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8月の魔法  作者: ソラヒト
6/9

03 8月6日 (その2)


「あれ、起きちゃいましたか、先輩」


 ボクはベッドの上に横たわっていた。ここまで来た記憶がなかった。


「先輩、眠りながら歩いてましたから。器用ですね。私の部屋が1階でよかったです」

「もしかして、肩、貸してくれた?」

「そんなこと、気にしないでください」

「ありがとう。ん? あ、ごめん。ベッドまで使わせてもらって」


 ベッドはタマキの匂いがした。

 ボクは慌ててベッドから降りた。まだ少しふらついていた。


「大丈夫ですか?」

「おかげで、さっきよりはだいぶよくなったよ」

「ひとまず、お水を飲んでください」


 タマキは冷蔵庫からミネラル・ウォーターを取り出し、コップに1杯くれた。

 ボクは指示に従った。少し落ち着いてきた。

 タマキは部屋着らしいスウェットに着替えていた。確か「ゆったりめのスウエットをよく着ています」と聞いた覚えがある。

 シャンプーらしき匂いがした。

 シャワーを浴びたのかもしれない。

 今はコーヒーをドリップする準備をしているようだった。


「ちっ、堕落した女の部屋を見てやろうと思っていたのに」

「それは残念でしたね、先輩」


 タマキの部屋は1DKで、とてもすっきりと片付いていた。

 想像可能な数日後のボクの部屋とは真逆だった。

 小さなクマのぬいぐるみがベッドの枕元にあった。

 女の子らしい部屋だと思った。


「狭いですけど、おくつろぎください、先輩」


 それが何かは分からなかったけど、部屋には薄くフローラル系の匂いがしていた。

 さっきのシャンプーの匂いとは違う。

 石けんの匂いかもしれないと思った。

 そこに、コーヒーの香りが漂ってきた。

 部屋にはテレビがなかった。

 テレビがありそうな場所には、値が張りそうなCDコンポがあった。


「テレビ、好きじゃないんです。音楽は好きなんですけど」


 その嗜好はボクと同じだった。

 ボクもテレビを見ない代わりに、自分でコンポを組んでいた。


「先輩の部屋にも、相変わらずテレビはありませんでしたね」

「よくチェックしてるな。やっぱマニアだろ」


 コンポのそばのラックに、100枚程度のCDがあった。

 半分はジャズ、更に半分はクラシック、残りはポップスという感じだった。


「先輩のライブラリにはまったく及びませんけどね」


 ボクはタマキの20倍以上のディスクを持ってるかもしれなかった。

 タマキはエラ・フィッツジェラルドのヴォーカルと、ジョー・パスのギターがデュエットした“スピーク・ロウ(Speak Low)”をかけた。


「タマキ、いい趣味をしてるじゃないか。いつ聴いてもかっこいいなあ、これ」


 “愛を語るなら、そっと囁いて”。


「“スピーク・ロウ”の演奏として最高ランクの1枚だ」


 ボクは気分がよくなってきた。


「カフェ・オレでいいですか、先輩。ブラックだと胃にくると思ったので・・・あえてあったかくしましたけど」

「気を遣ってくれてありがとう。なんか、申し訳ない。というか、おかまいなく」

「そのセリフは遅いですよ、先輩」


 タマキはふたつのカップをテーブルに置いた。

 おつまみです、と言って、ウォーカーズのショートブレッドまで出てきた。


「ウォーカーズとは気が効くじゃないか。さらに見直したよ。タマキも好きなの?」

「はい。・・・先輩、少しでもおなかに入れた方がいいですよ」

「ありがとう。カフェ・オレもおいしいよ」

「どうしたんですか、先輩。そんなに誉めてもらうと気味が悪いです」


 ボクはベッドを背もたれにできるように座布団に座り、タマキはボクの左側で、コンポが操作しやすい位置にいた。

 曲は“カムズ・ラヴ(Comes Love)”になっていた。


「そうだ、CD替えてもいいですか」

「もちろん。タマキの部屋なんだから」

「はい」


 タマキはジョニー・ハートマンとジョン・コルトレーンが共演したバラード・アルバムをかけた。

 “ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル(They Say It's Wonderful)”が始まった。夜向きの1枚だった。


