01 8月1日 ~ 8月3日
「お話したいことがあります」
前期試験初日の夜、キミはボクの部屋でそう切り出した。
妙にあらたまった口調だった。
「昨日話しておきたかったのですが・・・」
「帰りが遅くてすみません」
ドライヴの日だった昨日、1日会わなかっただけなのに、キミに会うのはずいぶん久しぶりな気がしていた。
昨日が長い1日になってしまったからだろう。
いちおう予定どおり山頂まで行き、まったりした後で、帰途についたのは15時過ぎ。
パーキングに寄ったり、仮眠をとったり、夕食をすませたり、タマキを送ったり・・・。
部屋に戻ったのは21時半頃。
留守電を聞いてキミに電話したのは22時近くだった。
── 遅い。
「すみませんです」
── なんかあったのかと心配したんだぞ。
「むしろないです・・・エネルギーが」
ボクが疲れてダウン寸前だと判断したキミは電話を早々に切り上げ、話をするのは今日にしたのだった。
8月になっていた。
* * * *
「呼ばれちゃったので、たぶん、今週末から9月半ばにかけての40日ぐらい、留守にするね」
「呼ばれた? 何に? 恐山?」
ボクのボケは無視された。
「芸術祭みたいなイベント。うちの劇団、何年かに一度は呼ばれてるんだって。台湾とか、フィリピンとか、シンガポールとか」
キミは言った。
ようやく、キミの言葉できちんと聞けた。
ロス・タイムまたはアディショナル・タイムと言っていいタイミングだった。
ボクはちっとも驚かなかった。
タマキから聞いた話のとおりだったし、雑誌をチェックしていたことで想像できたとおりだったから。
そのことよりも、どの国も暑そうだなと思った。
「そうですか」
「ちょっと。まったく興味がないとでもいうようなリアクションじゃないの」
「そんなこと、ないよ」
「あなたの彼女が頑張ってるのに、無関心じゃないよね?」
「関心はあるさ」
「もう2回見に来てもらってるし」
「そうだっけ」
「なんか、ひどいわね」
「演劇のことはド素人なもので・・・」
「そ。ご愁傷さまだったわね」
「いいえ」
「もうそろそろ、そのセリフは通用しなくなるわよ」
「心得ております」
キミはこのところずっと、なんだかそわそわしていた。
前期試験のせいではない。
今ならその理由は明らかだ。
無理もないと思った。
海外で、それも複数の国での公演。
ボクには想像もつかない。
けれど、キミは主要キャストになったとのことだし、キミにとって一大事であることはボクでも分かった。
キミはリモコンでエアコンを止めると、部屋の窓を少し開けた。
「ねえ」
「なんでしょうか」
「驚かないんだね」
「何を?」
「私が海外に行ってしまうこと」
「ああ、もう先に驚いておいたから、繰り返さないというか・・・」
「え?」
「タマキから昨日聞いたんだ。タマキはボクが海外公演だと知らなかったことに驚いてた」
「そう・・・なんだ」
キミはすまなそうな表情になっていた。
「なかなかあなたに言えなくて、ごめんね」
「どうせボクの誕生日のことでも気にしていたんだろ?」
「・・・どうして分かるの?」
「キミのことなら何処の誰よりも詳しいはずだからね」
「私のこと、世界でいちばんよく知っているのね」
「まあね」
「ごめんね」
「何が?」
「あなたの誕生日を祝ってあげられなくて」
「帰ってきてから、祝ってくれるんだろ?」
「それはもちろんよ。だって、あなたの誕生日だもん。・・・当日じゃないけど、必ず」
「じゃあ今年のボクの誕生日は、その時まで延期だ」
「延期って?」
「8月の最後の日がボクの誕生日なんだから、31日じゃなくたって、41日になったって・・・」
「41日?」
「8月41日ってことさ。もしかしたら、今年の8月は、50日くらいあるかもしれないけど」
「あなたのカレンダーは、特別仕様なんだね」
「キミのカレンダーもね。キミが祝ってくれる日が8月の最後の日だよ。だからキミとボクのカレンダーでは、31日は月末ではないんだ」
「・・・あなたって、本当に面白い人だね」
「キミも相当なもんだって思うけど」
「あなたには勝てないよ」
「ボクの勝ち?」
「今回は、私の完敗よ」
「珍しく、あっさり負けを認めたな」
「私、全力でお祝いするから」
「全力って・・・何をされることやら」
「待っててね」
「なるべく9月が短くならないうちにお願いします」
キミの不安が少しでもなくなれば、ボクだって本望だった。
「じゃあ話を戻すけど、前期試験が終わってすぐ頃から9月半ばぐらいまで、私、いないと思うけど、大丈夫?」
「キミこそ大丈夫か?」
「私は大丈夫。自分の好きなことができるんだもん」
「さすが。気合いが入ってるね」
「うん、もちろんよ」
キミはすまなそうな表情から少しだけ元気な表情に戻った。
「もっと長くなる可能性も、短くなる可能性もあるんだけど・・・数日前後する程度で、大差はないはず」
「約40日、ってことなんだね」
「うん。それで、劇団の人たちは数パーティーに分かれて現地入りするから、私はどこかのパーティーに混ざるの。私の試験が終わるのは3日だから、その後に出発するパーティーになることは確実だけど」
「そっか。なんか慌ただしいんだな」
「そうね、前期試験とかぶったから。課題のレポートはやっておいてよかったわ」
キミはレポート2本を7月中にやっつけていた。これには驚いた。
キミは本気になるとかなりすごい人だった。
いろいろな面で。
「ボクのことは気にしないでいいよ。ボクの人生にキミは20年以上いなかったんだから、大丈夫だと思う」
「ホントかなあ・・・」
キミはなんだか呆れているように見えた。
そうかと思うと、今度はなんだか神妙な顔つきになった。
「ちゃんと食べて、よく寝て、夜泣きしないでね」
「乳幼児かよ」
「似たようなもんじゃない。身体壊さないでよ。どんなに間違っても、入院なんかしないで」
ボクの体調が少しでも悪くなると、キミはすぐに入院のことを持ち出すようになっていた。
「海外からだと、すぐに飛んでいけないんだから」
「もしそうなるとしても、キミが帰国してからにするよ」
「またそんなこと言って。お願いだから・・・」
キミは少し涙目になった。
ボクの入院の一件は、キミにとってまだ薄れていかない衝撃なのだと思った。
「ごめん。大丈夫だから、遠慮なく頑張って来いよ。むしろ、見に行けなくて申し訳ない」
* * * *
3日に試験を終えたキミの出発は、5日の朝ということになった。
ボクも試験は3日に終わったけれども、キミとは違って1本しかないレポートに難儀していた。
締め切りは試験期間最終日である、5日の正午だった。
キミが出発する前にレポートを提出するのは、ボクには絶望的に感じられた。
ドライヴの付けが回ってきたのだった。