02 8月5日 (その3)
とりあえず部屋についた。
ボクは鍵を開けた。部屋の中のむっとした空気が感じられた。「お邪魔しま~す」と言って、タマキはボクより先に入っていこうとする。
「おい、なんでタマキが先に入るんだよ」
「何か不都合でも? あ、彼女さんですか」
「いたら連れてくるわけないだろ」
「ふーん。そうですか。いらっしゃらないのは予想してましたけど」
ん? と思いながらも、タマキを止めるのが先だった。
「いいから、ちょっと外で待ってろよ」
「脱ぎっぱなしの下着が散らばっていたりするんですか?」
「それは・・・ない」
ボクは少し焦った。
「ないけど、待てよ」
「ダメですよ。先輩が転んでテーブルの角に頭をぶつけたらたいへんです。それに、彼女さんがお留守になった途端に堕落していないか、実態をチェックしに来たんですから」
タマキはボクの横をすり抜けて部屋に入ろうとする。
「待てって」
ボクはタマキの細い腰に手を回して、阻止しようとした。
タマキはボクが思っていたよりも華奢なのだった。
「ちょっと先輩、どこ触ってるんですか。セクハラです」
あっ、と思って手を離すと、タマキは部屋の中にいた。
「案外きれいですね、先輩」
「さっき話したとおりだろ」
ボクはひとまず窓を開けた。風がほとんどない。けれど、部屋の空気は入れ換えるべきだと思った。
「でも、彼女さんが長期間留守になると、どうなってしまうのかは言わずもがなですね」
まったく否定できないので、しばらくボクは黙っていたが、タマキに確認することにした。
「タマキはどこまで知っているんだ?」
「いつから行ってしまわれるのかはうかがっていませんでしたけど、先ほどの先輩のお話から、お出かけになったのは今日からなんだなと思いました」
「なるほど」
「1か月くらいは帰って来られないってうかがっています」
「そうなんだよ。9月にならないと帰って来ないらしい」
タマキは少し首を傾げて、上目遣いでボクを見た。
「・・・さびしいんですね、先輩」
「な、何がだよ」
「誕生日にひとりぼっちなんですね」
「まあ、そうだけど、な」
「でも、先輩」
「これ以上の追い打ちはやめてくれ」
タマキは右手を軽く握って口元にあてると、くすくす笑った。
「この前お話ししたとおり、先輩の誕生日にはプレゼントを用意します」
「ん?」
「『ムーン・ビームス』をいただきましたから」
そうだった。
タマキにも遅すぎる誕生日プレゼントとしてエヴァンズの『ムーン・ビームス』をあげたとき、そんな話になっていた。
「そう言えば、私、何度も電車で見かけてますよ。先輩と彼女さんが腕を組んでいるところとか」
なるほど、そういうことがあってもおかしくない。
「彼女さんが、先輩の最寄り駅で降りるところとか」
「タマキも知ってるとおりだから、否定はしないけど、まだあるのか」
「ドア付近で立ったまま顔を寄せ合っているところとか」
なんだか恥ずかしくなってきた。
「でも、見かけたら、先輩に遠慮して、私はすぐ別の車両に移りましたけど」
「チェックしてんなあ。やっぱりマニアだろ」
「そうだ、飲み物なんていりませんよ。おかまいなく。コーラもいりませんから」
「誰が出すか。それにコーラなんて、今日はないよ」
「そうなんですか。私はてっきり、先輩はコーラ好きなんだと思ってました。1.5リットルをおひとりで飲んでしまわれるくらい」
「今日こそ、『黒薔薇』を飲むべきか・・・」
フォア・ローゼズの黒ラベルは、まだボトルの8分の1くらい残っていた。
タマキはにやにやしていた。
「送ってもらったばかりなのに、コーラも用意できず、申し訳ないんだけど、今日はここまでで勘弁してくれないか。眠気に勝てそうもないんだ」
「添い寝でよければ、してあげてもいいですよ」
「ボクは熟睡したいんだ。添い寝なんかされたら眠れないだろ」
「ふーん」
「なんだよ」
「先輩、ムキになっちゃって。かわいいですね」
「うるさい」
「では、これにて失礼します。駅までの道は、たぶんもう大丈夫ですので、ぐっすりお休みください」
「分かってくれてすごく嬉しいよ」
「でも、ひとつだけ」
「なんでしょうか、後輩」
「ディナーはいつにしてくださるんですか、先輩?」
「抜け目のないヤツ」
頭が回らなくなっていたし、試験もレポートも終わって、しばらくはのんびり過ごせるはずだった。
面倒な予定は早くやっつけておきたいものだ。
「明日はどうだ、タマキ」
「え、そんなにすぐでいいんですか?」
「時間が経つほど、人の記憶は薄れていくものなんだぞ」
「分かりました。では、明日でお願いします」
「了解」
「私、いいお店知ってますから、そこでもいいですか?」
「・・・常識的な値段ですむなら、かまわないけど」
「じゃあ、すみませんが、明日また電車に乗ってください」
「あれ、この近所じゃないのか」
「この近所のお店は、また後日先輩に連れていってもらいます」
「あ、そ」
くすくすっという感じで、タマキは笑った。
「4駅ほど下りの各停に乗っていただいて、降りてください。改札を出たところに、17時でいかがですか?」
「それも了解」
「改札はホームの中程を降りた1箇所しかありませんから、迷わないと思います」
「すべて了解」
「それと、先輩」
「・・・何?」
「無精髭がひどいです」
「ああ、ここんとこほったらかしだったから」
「ちゃんと剃らないと、カッコいい顔が形無しです」
「さっき学習室でカッコ悪いって言ってなかったっけ・・・」
「剃ってくだされば、カッコいいことにします」
「分かったよ。タマキのために剃るよ」
「是非そうしてください」
タマキはなぜだかにこにこしていた。
「では、これで失礼します。鍵はきちんとかけてくださいね、先輩」
ボクはドアまでタマキについていった。
「また明日です、先輩。どうもごちそうさまでした。お休みなさい」
笑顔のタマキに、ボクも挨拶を返した。
「お休み、タマキ。よい夢を」
ボクは鍵をかけると、窓を閉め、エアコンをつけた。
まだ14時半頃だったと思う。
どおりで暑いわけだ。
ボクはそう思いつつ、ベッドに倒れ込んだ。




