、と弓が飛び出る。
彼女の不健康そうな体にトスン、と優しい音を立てて弓が刺さる様子を想像する。
崩れ落ちる彼女の体を抱き止められる距離を計算するのは通算何度目か。
右手に包丁。玄関とリビングを結ぶ動線を遮るように僕は立つ。
エプロンを付けて朝食の準備を始める前に、いつもの台詞を、僕は言う。
「僕は、いつ出ていってくれても構わないんですよ?」
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リビングのつけっぱなしのテレビには大きく【GAME OVER】の文字。
コントローラーを握ったまま、よだれを垂れ流し、だらしなく床に寝こけている彼女はモゾモゾと動いた。
「んあ、今日の朝ごはん何」
暗に、出て行けコールは聞こえなかったと言わんばかりに、ボサボサの髪をかき上げながら、寝ぼけ眼で視線を送ってくる。
「トーストとスクランブルエッグとサラダ。それにウインナーです」
「粗挽きなの?」
粗挽きウインナーはここ最近のマイブームらしい。
某通販サイトを経由して1ダース程買われた時には、勝手に通販をする際には死ぬほど口うるさく言う僕も流石に閉口した。
「粗挽きですよ。まずは着替えて、顔を洗ってきて下さいね」
タンクトップの中に手を突っ込んで、お腹をひっかく彼女に露骨に顔をしかめてみる。
「分かった―行ってくるよん」
彼女がいなくなり、水道から勢い良く水が出る音が聞こえてきた。
「……水は使いすぎないで下さいって言ってるのに」
緩む頬を隠すように口元に手を当てると、僕は彼女が返ってくる前にさっさとボウガンを片付けて、右手の包丁を正しく活かすべく朝食に取り掛かった。
「やっぱ粗挽きだよねー」
食卓についた彼女は目の前のプレートから粗挽きウインナーにフォークに突き刺すと、しげしげと眺める。
「限度って知ってます?」
冷蔵庫の中にはまだまだテープで止められた粗挽きウインナーの袋の束がひしめき合っている。
「だって安かったもん。プライム・セール。それに外に出たくない。一生ゲームして引きこもっていたい」
もごもごと口を動かしながら馬鹿らしいことを言っているのに、声色だけは真だった。
「働く気ないんですか? 近所のスーパーにせめて買い出しに行くとか」
彼女が働こうがスーパーに行こうが実際の所、僕はどうでも良い。
お金は人一人養う程度とゲームを……彼女風に言えば「積みゲーが増えまくってる」ぐらいには、そこそこ稼いでいるわけであって。
重要なのは彼女が外に出る気があるのかないのか、だ。
「え? 言ったじゃない、『無期限で僕の家に置いてあげてもいいんですよ?』って。男に二言はないんじゃないの!?」
「大分誇張してませんか、ソレ。無期限って言ってないです」
大袈裟にフォークをからん、と皿に投げ出すと、どこぞの議員よろしく泣き真似を始めた。
いつも思うが、まともにニュースを見ないくせに、どうしてそういう下らないネタは仕入れて来れるのか。
「無職で家なし文無し。やっと寄生先を手に入れたんですゥー。捨てられる私をカワイソーと思わないの?」
「いえ。全く。あなたと違って僕は忙しいのでそろそろ出ますね」
指の間からチラ見する彼女に冷たい視線を投げるが、僕は内心酷く安堵していた。
いつもの様にさっさと食事を済ませる。
食器をシンクに運ぶと、洗っとくよーと背後から掛かる呑気な声に形だけの礼を言って出社する身支度を整える。
食卓に突っ伏し半分寝ている彼女を尻目に、スーツを着てカバンを下げる。
「行ってきますね。ベランダにある植物の水やりはもう終わったのでやらなくていいです」
ベランダには着替え終わった後に、警報装置と簡単なブービートラップを設置しておいた。
毎朝の日課なので大して時間はかからない。
「はあい。いってらっさい。あ、今日はケーキ買ってきてー」
起きているのか寝ているのか分からない声だったが、返事をしたのだからこれは僕と彼女の約束だ。
――何かあったとしたら二人のせいなのだから、一緒に責任を取るべきだ。
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靴を履き、再度玄関にボウガンを仕掛け直すといつもと同じ時間に家を出る。
スマートフォンに指を滑らせて、アプリを伝い家中のカメラ映像をチェックしながら、彼女のスマートフォンのGPSが作動しているのか確かめる。