「タマキ、本当にいい趣味してるな」

「ありがとうございます。でも、先輩は覚えていないんですか?」

「ん? 何を?」

「このCDは、先輩のお薦めで教えていただいたものですよ」

「あれ、そうだっけ。何枚か貸したのは覚えているけど」

「さっきのもそうですよ」

「・・・なんか思い出してきた。リストを書いた気がする」

「そうです。20枚ほどリスト・アップしてくださったメモをいただきました。そのメモから、そのときお店に在庫していたものを買ったんです。他にもあとからこつこつと、何枚も買ったんですよ。キャノンボール・アダレイの『サムシン・エルス』とか」

「そうだったとは」

「先輩、実は自画自賛でしたね」

「そんなつもりはないよ。でも、いいディスクだったろ?」

「はい、ありがとうございました」


 タマキはにっこりした。


「先輩も、よかったらシャワー使ってください」


 着替えもないし、遠慮した。


「私のでよろしければお貸ししますよ。私、部屋着は男物の、ゆるめのものを着るのが好きだから、先輩でも大丈夫だと思います」

「いや、そこまでしてもらうのは気が引けるよ」

「もしかして、私の下着の方がいいですか?」

「・・・おい」


 そろそろここを出ないと、終電が危うくなってきた。


「ごちそうさま。おかげで楽しい時間を過ごせたよ。どうもありがとう」

「あれ? 先輩、駅までの道、分かりますか?」


 記憶がないので分からなかった。


「私、もう部屋着なので、送っていきませんよ」

「いいよいいよ、時間も遅いし、気にするなよ」

「先輩、まだ少しふらふらしてますよ」

「そうかな。でも、おかげでかなりよくなったし、なんとかなるさ。道が分からなかったら、ファミレスでも、漫画喫茶でも、見つけて入るよ」


 ボクは玄関へ向かった。タマキが心配そうに続いてきた。


「見送ってくれなくてもいいから、ボクが出たら、すぐに鍵を閉めろよ」

「ファミレスとか、漫画喫茶とか・・・そんなとこに行くくらいなら、泊まっていってください」


 ボクは自分の耳を疑った。タマキは更に押してきた。


「研究室にある名簿の件、あの約束を今、守っていただきます。泊まっていってください」

「約束のことは覚えてるよ。だが、しかし・・・」

「泊まっていって、くれないんですか。私の部屋じゃ、イヤですか?」

「そんなことないけど、妙齢の女性の部屋に、恋人でもない男が泊まるのはまずいだろ。ヘンな噂が立つぞ」


 前にも似たようなことを言った気がした。


「妙齢だなんて、古くさいですよ。先輩、まだ危ないですし、私はちっともかまいません」

「ボクがかまうんだ」

「私のこと、ちゃんと女の子として見てくれているんですね。今まで、そんなふうに扱ってくれたことなんて、ないくせに」

「そんなことないよ。タマキはどう見ても女の子じゃないか」

「・・・一見、男の人に見えたんですよね」

「根にもってんなあ、タマキ」


    *      *      *      *


 約1年前、初めて学校でタマキを見かけたとき、タマキは男物の白いシャツに黒いジーンズをはいていた。遠目からは、長髪の男子に見えた。

 挨拶をされたとき、ボクは深く考えもせず、後輩に向かってひとこと目に「男かと思ったよ」と言ってしまったのだった。

 その後で、「苗字なのか、名前なのか、両方なのか、よく分からんヤツだ」と言ったのだった。


    *      *      *      *


「だって、タマキはスマートだし、それに」

「それに?」

「・・・なんでもないです」

「分かってます。体型の起伏が・・・出るとこ出てないって、言いたいんでしょう」

「う・・・」


 図星だった。

 前につい口を滑らせて、キミに言ってしまったことが、しっかりタマキに伝わっていた。


「ホント、失礼な先輩ですね。見たこと、ないくせに」

「いや、見たことあったらまずいだろ」


 そうこうしているうちに、終電は行ってしまった。


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