新人メイドと王子様
窓の拭き掃除をしているセルロワを、離れた椅子に座るキルヴィが美麗な深緑の瞳で眺めていた。
国王陛下の第一子であり幼い頃より大変大人びた振る舞いをし、成長なさってからはもはや悟りを開く勢いと評される彼は、喉が弱く埃や塵ですぐに咳が止まらなくなるので、六、七歩離れたところで、一挙手一投足見逃すまいという感じで見つめているのだった。
見られる方はたまったものではないが、身分が桁違いに違うセルロワがそんなことを言えるはずもない。
「ねぇ、セルロワ」
唐突にキルヴィが口を開く。
「は、はいっなんでしょうかっ」
まだ勤めて日の浅い彼女が、初めて貴人(リュエルを除く)のすぐそばで働くことを許されるという、嬉しい反面、とんでもない緊張を伴う仕事だった。
しかも相手は “あの” キルヴィ殿下だ。
シャープなあごに落ち着いた大きすぎない瞳、緩いウェーブのかかった白い金髪。メイドの間で「目があったら妊娠する」と言われるほど綺麗な顔をしている。
そのためどのメイドも決して目を合わせない。
セルロワもまた例外ではなかった。
自分よりも年下なのにすごく大人びて見えるのでまるで年上と接しているようで落ち着かない気分になる。
「セルロワって、誰かにすごく似ているのだけど、誰だろう。」
「え……母でしょうか?」
「お母様?」
「以前ここに勤めさせて頂いておりました、ミホロワというのですが」
「ああ!うんうん、そうだ!よく似てるねぇ。いつからここへ?」
「二ヶ月ほど前からでございます」
「ふぅん、そうなんだ。ミホロワはどうしたの?いないようだけど」
「あ、の……それは」
彼女は、殿下がいなくなってしまったことがショックで引退した、とは言えなかった。
「ミホロワ、どこか悪い?」
「いえ、そうではなく、そろそろ家でゆっくり過ごすのも良いかなと思ったようでして。わたくしが働けるようになりましたので、それがきっかけになったのだと思います。」
「なるほど。ずっと働いていたようだものね。お疲れ様でしたと伝えておいてもらえますか?」
「は、はい。もちろんでございます」
考えに考えて、あくまで自然な声で落ち着いて言えるよう心がけ、言い終わった時深く呼吸をした。
***
「リュエル様ぁ〜、何処におられるのですか〜、風邪を引いてしまいますよぉ〜」
涙腺が決壊しそうになりながら両手を口に添えて懸命に叫ぶ。
セルロワは大きな声を出すのが苦手で、声がビリビリと割れてあまり響かない。
「~~~~~~~~リュエル様ぁっ」
一際大きく叫んだ拍子に、いとも簡単に涙腺は崩壊した。
「……うぅ〜、どこですかぁ」
なみなみとたまった涙がぽろぽろ、頬に溢れる。
広い庭をとぼとぼと、リュエルを捜し求めて歩いていたところ、視界の端に誰かをとらえた。
カーディガンを羽織ったキルヴィだった。今日も白っぽい金髪と深緑色の瞳がとても美しい。
「リュエルを捜しているのでしょう?」
苦笑しつつ、セルロワにハンカチを差し出す。
ぼっ、と音がしたかと思った。
顔が熱い。
「僕も捜すよ」
青年はそう言うと、瞳の中に青い透視系の魔法陣を展開させ、目から淡い光が洩れた。
「––––––!!」
セルロワは目を見開いた。
(ま、魔法だ)
この国では魔法は誰にでも使えるものだが、王族のそれは格が違うと言われている。
理由は定かでないが、その昔、神と契約を結んだからだというのが定説だった。
「ああ、いた。」
魔法を展開させて数秒と経っていない。
驚くべき速さだ。
スタスタと歩き出した後ろについて行き、低い生垣が途切れ背の高い木が生い茂る領域にくるとキルヴィは木を見上げて足を止めた。
「リル、みーつけた」
「……?本当に…ぁ」
何も変化がないように見えたのもつかの間、さわさわと葉が揺れ可愛らしい顔が葉の間からのぞいた。
「お兄様!…大丈夫?」
「じゃあこれ以上僕に魔法を使わせないでくれる?」
「……うぅ、エライあたしはお兄様の言うことをちゃんと聞くのです。」
木から飛び降りて口をへの字に曲げながらもリュエルはじっとしていつものように逃げることはしなかった。
「リュエル様っ……!!成長なさいましたねっ!!」
またしても軽く決壊した涙腺に、セルロワは借りたままになっているハンカチを当てた。
「セルロワって、ミホロワとは正反対だよね。性格は。」
キルヴィがセルロワの背中を撫でながらおかしそうに言う。
「はい、性格は、父親似で」
「……そうだったの、大変ね」
気の毒そうにリュエルもセルロワの背中を撫で始める。
「はうぅ、そんなこと、されたら」
優しく声をかけられると条件反射的に涙が溢れてしまう。
「……これは何事です」
アレクセイが呆れた声をあげる先には、背中をさするキルヴィとリュエルに挟まれておんおん号泣するセルロワの姿があった。
「もぅやめてくださいぃぃ」
広い庭に、セルロワの絶叫がこだました。
このメイド、王宮に実際にいたらクビ確実でしょうね。
可愛かったらまた話は別でしょうけれど。
世の中は残酷ですね。