彼女はソシャゲ中毒、というやつなのでまずスマートフォンを手放すことはない。
液晶端末に反射する太陽を鬱陶しく思いながら手をかざして空を見上げる。
ひりひりと紫外線が僕を焼き尽くそうと躍起になっている。
外の世界は独房のようだ。
周りの人間はみんなルールに則って看守のようにキリリと僕を見張るのに、実のところ何一つ約束を守ってくれない。
賄賂を貰えばすぐに多くのことを見逃すのだ。
そして僕を柔軟性にかけると責め立てる。
看守が僕を見張るのは僕が犯罪者だからだ。
それはイコール、僕がこの世界で異質だと言われている、ということなのである。
今の所、僕が把握している限りで、僕との約束を守ってくれているのは、ニートという不名誉な看板を背負ってコントローラーを握る、あの怠惰な彼女だけというのは皮肉か奇跡か。
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社内のホワイトボードには営業が外へ出る時間帯が細かく記してある。
このキッチリと整列した感じが僕は好きだ。
今日、プレゼンについて話をする予定の後輩の一人が時間になってもやってこない。
ホワイトボードの予定ならばもうとっくに社内にいても良い頃なのに、だ。
デスクを小刻みに指で叩いているとイライラが全身に伝染していくようで、静かに首を振る。
――どうして単純な約束が守れないのだろう。
電話の一本でも入れてくれれば僕も少しは気が晴れたのに。
そもそも無理ならば初めから約束なんてしなければいいじゃないか。
時間が空いたら話をしましょう、のほうがよっぽど誠実であると言える。
スマートフォンの液晶を見た。
彼女は相変わらず自宅でゲームに勤しんでいるようだった。
この勢いだとまた12時を回ってから昼食を取るのだろう。
健康のためにもなるべく同じ時間に食べて生活リズムを整えてほしいのだが。
「ご飯、もっと食べやすいものにすべきなんですかねえ……」
「何見てるんですか? 遅れてすみません」
背後から覗き込む顔と声に驚いて、咄嗟にスマートフォンを両手で握りしめた。
「……遅刻ですよ」
それどころか、人のプライバシーをなんだと思っているんだ。
「声掛けましたって。ずっとスマホみてるから先輩どうしたのかなーって」
「なんでもないです」
ため息を一つ。目を細めて、後輩の両手を上げて、おどけたようなごめんなさい、という態度を暗に咎める。
「じゃ、さっさと始めちゃいますか。これ、資料です」
何事もなかったかのように資料をドサドサと机に落とす彼に合わせて、僕も用意していた資料をパソコンで開く。
「先輩」
「なんですか」
「最近、なんか良いことあったんですか。最近楽しそうな表情っていうか生き生きしてる」
鈍感そうなこの男の以外なる洞察力に目を見張る。
「前はこの世の終わりって悲壮感満載の顔で張り詰めて仕事してたのに。彼女でもできたんですか」
ケラケラ笑いながらいう彼に若干の親しみと羞恥心を覚えた。
……僕はそんなに分かりやすい人間だったか。
「……ペットを飼い始めたんです。可愛くて。でもみんなには内緒にしておいて下さいね」
何にせよ、釘を差すことは忘れない。
「ああー猫かなんかです? 可愛いですよねー。俺んちも実家で飼ってたからわかります。スマホで今は監視できたり餌やれるアプリありますもんねえ」
納得したような彼はやっぱり聡いのか、鈍いのか。
「猫、すごく可愛いんです。留守番もちゃんとしているし」
「猫とか言うと女子社員うるさいですもんね。先輩の家に猫を口実に上がり込もうと絶対しますよ。俺、秘密にしますよ。先輩もそんな顔するんですねえ」
マウスをいじる彼の横顔を見るが、嘘を言っているようには見えなかったし、思いたくなかった。
「……約束ですよ?」
「はいはい。約束しますよ」
彼は約束をしてくれた。守ってくれると言った。
だから、彼には、約束を守ってもらわなくては困る。
プレゼンの資料はこの上ないぐらい、早く完成した。
僕はその日とても上機嫌で――GPSとカメラの確認回数が何時もより少なく、定時に気付かないぐらい仕事に熱中できた。
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家路を急ぐ。
美味しいと評判のケーキ屋に寄るのを忘れずに。
