街
街をぐるりと囲む城壁の上に降り立ち、サルマー達アインの狩人は活気ある街を見下ろした。
夜の帳が降りて久しいが、未だ多くの人々が道に屋台にあふれて騒いでいる。
「まるでお祭り騒ぎだな」
エビが呆れ半分、驚き半分に言い頭を掻いた。
「皇太子の成人を祝うんでしょう?そりゃあお祭りにもなるでしょう」
アテフェフが肩をすくめる。
「こうたいし、ひなだったから」
「や、ひ弱じゃない?」
「むぅ、どっちでもいい」
「いやいやよくない」
「ファラフはこまかい」
「ロブは適当過ぎだよ」
「うるさい」
「否定はしないんだ…」
言い合うロバーベフとファラフ。
いつもの風景だ。
温々とした何かが体の内から沸き上がって、胸が苦しくて、サルマーは手を握りしめた。
訳がわからなかった。今までこんな苦しさは感じたことがない。
(さっき変な魔術でもかけられたのか?)
サルマーは真剣に体の隅々に意識を巡らせて、どこかいつもと違うところがないか、不調和な魔力がないか、一分の油断もなく、隈なく調べてみた。だが、見つからない。
自分の不調は見つからなかった。
サルマーは、傍にある尋常でない魔力に気がついた。
「…っ、何故気付かなかった」
心が煩わされていたせいで注意が散漫になっていたようだ。まわりの仲間もようやく、怒りを孕み、不安定になっている魔力を感知し、それぞれがそれぞれの、驚きの声を漏らす。
「…これは」とはエビ。
「なっ、この気配は!?」と目を瞠るアテフェフ。
「これは、まずい」と低くロバーベフ。
「うわあああなにこれなにこれっ」とファラフ。
しかし、ターヘルの声は続かなかった。
と、虚空に小さく、強力な風の渦が現れ、不機嫌極まりない魔力は一層強く感じられるようになった。
風は中心に固まり密度を増し、その渦の中心に不機嫌な顔で手足を組む、人の形をした“人でない何か”が姿を現した。
居並ぶ狩人たちは直観的に、それが聖霊と確信し、怒り狂う聖霊を前にしてゾワリと鳥肌が立った。
途方もない力を前にすると、震えていうことを聞かなくなる体と反対に、頭はやけにはっきりとする。
決して勝てないと、本能が理解する。
黒衣の狩人たちは一斉に跪き、地に這いつくばった。
エビが真っ先に声をあげた。
《御名を存じ上げぬ無礼、お許し願いたい、偉大なる聖霊よ》
《親愛と敬意をここに》
続いてアテフェフ、ロバーベフ、ファラフ、サルマーが復唱する。
“聴く者”にとっては身に沁みついた、聖霊への尊崇を植え付けるための詞。
“聞かざる者”であるターヘルが言わないのはいつものことだ。しかしそこで初めて、サルマーは違和感に、ターヘルがいないことに気が付いた。
《許さないアル、汚らわしいネ、虫唾が走る、我の、我の、可愛い、》
怒りでか、悲しさからか、喉が絞められでもしているようにがらがらと潰れた“声”を発する。聖霊の発する言葉は途切れ途切れで、かなり興奮していることを差し引いても、何かがおかしかった。
人の姿をとっている聖霊の、つるりと大きな愛らしい瞳が、真っ赤に血走り、目を開けておられずにまつげを震わせ、こちらを睨みつけている。
サルマーは伏せていた体を起こし聖霊をよく観察しようとした。女のような、男のような、中性的な容姿と軽やかに舞う衣を見た、その時、頭上の聖霊がどぎついにおいをまき散らしているらしいと分かり、サルマーは聖霊の不自然な様子の訳を諒解した。
「エビ、このにおいの所為だ。力が制御できなくて混乱してる」
サルマーの言葉に、何か心当たりがあったらしいエビははっとして、
「サルマー、風鯨さまの力を借りて吹き飛ばせ」
と指示を出した。それにアテフェフがとんでもないと声を上げた。
「あの状態の聖霊に攻撃なんて、何考えてるの!?街が無くなるわよ!?」
《ああ、ぅう、うるさい、不覚だったネ、》
聖霊が呻く。
《あの小娘…八つ裂きに》
纏う衣を弄ぶ魔力の波がとぐろを巻いて空へと昇る。魔力の渦は周りの空気を巻き込んで、目を開けているのがやっとの暴風を起こし、サルマーはターヘルの心配をしていては自分の命がないと聖霊に意識を向けた。
「このままでもこの街は無くなる!サルマー、大丈夫だ、俺を信じろ!」
地面にしがみついた状態で、エビが顔をこちらに向ける。
「頼む、呼んでくれ!」
「……わかった」
目を閉じ息を吸い込む。
《我 汝に乞う》
聖霊の細い肩の向こうに、夜闇に漂う白い巨体が妖しく浮かんだ。




