05 8月9日 ~ 9月3日(その2)
「じゃあ、ボクが選んだタマキのテーマ曲も、取り急ぎ発表しようか」
「あ、それはいいことですね、先輩」
素早いじゃないですか、とタマキは言った。
タマキから電話が来る少し前に、ボクは選考を終えていた。
「フフフ、聞いて驚くなよ」
「ひどい曲なんですか?」
「そんなわけあるか」
「冗談です、先輩」
「では気を取り直して、発表いたします」
「はい、お願いします」
「タイトルは・・・」
「タイトルは?」
「背後でドラム・ロールが鳴ってるつもりでいてくれ」
「はい、鳴ってます」
(Dalalalalalalalalalalalala・・・)
「タイトルは・・・“アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー(I'm Glad There Is You)”です」
「・・・知らない曲です、先輩」
「詳細はお調べください」
確かに、曲としては渋い選択だったかもしれない。
けど。
「けど、タイトルを訳したとおりの曲だよ」
「あなたが、いて・・・嬉しい」
「そんなところ、かな」
「先輩」
「ん?」
「私、涙が出ているんですけど」
「え?」
「なんとかしてください」
タマキの鼻声が聞こえた。
「どうせなら、今の顔を見たかったな」
「ダメですっ・・・もう、先輩ったら」
「なんでしょうか」
「とても、感激です。ありがとうございます」
「調べたら、タイトルだけ素敵で、内容はひどいかもよ」
「そんなことないって、分かってます」
「そっか」
「はい」
「今度、若い頃のエラのディスクを貸すよ。ボクの好きな演奏の」
涙をちょっぴり残したタマキの微笑みが見えたような気がした。
「あの、先輩?」
「今度はなんだい」
「お部屋、片付いてますか?」
「タマキがこの前来たときと比べると」
「はい」
「この部屋には台風が上陸したらしい」
「ああ、堕落しましたね、先輩」
「ちょっと散らかっただけで、大げさに表現してみたんだよ」
「どうだか。先輩の真実の姿、要するに、堕落した男の人の部屋、見たかったなあ」
「おまえなあ・・・」
「でも、これからすぐに先輩がご自分で片付けちゃうんですよね、彼女さんに怒られないように」
「・・・もちろん、そのつもりだ」
「声が妙に小さいですよ、先輩」
「そんなことないよ、うん」
「散らかったままだと、疲れて帰ってくる彼女さんが、ますます疲れてしまいますもんね」
「そのとおりだよ、うん。・・・チェッ」
タマキはくすっと笑っていた。涙は止まったようだった。
「ところで、先輩」
「まだあったのか」
「すみません。実は本題はこれからです」
「了解です」
「先輩」
「ん?」
「明日、私、デートするんです」
「おや」
「この前、と言ってもひとつき以上前ですけど、コンパで知り合った、別の大学の人です」
「タマキのお気に入りになりそうな人なんだ」
「そうですね。だから、先輩」
「ん」
「もう心配しないでください」
「何を?」
「いろいろ、です」
タマキは「いろいろ」が何を示すかは明言しなかった。
「でも、学校で会ったときは、避けないでくださいね。悲しくなっちゃいますから」
「堕落した先輩と、かわいい後輩に、すっきりと戻るわけだな」
「違いますよ」
「え?」
「とっても、とってもとっても・・・かわいい後輩です」
「・・・そうかもな」
ボクは、電話での会話でよかったと思った。
今、タマキがどんな表情でいるのか、見える気がしたから。
「もし、電車で見かけても」
「ん?」
「先輩にはわざと声をかけないと思います」
「そっか」
「けど、誤解しないでください。先輩を嫌いだからじゃありませんから」
「分かってるよ」
「私が、しっかり落ち着いたら、うっかり声をかけちゃうかもしれません」
「うん、了解」
「先輩」
「はい」
「もうひとことだけ」
「何かな」
「先輩が私に選んで下さった、“アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー”」
「うん」
「この曲を、先輩の第2テーマにしてください」
「了解。ありがとう、タマキ」
「先輩がいてくれて、私・・・嬉しいですから」
タマキがいてくれて、ボクだって嬉しい。
タマキがボクにとってただの後輩ではないことを、忘れることはないと思った。
魔法に関係なく。
「では、これで・・・」
「うん。おやすみ、タマキ」
「おやすみなさい、先輩」
* * * *
その翌日、9月3日の夜に、キミはいきなりボクの部屋に帰ってきた。
「ただいまぁ」
「お帰りぃ」
「よかったあ。予定より、だいぶ早く帰ってこられた。ひとつきですんだ」
キミは大荷物を降ろすと、腰と肩を叩きながら、ひとつため息をついた。
タマキのアドヴァイスに従い、ボクなりに部屋を片付けておいて、本当によかった。
「空港から電話してくれたらいいのに」
「さっきまで劇団の人たちといっしょだったから、できなかったの。呼びたかったんだけどね。荷物が重かったから」
「そうだと思ったよ」
「嘘」
「ウソ?」
「本当は、早く会いたかったから」
キミはボクに飛びついた。
ボクはキミを抱きとめた。
キミはボクに軽く口づけた。
「元気だった?」
「おかげさまで」
「レポート間にあった?」
「おかげさまで」
「お風呂入った?」
「ん?」
「歯、磨いた?」
「おい」
「何かしら」
「懐かしい番組を思い出したんだけど」
「あら、さすがは同年代。ばれたか」
フフッとキミは笑った。
「あなたの突っ込みが嬉しいわ。私、無事に帰ってきたって、やっと実感できた」
「なんじゃそりゃ」
「もっと突っ込んでいいのよ」
「誤解を招きそうなセリフは自重してください」
「うん、その調子で」
前にもこんな会話をしたことがあるような気がする。
「キミはうるさいぞ」
ボクはキミの唇をボクの唇でふさいだ。しばらくそのままにしていた。
「やっと静かになった」
「うん。なんだか、ほっとした」
「ちゃんと帰ってきてくれて、嬉しいよ」
「ちゃんと待っててくれて、嬉しいよ」
「留守の方がよかったかな」
「いじわる」
キミはボクの肩に腕を回したまま、微笑んでくれた。
少し涙ぐんでいた。
「キミはやっぱり泣きすぎだ」
「あなたの前でだけなんだから、いいでしょ」
「いいよ」
キミはボクに長いキスをしてくれた。
タマキのテーマ曲を選んだとき、ボクはキミの曲も選んでおいた。
その曲は、“イット・ハッド・トゥ・ビー・ユー(It Had To Be You)”。
“キミじゃないとだめなんだ”。
ボクがひとことで言うと、そういう曲だった。