彼女は時折、コンビニスイーツ以外の甘いものが食べたいと言ってこういうお願いをする。
ケーキの箱を下げ、公園の前を通り過ぎようとして立ち止まった。
初めて彼女に出会ったのも、この深夜の公園だった。
ベンチに座った僕は打ちひしがれていて、彼女も打ちひしがれていた。
……内容は随分と違ったが。
「ヤバイ。何がヤバイってバイトも首になったのに貯金がない。さらに言えばアパートの家賃も既に滞納していて追い出されそう。でもゲームは売りたくない……」
「どうして簡単な約束を守ってくれないのだろう。家に居て欲しい、といったら笑顔で勿論って言ってくれたのに……」
僕の歴代の恋人たちは簡単な約束も守れない人間だった。
家にいたい、と自ら志願するくせに、最期には僕とは合わないだとか、頭がおかしいと言って家を飛び出すのだ。
他にも毎日会いたいわ、というから毎日会いに行けば、顔も見たくないと罵ってきたり、声が聞きたいとメールで彼女が言えば出るまで電話をかけ続けた。
僕は女性に対してどうすれば良いのか全く分からなくなっていた。
ただ、絵に描いたような温かい家庭がずっと欲しかった。
幼い頃からそれだけを目標に生きてきたと言っても過言ではない。
家に居ない両親、鉢合わせれば罵り合い、お互い不倫をしているのに、外では仲の良い仮面夫婦。
あなたが良い子にしてたら父さんと仲良くするって母さんの約束ね、と言う割には実行されたことがない一方的な約束。
「おにーさん振られたの?カワイソー……」
心底憐れむような目で僕を見る彼女に思わず言い返したのが、きっかけ。
「家賃滞納で無職よりは可哀想じゃないです」
「励ましてあげようと思って声かけたのに、予想より辛辣」
顔を引きつらせながらも彼女は僕に向かって笑った。
「職がいくらでもあるように、女だっていくらでもいるさあー」
「職がいくらあっても適正がないとダメですよね? 女性がいくらいたって約束を守ってくれないなら意味がないです」
「さり気なく私をダメ人間って言ってるよね、それ」
「最初から言ってます」
「おにーさんなら一人で生きていける。大丈夫だよ。てか一人で生きて孤独死しろ」
「一人は嫌です。あなたもさっさとゲームをまとめて下取りカウンターで『こんなちょっとにしかならないの!?』と言ってくる準備をしなさい」
醜い罵り合いを初対面の人間としたのも、初めてだった。僕は人当たりがいい好青年、と言われる方が多い。
……自分で言うのもなんだが。
そのまま大声に発展する罵り合いだったが、犬の散歩をしている通行人に物凄い目で見られたことによって自体は収束する。
肩で息をしながら彼女は、これで解決、と言わんばかりにビシっと指を指して、決定的な一言を放つのだ。
「ゲームさえくれれば私がずっと家に居てあげるから養いなさいよ」
「まあ……家に居てくれる、という約束さえ守ってくれれば僕の家においてあげてもいいんですよ?」
胡散臭げな目でみる僕に、「女に二言はない。明日からゲームし放題よっしゃあああ」とガッツポーズを決めて野太い叫びをあげる彼女。
これが、僕と彼女の色気もなければ感動も感傷もない、打算的な関係。
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外観からでも分かるマンションの部屋を見上げると、いつもとは違って真っ暗だった。
この時間帯に彼女が寝る、なんてことはありえない。
大体ゲームをして僕の帰りを待って、夕食を作る僕に横からちょっかいをかける。
それが日常。
ケーキの箱を取り落としそうになりながら、僕は急いでマンションのホールを抜け、エレベーターのボタンを何度も押した。
手を握ると、汗がひどくてぬるぬるした。
スマートフォンを出す気にもなれない。
どうして、約束を、守ってくれないのだろう。
僕はそんなに難しいことを言っているだろうか。
僕は人に物事を強制したことはない。
大体、彼らが勝手に僕の所へ来ては約束を押し付けるのだ。
忠実に苦痛を守り続ける僕を踏みにじるのも彼らだ。
僕は約束なんてしたくない。
人に鎖をつけるということは自分に鎖をつけるということなのをどうして誰も理解してくれないのか。
大切だから守るのに、受け入れるのに、あっさり拒絶されてしまうのは誰が悪い。
のろのろと点滅する数字がもどかしい。一刻も早く部屋に戻らなければならない。
階段にすればよかった、と僕が思い始める頃、ようやくエレベーターは止まった。
扉が開ききってないのに、体をねじ込ませると、自分の部屋へ急いだ。
今日と今までの幸せが全て壊されて、つまらないもののように感じる。
カバンに乱暴に手を突っ込むと鍵を出して鍵穴に突っ込む。
ドアを勢い良く開いて、真っ暗なリビングに向かって足を踏み出す。
――ドシュ、
という射出音は僕が思っていたよりもずっと硬かった。
時が止まったかのように、何十倍、何万倍もの感情が僕の脳裏をかけめぐる。
「イエ―!! ハッピーバースデー!」
部屋に明かりが灯った。
馬鹿みたいにはしゃぐ彼女の左手には、ボウガン。
彼女の真上の天井には、矢が突き刺さっていた。
カバンが体からずり落ちるのと同時に力が抜けていくのを感じたが、かろうじてケーキの箱だけは死守する。
「……ボウガン」
僕が言えたのは、その一言だけ。
「クラッカー買うの、忘れてた。うん。どうしよっかな~って思ったら丁度いいのがあるじゃんって思ってさあ」
「これ修理しなきゃだめ……?」と天井に刺さった矢を怪訝そうに見つめる彼女。
気付いてたの、怒らないの、出ていかないの。
形にならない言葉の欠片と感情の破片が喉の奥に詰まって僕を窒息死させようとしている。
「おおーケーキ。ホールで買ってきてくれた?」
僕から奪い取るように箱を受け取るとテーブルの上に置いた。
周りには滅多に料理をしないであろう彼女が作った不格好な品々が並んでいて、その真中には栄養ドリンクの瓶に乱雑に活けられたベランダの花。
「さっきからぼーっとしてどうした。ボケるのには早くない?」
僕の顔を覗き込む彼女。
「誰の誕生日ですか」
「ボケがもう始まったか。いや、この流れで私のだったら相当痛い子でしょ」
「?? いつも痛い子なのでは」
「今日、数々のトラップをくぐり抜けてこれを用意した私に謝れ」
まあ毎日仕掛けてるの見てれば解除なんて普通にわかるしねーネットでも調べられるし、と適当に言われる。
ネットを禁止にしようか、と心の中で、ひとりごちる。
――それに、誕生日。ああ、そういえば僕の。
「言いましたっけ誕生日」
「最初に滞納家賃払ってくれた時に、免許証見た」
「そうですか」
「それだけ?」
不満そうな態度の彼女。
複雑極まりない、感情の出口は行き止まりで、トラップだらけの、この部屋の構造によく似ている。
約束を違えたのは、どちらなのか。
「……ありがとうございます」
「それでよろしい。さ、早く食べよー」
それでも、彼女はいつものように笑うし、食事が終わったらまた怠惰にゲームに勤しむんだろう。
僕は相変わらず――今より改造されたトラップを仕掛けるだろうし、スマートフォンで監視もする。
初めて人に作ってもらった料理は、美味しかった。
「炭の味がしますね。斬新です」
「次はお前に向かって射つぞ」
二人で顔を見合わせて笑う。いつもよりずっと長く、笑う。
――――――――――――――――――――――――
約束、口ではどうとでも言えるのだ。
だがそれだけで許してもらえるほど世間は甘くない。
出た言葉は戻せない、結果がどうあれ、二度と戻すことは出来ない。
僕はそう思っている。
人は言葉を持った瞬間から責任を負わされている。
これは呪いである。これは枷である。
言葉は生きている。だからこそ相手に伝わった時にはもう遅いのだ。
柔らかな言語の抱擁の中には鋼鉄のトゲがある。
まるで拷問器具のアイアン・メイデンようだ。
執行人は僕か、彼女か、どちらなのか。
じりじりと焦がすように流れていく血は止まらない。
僕は責任を取らなくてはならない。
僕の言葉によって彼女が出ていった場合の責任をとらなければならない。
彼女が出ていく、そんな取り返しがつかなくなる事態が起きた時のために準備をし続ける。
右手に包丁、シューズ・ラックにはボウガン。
エプロンを身に着けて、朝食に取り掛かる準備をしたら。
分かっていて、口にする。
決意を込めて、口にする。
何度だって、口にする。
深呼吸をして、一度だけまぶたを閉じると、今まで過ごした時間の中にいる彼女を思い浮かべる。
唇を湿らせるために舌でなぞる。
いつもの口調、いつもの音調で、これが最期かもしれないのだから、と後悔しないように柔らかく、呆れたように装って、今日も僕は言う。
「僕は、いつ出ていってくれても構わないんですよ?」
ボウガン男は愛し方が分からないし、ニート女は怠惰に浸る。